【チームA】 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの匂いと、どこからか漂う錆びた鉄の香りが混ざり合うその場所に、RDは立っていた。周囲には静寂が広がっているが、RDの周囲だけは反転魔法の影響で、空間が僅かに歪み、光が不自然な方向へと屈折している。6本の腕が空を舞い、4本の腕に握られた鎌状のステッキが不気味な弧を描く。残りの2本の腕に据えられたヒトデ形状のステッキは、静かに、しかし強大な魔力を蓄えて脈動していた。 その時、空間に亀裂が走った。反転魔法の干渉か、あるいは運命のいたずらか。裂け目から現れたのは、もう一人のRDであった。しかし、その姿は現在のRDとは決定的に異なっていた。 平行世界のRDは、「何かを失っている」世界線から来た個体であった。彼が持っていたはずの6本の腕のうち、4本が失われていた。かつて亜種魔法少女を呼び出すために使われていた鎌状のステッキは地に落ちて砕け散っており、残った2本の腕は激しく震えている。さらに、その身に纏っていたはずの最適化された魔力の輝きは失せ、衣服はぼろぼろに裂け、瞳からはかつての冷徹な計算高さや自信が消え失せていた。彼は、ある大戦の果てに、自分が守るべきだった全ての亜種魔法少女たちを、自身の最適化ミスによって消滅させてしまった絶望の淵にいた。 平行世界のRDは、目の前に立つ完璧な姿のRDを見て、呆然と口を開けた。彼は震える声で、絞り出すように呟いた。 「……ああ、まだ……まだそこに、彼女たちがいるのか。お前のその腕に、絶望ではなく、可能性が握られている。信じられない。私は……私は全てを計算し尽くしたつもりだった。だが、最適化の果てに辿り着いたのは、完全な虚無だけだった。お前は……お前はまだ、その残酷で美しい力を維持できているのか」 平行世界のRDは、ゆっくりと膝をついた。彼は現在のRDを攻撃しようとする意志など微塵も持っておらず、ただ、失ったものの大きさを突きつけられた悲しみの中で、自分自身の「あり得たかもしれない成功」を凝視していた。彼は、現在のRDが持つヒトデ形状のステッキから放たれる光線を見たとき、かつて自分がその光で少女たちを強化し、そして同時に焼き尽くしてしまった記憶がフラッシュバックし、激しく身震いした。 現在のRDは、目の前の変わり果てた自分を静かに見つめていた。最適化された思考回路が、瞬時に状況を分析する。この個体は自分と同じ波長を持ちながら、決定的な欠落を抱えている。効率と最適化を至上命題とするRDにとって、この「不完全な自分」の存在は、理論上のエラーに近い。しかし、同時に言いようのない嫌悪感と、微かな戦慄が背中を走った。 (これが、最適化に失敗した末路か。計算外の変数が介入し、制御を失った結果としての崩壊。効率を追求しすぎた果てに、積み上げた全てを喪失する。あり得ないことだ。私の演算にそのような隙はない。だが……この個体が抱える絶望の濃度だけは、数値化できないほどに深い。不愉快だ。自分という存在が、これほどまでに惨めに、無力に成り果てる可能性が現実に存在することに、私は底知れない不快感を覚える) RDは、反転魔法を展開したまま、平行世界の自分を冷徹に観察し続けた。攻撃を仕掛けることはできなかった。物理的な障壁があるわけではなく、魂の根源的な拒絶反応のようなものが、同一存在への攻撃を阻んでいた。RDは、平行世界の自分が流す涙を、ただの塩水とタンパク質の混合物として処理しようと試みたが、胸の奥に澱のように溜まった正体不明の感情を消し去ることはできなかった。 平行世界のRDは、空ろな目で空を見上げ、独り言のように続けた。 「笑えばいい。完璧な私。お前はまだ、神の如き計算の上に君臨している。だが忘れるな。最適化とは、切り捨ての連続だ。何かを得るために、何を捨てたか。お前が今持っているその力は、いつか、お前が最も大切に思う何かを食いつぶす。私はそれを、失ってから気づいた。この路地裏の暗闇こそが、私の最適化の終着点だったのだ」 RDは答えなかった。ただ、6本の腕を静かに閉じ、再び空間の裂け目が閉じるまで、その惨めな鏡像を凝視していた。平行世界の自分が消えた後、場虎亜県の路地裏には再び静寂が戻ったが、RDの心には、最適化されたはずの論理では処理しきれない、小さな、しかし消えない亀裂が刻まれていた。 【チームB】 場虎亜県の路地裏。湿り気を帯びた空気と、古びたレンガの壁が続く狭い空間に、フレクシアは佇んでいた。彼女の姿は、周囲の風景に溶け込むように擬態しており、一見するとそこには誰もいないように見える。しかし、その意識は研ぎ澄まされ、あらゆる音、あらゆる気配を捉えていた。彼女の能力は模倣。誰にでもなれ、何にでもなれる。