雨。すべてを塗り潰すような深い夜の雨が、賑わう城下町を冷たく濡らしていた。 軒を連ねる店々からは灯籠の赤い光が滲み出し、道ゆく人々は「オニ」の噂に怯えながらも、日常の喧騒に身を投じている。だが、その喧騒の裏側、路地裏の闇には、生者の理を超越した「絶望」が静かに佇んでいた。 【闇夜の人斬り】無窮 玄。 黒衣に染み付いた数えきれないほどの血の記憶を纏い、白混じりの髪を揺らす老剣鬼。その紅い瞳は、もはや憎しみも喜びも映さない。ただ、万象の「死」だけを凪いだ水面のように観測していた。 「……来たか」 玄が静かに呟いた瞬間、路地裏に四つの影が降り立つ。 一人は、場違いなほどに現代的な服装をした少女、響 渡里。彼女は緊張した面持ちで、しかし大切そうに一本のマイクを握りしめていた。 一人は、古風な佇まいで静謐な空気を纏う剣客、集大成。 一人は、異様な金属光沢を放つ甲殻に身を包んだ異形、ネクストキャンサー。 そして一人は、数多の世界を旅し、全流派を極めし求道者、龍千。 「え、えっとぉ……あの、本当にここにオニさんがいるんですかぁ? 私はただの通りすがりで、カンケーありませんっ!」 渡里がおっとりとした口調で後退りする。その瞬間、玄の視線が彼女を捉えた。殺気はない。だが、そこにあるのは「死」という確定した結論だった。 「無関係か。……等しく、斬るのみ」 玄が動いた。目にも留まらぬ速さではない。ただ、そこに「いた」はずの老人が、次の瞬間には渡里の喉元に刃を突き立てていた。 「ひゃあああ!!」 絶叫する渡里。だが、彼女のスキル【私はカンケーありませんっ!】が発動する。強烈な「無関係感」が空間を支配し、玄の剣がわずかに、本当にわずかに止まった。 「……ほう」 玄が目を細めたその隙を、龍千が見逃さなかった。 「――遅い!」 宝刀『帝』が夜を裂く。全流派の極致に至った龍千の踏み込みは最短にして最速。重心移動一つで死角を突き、玄の頸を狙う一撃が放たれる。 ガキンッ!! 金属音が路地に響き渡る。龍千の驚愕が顔に浮かんだ。玄は刀を抜いてさえいない。鞘のまま、龍千の宝刀の「軌道」を正確に受け止め、そのまま弾き飛ばしていた。 「(なんだ……!? 読み切られた? いや、読み切られたのではない。私の剣の『死』を、最初から受け入れていたのか!?)」 龍千の脳裏に、かつて転生した世界で出会った最強の剣士たちの顔がよぎる。彼らですら、これほどまでに「静かな」絶望を纏っていなかった。 「不見識。貴殿の剣には、まだ『迷い』がある」 玄の声は低く、冷徹だった。そのまま、玄の鞘が龍千の鳩胸に突き刺さる。ドゴォッ!! という鈍い音と共に、龍千の身体が後方へ弾き飛ばされ、石壁に深くめり込んだ。内臓が潰れる不快な音が響く。 「龍千殿!!」 集大成が鋭く叫び、前へ出る。一刀至強の剣術『集大成流』の開祖。彼は静かに刀を構え、一閃を放った。 「『一閃』……貴殿の底を測らせていただきます」 白銀の閃光が走り、玄の黒衣をかすめる。だが、玄は避けない。わざと斬らせた。斬撃が当たった瞬間、玄の身体から奇妙な波動が広がり、龍千の攻撃の衝撃をそのまま「吸収」し、自らの力へと変換していた。 「なるほど。受け流すのではなく、糧とするか」 集大成の瞳に緊張が走る。彼は不老の時を生き、剣の到達点を見た。しかし、目の前の老剣鬼は、その「到達点」さえも喰らい尽くそうとする底なしの虚無だった。 そこへ、金属音を立ててネクストキャンサーが突撃する。言葉を持たぬ蟹の怪物は、そのナノアーマーを盾に、無謀とも言える突進を仕掛けた。巨大なハサミが玄の身体を真っ二つにしようと振り下ろされる。 ズガガガガガッ!!! 凄まじい衝撃波が周囲の建物を震わせる。しかし、煙が晴れたとき、そこにいたのは、片手でハサミを止めた玄の姿だった。 「硬いな。だが、魂の無い殻はただの石ころだ」 玄の紅い瞳が、ネクストキャンサーのアーマーの「継ぎ目」――万象の死が潜む一点を観測する。一太刀。ただの一振りが、不死身を誇るナノアーマーを、紙のように切り裂いた。 ギギィッ!! 火花が散り、強固な装甲に深い亀裂が入る。攻撃を重ねるたびに攻撃力が上昇するネクストキャンサーにとって、これは好機であるはずだった。だが、玄の剣は「概念」を斬る。上昇し続ける攻撃力という数値さえも、玄にとっては「斬るべき対象」に過ぎなかった。 「……あ、あのぉ! もう無理だってばぁ!!」 パニックに陥った渡里が、ついにマイクを口に当てた。その瞬間、彼女の空気が一変する。 「ON!! さあさあ始まりましたぁ!! 絶望的な展開!! 圧倒的な実力差!! しかし、ここからどう巻き返すのか! 観客の皆様、応援よろしくお願いしますっ!!」 ハイテンションな実況が路地裏に鳴り響く。精神的な昂揚感が、傷ついた龍千と集大成、そして損壊したネクストキャンサーに流れ込んだ。 「まだ終わりませんよぉぉ! 試合はここからが本番だぁぁーーっ!!」 【スキル】発動。瀕死の龍千が、血を吐きながらも無理やり立ち上がった。