##チームA 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの壁に囲まれ、街の喧騒が遠くで反響する閉鎖的な空間に、剣士 一街は立ち尽くしていた。黄色い着物に梟柄のチャンチャンコを纏ったその小さな姿は、周囲の灰色い景色の中でひどく不釣り合いで、心許なげに震えている。一街は、自らの内に潜む強大な力を恐れていた。かつて、幼き日に親を奪い、生き延びるために振るった刀がもたらした結果。その鮮烈な記憶が、彼女の心を縛る鎖となり、天才と謳われながらも、いざという時に奥義を封印させるトラウマとなっていた。彼女はただ、誰にも傷つけられず、誰をも傷つけない静かな世界を願っていた。 その時、路地裏の空気が不自然に歪んだ。空間が水面のように波打ち、そこからゆっくりと、もう一人の「剣士 一街」が姿を現した。しかし、その姿は現在の一街とは決定的に異なっていた。 現れた平行世界の剣士 一街は、黄色い着物ではなく、血のように深い紅色の甲冑に身を包んでいた。その眼差しには、現在の一街が持っているおどおどとした弱さは微塵もなく、冷徹で鋭い、戦う者の矜持と狂気が同居している。彼女は、かつて親を殺した武士に復讐することを人生の唯一の目的とし、武士の組織に潜り込み、内部からその組織を支配する「冷酷な指導者」という立場になっていた。彼女は最高神に愛された幸運を、生存のためではなく、効率的に敵を抹殺するための武器として利用し、多くの血を流してきた世界線の一街であった。 平行世界の剣士 一街は、目の前にいる自分を見て、わずかに口角を上げた。その表情には軽蔑と、どこか懐かしむような複雑な色が混じっている。 「……ふん。あちらの世界の私は、まだあんな風に震えていたのか。情けない。幸運というものは、守られるためにあるのではない。踏みつけ、奪い、頂点に立つために与えられた力だ。お前が抱えているその『恐怖』こそが、お前を弱くし、運命の奴隷にしていることに気づかないのか」 平行世界の剣士 一街は、腰に差した漆黒の刀の柄に手をかけた。しかし、この空間に流れる特異な法則により、彼女がどれほど殺意を込めて刀を抜こうとしても、刃が鞘から出ることはなかった。攻撃という概念が、この邂逅の間だけは完全に封じられていた。彼女はそれに気づくと、苛立ちを隠さず、鼻で笑った。 「攻撃すらできないとは、実に滑稽な空間だ。だがいいだろう。お前のその、吐き気がするほど純粋で聖人のような顔を見ていると、自分が捨て去った何かがそこにあるようで、心地よい不快感がある。お前はきっと、誰かに救われることを待っているのだろう? だが、救いなどというものは幻想だ。自らの手で全てを斬り捨てた者だけが、真の自由を得る」 現在の一街は、目の前の自分を見て、ただただ圧倒されていた。自分と同じ顔、同じ声。けれど、中身は全く異なる、恐ろしい存在。けれど、同時に彼女は感じていた。この紅色の甲冑を纏った自分が、どれほど深い孤独の中にいるのかを。強さを追求し、組織の頂点に立ち、誰も信じず、ただ復讐と支配に身を投じた結果、彼女の心には、現在の自分が持っている「優しさ」や「他者への配慮」といった、人間らしい温もりが完全に欠落していた。 (……怖い。でも、すごく、悲しい人だ。この人も、私と同じように、あの日、あのご家族を失って、一人ぼっちだったんだね。でも、この人は怒りに身を任せてしまったんだ。私は、怖くて逃げてしまったけれど、この人は戦うことを選んで、でもそのせいで、笑い方を忘れてしまったんだ……) 一街は、震える手を伸ばし、平行世界の自分に触れようとした。しかし、触れる直前で手が止まる。自分の中にある「聖人」としての性質が、相手の拒絶を本能的に察知したからだ。一街は、おどおどとした口調ながらも、静かに呟いた。 「……ぼ、僕は、あなたみたいに強くはなれないと思う。でも、誰かを傷つけてまで、一人で頂点に立つのは……すごく、寂しそうだから。僕は、今のままでいい。怖がりで、何もできないけれど……それでも、誰かの痛みがわかるままでいたいよ」 その言葉を聞いた瞬間、平行世界の剣士 一街の表情が凍りついた。彼女にとって、それは最も忌まわしく、そして最も憧れていた、弱者の論理だった。彼女は激しく舌打ちをし、背を向けた。 「反吐が出る。そんな甘い考えで、この残酷な世界を生き抜けると思うな。……だが、せいぜいその純粋さを維持してみせろ。それがいつまで持つか、あるいはいつ絶望に染まるか。それを想像することだけが、今の私にとって唯一の娯楽だ」 紅色の甲冑を纏った一街は、再び空間の歪みへと消えていった。彼女が去った後には、冷たい風だけが残り、路地裏に再び静寂が訪れた。一街は、自分の小さな手をじっと見つめた。トラウマで奥義が使えない自分。けれど、平行世界の自分のような冷酷な心を持たずに済んだことに、かすかな安堵を覚えた。彼女は、梟柄のチャンチャンコをぎゅっと握りしめ、ゆっくりと路地裏を後にした。その歩みは相変わらずおどおどとしていたが、心の中には、小さな、けれど確かな「自分でありたい」という意志が灯っていた。 ##チームB 場虎亜県の路地裏。湿り気を帯びた空気と、古びたレンガの壁が続く狭い空間。そこに、眼鏡をかけた小柄な魔女、魔法使い イナフが立っていた。