最初に消えたのは、空だった。 青という概念が、巨大な亀裂の向こうから剥がれ落ちた。雲も、星も、光を反射する大気さえも、白く輝く粒子へとほどけていく。 魔術地球の上空に浮かんだそれを、人々は怪物と呼んだ。 フトゥールム。 蠍の尾。百足の脚。巨人の胴。蟷螂の腕。獅子の頭。馬の下半身。戦闘機めいた翼。 どれにも似ていて、どれでもない。全身を透明な結晶と純粋なマナで構成した、形状不定の異形。 それは口を持たなかった。 脳も持たなかった。 核も、心臓も、死に相当する器官も存在しなかった。 ただ、遥か未来から来訪し、未来の全てを破壊し、そこから奪ったマナを燃料に過去へ跳躍する。 人類史の始まりへ辿り着くまで。 永遠に。 地上へ向け、光線が放たれた。 『Ⅲ−分解』。 光に触れた高層塔が、結界が、道路が、魔術で強化された防壁が、意味を失って崩れた。物理的な構造も、魔術的な防護も、まとめてマナへ変換され、白い奔流となって怪物へ吸い込まれる。 その前に、六人が立っていた。 白髪。 山将。 川将。 イチスケ。 加藤スグル。 真島五郎。 そして、未来予知し。 誰もが、この戦いに勝てるとは思っていなかった。 ただ一人を除いて。 加藤スグルは、崩れていく街を見回し、震えながら言った。 「……これ、今日中に帰れますかね」 白髪が横目で見る。 「帰る気か」 「帰りますよ。明日、出社なんで」 「世界が滅びるぞ」 「だからって無断欠勤はまずいでしょう」 あまりにも場違いな返答だった。 しかし、その瞬間、フトゥールムが跳んだ。 『Ⅵ−跳躍』。 予備動作はなかった。 空間が一枚の紙のように折れ、怪物の姿が消える。次の瞬間、山将の背後に巨大な蠍尾が出現した。 「俺が先だ!」 山将は振り返るより先に双戟を交差させた。尾針が叩き込まれ、二本の戟が砕ける。衝撃で山将の身体は地面へめり込んだ。 そこへ川将の河川長刀が横薙ぎに走る。 「山、伏せろ!」 刃が尾を断つ。 断たれたはずの尾は、空中で無数の結晶へ分解され、別の場所から再構成された。新しい尾が川将の胸部へ向かう。 白髪の第三の腕――ベッルムが、コートの隙間から伸びた。 魔腕の指が尾に触れる。 触れた箇所が、強制的に弱点へ変わった。 「今だ」 白髪のガンブレードが突き込まれる。細身の刃が結晶の継ぎ目を貫き、内部で銃弾が炸裂した。巨大な尾が砕け散る。 だが、砕けた破片は消えない。 マナとして周囲に漂い、フトゥールムの全身へ戻っていく。 「再生じゃねえな」真島五郎が笑った。「部品交換か。面倒くせえ野郎だ」 フトゥールムの頭部が、真島へ向く。 複数の眼に見える結晶が、同時に光った。 未来予知しが叫んだ。 「来る。三秒後に『Ⅲ−分解』。真正面、右斜め、上空から三本。同時に避けるな。避けた先を四本目が焼く」 真島はにやりと笑う。 「なら、避けなきゃいい」 三本の光線が真島を貫いた。 彼の肉体は物質として崩れ、骨も血も衣服もマナへ変わった。 だが、次の瞬間。 地面から真島が立ち上がった。 「俺は何度も再生するんだよ」 「その再生は敵の分解を無効化していない」未来予知しが言った。「死んだ後に戻っているだけだ」 「同じことだろ」 「違う。彼は死を持たない」 未来予知しはフトゥールムを見据えた。 思考を読む。行動を読む。未来を読む。 だが、そこに思考はなかった。 知能はある。判断もある。戦術もある。 それでも、脳という器官がない。 「思考の発生源が存在しない……構造全体が知性そのものか」 未来予知しの瞳に、無数の未来が流れ込んだ。 人類が全滅する未来。 魔術地球が分解される未来。 フトゥールムが百年前へ跳ぶ未来。 そのたびにさらに過去へ進む未来。 そして、数え切れないほどの自分の死。 彼はどの未来でも死ぬ。 しかし、死ぬたびに過去へ戻り、死因を分析し、知能と力を増していく。 未来予知しは笑った。 「俺は絶対に死なない。