【チームA】 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの壁に囲まれ、空は狭い隙間からのみ見える。そこには、長い髪をなびかせた10歳の少女、ギャクが一人で立っていた。彼女はもともと無口であり、周囲の喧騒に興味を示すことはない。しかし、その静寂を切り裂くように、空間に歪みが生じた。空気の粒子が激しく振動し、鏡のように滑らかな境界線が路地裏に現れる。そこからゆっくりと歩み出てきたのは、ギャクと全く同じ顔をした、しかし決定的に「異なる」存在だった。 その平行世界のギャクは、現在の彼女とは対照的に、非常に饒舌で、自信に満ち溢れた表情を浮かべていた。服装も、地味な日常着ではなく、どこか権威を感じさせる豪華な法衣のようなものを身に纏っている。彼女は、ある強大な魔術組織の最高幹部という立場にあり、多くの部下を従えて世界を統治しようとする野心に燃える人生を歩んでいた。彼女にとって、静寂とは弱者の証であり、言葉こそが世界を支配する武器であった。 平行世界のギャクは、目の前に立つ無口な自分をじっと見つめると、口角を吊り上げて高笑いした。 「ふふっ!これが別の可能性の私なのね。なんてひ弱で、言葉も持たない空っぽな姿かしら。今の私からすれば、あなたのような静寂に逃げる生き方は耐え難いほど退屈だわ。もしかして、あなたは自分の力を使うことに恐怖を感じているのかしら? それとも、ただ単に表現する知能が欠けているだけ?」 平行世界のギャクは、優雅な足取りでギャクの周囲を回り始めた。彼女の動作一つひとつには、組織のトップとして君臨してきた傲慢さと、他者を支配することに慣れきった残酷なまでの自信が滲み出ていた。彼女は指先で空中に複雑な紋章を描き、自らの権力を誇示するように、周囲の空気を圧迫させる威圧感を放つ。しかし、この場所では不思議な力が働き、お互いが相手に物理的な攻撃を加えることは不可能であった。平行世界のギャクが指を鳴らし、衝撃波を放とうとしても、その力はギャクの体に触れる直前で霧のように消えてしまう。 「あら、攻撃が効かないわね。面白い。けれど、この状況こそが私の好みの展開よ。力でねじ伏せられないのなら、言葉であなたを精神的に解体してあげましょう。ねえ、あなたはどうしてそんなに黙っているの? あなたが持っているその『逆にできる』という力、今の私ならもっと効率的に、もっと残酷に活用できるわ。世界を反転させ、支配の構造を逆転させる……想像しただけでゾクゾクするわね」 ギャクは、目の前で喋り続ける平行世界の自分を、感情のない瞳で見つめていた。彼女の心の中には、激しい動揺も恐怖もなかった。ただ、純粋な「違和感」だけがあった。自分は静寂を好み、必要以上の言葉を排除して生きている。しかし、目の前の彼女は言葉の洪水で周囲を塗り潰そうとしている。それは、ギャクにとって最も遠い場所に位置する存在であり、同時に、自分がもし「言葉」という武器に依存していたら、どのような醜い怪物になっていたかを示す鏡のようなものに見えた。 (……うるさい) ギャクが心の中でそう思った瞬間、平行世界のギャクはそれを察したかのように、さらに声を張り上げた。 「あら、今心の中で私を拒絶したわね? その拒絶反応こそが、あなたの中に眠るエゴの証明よ。あなたは自分を無口な聖女のように見せかけているけれど、実際はただの臆病者なだけ。今の私は、その臆病さを捨て、欲望に忠実に生きた結果、この頂点に辿り着いた。あなたも私のようになりたいのでしょう? 孤独な路地裏で震えるよりも、贅を尽くした玉座で世界を見下ろす方が、よほど心地よいはずよ」 平行世界のギャクは、不敵な笑みを浮かべながら、ギャクの頬に手を伸ばそうとした。しかし、その手は見えない壁に阻まれ、決して触れることはできない。彼女は苛立ったように舌打ちをし、腕を組みながら不満げに呟いた。 