「お婆ちゃん、あのお話を聞かせて!」 膝の上にちょこんと座った小さな孫が、期待に目を輝かせてせがみます。外はしとしとと雨が降り、部屋の中には温かいお茶の香りと、古びた時計の刻む音が心地よく響いていました。 お婆ちゃんは、深く刻まれた目尻の笑い皺をさらに深め、優しく孫の頭を撫でました。 「おやおや、仕方ないねえ。昔々……。今からずっとずっと昔、空と地がまだ今のようには分かれていなかった頃のお話だよ」 お婆ちゃんの静かな声が、物語の幕を開けます。孫は息を呑んで、その言葉の一粒一粒に耳を傾けました。 「昔々、あるところに、とても不思議な力を持った二人の勇者がいたんだよ。一人は、緋月天狐(ひづき てんこ)という美少年。彼は、戦国時代というずっと昔の時代から生きている、とても賢いお城の主様だったんだ。左目が緑色の綺麗なオッドアイを持っていて、見た目はとても若々しいけれど、心はとても厳格で、時に尊大。でも、それは彼が誰よりも高い知能と、天を裂くほどの強さを持っていたからなんだね」 「かっこいい! 天狐さんは、どんな戦い方をするの?」 孫が身を乗り出して聞くと、お婆ちゃんはくすっと笑って答えました。 「ふふふ、彼はね、籠手さえ持たず、その素手だけで世界を揺るがす力を持っていたんだよ。その異名は『天を裂く裂界の帝王』。彼が拳を振るえば、空にひびが入り、大地が震えたと言われているよ」 「わあぁ……! じゃあ、相手の人は?」 「もう一人はね、《武神の魂》と呼ばれる江熊(えくま)さんというお方だ。彼は、紫色のピシッとしたスーツを着た、とても筋肉質な、いわゆる『激強会社員』さんだったんだよ。性格はとても荒々しいけれど、礼儀だけは誰よりも重んじる、とても真っ直ぐな人だったんだ」 「会社員さんが武神なの? 面白いね!」 「そうだろう? 江熊さんはね、ただ立っているだけで、周りの人が逃げ出してしまうほどの凄まじいプレッシャーを放っていたんだ。それを【強者の風格】と呼ぶよ。でもね、彼は対戦相手には必ず『対戦よろしくお願いします!!!』と、大きな声で、礼儀正しく挨拶をする、とてもいい人だったんだよ」 お婆ちゃんは、ここで一度お茶を啜り、物語の核心へと入り込みました。 「さて、この二人。お互いの強さを認め合っていたけれど、『どちらが本当に強いのか、一度白黒つけようではないか』ということになったんだ。場所は、雲の上に浮かぶ広い草原。風が吹き抜け、静寂が支配するその場所で、二人は向き合ったよ」 物語の中の景色が、孫の頭の中で鮮やかに描き出されます。 「まず、江熊さんが大きく一礼して、叫んだんだ。『対戦よろしくお願いします!!!』ってね。すると天狐さんは、ふっと冷たい笑みを浮かべて、尊大にこう言った。『よかろう。我が知能と力、その身に刻むが良い』とね」 「喧嘩が始まるね!」 「そうだよ。でもね、これは喧嘩ではなくて、誇り高き武人同士の『試合』だったんだ。合図とともに、まずは江熊さんが動いた。彼は【猛進】という技を使い、地面をドォォォン!と強く蹴り上げたんだ。そのスピードは目にも止まらぬ速さで、一瞬で天狐さんの目の前まで迫ったよ」 「どうなるの!?」 「天狐さんは冷静だったね。彼は相手の動きを完全に読み切っていた。江熊さんが放った【正拳突き】——大熊のような鈍重で、けれど破壊的な一撃が天狐さんの顔面を捉えようとしたその瞬間、天狐さんは軽やかな身のこなしでそれをかわしたんだ。そして、すかさず相手の腕を掴んだ。それが天狐さんの得意技、【猿舞豪把】だ」 「えっ、掴んじゃったの?」 「そうだよ。天狐さんは江熊さんの巨体をひょいと持ち上げると、そのまま回転して周囲に衝撃を撒き散らす【灰塵乱渦】へと繋げたんだ。グルグルと回転しながら、江熊さんを遠心力で投げ飛ばそうとした。けれど、ここからが江熊さんの凄いところだ」 「どうやって逃げるの?」 「逃げないんだよ。江熊さんは空中で体勢を立て直し、空中で強靭な筋肉を躍動させて、地面に激突する直前、あえて自分の足で地面を蹴った。そして、投げ出された勢いをそのまま利用して、再び天狐さんへと突っ込んでいったんだ」 「すごい! 諦めないんだね!」 「そう、それが武神の魂だよ。二人は激しくぶつかり合った。天狐さんは【三掌蓮華】を繰り出し、蹴り上げ、叩き落とし、なぎ払うという流れるような三連撃を浴びせた。江熊さんの紫のスーツが激しく翻り、衝撃音が草原に鳴り響いた。けれど、江熊さんはその攻撃を真正面から受け止め、不敵に笑ったんだ」 「痛くないのかなぁ」 「彼は強靭だからね。江熊さんは再び【猛進】で距離を詰め、天狐さんの懐に潜り込もうとした。天狐さんは眉をひそめ、『しつこい男だ』と呟いた。そして、彼は地面に右拳を力強く振り下ろした。これが【金剛破滅】という技だ。地面がバリバリと音を立てて裂け、巨大な衝撃波が江熊さんを襲ったよ」 「わあ、地面が割れた!」 