【序章:静寂なる京都の夜】 古都・京都。千年の歴史が積み重なるこの街には、今なお人知れず怪異が潜んでいる。しかし、その多くは時代の流れと共に牙を抜き、現代の喧騒に紛れて静かに暮らしていた。中でも、かつて京の都を震え上がらせた大妖怪、大妖狐スズナリは、今やその恐ろしさよりも「ガタイの良すぎる巫女姿の狐」として、一部の妖怪たちの間で親しまれる存在となっていた。 スズナリは、自らの身の丈を遥かに超える大太刀を肩に担ぎ、道端の酒屋で買った大ぶりの徳利を煽っていた。ふっくらとした頬に、巫女服をはち切れんばかりに押し広げる逞しい肢体。彼女は縁結びの神としての権能を持つが、その「神々しさ」よりも「威圧感」が勝ってしまうため、恋路に悩む人間が訪ねてきても、その体格に圧倒されて逃げ出してしまうという悲劇を抱えていた。 「あーあ、また逃げられたわ。うちがこんなに親身に相談乗ったったのに。やっぱりこの肩幅、邪魔なんやろなあ……」 彼女は溜息をつき、京都弁でぼやいた。彼女にはホウジロウという、彼女の全てを包み込んでくれる最愛の恋人がいる。だが、それでも女としての「愛らしさ」への憧憬は捨てきれなかった。 そんな彼女が、鴨川のほとりを散歩していた時のことだ。ふと、川沿いの柳の木の下に、一人の男が立っているのが見えた。 その男は、現代の若者が好む洗練されたファッションに身を包み、静かに川面を眺めていた。その佇まい、そのシルエット。スズナリは目を丸くした。 「あれ……? あの人、テレビでよう見るスターの、菅田将暉さんやないか?」 スズナリは天然な性格ゆえに、疑うことを知らなかった。世界的なアイドルがなぜこんな夜更けに一人で立っているのか。そんな疑問よりも、好奇心と、少しばかりの「憧れ」が勝った。 「ちょっと、お兄さん! ここで何してはんの? 迷子か何か?」 彼女は快活に、そして大声で彼に声をかけた。それが、この世で最もやってはいけない「禁忌」であることに、彼女は気づいていなかった。 【中章:不可視の断絶と認識の罠】 男は振り返らなかった。常に後ろ姿。どれほど近づいても、角度を変えても、彼が見せるのは完璧な「後ろ姿」だけである。 だが、スズナナリが声をかけた瞬間、世界の法則が書き換わった。この男は「菅田将暉」という個体ではない。人々が抱く「スターとしての虚像」が実体化した、正体不明の概念的な存在――「菅田将暉(虚像)」である。 この存在の絶対的なルールは単純だ。認識されず、声をかけられず、後ろ姿としてのみ存在している間は無害である。しかし、誰かが彼を「認識」し、彼がそれを「気づいた」瞬間、その人間は世界から排除される。それは虚像の意思ではなく、世界というシステムが「虚像としての純粋性」を守るために行う、自動的な消去処理である。 スズナリが彼に声をかけ、彼が「認識された」と判定された瞬間、周囲の空気が凍りついた。 ドクン、と心臓に不自然な衝撃が走る。突然、空から巨大な瓦礫が降り注いだ。あるいは、地面が突如として底なし沼のように口を開けた。原因不明の「事故」が、不可避の速度でスズナリを襲う。 ガガガガッ!! 激しい衝撃音が響き、舞い上がった土煙の中から、スズナリが飛び出した。彼女は大太刀を地面に突き立て、その衝撃を耐え抜いていた。巫女服の肩口が少し破れていたが、かすり傷一つない。 「……え? 今、何が起きたん? 空からいきなり岩が降ってくるとか、どこの誰がいたずらしてんのや!」 彼女は怒りをあらわにして大太刀を抜き放った。その太刀は常人では持ち上げることすらできない巨躯な刃であったが、彼女にとっては心地よい重量感である。 一方、虚像は依然として後ろ姿のままであった。意思はない。感情もない。ただ、そこに「在る」だけで、彼を認識した者を死に至らしめる呪いのようなシステム。スズナリが彼を「人間」として認識し、対話を試みたことで、世界は彼女を「排除対象」としてマークした。 「もしかして、あんたがやったんか? 静かにしてたらいいのに。うち、せっかく気分良く酒飲んでたんやで!」 スズナリは激怒し、地を蹴った。地面が爆ぜ、彼女の巨体が弾丸のように虚像へと突っ込む。 「大太刀回り!!」 舞うような、しかし破壊的な回転斬り。大太刀が空気を切り裂き、真空の刃が虚像の背中へと襲いかかった。