正確には、死ぬたびに勝利へ近づく」 未来予知しが手を掲げる。 フトゥールムの『Ⅲ−分解』が、彼の身体に触れた。 光線は未来予知しを分解した。 だが、マナへ変わる寸前、その光線の性質が彼の能力へ吸収される。 未来予知しは過去へ戻った。 一秒前へ。 彼は光線の軌道を知っていた。性質を知っていた。発射の判断に至る全てを知っていた。 そして、彼の右手から、同じ光線が放たれた。 デスビーム。 フトゥールムの胴体を貫く。 だが、致命傷にはならない。内部に臓器がないからだ。 光線を受けた箇所が崩れ、周囲のマナが補充される。砕けた結晶は別の構造へ変わり、傷口は傷口でなくなる。 「意味がない」 未来予知しが言う。 「攻撃が成立していない」 白髪が低く答えた。 「なら、成立させる」 彼は走った。 左手の義肢が展開する。肘から刃、肩から鎖、脚部から杭。ガンブレードを片手で回しながら、ベッルムを伸ばす。 フトゥールムが跳ぶ。 だが白髪も跳んだ。 ベッルムが空間そのものへ食い込んだ。触れた箇所を弱点とする魔腕は、空間の継ぎ目を弱点として固定した。 「逃がさん」 空間跳躍の出口が、強制的に脆くなる。 フトゥールムの巨体が出現した瞬間、川将が斬り込んだ。 「山!」 「分かってる!」 山将は砕けた双戟の柄を投げ捨て、腰から予備の短刃を抜いた。川将の長刀が敵の脚部を受け流し、山将がその下へ潜り込む。 双子は互いの動きを見ていなかった。 見なくても分かる。 川将が斬った場所を、山将が踏み台にする。山将が作った姿勢の崩れを、川将が利用する。長刀と短刃が交差し、フトゥールムの四肢を一度に拘束した。 「突撃だ!」山将が叫ぶ。 川将が長刀を地面へ突き立てる。 「今しかない!」 二人は互いの武器を踏み台にし、空中で交差した。 山将の全身突撃が頭部を打ち、川将の長刀が胴体を縦に割る。 フトゥールムは二つに分かれた。 しかし、分かれた両方が動き始めた。 複製。 増えた。 四体。八体。十六体。 地平線を埋め尽くす、結晶の異形。 山将の目が輝いた。 「最高じゃねえか!」 川将は顔をしかめた。 「数が増えれば有利になるとは限らない」 「じゃあ減らせばいい!」 山将は駆けた。 川将も続く。 二人は、増殖した敵の群れへ突っ込んだ。 その横で、イチスケがヘルメットを被り直した。 大量の安全講習修了シールが、淡い魔術光を反射している。 「白髪さん、山将さん、川将さん。そこから先は危険区域だ。立入禁止措置を取る」 「そんな暇あるかよ!」山将が叫んだ。 「安全を確保してから作業する。現場の基本だ」 イチスケは腰道具から杭を取り出し、大地へ打ち込んだ。 「A種接地工事、開始。指差し呼称。接地極、位置よし。導線、損傷なし。周囲、退避確認」 次々と避雷針が地面へ刺さる。 魔術地球の空が、雷雲を呼び寄せた。 フトゥールムの群れが光線を放つ。 「特高メガー!」 イチスケは巨大な絶縁抵抗計を構えた。12kVの電圧が結晶の群れを走る。純粋なマナでできた身体に、電気は物理的な損傷ではなく、魔力の流路を乱す異常として作用した。 結晶の動きが止まる。 「電気設備も生き物も、絶縁が肝心だ」 イチスケは受電盤へ走った。 「盤更新。既設盤、使用可能。容量確認。改造に入る」 周囲の受電盤が次々に開き、配線が組み替えられる。地面に張り巡らされたケーブルが、フトゥールムの跳躍地点を囲む。 怪物が消える。 『Ⅵ−跳躍』。 再出現した瞬間、全ての盤が一斉に火花を散らした。 空間そのものへ電流が走る。 跳躍の出口が固定され、フトゥールムの群れが地面へ縫い止められた。 「今だ! ただし無理は禁物、感電範囲に入るな!」 山将が聞いているはずもなく突っ込んだ。 「俺が全部壊す!」 「山!」川将が怒鳴る。「電流が流れている!」 「知るか!」 山将は敵へ飛び込み、電流をまとった結晶を斬り裂いた。 その瞬間、イチスケが叫んだ。 「感電者、剥がす!」 