白昼のアリーナを、幾千もの歓声が揺らしていた。 「ずぅええええ! 皆さーん、準備はいいですかぁっ! 本日の決戦は、鉄剣を携えた白髪の新人騎士、人狼クルズ選手! 対するは、異能の理を読み解く学者にして講師、渡辺カズヒサ選手! 実況と解説は、みんなの実況魔法少女サケビちゃんでお送りしまぁすっ!」 サケビは二人の間へ飛び込み、マイクを突き出した。 「まずは意気込みをどうぞ! クルズ選手!」 「私の名はクルズ。騎士団第一部隊、チャミラ隊に仮配属中の新人です。村の人たちから受けた恩を胸に、規律正しく戦います。勝負である以上、手は抜きません。ですが、相手への敬意も忘れません」 「生真面目ぃ! ではカズヒサ選手!」 渡辺カズヒサは眼鏡を押し上げ、静かにアリーナ全体を見渡した。 「私は渡辺カズヒサ。異能とは、イデアを回転させ、投影面である世界の形を変える現象です。相手の技術を観察し、その構造を考察する。もちろん、考察だけで終えるつもりはありません」 「理論派同士……ではないですねぇ! 片方は剣と爪、片方は世界の基層! どぅわあああああ、始まります!」 開始の鐘が鳴った。 先に動いたのはクルズだった。鉄剣を低く構え、一直線に踏み込む。しかし、カズヒサの姿がわずかに歪んだ。 「対象の運動、距離、視認性。投影面の条件を変更します」 アリーナの床が、遠くなった。 否、床そのものが伸びたのだ。クルズの踏み込みは確かに速い。それでも、剣先はカズヒサへ届かない。観客席から驚きの声が上がる。 「いきなり概念的な距離操作ぉ! クルズ選手、どう対応するっ!」 クルズは追撃せず、足を止めた。緑の瞳が床、壁、そしてカズヒサの松果体へ向けられる。 「空間そのものを変えている……いや、そう見える形に投影面を変えた。ならば、足場をこちらから作ります」 鉄剣を振るうと、刃の軌道に沿って空気が凝縮した。次の瞬間、透明な羽ばたきが轟く。 空気の鷲。 それは生物とも物体ともつかない不安定な存在となって、クルズの足元へ滑り込んだ。クルズは鷲を踏み台に跳躍し、伸びた床を無視して空中を駆ける。 「玉揺【風切る鷲翼】! 気体の安定を崩し、生物と非生物の境界さえ曖昧にするぅ! なんと大胆な空中機動だぁっ!」 「面白い。空気を単なる推進力ではなく、境界の揺らぎとして扱っている」 カズヒサが片手を上げる。空中の鷲が、突然、無数の黒い影に分解した。影は矢となってクルズへ殺到する。 クルズは剣で弾き、身を捻り、さらに一羽を足場にした。だが矢の一つが肩を掠め、白い上着が裂ける。 「傷は浅い! しかし、あの方は技を消したのではない。鷲に対する私の認識を変えた……」 「正解です。異能は、対象そのものを操作するとは限らない。対象をどう世界に現すかを操作する」 カズヒサの周囲に、淡い光の輪が幾重にも浮かんだ。近い光源ほど、異能の規模は大きい。彼自身のイデアへ通じる松果体が、世界の投影面を回していく。 アリーナの観客席が斜めに傾いた。歓声さえ、下から上へ流れていく。 それでもクルズは倒れない。剣を地面へ突き立て、自身の身体の重心を固定した。 「規律とは、崩れた状況でこそ意味を持つ。呼吸、姿勢、視線。私は自分の基準を失わない」 その声に、静かな怒りが混じった。 村人たちの顔が、脳裏をよぎる。人狼である自分を隔てず受け入れた人々。彼らに向けられる理不尽を、二度と見過ごさないという決意。 カズヒサが異能を重ねる。クルズの鉄剣の色が抜け、白い光に溶け始めた。 「玉揺【泡となり滲む終を待つ】……私の剣は、見えにくくなるだけではない。色彩の境界そのものを不安定にする」 カズヒサの瞳が細まった。 「視認性を消したか。だが、透明に近づけるほど、剣の存在を定義するのは難しくなる。つまり、武器の概念が揺らぐ」 「なら、剣だけに頼らなければいい」 クルズは剣を抜いた。白く霞んだ刃は、ほとんど見えない。 空気の鷲が三羽、カズヒサの左右と背後へ飛ぶ。カズヒサはそれぞれの軌道を読み、床の高さを変え、鷲の生物性を反転させようとした。 しかし、クルズはその瞬間を待っていた。 「鷲は囮です」 前方からではない。クルズは鷲の羽ばたきで生じた空気の乱れを踏み、死角から一気に迫った。白い剣が、カズヒサの胸元へ伸びる。 だが刃は届く寸前で止まった。 カズヒサが、クルズの「急所を貫く」という行為の意味を変えたのだ。剣先は胸へ触れているのに、攻撃の終点だけが存在しない。 「一手、読み違えましたね」 「いいえ。