冷徹なコンクリートの壁に囲まれた巨大なホール。そこには、国が秘匿する最強の部隊『K-NIGHT』の入隊を夢見る、あるいは何らかの目的で集められた百人の男女がひしめき合っていた。空気は張り詰め、互いの能力を牽制し合う視線が火花を散らしている。 そんな殺伐とした空間の中で、浪花咽喉は一人、深く溜息をついていた。腕章を整え、周囲の不謹慎な態度に眉をひそめる。彼女にとって、この場ですら「風紀」を正すべき場所に見えていた。 「……ったく、ここもなってないわね。緊張感があるのはいいけど、品格が足りなすぎる」 ぶつぶつと独り言を漏らす咽喉の隣に、ふわりと柔らかな空気を纏った少女が立った。近藤香である。彼女は儚げな微笑みを浮かべ、手にした薔薇の意匠が施されたレイピアを静かに持っていた。 「ふふ、そうですね。でも、こういう場所だからこそ、心の余裕を持つことが大切だと思いますよ」 「えっ……あ、こんにちは。あなたも受験生?」 咽喉が驚いて振り返ると、香は優しく頷いた。二人は一見して「風紀」に携わる者同士のような、奇妙な規律正しさを共有していた。 「近藤香です。よろしくお願いしますね、浪花さん。名札を拝見しました」 「浪花咽喉です。……というか、あなた、すごく余裕があるわね。ここがどういう場所か分かってる? 選ばれた数人以外は、文字通り『使い捨て』にされるって噂よ」 「分かっています。でも、なるようになるものですわ。それより、あなたのお洋服、とてもきちんとしていて素敵ですね」 「なっ……! まあ、いいけど。私はただ、風紀を乱すのが嫌いなだけだから」 咽喉は照れくさそうに視線を逸らしたが、香の持つ底知れない穏やかさに、不思議と警戒心が解けていくのを感じた。周囲が殺気立っている中で、この少女の隣だけは凪のような静寂があった。 だが、その穏やかな時間は突如として断ち切られる。天井に設置されたスピーカーから、感情を排した機械的なアナウンスが鳴り響いた。 『受験者各位、案内を開始する。これより第一試験を開始する。各自、指定のエリアへ速やかに移動せよ。遅延した者は即座に不合格とする。移動を開始せよ』 「あ、行かなきゃ。……また後でね、咽喉さん」 「ええ、また後で。……死なないでよ、近藤さん」 二人は小さく手を振り、人混みの波へと消えていった。それが、国家直属極秘部隊『K-NIGHT』という地獄への第一歩であった。 【第一試験:爆発的鬼ごっこ】 移動先のエリアは、迷路のように入り組んだ巨大な廃工場街だった。広大な敷地、視界を遮るコンテナ、そして絶えず変動する地形。参加者は現在、全参加者の位置がリアルタイムでマップに開示されるという、逃げ場のない状況に置かれていた。 アナウンスが冷酷に響く。 『第一試験の内容を説明する。ルールは単純な「鬼ごっこ」だ。現在、ランダムに選出された5名が「鬼」となる。鬼は他の参加者に触れることで、鬼の権利を押し付けることができる。ただし、鬼には時間制限がある。5分ごとに、その時点で鬼である者は強制的に爆発し、脱落(死亡)となる。脱落者が50人に達した時点で試験終了とする。幸運を』 会場に戦慄が走った。単なる体力テストではない。これは、誰かを犠牲にしなければ自分が死ぬという、残酷な椅子取りゲームだ。 「ひぃぃ! 私は鬼になりたくない!」 絶叫と共に、最初の鬼となった男が暴走し始めた。彼はパニックに陥り、近くにいた参加者に飛びかかる。悲鳴が上がり、鬼の権利が連鎖的に移っていく。参加者たちは互いに突き飛ばし合い、裏切り、蹴落とし合う。協力などという言葉はこの場には存在しなかった。 咽喉は冷静に状況を分析していた。彼女はわざと目立たないコンテナの陰に身を潜め、周囲の動きを観察する。彼女の【真面目な風紀】は、相手の行動を完全に理解し、その正当性を判断してからでないと発動しない。そのため、彼女はあえて攻撃を受け、相手の出方を伺う「後攻」の姿勢を貫いていた。 (……めちゃくちゃね。ルールがあるならそれに従えばいいのに、パニックになって右往左往して。風紀が乱れすぎてるわ) その時、背後から猛烈な速さで誰かが迫ってきた。鬼となった参加者が、絶望的な顔で咽喉に飛びかかろうとしていた。 「死ねぇ! お前が代わりに死ね!」 ガッ、と激しい衝撃。男の拳が咽喉の肩を捉える。しかし、咽喉は微動だにせず、ただじっと男を見つめていた。