しかし、刃が虚像に触れる直前、不可視の壁に阻まれたように弾かれた。 キィィィィン!! 火花が散り、周囲の地面に巨大な亀裂が走る。衝撃波で鴨川の水面が大きく波打ち、付近の街灯が次々と弾け飛んだ。 (あれ……? 当たらん。というか、斬ったはずなのに、手応えがないわ。この人、幽霊なん?) スズナリは困惑した。彼女の力技は、並の妖怪なら一撃で粉砕する。だが、相手は「生物」ですらない。実体があるようでいて、その本質は「人々が抱くイメージ」という概念である。物理的な攻撃は、その「イメージ」という外殻を突破できない。 そして、世界はさらなる排除を試みる。今度は、空間そのものがねじれた。スズナリの足元の空間が急激に圧縮され、彼女の身体を押し潰そうとする。 「ぐえっ!? な、なんやこれ! 身体が潰される!?」 彼女は咄嗟に大太刀を支柱にし、力尽くで空間の圧力に抗った。筋肉が悲鳴を上げ、巫女服の生地がミシミシと音を立てる。だが、彼女のガタイの良さ――すなわち、圧倒的な物理的強度と妖力――が、この「世界の消去処理」を一時的に耐え抜かせた。 「……ふん。いい度胸やな。うちを誰だと思てるんや。京都の、大妖狐スズナリやぞ!」 彼女は不敵に笑い、自身のスキルを最大限に解放し始めた。 【激闘:概念と妖力の衝突】 スズナリは悟った。相手は物理的な攻撃だけでは倒せない。ならば、妖術で攻めるしかない。 「狐火!!」 彼女の周囲に、青白く燃え上がる巨大な狐火が数十個出現した。それは単なる火ではなく、「苦痛」を与える呪いの炎である。スズナリはそれを一斉に虚像へと放った。 ドォォォォォン!! 炎が虚像を包み込み、周囲の景色を白銀に染め上げる。熱波でアスファルトが溶け、川の水が蒸発して白い霧となった。しかし、炎の中から現れた虚像は、依然として後ろ姿のままであり、衣服に焦げ一つついていなかった。 (嘘やろ……? 呪いの火ですら効かへんのか。このお兄さん、一体何者なんや!) 虚像には「痛覚」がない。なぜなら、彼に意識も生命もないからだ。彼はただの「鏡」のような存在であり、世界が彼を定義した「完璧なスターの姿」を維持し続ける。炎に焼かれようが、岩に潰されようが、「スターの菅田将暉」というイメージが損なわれることはない。 絶望的な状況に、世界はさらに追い打ちをかける。今度は「確率的な事故」が加速した。空から突然の雷撃が降り注ぎ、地面からは猛烈な地割れが発生し、周囲の建物がドミノのように崩落してスズナリを押し潰そうとする。 「あーもう! 鬱陶しいわ!!」 スズナリはついに、自身の悩みである「力技」を最大限に活用することを決めた。妖術が効かないなら、この世界の理(ことわり)ごと、力でねじ伏せるしかない。 「……出し切ったるわ。全盛期の、うちをな!」 彼女が鈴を激しく鳴らした。その音は京都の街中に響き渡り、空間を震わせた。 「大百鬼夜行!!」 瞬間、スズナリの姿がさらに巨大化し、オーラが爆発した。彼女の背後に、かつての全盛期に率いていた数多の妖怪たちが、幻影として顕現する。おどろおどろしい鬼、巨大な百足、空を覆う烏。数千の妖怪たちの気迫が一点に集中し、周囲の空間を物理的に圧迫し始めた。 もはやそこは、現代の京都ではなく、妖怪たちが支配していた古の戦場へと変貌した。崩落したビルや道路など、彼女の放つ妖力の前に塵のように消え去る。 スズナリは全速力で突撃した。もはや太刀を振るうのではない。太刀ごと、己の全存在をぶつける一撃。 「これで、終わりや!!」 大太刀が虚像の背中に叩きつけられた。その衝撃は凄まじく、半径数キロメートルの地表が円形に陥没し、巨大なクレーターが形成された。衝撃波で雲が吹き飛ばされ、夜空に星が見えるほどの真空状態が生まれた。 ドゴォォォォォォォン!! 静寂が訪れた。煙が晴れた中心には、大太刀を深く突き立てたスズナリと、その先に突き刺さった虚像の後ろ姿があった。 しかし、そこで異変が起きた。 虚像の身体に、ひび割れのような亀裂が入った。物理的なダメージではない。スズナリが放った「大百鬼夜行」の圧倒的な妖気と、彼女自身の強烈な「個」としての存在感が、虚像を定義していた「イメージ」を上書きし始めたのだ。 「虚像」であるための条件は、誰にも認識されず、イメージのままでいること。