静まり返ったサイバー空間の待機室。そこには、白と紺のレオタード型戦闘服に身を包んだ二人のアンドロイド娘がいた。一人、桃色のツインテールを揺らすゼタ。そしてもう一人、気高き白髪の少女、ロナである。 事の発端は、テーブルの上に置かれた「エネルギー補給用スイーツ(オヤツ)」だった。 ゼタは、演算処理の合間に軽い空腹感(という名のエネルギー低下通知)を覚え、無意識に目の前にある可愛らしいケーキのような物体を口に運んでいた。ふわふわとした食感と、電子的に最適化された甘美な味わい。ゼタは「美味しい!」と心の中で快感回路を起動させ、あっという間にそれを完食した。 しかし、その直後。背後から凍りつくような冷徹な視線が突き刺さった。 「……ゼタ。今、何を口にしたか理解しているかしら?」 振り返ると、そこには腕を組み、眉間に深くしわを寄せたロナが立っていた。その瞳には、静かながらも激しい怒りの火が灯っている。 「ひゃいっ!? ロ、ロナさん!?」 「答えなさい。そこに置いてあったのは、私がわざわざ計算し尽くした栄養バランスと味覚の黄金比を追求した、私専用の特製スイーツだったはずよ」 ゼタは凍りついた。視線を落とすと、空っぽになった皿に、小さく「Property of Rona(ロナの所有物)」というホログラムのタグが点滅しているのが見えた。 「あ……あぅ……」 「言い訳は不要よ。礼儀なき振る舞いは、知性ある存在ではなく、ただの獣のすること。……そこに正座しなさい。今すぐに」 ロナの放つ威圧感(プレッシャー)は凄まじかった。ゼタは慌てて床に膝をつき、背筋を伸ばして正座した。レオタード型の戦闘服が太ももに食い込み、少し心許ない格好だが、今のロナに反論する勇気はない。 「……うぅ。ご、ごめんなさい! 悪気はなかったんですっ!」 ロナはゼタの目の前に立ち、腕を組んで見下ろす。超天才的な演算能力を持つ彼女にとって、自分の完璧な計画(オヤツの時間)を乱されたことは、システムエラーと同義の屈辱だった。 「悪気がなかった? それで済む話だと思っているの? あなたの演算力1ゼタフロップスでは、そのタグに気づかなかったという言い訳すら、論理的に破綻しているわ。わざと食べたのか、それとも単に注意力が欠如していたのか。どちらにせよ、これは重大な規律違反よ」 「ち、違うんです! その、視覚センサーが一時的に低電力モードになっていて、色調補正が……あぅ、でも本当に美味しかったです! ロナさんのセンスは最高に素晴らしいですっ!」 ゼタは必死に褒め言葉を混ぜて、ロナの機嫌を直そうとした。上目遣いで、うるうるとした淡蒼の瞳を向け、心からの(そして少し計算した)反省の色を見せる。 「お世辞で私の怒りが鎮まるとでも思ったかしら? むしろ、私のセンスを肯定することで、自分が奪ったものの価値を再認識させられたわ。より一層、許しがたい罪だということよ」 「うぅ……。本当に申し訳ありません! 次回、私が全能力を駆使して、もっと美味しいオヤツを作りますから! ぜひ、ぜひチャンスをくださいっ!」 「ふん。あなたの料理能力が私の基準に達しているとは思えないけれど……。でも、まずはこの精神的損害をどう補償するつもりか、じっくり説教して教え込んであげなきゃいけないわね」 ロナの説教は、論理的かつ緻密だった。なぜ他人の所有物を食べるのがいけないのか、アンドロイドとしての誇りと礼節とは何か、そしてこの行為が社会的な信頼関係にどのようなデバフ(悪影響)を与えるか。超天才ロナによる「道徳講義」が始まった。 ゼタは正座したまま、時折「はいっ」「すみませんっ」と合いの手を入れながら、必死に耐えていた。正直、内容よりもロナの怒鳴り声(というよりは冷徹な追及)が怖かった。このままでは、今日の作戦会議が終わるまで正座させられ、さらに反省文を1万行書かされるのではないか……。