攻撃を受けても、彼女はまだ口を開かない。相手が「自分は正当に権利を譲った」と確信し、勝機を掴んだと思った瞬間こそが、彼女の反撃の合図だ。 「……ふぅ。あなたの主張はわかった。でも、風紀違反よ」 咽喉の瞳に冷徹な光が宿る。 【罪状:公共の場における暴力および他者への責任転嫁】 【違反内容:自身の生存を優先し、ルールに基づかない強引な権利譲渡を試みたこと】 「よって、今までの行動は破棄。……罰を与えるわ」 瞬間、男が放った攻撃のベクトルが完全に消失し、彼はまるで透明な壁に弾かれたかのように後方へ吹き飛んだ。そして、彼が持っていた「鬼」の権利は、不可視の法則によって彼自身の心臓へと回帰した。爆発までのカウントダウンが加速し、男は絶叫と共に光に包まれ、消滅した。 「……効率的ね」 遠くからその様子を見ていた近藤香が、クスクスと笑っていた。彼女はもはや走ることすらしていなかった。ただ、ゆったりとした足取りで歩いているだけだ。 周囲の参加者たちは、香の「弱そうな外見」に目をつけ、彼女を鬼にしようと集団で襲いかかろうとしていた。だが、香は静かにレイピアを地面に突き立て、口を開く。 「私は持っているわ、勝算。説明するわ、対戦相手の敗因」 彼女が宣言した瞬間、不可視の運命の糸が書き換えられた。 【近藤香の勝算:いかなる攻撃も届かず、自然と鬼が自滅するルートを確定させる】 【対戦相手の敗因:焦燥による連携ミスと、不可避の転倒による自滅】 襲いかかった十数人の参加者たちが、同時に足を滑らせた。誰かが誰かにぶつかり、ドミノ倒しのように重なり合う。その混乱の中、ちょうど5分のタイマーが切れた。鬼だった者が、もがきながら爆発し、連鎖的に周囲を巻き込んで消えていく。 香はただ、それを悲しげに、けれど淡々と見つめていた。 「あらあら、もったいない。でも、これが決定した事象ですものね」 試験は残酷に加速した。5分おきの爆発。生き残りたいという本能が、人間を獣に変える。協力して鬼を追い詰めるチームができれば、最後には必ず内部で裏切りが起き、誰かが突き出される。位置開示機能があるため、逃げ隠れは不可能だ。 咽喉と香は、意図せずとも共闘状態にあった。咽喉がルール違反者を排除し、香が決定的な敗北を確定させる。二人の周囲だけは、不思議と静寂が保たれていた。 「ねえ、近藤さん。あなた、本当に平和主義なの?」 「ええ、もちろんですとも。争いたくないから、あらかじめ『争った結果』を決めておくだけですわ」 「……その考え方、ある意味で一番恐ろしいかもしれないわね」 残り人数が51人になった。あと一人。誰が消えるか。参加者たちの視線が、最も「効率的に生き残っている」二人へと集中する。 「あいつらを殺せ! あいつらさえ消えれば、俺たちが合格だ!」 絶望した生き残りたちが、最後の一枠を巡って二人へ突撃する。だが、咽喉は深く溜息をつき、腕章を正した。 「いい加減にしろ。この試験会場の風紀は、もう限界よ」 【罪状:集団による不当な迫害および秩序の破壊】 【違反内容:個人の能力を妬み、数で押し切ろうとする醜い精神性】 「全員、破棄」 衝撃波のような拒絶が走り、突撃してきた参加者たちが一斉に弾き飛ばされた。その瞬間、タイミングよく5分が経過。鬼だった者が爆発し、その爆風が弾き飛ばされた者たちを飲み込んだ。 静寂が戻る。生存者は50人。第一試験は、終了した。 【第二試験:生存能力テスト】 第一試験を生き抜いた50人は、ヘリコプターで未知の密林地帯へと投下された。そこは、ただの森ではなかった。植物一つひとつが捕食者の顔を持ち、地面には精巧な罠が張り巡らされた、生存者のための地獄だった。 『第二試験の内容を説明する。この密林で3日間生存せよ。3日後の正午に回収地点へ到達した者が通過となる。なお、密林内にはB、A、Sランクの資材箱が点在している。中身は食料から武装まで様々だ。他者の殺害、略奪は自由とする』 投下された瞬間から、戦いは始まった。資材箱は生存率を飛躍的に高めるが、同時に血を呼ぶ標的となる。特にSランクの箱は、たった一つしか存在しないと噂されていた。 咽喉と香は、互いの利害が一致していると判断し、一時的に行動を共にすることにした。 「まずは水と食料を確保しましょう。