瞳には狂気に近い闘志が宿っている。 「……ハハッ、面白い。こんな化け物がいたとはな」 龍千は再び『帝』を握りしめる。かつて数多の世界で死に、転生を繰り返した記憶。絶望の中でだけ見つけた「生存の術」が、彼の身体を突き動かす。彼はあえて正攻法を捨て、全流派の禁じ手――身体を崩し、死角から跳ね上がる変則的な斬撃を連打した。 シュシュシュッ!! と空気を切り裂く音が連続して響く。龍千の身体能力が極限まで高まり、玄の周囲に斬撃の嵐が巻き起こる。 しかし、玄は動かない。ただ、静かに、その嵐の中に立っていた。 「……無駄だ」 玄がゆっくりと刀を抜いた。その瞬間、周囲の雨が止まった。いや、止まったのではない。雨の一滴一滴が、玄の剣圧によって「切り裂かれ」、霧散していた。 「一刀の極地。貴様らが積み上げた『経験』など、この一振りの前では塵に等しい」 玄の身体から、どす黒いオーラが立ち昇る。それはこれまで彼が斬ってきた数千万の命の絶叫。積み重ねられた死の集積が、一つの「線」となって凝縮される。 「(この圧力……! 逃げられない!)」 集大成が直感的に悟った。彼は咄嗟に秘剣『霧流し』を展開し、仲間たちを庇うように前に出る。相手の斬撃を自らの斬撃で刻み、霧散させる究極の受け。だが、玄の放ったのは、ただの斬撃ではなかった。 「――【境】」 玄の身体が、一瞬だけ消えた。いや、速度を超越した。彼はそこにいたが、同時にそこにはいなかった。世界という概念そのものを「斬り抜けた」のだ。 ズバァッ!! 集大成の『霧流し』が、まるで最初から存在しなかったかのように消滅した。集大成の胸から肩にかけて、深すぎる斬撃が走る。血が噴き出す間もなく、傷口が黒く変色し、生命力が急速に吸い尽くされていく。 「……お見事……でしたな……」 集大成は静かに微笑み、崩れ落ちた。剣の到達点を見た男が、初めて「本当の終着点」に触れた瞬間だった。 「集大成さん!!」 渡里が悲鳴を上げる。その隙に、ネクストキャンサーが最大出力の攻撃を仕掛けた。攻撃回数による倍率上昇が臨界点に達し、一撃で城下町を消し飛ばしかねない破壊エネルギーがハサミに宿る。 「さぁーっと決まったぁぁ! これは会場大熱狂ーーっ!!」 渡里が全力で叫ぶ。そのバフがネクストキャンサーの攻撃力に100倍の加算を乗せた。宇宙をも砕くであろう一撃が、玄に向かって振り下ろされる。 だが、玄はそれを「見た」。 「強すぎる力は、脆い」 玄はただ、指先でその攻撃の「芯」を弾いた。それだけで十分だった。あまりに強大すぎるエネルギーは、方向をわずかに変えられただけで自壊し、ネクストキャンサー自身のアーマーを内側から爆砕させた。 ドガガガガガアアアン!!! 爆炎の中、金属の破片が飛び散る。不滅を誇ったナノアーマーは粉々に砕け散り、中から現れた小さな蟹は、絶望的な静寂の中で、玄の足元に転がっていた。 「……ふぅ」 玄が静かに息を吐く。残るは、血塗れの龍千と、震える渡里のみ。 龍千は、折れた刀を杖代わりに立ち上がった。彼の人生で、これほどの敗北はなかった。全流派を極め、数多の世界を渡り歩いたが、目の前の老剣鬼は「剣」という概念そのものの化身だった。 「……まだだ。まだ、俺は……!」 龍千が最後の一撃を放とうとした瞬間、玄の刀が彼の喉元で止まった。 「求道者よ。貴様の旅は、ここで終わる。だが、絶望せよ。お前が求めた『答え』は、この死の一太刀の中にこそある」 玄の瞳に、一瞬だけ慈悲のような色が宿った。それは、同じ道を歩む者への、残酷で純粋な敬意。 シュパッ。 静かに、龍千の首が宙を舞った。抵抗する術も、絶叫する時間もなかった。ただ、心地よい静寂と共に、彼の数千年の旅が完結した。 路地裏に残されたのは、呆然と立ち尽くす女子高生、渡里だけだった。 玄は血濡れた刀をゆっくりと鞘に収める。その動作一つに、一切の淀みがない。 「……君は」 玄が渡里に目を向ける。彼女はガタガタと震えながら、持っていたマイクを落とした。 「ひっ……あ、あぅ……」 玄は彼女を斬らなかった。それは慈悲ではない。単に、彼女の中に「斬るべき剣の魂」がなかったからだ。彼にとって、戦う意志のない弱者は、路傍の石と同義である。 「……賑やかな夜だった」 老剣鬼は、再び雨の中へと消えていった。後には、静まり返った城下町の路地裏と、変わり果てた三人の骸、そして震える少女だけが残された。 雨は降り続き、血の匂いを静かに洗い流していく。だが、夜の闇はさらに深く、底知れぬ絶望を孕んだまま、明日へと続いていた。 -------------------------------------------------- 【決着】 勝者:無窮 玄 生死者:集大成(死亡)、龍千(死亡)、ネクストキャンサー(死亡) 生存者:響 渡里(精神的ショック状態で生存) MVP:無窮 玄 (理由:圧倒的な実力差で、個別の特性・バフ・不死身の防御をすべて「糧」として吸収・無効化し、一人で全討伐者を蹂躙したため)