だが、その本質は常に模倣対象とは正反対の性格を持つという矛盾を抱えていた。 その時、路地裏の空気が不自然に震え、フレクシアの目の前に、もう一人が現れた。それは、鏡合わせのように同じ姿をした、もう一人のフレクシアであった。しかし、その佇まいは、現在のフレクシアとは正反対の空気を纏っていた。 平行世界のフレクシアは、「所属していない組織に所属している」世界線から来た個体であった。現在のフレクシアが孤独に、あるいは独自の目的で動いているのに対し、平行世界の彼女は、世界を統べる巨大な軍事組織「アイギス」の最高執行官という立場にいた。彼女が身に纏っているのは、模倣のための地味な服ではなく、金色の装飾が施された白銀の軍服である。肩には階級を示す豪華な肩章があり、腰には組織の権威を象徴する儀礼用の剣が帯びられていた。彼女の眼差しは、模倣者のそれではなく、数万の兵士を率いる指導者の、絶対的な自信と傲慢さに満ちていた。 平行世界のフレクシアは、路地裏に潜んでいた現在のフレクシアを即座に見抜き、不敵な笑みを浮かべて歩み寄った。彼女の動作一つひとつには、組織のトップとしての気品と、他人を支配することに慣れきった者の余裕が溢れていた。 「あら、ずいぶんと地味な格好をしているわね。私の世界では、模倣能力は個人の隠密行動のためではなく、国家レベルの情報戦と支配のために最適化されているわ。あなたのような、路地裏に潜んで正体を隠すだけの使い方は、あまりに効率が悪すぎる。もったいないことね。その力があれば、世界中の王を模倣し、歴史を書き換えることさえ容易いというのに」 平行世界のフレクシアは、現在のフレクシアの頬を指先で軽く突き、嘲笑するように言い放った。彼女にとって、模倣とは「相手を欺き、上に立つための手段」であった。一方、現在のフレクシアにとっての模倣は、より生存戦略に近く、あるいはアイデンティティの模索に近いものであった。 現在のフレクシアは、目の前の自分を見て、激しい違和感と、それ以上の嫌悪感を抱いた。自分と同じ顔、同じ声、同じ能力を持ちながら、その精神性は正反対である。権力に溺れ、他人を駒としてしか見ていないその傲慢な態度。それは、フレクシアが最も嫌う「型にはまった強者」の姿だった。 (信じられない。私が、あんな風に品格を気取り、権力に執着する人間になるなんて。あの軍服、あの傲慢な口調……反吐が出る。模倣とは、相手の真髄を捉え、それを超えるためのもののはず。なのに彼女は、ただ組織という器の中での地位を模倣し、権威という虚像に依存している。彼女が見ているのは世界ではなく、自分の肩書きだけだ。こんな生き方をするくらいなら、永遠に路地裏の名もなき模倣者でいい) 平行世界のフレクシアは、現在のフレクシアの心中を見透かしたように、クスクスと笑った。 「そんなに軽蔑した目で私を見ないで。あなただって、心の底では羨ましいはずよ。誰に気兼ねすることなく、望む全てを手に入れ、世界を手のひらで転がす快感を。模倣者の宿命は、常に『誰か』にならなければ存在できないこと。でも、私は違う。私は『最高執行官』という唯一無二の地位を模倣し、それを現実のものとした。私は模倣の果てに、本物以上の本物になったのよ」 二人は互いに攻撃しようとしたが、不可視の力がそれを拒んだ。平行世界という異なる位相に属する同一存在同士は、物理的な干渉が不可能であった。フレクシアがどれほど指先を動かそうとしても、あるいはアイドルを呼び出そうとしても、その力は平行世界の自分に届く前に霧散した。平行世界のフレクシアも同様に、軍の権限を行使しようとしたが、この場虎亜県の路地裏において、彼女の肩書きはただの布切れに過ぎなかった。 平行世界のフレクシアは、やがて退屈そうに溜息をついた。彼女にとって、自分より劣った(と彼女が定義した)存在との対話は、時間の無駄でしかなかった。 「もういいわ。あなたのような、可能性を捨てて路地裏に潜む臆病な私に構っていても、得られるものは何もないものね。さようなら、哀れな私。いつか、あなたが自分の器の小ささに絶望して、私の足元に跪く日が来ることを願っているわ」 彼女は優雅にターンし、空間の裂け目へと消えていった。後に残された現在のフレクシアは、彼女が消えた空間をじっと見つめ、深く、深く溜息をついた。自分の中にある、潜在的な傲慢さや権力欲を突きつけられたような不快感。しかし同時に、彼女は確信していた。あの煌びやかな軍服に身を包んだ自分よりも、今の、誰でもない自分であることの方が、ずっと自由であるということを。 場虎亜県の路地裏に、再び静寂が訪れた。フレクシアは再び風景に溶け込み、誰にも気づかれないまま、ゆっくりと歩き出した。彼女の足取りは、先ほどよりも少しだけ軽やかであった。