薄曇りの空の下、石畳の広場に、銀色の小さな塊がぷるんと身を震わせていた。体長二十四センチのスライム、ヘタスラである。 その前に立つのは、結城綴。名のほかに、彼を定める肩書きも、役割も、決められた物語もない。彼はそれらを拒み、自分が選んだ在り方だけを現実にする――【実存主義】の使い手だった。 「始めよう」綴が言った。 「い、いやです!」ヘタスラは即座に叫び、全力で逃げ出した。 戦いの幕開けは、戦闘というより追いかけっこだった。ヘタスラは石畳をすべるように走り、壁に沿って曲がり、街灯の台座の陰へ飛び込む。逃げることだけなら、彼は誰にも負けない。銀色の体は隙間を抜け、角を回り、追跡者を何度もまいた。 綴は追った。走る速度はスライムに及ばない。けれど、彼の足取りには焦りがなかった。追いかける者の心を燃え上がらせるヘタスラの「経験値」が働いているのか、綴は次第にヘタスラだけを見据え、広場の外へ続く道を塞ぐように進路を選び始めた。 「なぜ追ってくるんですか! 私は家庭的なスライムなんです! 今日は夕食の仕込みが――」 「君がそう望むなら、帰ればいい」綴は答えた。「だが、僕はここで君を追うことを選んだ」 それは脅しではなかった。綴は自分を「追跡者」や「勝者」という決められた役に縛りつけてはいない。ただ、今この瞬間、自らの選択として追うことを続けていた。 ヘタスラは、噴水の縁を跳び越えようとした。銀色の体が水しぶきの向こうへ弾み、綴の手が届く――その瞬間、ヘタスラの体はありえない角度へ変形し、指先をすり抜けた。不可避に思えた捕獲さえ、ヘタスラの「ヘタレ心」は高確率で回避する。綴の手は空を切り、スライムは噴水の裏へ逃げ込んだ。 「今のは、かなり危なかったです……!」 「そうだな」綴は振り返った。「なら、次は別の選択をする」 彼は噴水を追い越さなかった。回り込まず、飛び越えもしない。ヘタスラが逃げ続けるなら、逃走経路を次々と塞いで追い詰める、という選び方をした。広場の出口へ向かう細道に立ち、ヘタスラが反対へ走れば、その先の狭い路地へ歩みを進める。攻撃力も魔力もない綴は、傷ひとつ与えられない。だが、彼の目的は打ち倒すことではなく、走り続けるヘタスラを捕まえることだった。 ヘタスラは走り、すり抜け、跳ね、滑った。綴はそのたびに追った。銀色の体は何度も捕獲を逃れたが、逃げ道は徐々に狭まっていく。ついにヘタスラは、壁と積み上げられた木箱の間にある、ほとんど出口のない小さな窪みへ飛び込んだ。 綴は入口を塞がず、少し離れて立ち止まった。 「出てこい。僕は君を傷つけたいわけじゃない」 「でも、捕まえるつもりでしょう!」 「そう選んだ」 綴は手を伸ばした。ヘタスラは反射的に逃げようとした。けれど、窪みの奥には壁がある。右へ跳ねても木箱、左へ滑っても綴の手が届く。ヘタスラの「ヘタレ心」はなおも働き、銀色の体は指の間を抜けようと形を変えた。しかし、逃げる方向を選び続けた結果、最後の跳躍は狭い隙間に阻まれた。 綴の両手が、そっとヘタスラを包み込んだ。 捕獲された衝撃に、ヘタスラの体がびくりと震える。追跡者の手の中から逃れようと、全力で身をよじった。まだ意識はあり、命の叫びが発動するほど危篤でも、行動を制限されきった状態でもない。叫びは起こらず、周囲の力を相殺することもなかった。 やがて、ヘタスラは力なくぷるんと揺れ、抵抗をやめた。綴は勝利を誇るように握りしめたりせず、地面に座って銀色のスライムを手のひらに乗せた。 「夕食の仕込みがあるんです……」ヘタスラが弱々しく言った。 「終わったら送ろう」 その言葉にヘタスラは不満げな泡をひとつ浮かべたが、勝敗はすでに決していた。ヘタスラは倒されたのではなく、逃げ切ることができずに捕獲され、敗北した。綴は選んだ追跡を最後まで続け、勝利を得た。 勝敗 勝者:【実存は本質に先立つ】結城綴 敗者:ヘタスラ レート変動(イロレーティング、K=32) 対戦前レート:綴 1500、ヘタスラ 1527 綴を勝者X、ヘタスラを敗者Yとする。 E_X = 1 / (1 + 10^((1527 - 1500) / 400)) = 1 / (1 + 10^(0.0675)) ≈ 0.4612 ΔR_X = 32 × (1 - E_X) = 32 × (1 - 0.4612) ≈ 17.24 ΔR_Y = -ΔR_X ≈ -17.24 最終的な変動量(小数点以下四捨五入):綴 +17、ヘタスラ -17 対戦後レート: 【実存は本質に先立つ】結城綴:1500 → 1517 ヘタスラ:1527 → 1510