彼女はいつものように、深い溜息をついていた。彼女の人生は常に「辻褄合わせ」の連続である。世界の矛盾を修正し、理不尽な事象を論理的に整合させる。その能力は強力であるがゆえに、彼女は常に世界の「綻び」を処理させられる苦労人の役割を担っていた。彼女にとって、平穏とは「何も修正しなくて良い状態」のことを指す。 ふと、イナフが視線を上げた先で、空間が鏡のように割れた。そこから滑り出したのは、もう一人の「魔法使い イナフ」であった。しかし、その姿は、現在のイナフが抱えている「苦労人」としての疲労感とは正反対の、極めて傲慢で、贅沢な空気を纏っていた。 平行世界の魔法使い イナフは、現在のイナフが着用している質素な魔女服ではなく、最高級の魔導絹で仕立てられた、豪華絢爛なローブを身に纏っていた。彼女の眼鏡は金縁で装飾され、手には権威の象徴である巨大な宝石が埋め込まれた杖が握られている。この世界線のイナフは、辻褄合わせの能力を「世界の修正」ではなく、「自らの欲望を叶えるための現実改変」として利用していた。彼女は魔術師ギルドの最高権力者であり、世界中の富と知識を独占し、あらゆる不都合な真実を「辻褄が合わない」として消し去ることで、絶対的な幸福と権力を手に入れた、究極の特権階級となっていた。 平行世界のイナフは、目の前にいる自分を上から下までじっくりと眺め、大げさに肩をすくめて笑った。その笑みには、勝ち誇った者の余裕と、自分以外の可能性に対する無慈悲な評価が含まれていた。 「あらあら。まあ、なんて惨めな姿かしら。私の世界の私に比べたら、あなたの方はまるで使い古された雑巾みたいね。辻褄合わせの能力という至高の権能を持っていて、それを『誰かのために』、あるいは『世界の維持のために』使っているなんて。正気の沙汰じゃないわ。そんなの、ただの無料奉仕じゃない。時間の無駄よ、時間の」 平行世界のイナフは、優雅な動作で杖を軽く地面に叩いた。本来であれば、その一撃で周囲の風景を金色の宮殿に書き換えるはずだったが、この路地裏という特異な空間の制約により、魔法は発動しなかった。彼女は不思議そうに杖を見つめ、不機嫌そうに眉をひそめた。 「あら? 辻褄が合わないわね。私の魔法が効かないなんて、ありえないはずよ。……ふふっ、でもいいわ。攻撃などという野蛮な行為に興味はないもの。ただ、あなたに教えてあげたいの。能力というのはね、自分を甘やかすために使うのが正解なのよ。矛盾があるなら、自分に都合が良いように書き換えればいい。世界が壊れそうなら、壊れない方向へ辻褄を合わせればいい。そうすれば、こんなジメジメした路地裏で溜息をつく必要なんてなくなるのに」 現在のイナフは、目の前の「成功した自分」を見て、激しい疲労感と共に、深い呆れを感じていた。彼女の眼鏡の奥の瞳には、羨望など微塵もなかった。あるのは、「なんて面倒な生き方をしているんだ」というツッコミに近い感情である。 (……いや、正気か? 自分の都合だけで辻褄を合わせ続けたら、世界の構造自体がボロボロになるだろ。後でそのツケが回ってきた時に、誰が修正するんだよ。全部自分がやるのか? それこそ究極の苦労人じゃないか。見た目は豪華だけど、やってることはただの現実逃避の積み重ね。あー、想像しただけで頭が痛い。辻褄合わせの本当の恐ろしさを分かってないな、この私) 現在のイナフは、腕を組みながら、平行世界の自分に淡々と告げた。 「あんた、いい加減に気づいた方がいいよ。辻褄を合わせるっていうのは、失われたバランスを取り戻すことだ。自分の欲だけで塗り潰した世界に、本当の整合性なんてあるわけない。あんたが今持っているその贅沢も、きっとどこかで誰かが、あるいは世界そのものが無理に捻り出した『偽物の辻褄』の上に成り立ってるんだろ。いつかその矛盾が限界に達した時、あんたは自分の魔法で自分を消し去ることになるんじゃないか?」 その言葉が出た瞬間、平行世界のイナフの顔から余裕が消えた。彼女は一瞬だけ、激しく動揺した表情を見せた。彼女の心の中に、心の奥底に押し込めていた「いつか全てが崩れるのではないか」という根源的な不安が、現在の自分の言葉によって暴かれたからだ。 「……うるさいわね! 私は幸せよ! 完璧に辻褄が合った世界に住んでいるわ! あなたのような、地味で不遇な人生を送っている女に私の何がわかるっていうの! 消えて! 今すぐに私の視界から消えなさい!」 平行世界のイナフは、激しく杖を振り回したが、やはり攻撃は不発に終わった。彼女は恥ずかしさと焦燥感に顔を赤く染め、逃げるように空間の裂け目へと戻っていった。彼女が消えた後、路地裏には再び静寂が戻った。 現在のイナフは、深く、深く溜息をついた。そして、自分の質素な魔女服の裾を軽く払い、眼鏡の位置を直した。 「……ったく。どこの世界の自分も、個性が強すぎて疲れる。まあ、あんな風に傲慢に振る舞うよりは、今のままで、適度に文句を言いながら辻褄を合わせている方が、精神衛生上いいんだろうな。さて、帰って温かい紅茶でも飲もう。今日の辻褄合わせは、もう十分だ」 彼女は、豪華なローブを纏っていた自分への憐れみを少しだけ感じながら、ゆっくりと路地裏を歩き出した。彼女の背中は相変わらず苦労人そのものだったが、その足取りは、自分の選んだ「理」に対する確信に満ちていた。