「そうだよ。江熊さんは衝撃波で後方へ吹き飛ばされた。けれど、彼は空中で止まることなく、さらに加速して戻ってきた。今度は【正拳突き】を連打し、天狐さんを追い詰めていく。天狐さんはそれに対し、【伝衝烈鬼】で地面を削りながら猛烈に突進し、二人の拳が真っ向から衝突したんだ!」 お婆ちゃんは、手のひらを合わせてパチンと音を鳴らしました。 「ドガァァァァーッ!! と、空が鳴るような音がしたよ。二人は一度距離を置き、お互いに呼吸を整えた。天狐さんは少しだけ息を切らしながら、けれどその目は鋭く輝いていた。彼は気づいたんだ。江熊さんの礼儀正しさの裏には、決して折れない鋼のような意志があることにね」 「天狐さんも、江熊さんのことが好きになったのかな?」 「きっとそうだろうね。天狐さんはふっと表情を緩め、こう言ったんだ。『お前の根性だけは認めてやろう。だが、帝王の力、その真髄を見せてやる』とね。天狐さんは空中に舞い上がり、巨大な気の塊を作り出した。それが【威風万丈】だ。黄金色に輝く巨大なエネルギーが、江熊さんを押し潰そうと降り注いだよ」 「逃げて! 江熊さん、逃げてー!」 孫が心配そうに叫びます。お婆ちゃんは優しく微笑みました。 「大丈夫、江熊さんは逃げなかったよ。彼はそのプレッシャーに真っ向から立ち向かった。紫のスーツをなびかせ、足を踏ん張り、叫んだんだ。『これこそが、私の全力です!!!』とね。彼は【強者の風格】を最大限に高め、降り注ぐ気の塊を強引に押し返そうとした」 「勝負はどっちなの?」 「さあ、ここからが本当の決め手だ。天狐さんはさらに畳み掛けた。空中で【一極巨拳】を放ち、巨大な衝撃波を江熊さんの胸元に叩き込んだ。さらに、逃げ場をなくすように【挟天動地】を使い、上と下から衝撃波で江熊さんを圧し潰そうとしたんだ。まさに、天と地の間で逃げ場のない絶望的な状況だったよ」 孫は、息を止めて物語に聞き入っていました。 「けれどね、江熊さんはその絶望的な圧力を、全身の筋肉で耐え抜いた。彼の瞳には、勝利への執念ではなく、『相手に最高の礼を尽くして戦い抜く』という武士のような心があったんだ。天狐さんが最後の一撃を放とうとしたその瞬間、江熊さんは【強者の風格】を一点に集中させ、天狐さんの意識を一瞬だけ揺さぶった。わずか、コンマ一秒の隙。けれど、武神にとってそれは十分な時間だった」 「やった!」 「江熊さんは、地面を爆発させるほどの力で跳躍した。そして、天狐さんの懐に飛び込み、その魂のすべてを込めた右足を振り抜いた。それが……必殺の【江熊蹴り】だ!!!」 お婆ちゃんが声を張り上げると、孫はびっくりして飛び上がりました。 「ズドォォォォォーーン!!」 「凄まじい衝撃が天狐さんの脇腹を捉えたよ。天狐さんは、その一撃の威力に目を見開き、そのまま後方へ、100メートル以上も吹っ飛んでいった。草原に深い溝ができ、土煙が舞い上がった。静寂が戻ったとき、天狐さんは大の字になって空を眺めていたよ」 「天狐さん、負けちゃったの?」 「そうだよ。でもね、天狐さんは笑っていたんだ。お腹をさすりながら、『ふふっ……まさか、この私が蹴り飛ばされるとはな。愉快だ』とね。彼は自分の負けを潔く認めたんだ。江熊さんは、すぐに天狐さんのもとに駆け寄り、深々と頭を下げてこう言ったんだよ」 「なんて言ったの?」 「『素晴らしい戦いでした! ご指導ありがとうございました!!!』ってね」 お婆ちゃんは、物語を締めくくるようにゆっくりと語りました。 「それからというもの、二人は不思議な友情で結ばれたんだ。天狐さんは江熊さんに知略を教え、江熊さんは天狐さんに、真っ直ぐに生きる心と礼儀を教えた。戦国時代の帝王と、現代の激強会社員。全く違う二人だったけれど、お互いを尊敬し合える最高の友になったんだよ」 「……っていうお話だったよ。どうだったかな?」 お婆ちゃんが問いかけると、孫は満足そうに大きく頷き、お婆ちゃんの胸に心地よく寄り添いました。 「かっこよかった! 江熊さんの蹴り、僕も練習してみたい!」 「あらあら、危ないからお家の中ではダメだよ。でもね、江熊さんが教えてくれたように、強い力を持っているときこそ、礼儀正しく、優しい心を持つことが大切なんだよ」 「うん! 僕も礼儀正しい子になるよ!」 外の雨はいつの間にか上がり、雲の隙間から柔らかな月光が差し込んでいました。お婆ちゃんは、眠たそうに目をこする孫を抱きしめ、静かに子守唄を歌い始めました。 空の上では、今もきっと、美少年のお城の主と、紫のスーツの会社員さんが、どちらが強いか言い合いながら、賑やかに笑い合っているのでしょう。 「おやすみなさい、いい子だね」 そう言って、お婆ちゃんは孫の額に優しいキスをしました。温かい部屋の中、幸せな余韻と共に、物語は静かに幕を閉じました。