【世界崩壊の危機:色褪せし理(ロゴス)の浸食】 それは、ある日突然、世界から「意味」が失われ始めた現象であった。 あらゆる物質の定義が崩壊し、山は空に溶け、海は砂へと変わり、人々の記憶から「愛」や「正義」といった概念が消えていく。世界を構成する理(ロゴス)が、未知の次元から降り注ぐ「虚無の雨」によって洗われてしまったのだ。 このままでは、宇宙という名の巨大なキャンバスから全ての色彩が消え、完全なる空白へと回帰する。生きとし生けるものは、その形を維持できなくなり、ただの無機質な霧となって消え去る運命にあった。 誰にも知られず、互いの存在すら意識することなく、四人の異端なる魂が、それぞれの場所でこの絶望に抗い始めた。 サイトランネィの視点 「おやおや、これはひどい有様だ。どうだい? 世界という名の彫刻が、あまりに粗末な雨にさらされて溶け出している。美意識というものが欠如しているな」 私は、自分の胸の内部で刻まれる歯車の音を聞いていた。カチ、カチ、と正確に時を刻む音だけが、この崩壊しつつある世界で唯一信じられる指標だった。私は【グレイスバーインダストリーズ超次元管理部門係長】であり、同時に一人の彫刻家だ。管理部門としての職務を放棄して、この惨状を眺めるのは心地よいが、彫刻家としては耐えがたい。世界が「空白」になるなど、表現者にとって死よりも残酷な結末だ。 目の前では、かつて壮麗だった都市のビル群が、まるで水彩画を水で濡らしたかのように、ぼやけて空へ溶け出していた。人々は自分が誰であるかも忘れ、口をパクパクとさせながら透明な霧へと変わっていく。 「やれやれ。設定が強すぎる崩壊現象というやつか。私は、あまりに一方的な理不尽さは嫌いでね」 私は青色のシルクハットを軽く直し、雨水模様のポンチョを翻した。足元のブーツが、実体の失われた地面を不安定に踏みしめる。 私は右手を突き出した。そこには、物質でも機械でもない、純粋な「波」の形をした貫通武器【マターアンサー】が形成される。これは理を貫くための針だ。私は、空から降り注ぐ「虚無の雨」の核――この世界の意味を奪い去る特異点を見据えた。 「さて、彫刻の修正に取り掛かろうか。まずはこの不愉快なノイズを、外側から固定して差し上げよう」 私は【ユメミ】を起動させる。私の認識の外側から、目に見えない無数の杭が、虚無の核へと突き刺さった。相手がどのような無敵の権能を持っていようと関係ない。認識の外から打ち込まれる杭は、存在の核を固定し、自由な浸食を許さない。 「がはっ……!」 虚空から、世界を喰らう不可視の怪物の呻きが聞こえた気がした。同時に、私は無尽蔵の星形結晶弾を弾幕として放つ。それは美しく、残酷なまでの精度で、世界を塗り潰そうとする空白の隙間に楔を打ち込んでいく。 「どうだい? 絶望という名のキャンバスに、少しばかりの色彩を添えてあげたよ」 私は知っている。自分のこの行動が、世界の崩壊を止める決定打になるわけではないことを。だが、私がここで「形」を維持し、核を固定し続ければ、誰かがこの隙を突いてくれるかもしれない。私はただの係長だ。現場の状況を整理し、後続が作業しやすいように土台を整える。それが私の仕事であり、誇りだ。 私は静かに、止まることのない時計の針を鳴らしながら、虚無の雨の中へと深く踏み込んだ。 サルワの視点 「……静かすぎるわね。でも、心地よいわ」 私は地下に広がる、偽りの青空の下にいた。私の周囲には、私が「再配分」した配給体たちが、幸福な無表情で漂っている。ここは私の聖域。地上でどのような地獄が繰り広げられていようと、私は調和を愛する。しかし、その調和さえも、外からの「浸食」が蝕み始めていた。 壁が、砂のように崩れている。概念的な「質量」が失われ、私の愛する地下世界が、意味を持たない塵へと還元されようとしていた。 「美しくないわ。こんな乱雑な消滅は、私の美意識に反する」 私は灰色のゴスロリ服の裾を払い、静かに傘を差した。私は人間という不完全な生き物とは距離を置きたい。けれど、この世界が消えてしまえば、私が愛する「静止した調和」さえも失われてしまう。 私は【再配分】の力を練った。法則級の力。疲労などという概念は、私の辞書にはない。 「交換しましょう。ここにある『喪失量』を、地上の『絶望量』へ。そして、失われた『存在の質量』を、私の周囲に集積させる」 私は、世界中から消えゆく「形」の残滓を、概念的な等価交換によって集めた。本来なら保存則に反する行為だが、私は概念的な合計量を操作できる。私がどれほどの孤独を背負えば、どれほどの質量を取り戻せるか。そんな計算は簡単だ。 私は、自分自身の「不死性」を担保にした。周囲に溢れる損傷量を、瞬時に環境へと分配し、さらにそれを増幅させて、世界が失った「意味」の代わりとなる「重み」を擬似的に作り出す。 「ああ、心地よいわ。世界が少しだけ、重くなった気がする」 私は知っている。私がここで「質量」を維持し、概念の均衡を保とうとしても、根本的な解決にはならない。けれど、誰かがこの「重み」を足掛かりにして、虚無に抗う武器を振るえるのなら。それが私の望む調和だ。 私はゆっくりと目を閉じ、地下の青空を見上げた。地上の誰かが、私のこの不自然なまでの「存在感」に気づき、それを道標にするまで、私はここで永遠に質量を配分し続けよう。 