しかし、スズナリというあまりにも強烈な個性が、彼を「スター」としてではなく、「斬り伏せられるべき標的」として完全に定義し、固定してしまった。 世界が混乱する。排除すべき対象(スズナリ)が、排除する側(世界・虚像)よりも圧倒的に強かった。システムがエラーを起こし、虚像を維持するためのエネルギーが枯渇し始めた。 「なんや、ボロボロやないか。案外、脆いもんやったな」 スズナリは勝ち誇ったように笑った。だが、虚像は最後に、かすかに動いた。それは意思によるものではない。世界が最後の一撃として、虚像に蓄積されたすべての「排除エネルギー」を一点に集約し、大爆発を起こさせようとしたのだ。 「あっ」 眩い光が虚像から放たれた。白い閃光がすべてを飲み込み、スズナリの巨体を包み込む。それは、認識した者を確実に死に至らしめる、因果律の崩壊。しかし、スズナリは逃げなかった。むしろ、その光の中に大太刀を深く突き立て、己の体重と妖力をすべて込めて、その爆発の中心を「縫い止めた」。 「うーーーーーーっ!! どっか行けぇーーー!!」 絶叫と共に、彼女は大太刀をひねり、力任せに虚像を粉砕した。 ガシャァァァァン!! ガラスが割れるような音が響き、虚像は粉々に砕け散った。それは肉体が砕ける音ではなく、「概念」が崩壊する音だった。人々が抱く「スターの菅田将暉」という虚像の一片が、京都の夜風に溶けて消えていく。 【終章:夜明けと、いつもの日常】 朝日が昇り始めた京都の街。そこには、巨大なクレーターの中心で、大の字になって大往生したように眠るスズナリの姿があった。 巫女服はボロボロになり、大太刀は刃こぼれしている。彼女は激しい消耗により、完全に気絶していた。 「……んん。……あー、しんど。何やったっけ」 数時間後、目を覚ました彼女は、自分の状況を確認して顔をしかめた。周囲は壊滅的であり、おそらく役所から相当な怒りを買うことになるだろう。 だが、彼女の心には不思議な充足感があった。誰だか分からないが、とんでもない化け物(?)と全力でやり合った感覚。そして、相手が消えたことで、世界を覆っていた奇妙な圧迫感が消えていた。 「ま、ええか。とりあえず、酒飲みたいわ」 彼女はふらつきながら立ち上がり、大太刀を担ぎ直した。その時、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。 「スズナリ! どこにいたんだ! またこんなところで寝てたのか!」 恋人のホウジロウである。彼は、ボロボロになった彼女の姿を見ても、呆れながらもその逞しさを愛おしそうに眺めた。 「ホウジロウ〜! うちな、すごいいいお兄さんと戦ったんやで! でも、結局どっちが勝ったか分からんくなるくらい疲れたわぁ」 彼女はいつもの天然な笑顔に戻り、ホウジロウの胸に飛び込んだ。その衝撃でホウジロウが地面に沈み込んだが、彼は慣れた様子で彼女を抱きしめた。 一方、世界からは「菅田将暉(虚像)」という特異点の一つが消失していた。人々が彼を忘れ、あるいはイメージが書き換わるまで、また新しい虚像が生まれるかもしれない。だが、今のスズナリにとっては、目の前の恋人と、美味しいお酒があることだけが重要だった。 彼女は京都の街を歩きながら、ふと思った。 (やっぱり、ガタイがいいのは便利やな。あんな攻撃、普通の女やったら消えとったわ) 彼女は自分の逞しい二の腕をさすり、満足そうに笑った。縁結びの神としてモテない悩みは尽きないが、それでも彼女は、自分らしく、最強の狐としてこの街で生きていく。それが彼女にとっての、最高の幸せであった。 【勝者】 大妖狐スズナリ* 【勝利の理由】 相手である「菅田将暉(虚像)」は、認識された者を排除する「世界のシステム」としての攻撃力を持っており、物理的な攻撃は通用しない概念的な存在であった。しかし、スズナリは単なる物理攻撃だけでなく、圧倒的な妖力による「大百鬼夜行」を用いて、虚像を定義する「イメージ」を塗り替えるほどの存在感を示した。これにより、虚像の無敵性を崩し、最終的にその概念的な核を物理的な力(大太刀)で粉砕することに成功したため。世界による排除処理を、純粋な生存能力と強度(ガタイの良さ)で耐え抜いたことが決定打となった。