地平線の果てまで続くかと思われた巨大な円形闘技場。空を埋め尽くすのは、世界中から集結した数万の観客たちが上げる地鳴りのような歓声だった。砂塵が舞う舞台の中央で、対極的な二人の戦士が対峙していた。 一方は、白銀の鎧に身を包んだ騎士、アーサー。その手には伝説の聖剣エクスカリバーが握られ、左腕には絶対的な防御を誇る【英雄王の盾】が構えられている。その姿はまさに正義と希望の体現であり、観客は彼に熱狂的な期待を寄せていた。 対するは、麦わらの笠を深く被り、どこか間の抜けた雰囲気を纏った老人、聖十郎。口には一本の花の茎を咥え、着物の上からゆるりと刀を帯びている。戦いの場に似つかわしくない、釣りにでも行くかのような足取りだった。 「老いた身ながら、この場に立つ覚悟があるとは。敬意を表そう、侍よ」 アーサーが厳かに声をかける。その声には騎士としての誇りと、相手への礼節が込められていた。 「あぁ……まあ、適当にやりましょう。お互い怪我をしなければいいですなあ」 聖十郎はのんびりと答え、ふわりと微笑んだ。しかし、その眼光は笠の陰に隠れ、底が見えない。 ゴングが鳴り響いた瞬間、空気が一変した。 アーサーは瞬時に【英雄王の盾】を前方に突き出し、鉄壁の構えを取る。彼は知っていた。相手がどれほど強力な一撃を繰り出そうとも、この盾がそれを跳ね返し、さらにはその力を蓄積して絶大な一撃へと変換することを。 「いざ!」 聖十郎がゆっくりと歩き出した。構えはない。ただの散歩のような足取りだ。しかし、彼が歩みを進めるたび、奇妙な音が聞こえ始めた。 「ふふふーん、ふふん……」 鼻歌だった。穏やかで、どこか懐かしい、春の陽だまりのような調べ。だが、その鼻歌が聞こえ始めた瞬間、闘技場の緊張感は頂点に達した。観客たちは直感した。この老人が、いま「高揚」したことを。 聖十郎の歩みがわずかに加速する。それは走っているようには見えない。だが、気づけば彼はアーサーの懐へと潜り込んでいた。 「今だ!」 アーサーは【英雄王の盾】を最大出力で展開した。聖十郎の斬撃を誘い、それを2倍の威力で反射し、そのまま聖剣へと力を溜める。盾が黄金色に輝き、周囲の空気を震わせるほどの圧力が放出される。 キィィィィン!! 鋭い金属音が響いた。聖十郎の刀が、確かに盾に当たった。アーサーの口元に笑みが浮かぶ。捉えた、と。 「これで終わりだ! 希望の光よ、道を切り拓け!!」 溜め込まれた膨大なエネルギーがエクスカリバーに集約され、白銀の閃光が爆発的に放たれた。闘技場全体が真っ白に染まるほどの猛烈な斬撃。それは回避不能、防御不能の必殺の一撃。観客は総して悲鳴に近い歓声を上げた。 光が収まり、砂煙が舞う。そこには、聖剣を構えたままのアーサーが立っていた。 「……消えたか」 アーサーが呟く。だが、違和感があった。目の前にいたはずの老人が、どこにもいない。死体もない。血の一滴さえも見当たらない。 「おやおや、すごい光でしたなあ」 声は、アーサーの真後ろから聞こえた。いつの間にか、聖十郎は元ののんびりとした様子で、鼻歌を歌いながら歩いていた。刀はすでに鞘に収まっている。鞘走る「カチリ」という小さな音が、静まり返った闘技場に響いた。 「何……!? いつ、どこで……」 困惑するアーサー。その時、彼の足元で異変が起きた。 ガクン、と。 アーサーが立っていた地面が、忽然と消失した。正確には、彼の足元の地面だけが、円形に、そして極めて精密に「斬り取られていた」のだ。 「え……?」 重心を失ったアーサーの体が、ゆっくりと、しかし確実に穴の中へと落ちていく。それは死に至る深さではない。だが、戦士として、騎士として、足場を失い、無様に地面に埋もれるという屈辱的な敗北であった。 聖十郎が放ったのは、盾への攻撃ではなかった。盾に当たったのは単なる牽制。その瞬間に、彼は相手の足元の地面だけを完璧に斬り落としていたのだ。あまりに速く、あまりに精密。相手が聖剣を放った衝撃と光に紛れ、誰にも気づかれぬまま決着はついていた。 砂に腰まで埋まったアーサーが、呆然と空を見上げる。そこには、麦わらの笠を被った老人が、申し訳なさそうに頭を掻いていた。 「いやあ、つい楽しくなってしまって。失礼しました」 静寂の後、爆発的な歓声が沸き起こった。誰も見たことがない、神業とも呼べる剣技に、世界中の観客が心からの賛辞を送った。 勝負は決した。 聖十郎は、穴に落ちたアーサーに向かって、そっと手を差し伸べた。 「素晴らしい力でしたよ。あのような光は、人生で初めて見ました」 アーサーはその手を取り、地上へと引き上げられた。鎧は泥に汚れ、プライドは打ち砕かれたはずだが、アーサーの瞳に宿っていたのは怒りではなく、深い敬意だった。 アーサーは正装の礼を尽くし、深く頭を下げた。 「完敗だ。あなたの剣は、もはや武術の域を超えている。このような名戦を演じてくれたことに、心から感謝する」 聖十郎もまた、穏やかに微笑み、軽く会釈を返した。 「こちらこそ。おかげで良い気分になりました。さて……そろそろ魚を捌きに戻るとしましょうかね」 鼻歌を再び口ずさみながら、老いた侍はゆっくりと、雑踏の中へと消えていった。後には、最強の騎士が、その背中に向けて深い敬意を捧げ続ける姿だけが残されていた。 【勝者:聖十郎】