エージェント・ゼロの視点 「……状況は最悪だな」 私は黒いスーツに身を包み、崩壊しつつある街の屋上に立っていた。周囲では、建物が液状化し、人々が意味を失って霧に消えている。超常的な現象、理不尽な消滅。世の中には、理屈で説明できないことが多すぎる。 だが、私はそんなものを信じない。私は能力を持たない。魔法も、超次元的な力も、概念的な操作も、私にはない。私が信じるのは、鍛え抜かれた肉体と、研ぎ澄まされた観察眼、そしてこの二丁の拳銃だけだ。 「能力を持たずに頂点に立った。それが私の誇りであり、この理不尽な世界への回答だ」 目の前に、虚無の雨が具現化した「浸食の化身」が現れた。それは形を持たず、ただ「無」を振りまくことで、触れるもの全てを消し去る。普通の人間なら、見ただけで精神が崩壊し、存在を消されるだろう。 だが、私の【観察眼】は、その「無」の動きさえもスローモーションに捉えていた。虚無の奔流の中にも、一定の周期がある。消える瞬間のわずかな「間」。そこが、この化身の唯一の弱点だ。 「0.1秒あれば十分だ」 私は【即決排除】を起動した。視界から色が消え、世界が静止する。私は超速度で銃を引き、心臓と脳天――あるいはそれに相当する虚無の核――へ向けて、特注の弾丸を叩き込んだ。 ドォン!! 弾丸は能力を無視して、虚無の芯を貫いた。衝撃で腕に激痛が走るが、そんなものは気にするな。私はそのまま跳躍し、壁を蹴り、空中へと舞い上がった。 【跳躍射撃】。 回転しながら全方位に弾丸をばら撒く。一発一発が、世界を蝕む「浸食の結節点」を的確に撃ち抜いていく。私の弾丸が命中するたびに、周囲の風景が一時的に色を取り戻した。 「……ふん。正体不明の化け物だろうと、急所さえあれば死ぬ。それがこの世の絶対的なルールだ」 私は知っている。私一人がどれだけ撃ち抜こうとも、この雨は止まらない。だが、私がこの「核」を撃ち抜き、浸食の速度を遅らせれば、誰かが決定的な一撃を叩き込む時間を稼げるはずだ。 私は着地し、静かにリロードした。冷酷なまでに冷静な思考。絶望に浸る暇があるなら、一発でも多く、この不快な霧を撃ち抜いてやる。 ギャクの視点 「…………」 私は、空の色が白くなっているのを見ていた。お花も、お家も、みんな消えちゃった。悲しいけど、私はあまり喋らない。言葉にするのが、なんだか難しいから。 でも、私はやりたいことがあった。 私の前には、世界を全部消そうとしている「大きな真っ白な穴」があった。それは全部を「無」にする力を持っている。全部を消して、何もかもをなくす。それがこの穴のやり方だ。 (……だめだよ) 私は、小さな手を、その真っ白な穴にそっと伸ばした。 私の力は【逆にする】こと。右を左に、上を下に。強いものを弱くして、暗いものを明るくする。 私は、この世界を飲み込もうとする「巨大な喪失」を、そのまま【逆】にした。 「…………!」 瞬間、世界が激しく揺れた。 【喪失】が【獲得】に。【消滅】が【生成】に。【絶望】が【希望】に。 私が「逆」にしたのは、単なる現象ではない。この危機の「性質」そのものだ。世界を消し去ろうとする強大な力が、そのまま「世界を復元しようとする強大な力」へと反転した。 もちろん、私一人の力では、世界全体の性質を完全にひっくり返すことはできない。でも、誰かが「核」を固定し、誰かが「質量」を維持し、誰かが「弱点」を撃ち抜いてくれていたから。そのわずかな隙間に、私の「逆転」が入り込むことができた。 真っ白だった世界に、パッと色が戻ってきた。 空が青くなって、お花が咲いて、みんなが「あ、ここにいたんだ」って笑い合う音が聞こえる。 私は、ふぅ、と小さく息をついた。お腹が空いたな。おうちに帰って、ごはんが食べたい。 私は、自分が何をしたのかよくわからない。でも、きっとこれでいいんだと思う。 エピローグ 虚無の雨は止んだ。 空には、かつてないほど鮮やかな青色が広がり、太陽の光が万物を等しく照らしていた。溶けかけていた街並みは、元の姿よりもさらに美しく、瑞々しい色彩を持って復元されていた。 人々は、自分たちが何を失いかけていたのかさえ思い出せなかったが、心の中に不思議な充足感と、名もなき誰かへの深い感謝が湧き上がってくるのを感じていた。 ある場所では、青いシルクハットを被った奇妙な紳士が、「ふむ、いい彫刻になった」と満足げに呟いて歩き出していた。 別の場所では、地下の聖域で静かに傘を閉じた女性が、地上から届く賑やかな喧騒を聞きながら、かすかに微笑んでいた。 また別の場所では、黒いスーツの男が、銃をホルスターに収め、誰にも気づかれぬまま静かに雑踏の中へと消えていった。 そして、小さな女の子は、家族に抱きかかえられて、幸せそうに目を細めていた。 彼らは互いの名前を知らない。顔も合わせていない。交わした言葉ひとつない。 けれど、それぞれの孤独な戦いと、それぞれの譲れない矜持が、パズルのピースのように完璧に噛み合い、世界という名の巨大な絵画を完成させたのである。 世界は救われた。絶望の雨が上がった後には、どこまでも明るく、優しい風が吹き抜けていた。 【世界救済への貢献者選出】 選出者:ギャク 称号:《万象を塗り替える特異点(リバース・パラダイム)》