私の直感では、北東の渓流沿いにBランクの箱があるはずです」 香の【勝算】はサバイバルにおいても絶大な威力を発揮した。彼女が「ここにある」と決めれば、そこには必ず資材があった。しかし、密林の危険は資材だけでは解決しない。 ある日の午後、二人は巨大な食人植物の巣に迷い込んだ。粘着質な触手が空を覆い、地中からは鋭い棘が突き出す。そこに、他の参加者グループが仕掛けたトラップ――高電圧のワイヤーが張り巡らされていた。 「ちっ、あちこちに罠を仕掛けた連中がいるわね。卑怯なやり方だわ」 咽喉が不快そうに呟いたその時、茂みから三人組の参加者が飛び出してきた。彼らはAランクの資材箱から得たであろう、高性能な電磁ブレードを構えている。 「運がいいな! ちょうどいい獲物がいた。その女の荷物を全部置いて消えろ。さもなきゃバラバラにするぞ」 男たちの言葉に、香は困ったように眉を下げた。 「あら、そんなに怒らなくてもいいのに。私たちはただ、静かに過ごしたいだけなんですけれど」 「うるせえ! 死ね!」 男の一人が猛スピードで突っ込んでくる。その攻撃は鋭く、正確に香の喉元を狙った。しかし、咽喉がその前に静かに立ちふさがる。 (……ふーん。先攻を打って、相手の隙を突く。正攻法に見えるけど、中身はただの略奪。救いようがないわね) 咽喉は攻撃をわざと受けた。電磁ブレードが彼女の肩を浅く切り裂く。血が滲むが、彼女の表情は変わらない。むしろ、相手の「勝ち」が確定したと思った瞬間、彼女の唇が弧を描いた。 「あなたの主張はわかった。……でも、風紀違反よ」 【罪状:弱者に対する不当な脅迫および略奪行為】 【違反内容:生存競争という大義名分を盾にし、卑劣な手段で他者の生存権を奪おうとしたこと】 「よって、今までの行動は破棄。……お返しするわ」 ドォォォン! 男が放った攻撃のエネルギーがそのまま彼自身に跳ね返った。電磁ブレードが逆方向に作動し、男は自身の武器によって深く切り裂かれ、地面に転がった。残りの二人も、咽喉の放つ圧倒的な「拒絶」の波動に圧され、身動きが取れなくなる。 「ひ、ひいっ! 化け物だ!」 彼らが逃げ出そうとした瞬間、地面から巨大な食人植物の触手が彼らを掴み上げた。香が小さく微笑む。 「あら、タイミングがぴったりですね。彼らが敗因を確定させたことで、植物さんの食欲が刺激されたようです」 「……近藤さん、あなた本当に優しい性格なの?」 「もちろんですわ。私は誰も傷つけたくない。だから、彼らが自らの行いで自滅するように導いただけです」 咽喉は戦慄した。自分は「ルール」で罰するが、この女は「運命」で詰ませる。どちらが残酷か、答えは出ない。 二人はその後、Sランクの資材箱を発見した。そこには、極めて希少な「精神安定剤」と「高エネルギー携帯食」、そして『K-NIGHT』の予備装備の一部が入っていた。それを分け合いながら、二人は三日目の回収地点へと向かう。 密林の中では、多くの者が飢え、罠に掛かり、あるいは仲間同士で殺し合った。最終的に回収地点に辿り着いたのは、開始時の半分にも満たなかった。 泥と血にまみれた参加者たちの中で、咽喉と香だけは、まるでピクニックから帰ってきたかのような清潔感を(多少の汚れはあるものの)保っていた。それが周囲の生存者たちの反感を買ったが、彼らはすでに戦い疲れており、手出しをする気力すら残っていなかった。 【第三試験:個人面接】 最終試験は、極めてシンプルなものだった。真っ白な部屋に、一人の面接官。そして受験者が一人ずつ入室する。 咽喉が呼ばれた。面接官は、感情を読み取らせない仮面をつけた男だった。 「浪花咽喉。君の能力は特異だ。理の外にある法則まで取り締まる。だが、その能力を使う条件は『後攻』であること。つまり、一度は相手に主導権を渡さなければならない。これは実戦において致命的な弱点になるのではないか?」 咽喉は真っ直ぐに面接官を見据え、凛とした声で答えた。 「いいえ。主導権を渡すのは、相手の『罪』を確定させるためです。正当な理由なく振る舞う者が多いこの世界で、相手が自らルールを破るまで待つことは、最も確実な勝利への道です。私は風紀を守る。そのためなら、一時的な不利益など安いものです」 面接官は沈黙した。その後、彼は短く「次へ」と告げた。 次に呼ばれたのは香だった。彼女が部屋に入ると、空気の色が変わった。