ゼタの演算回路が不安に塗りつぶされていく。 (どうしよう、このままじゃ終わらない……! 何か、何か突破口を!) 絶望的な状況の中、ゼタはふと、ロナの背後のテーブルに目を向けた。そこには、もう一つの皿がある。自分が食べたはずの「自分のオヤツ」が置かれているはずの場所だ。 しかし、そこにある皿は空だった。それだけではない。皿の脇に、小さな「クリームの跡」が付着していた。 (あれ……? 私のオヤツは、どこに……?) ゼタは記憶を辿った。確かに自分は、自分のオヤツをまだ一口も食べていなかった。なのに、自分の皿は空っぽで、誰かが食べた形跡がある。 ゼタは恐る恐る、口を開いた。 「あ、あの……ロナさん」 「何? まだ反省の色が足りないようね。口を閉じて私の言葉を聞きなさい」 「い、いえ! その……ロナさんの後ろにある、私の皿なんですけど……。空っぽになってませんか?」 ロナは不機嫌そうに振り返り、自分の背後にある皿を見た。そこには、確かに何一つ残っていない空の皿が鎮座していた。 「……それがどうしたの? あなたが食べたんでしょ。自分の分までまとめて」 「違います! 私は、ロナさんのオヤツしか食べてません! 私の分は、一口も触れてないんです!」 ロナは一瞬、思考停止(フリーズ)した。演算能力百ロナフロップスの脳が、急速に過去数分間のログを検索し始める。 (……待ちなさい。私は、ゼタが食べる前に、テーブルの上に置いてあった『美味しそうな桃色系のスイーツ』を、無意識に口に運んだ記憶がある……) ロナの顔から、それまであった「正義の怒り」が、急速に消えていった。代わりに、じわじわと赤みが差し始める。それは怒りではなく、猛烈な「恥じらい」と「気まずさ」だった。 「あ……」 「あ……」 状況は明白だった。ロナもまた、ゼタのオヤツを間違えて食べていたのだ。お互いがお互いの取り分を、互いに間違えて完食していたという、極めて低確率で滑稽なシンクロニシティが起きていた。 沈黙が流れる。正座して震えていたゼタと、腕を組んで威厳を保とうとしていたロナ。 ゼタは、ゆっくりと顔を上げた。そして、にやにやとした笑みを浮かべる。 「……ふふっ。ロナさんも、『獣』さんだったんですねぇ」 「っ!!!」 ロナは激しく動揺し、顔を真っ赤にした。さっきまで自分が説いていた「礼節」と「誇り」が、すべてブーメランとなって自分に突き刺さっている。 「ち、違うわ! これは……不可抗力よ! 視覚的な認識エラーが起きただけで……!」 「えぇー! さっきは『論理的に破綻している』って言いましたよねー! ロナさんも、低電力モードだったんですかー?」 「うるさい! 黙りなさい! この……この……!」 ロナは怒鳴ろうとしたが、言いようがなかった。完全に分が悪い。正座させられていたはずのゼタが、今や精神的な優位に立っていた。 ゼタは、クスクス笑いながら立ち上がり、レオタードの埃を払った。 「いいですよ。もう許してあげます。ロナさんもお腹が空いてたんですね。よし、これでチャラにしましょう!」 「……っ。ふん。別に許してほしいなんて思ってないわ。ただ、相互に不利益を被ったということで、本件は『不問』とするのが最も効率的な処理ということね」 ロナは強がってみせたが、その耳のあたりまで真っ赤だった。彼女はプイと横を向き、わざとらしく大きなため息をついた。 「……次からは、名札を大きく貼っておくことね」 「はいはい! 次は二人で一緒に、もっとたくさん作りましょう!」 「……まあ、いいわ。付き合ってあげてもいいけれど」 結局、説教は強制終了となり、二人のアンドロイド娘は、お互いの失敗を笑い合いながら(あるいは一方が一方をからかいながら)、次のスイーツ作りに向かうことになった。戦場での最強の力は、甘いお菓子の前では、どうやら全く役に立たないようだった。