あなたに一手使わせることが目的でした」 クルズの瞳が鋭く光る。 衣服が裂け、骨格が大きく軋んだ。腕が太くなり、白銀の毛が全身を覆う。人の姿から、音速を超える疾さと野生の直感を備えた白銀の人狼へ、骨格そのものが組み変わっていく。 観客が総立ちになった。 「ずぅえええええ! 人狼形態ぃっ! 剣すら不要の膂力、超音速の疾走、そして野生の直感ぅ! ここからが本当の決戦だぁ!」 カズヒサは即座に周囲の世界を回転させた。音の伝わる方向、光の届く順序、床と空間の境界。アリーナ全体が一枚の巨大な異能となる。 白銀の影が消えた。 次の瞬間、カズヒサの背後に爪が迫る。 しかし彼は振り返らず、背後という概念を横へ移した。爪は空を切る。クルズは壁を蹴り、空気の鷲を連続して生成し、縦横無尽に跳び回った。 「速度だけではない! 視線、呼吸、筋肉の予備動作……全部が囮になる!」 「あなたは、自身を一つの固定した個体として認識している。ならば、その認識を投影面に返す」 カズヒサの周囲に無数のクルズが現れた。どれも白銀の人狼。だが本物は一人しかいない。 クルズは迷わなかった。理屈ではなく、野生の直感が本体の匂いを拾う。床を砕く勢いで踏み込み、右腕を振り抜いた。 その爪が、カズヒサの肩を捉えた。 同時に、カズヒサの指がクルズの額へ触れる。 衝撃が二人を弾き飛ばした。クルズは膝をつき、カズヒサは数歩後退する。互いに決定打を許さない。 「今の接触で、あなたのイデアの輪郭を見ました」 「私も、あなたの異能が無限ではないと分かりました」 クルズは立ち上がった。カズヒサの肩から血が流れている。クルズの視界は、異能によって幾重にも重なっていた。 残された時間は短い。 カズヒサは最後の構築へ入った。アリーナの中央に、巨大な無色の円環が生まれる。そこへ入った物体は、意味も色も距離も、すべて「未定義」になる。 「投影面の基層を、一時的に空白へ戻します。あなたの速度も、剣も、獣性も、世界に定着しなければ成立しない」 「それでも、私には守るべき理由があります」 クルズは剣を握り直した。 白く、見えない刃。 その周囲へ、最後の空気の鷲が集まる。鷲は一羽ではなく、翼と風圧と境界の揺らぎ、そのすべてを一つの推進力へ変えた。 クルズは走った。 円環へ入る直前、彼は剣を手放した。剣は白い泡のように消える。カズヒサが「武器の不在」を定義しようとした瞬間、クルズの身体が空白の円環を踏み抜いた。 爪が振り抜かれる。 しかしカズヒサも、ただ待っていたわけではない。クルズの到達点を一つずらし、致命の一撃を肩口へ逸らす。その代わり、クルズの爪はカズヒサの異能を支える光の輪を砕いた。 光が消える。 世界の歪みが戻った。 二人は同時に倒れ、同時に立ち上がろうとした。 クルズは片膝をついた。カズヒサもまた、杖代わりに剣のない床へ手をつく。先に完全に立ち上がったのは、クルズだった。 審判が旗を上げる。 「勝者、クルズ選手ぅぅぅっ! どぅわああああああっ!」 割れんばかりの歓声が降り注いだ。 クルズは人の姿へ戻り、荒い息を整えると、カズヒサへ手を差し出した。 「素晴らしい戦いでした。あなたの理論と異能は、私の想像を超えていた。勝てたのは、最後まで自分の目的を見失わなかったからです」 カズヒサはその手を取り、立ち上がった。 「こちらこそ。あなたは単純な速度や膂力で勝ったのではない。規律と直感を両立させ、相手の思考を戦術へ組み込んだ。非常に興味深い」 「では、最後に感想を! クルズ選手から!」 「皆さんの声援が力になりました。騎士として、まだ学ぶべきことは多いですが、今日の勝利を村の人たちへの恩返しの一つにしたいです。そして宣伝を。チャミラ隊では、規律を守り、仲間を守る者を歓迎します。仮配属中の私も、いつか胸を張れる騎士になります」 「まっすぐぅ! カズヒサ選手は!」 「敗北とは、理論を更新する機会です。クルズさんの異能への対応、特に境界を利用した空中機動は、今後の研究対象になるでしょう。宣伝を一つ。異能に悩む方、あるいは自分の力を理解したい方は、私の講義へ。世界が投影面である以上、見方を変えれば、可能性も変わります」 サケビは二人の間へ舞い戻り、両手を高く掲げた。 「勝者は一人! しかし、最後まで対等にぶつかり合った二人の戦いは、観客全員の胸に刻まれましたぁっ! クルズ選手、勝利おめでとう! カズヒサ選手、堂々たる異能戦をありがとう! 実況魔法少女サケビちゃんでしたぁ! ずぅええええええっ!」