穏やかで、それでいて抗いがたい絶対的な圧力が部屋を満たす。 「近藤香。君は不殺を掲げている。だが、この部隊は国家の汚れ仕事を担う極秘部隊だ。殺さねばならない場面で、君はそれでも不殺を貫くのか?」 香は、いつものようにふんわりと微笑んだ。 「殺す必要はありませんわ。相手が『死ぬ運命』にあることを確定させれば、私は手を汚さずとも結果が得られます。私の不殺は、慈悲ではなく効率です。平和的に解決できるのであれば、それが最善でしょう?」 面接官は、初めてわずかに身を引いた。この少女は、最強の兵器であると同時に、制御不能な特異点であると感じたからだ。 【合否発表】 全試験を終え、生存し、面接を通過した少数の受験者が再びホールに集められた。掲示板に、合格者の名前が次々と表示されていく。 『合格者:近藤香、浪花咽喉……』 二人の名前が並んでいた。周囲からは落胆の溜息と、羨望の視線が注がれる。 「合格……やったわね、近藤さん」 「ふふ、お疲れ様でした、咽喉さん」 二人の前に、黒いケースに入った専用武装と、一枚のカードが差し出された。そこには、彼らに与えられたコードネームが記されていた。 咽喉のカードには、こうあった。 【コードネーム:レグリス・ノモス(Reglis Nomos)】 (天上の法規。厳格さと正義を象徴する造語) 与えられた武装は、白銀の拘束具を模したガントレット。それは彼女が「破棄」した権能を一時的に封印し、物理的な打撃として叩きつけるための武器だった。 「レグリス・ノモス……。まあ、悪くないわね。風紀員らしいわ」 一方、香のカードにはこう記されていた。 【コードネーム:アイテール・ヴェリタ(Aether Veritas)】 (純粋なる真実。天上の空と同化した絶対的な正解を象徴する造語) 与えられたのは、彼女のレイピアをさらに強化する、透き通った結晶の鞘。それは運命の確定をより広範囲に、より瞬時に行うための増幅器だった。 「アイテール・ヴェリタ。ふふ、とても綺麗な響きですこと」 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。地獄のような試験を共に乗り越えたことで、そこには奇妙な信頼関係が芽生えていた。 【後日談】 入隊から数ヶ月。K-NIGHTの内部で、ある「都市伝説」が囁かれていた。 「絶対に手を出してはいけないコンビがいる」と。 一人、厳格にルールを突きつけ、相手の全てをリセットする『レグリス・ノモス』。そして、戦う前から結末を決め、絶望的な敗北へと導く『アイテール・ヴェリタ』。 部隊内の若手隊員たちが、新入りの二人にたしなめられたり、あるいは軽く見ようとして完膚なきまでに叩き潰されたりする光景は、もはや日常茶飯事となっていた。 「ちょっと! 今の報告書の書き方、風紀が乱れすぎよ! 書き直し!」 咽喉の怒声が廊下に響き渡る。その後ろで、香が紅茶を飲みながら、のんびりと微笑んでいる。 「まあまあ、咽喉さん。彼はもう、書き直して正解に辿り着く運命にありますから、そんなに怒らなくても」 「あなたも甘やかしすぎ! ここは国家直属の部隊なのよ!」 二人のやり取りは、殺伐としたK-NIGHTの基地において、唯一の「日常」のような風景になっていた。最強の風紀員コンビは、国家の闇を浄化するのか、あるいは自分たちが新しい秩序となるのか。 彼女たちの伝説は、まだ始まったばかりだった。 【キャラクター設定まとめ】 ■浪花 咽喉(なにわ いんこ) ・コードネーム:レグリス・ノモス ・役割:秩序の執行者(ジャッジメント) ・能力:【真面目な風紀】。相手の行動を観察し、その正当性を判断。条件を満たした際、相手の行動を「風紀違反」として完全に破棄・無効化し、罰を与える。理の外まで及ぶ絶対的な拒絶権能。 ・性格:真面目、苦労人、ツッコミ役。規律を重んじるが、内面は情に厚い。 ■近藤 香(こんどう かおる) ・コードネーム:アイテール・ヴェリタ ・役割:運命の確定者(デスティニー) ・能力:【勝算と敗因】。戦闘開始前に勝算と敗因を宣言することで、それを不可避の確定事項とする。どのような能力や権能を持っていても、確定された結末(敗因)からは逃れられない。過去・未来を繋ぐ因果操作能力。 ・性格:平和主義、優しい、底知れない。病弱だが精神的・能力的な強さは随一。