「チッ、触れることさえできないなんて。けれどいいわ、あなたというサンプルを観察できただけで十分な収穫よ。あなたのような『欠落した自分』が存在することで、私の完成度がより際立つというものね」 ギャクは、平行世界の自分が放つ強烈な自己肯定感と、それに伴う深い孤独感を同時に感じ取っていた。豪華な衣装を纏い、言葉で武装し、組織の頂点に君臨していても、その瞳の奥には、誰にも理解されないという根源的な絶望が張り付いている。今の自分は、誰とも深く関わらず、言葉を持たないことで、ある種の平穏を得ている。一方で、平行世界の自分は、全てを手に入れたはずなのに、常に誰かと競い、誰かを蹴落とさなければ維持できない不安定な幸福の中にいた。 ギャクは、平行世界の自分に対して、軽蔑ではなく、一種の「哀れみ」に近い感情を抱いた。喋れば喋るほど、彼女が失ったものが何であるかが明確になる。それは、静寂の中で自分自身と向き合う時間であり、誰に媚びることなく、ただそこに在るという贅沢な自由だった。 平行世界のギャクは、ギャクのその静かな眼差しに気づき、不快そうに顔を歪めた。 「なによ、その目は! 私を哀れんでいるの? 笑わせないで! 誰が誰を哀れんでいるのか、よく考えなさい。あなたのような、名前以外に何も持たない空っぽな子供が、この私に同情するなんて、最高の喜劇だわ。いいわ、この出会いはここで終わりにするけれど、覚えておきなさい。世界は言葉を持つ者が支配するのよ。あなたのような沈黙の信奉者は、いつか歴史の塵となって消え去る運命にあるわ」 そう言い残し、平行世界のギャクは再び空間の歪みの中へと消えていった。彼女が去った後、路地裏には再び元の静寂が戻ってきた。ギャクは、自分が決して歩まなかったであろう、傲慢で孤独な道を見たことで、今の自分の静かさが、どれほど価値のあるものであるかを再認識していた。彼女はゆっくりと歩き出し、再び誰にも気づかれないまま、場虎亜県の闇に溶け込んでいった。 【チームB】 場虎亜県の深い路地裏。高くそびえ立つ古いレンガの壁が、外の世界からの光を遮り、冷たい影を落としている。そこには、大きな鎌を携えた吸血鬼の少女、ヴァールが立っていた。彼女は、主から命じられた「城から出るな」という制約を一時的に潜り抜け、外の世界への好奇心に突き動かされてこの場所に辿り着いた。彼女の心は、未知の景色や人々への期待で満たされていたが、同時に、禁忌を犯したことへの小さな不安が胸を締め付けていた。 すると、ふと目の前の空気が揺らぎ、鏡のような光の膜が現れた。そこからゆっくりと姿を現したのは、ヴァールと瓜二つの外見を持つ、しかし雰囲気の全く異なるもう一人のヴァールであった。 平行世界のヴァールは、現在の彼女が持っている優しさや好奇心を完全に喪失していた。彼女が立っていた平行世界では、彼女は城の主に従順な家臣ではなく、主を殺害し、自らが城の絶対的な独裁者として君臨していた。彼女はもはや、外の世界に興味を持つ必要などなかった。なぜなら、彼女にとっての世界とは、自分の支配下にある城と森林のことだけだったからだ。彼女の瞳からは光が消え、冷徹な殺意と、すべてを拒絶する拒絶感が色濃く漂っていた。 平行世界のヴァールは、目の前に立つ自分を見て、心底不快そうに眉をひそめた。 「……あなた。私に似た、ひどく弱々しい生き物がいるわね。その瞳に宿るのは、なんと浅ましい好奇心。外の世界に憧れ、誰かに会いたいと願うなんて。そんな甘い考えを持っているから、あなたは誰かの命令に縛られ、自由を奪われたままの家畜のような生活を送っているのよ」 平行世界のヴァールの声は、氷のように冷たく、耳を刺すような鋭さを持っていた。彼女は愛用の鎌を軽く回し、その刃先で自分の顎をなぞる。その動作には、数多の命を刈り取ってきた者だけが持つ、残酷なまでの慣れが染み付いていた。彼女にとって、優しさは弱さであり、慈悲は死と同義であった。彼女が手に入れたのは、絶対的な権力と、それと引き換えにした完全な孤独であった。 現在のヴァールは、平行世界の自分を見た瞬間、言いようのない恐怖と悲しみに襲われた。同じ顔、同じ声、同じ能力を持ちながら、そこに宿る魂は完全に別物だった。平行世界のヴァールが放つ圧迫感は凄まじく、彼女がこれまで城の中で接してきたどの住人よりも、残酷で冷酷だった。しかし、同時にヴァールは気づいた。その冷徹な瞳の奥に、癒えることのない深い空虚が広がっていることに。 (どうして……どうしてあなたは、そんなに寂しそうな顔をしているの?) ヴァールは、思わず問いかけようとしたが、言葉が出なかった。平行世界のヴァールは、ヴァールのその表情を見て、嘲笑を浮かべた。 「ふん、私を憐れんでいるのかしら? 滑稽ね。私は主を殺し、この世で最も自由な存在となった。誰にも指図されず、誰にも縛られない。それが真の自由よ。あなたのように、主の命令に怯えながらこっそり外の世界を覗き見るような惨めな生き方よりも、よほど気高いわ。権力こそが全て。強さこそが正義。それ以外に価値のあるものなんて、この世に存在しない」 平行世界のヴァールは、威圧的にヴァールへ一歩近づいた。しかし、この場所の特殊な法則により、彼女がどれほど殺意を込めて鎌を突き出そうとしても、物理的な接触は不可能であった。刃がヴァールの体に触れる直前で、透明な障壁に阻まれる。平行世界のヴァールは、それに気づくと不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「チッ、触れることさえできないなんて。だがいいわ。あなたのその、救いようのない純粋さを眺めていたことで、私が正しかったことが改めて証明された。優しさを持ち続ければ、あなたのように誰かの言いなりになるだけの道具に成り下がる。私はそれを拒絶し、頂点に立った。あなたは私の敗北した可能性、あるいは、切り捨てたはずの弱さそのものなのね」 ヴァールは、平行世界の自分を見つめながら、心の中で強く思った。たとえ主の命令に縛られ、自由が制限されていたとしても、自分は今のままでいたい。誰かを思いやり、外の世界に憧れ、小さな幸せに心を躍らせることができる今の自分の方が、ずっと豊かであると。平行世界のヴァールが手に入れた「自由」は、誰一人として心を開いてくれる者がいない、凍てついた監獄のようなものに見えた。 (私は、あなたにはなりたくない。たとえどれほど不自由だとしても、私はこの優しさを捨てたくないわ) ヴァールがそう決意したとき、平行世界のヴァールは、ふっと表情を消した。彼女は、今のヴァールが抱いている強い意志に、一瞬だけ、かつて自分が持っていたはずの感情を思い出したのかもしれない。しかし、彼女はすぐにそれを打ち消し、冷酷な笑みを戻した。 「せいぜい、その温い幻想に浸っていなさい。いつかあなたが絶望し、すべてを捨てて私のように冷徹な心を手に入れたとき、初めて本当の視界が開けるはずよ。その日まで、せいぜい主の飼い犬として、可愛い外の世界ごっこを続けていなさい」 平行世界のヴァールは、背を向け、静かに空間の裂け目へと戻っていった。彼女が消えた後、路地裏には再び静寂が訪れた。ヴァールは、自分の肩を抱きしめるようにして、深く息を吐いた。彼女の心には、外の世界への好奇心に加えて、今の自分にある「優しさ」という宝物を、何があっても守り抜きたいという強い願いが芽生えていた。 ヴァールは、再び歩き出した。まだ主の命令に背いている状況に不安はあるが、それでも、自分らしくありたい。彼女は、平行世界の自分が失った「心」を大切に抱えながら、場虎亜県の路地裏を抜け、未知の光が待つ街へと足を進めた。彼女の歩みは、先ほどよりも少しだけ力強く、そして確かなものになっていた。