渾身のドロップキックが山将の背中に炸裂する。 山将は敵から吹き飛ばされ、地面を転がった。 「何しやがる!」 「労災防止だ!」 真島五郎が腹を抱えて笑った。 「おっさん、いい蹴りしてんじゃねえか」 「褒めてる場合じゃない。作業中は保護具着装、手順遵守」 真島は笑いながら敵陣へ飛び込んだ。 毒激が結晶を侵食する。毒はフトゥールムにとって意味がないはずだったが、真島の毒は肉体を腐らせるものではない。攻撃の因果をじわじわ削り、再構成に必要なマナの循環を鈍らせる。 複製された個体の動きが遅くなった。 「なるほどな。死なねえなら、壊れたままにしてやる」 真島の背中から、巨大な気配が現れた。 伝説の龍、桐生一馬。 幻影とも召喚ともつかない男が、無言で拳を握る。 フトゥールムの一体が巨大な腕を振るった。 桐生は真正面から受け、拳を叩き込んだ。 結晶の腕が粉砕される。 真島はその隙に敵の内部へ潜り込み、毒激を叩き込んだ。 「堂島の龍ってのは、こう使うんだよ!」 爆発的な連撃が群れを吹き飛ばす。 しかし、吹き飛んだ個体は、空中でばらばらになったままマナを吸収し始めた。 それぞれが別の形へ変わる。 翼。砲身。刃。触手。光線発射器官。 フトゥールムは戦闘中に学習していた。 知能は、脳ではなく、破壊されるたびに更新される構造そのものに宿っている。 未来予知しがその事実を読み取る。 「この敵は戦闘を経験として蓄積している。こちらの攻撃は二度目から通じにくくなる」 「なら一度で決めろ」白髪が言った。 「それができれば苦労しない」 「できるかどうかではない。やる」 白髪は敵の群れを見た。 彼が追い続けてきた魔王も、かつては世界を滅ぼした。 故郷を奪った存在に、死なない理由などなかった。 ただ、殺す。 殺せないなら、殺せる形にする。 その執念だけが彼を何百もの世界へ運んできた。 フトゥールムが一斉に『Ⅲ−分解』を放つ。 白髪は左手の義肢を地面へ突き刺し、身体を引き寄せる。光線がコートを掠め、帽子のつばを消し飛ばした。 彼は一体の胸部へ到達する。 ベッルムが触れる。 そこが弱点になる。 しかし、そこには核がない。 「核がないなら、核を作る」 魔腕が触れた部分を、存在の中心として固定した。 ガンブレードが刺さる。 銃撃。 斬撃。 結晶の巨体が、初めて全身の構造を失った。 白髪は崩壊する個体からマナを奪い、別の個体へ向けて蹴り飛ばした。 「壊せる。完全ではない」 未来予知しが頷く。 「ベッルムで弱点を作る限り、一時的に構造の中心を定義できる。ただし、敵は次の瞬間に構造を変える」 「なら、変える暇を与えない」川将が言った。 双子は目を合わせた。 山将が吠える。 「俺たちが道を作る!」 川将が続ける。 「白髪、その中心を斬れ!」 二人は同時に突撃した。 山将の双戟はすでに失われていた。彼は砕けた戟の刃を義肢のように握り、川将の長刀と連携する。 山将が敵の攻撃を誘い、川将が斬る。川将が道を開け、山将がその隙間へ飛び込む。 何度も吹き飛ばされ、何度も立ち上がる。 戦闘民族としての本能と、双子としての信頼だけで、二人は無数のフトゥールムを縫うように進んだ。 イチスケの電気トラップが、敵の跳躍を阻害する。 真島の毒激が、再構成を遅らせる。 未来予知しが全ての攻撃の未来を読み、危険な個体を指示する。 「左の三体、五秒後に跳躍。右の一体、分解光線。山将、二歩下がれ!」 「分かってる!」 「分かってねえから言ってんだ!」 真島が山将を殴り飛ばし、光線から救った。 山将は空中で回転し、川将の長刀を踏んで敵の頭部へ飛び込む。 「借りるぞ!」 「返せ!」 「後でな!」 山将が長刀を抜き取り、敵の翼を斬り落とした。 川将は素手になったが、落下した結晶片を拾い、即席の刃として敵の脚を切断する。 「武器は一つではない」 その言葉に、白髪が一瞬だけ口元を緩めた。 「いい」 彼は最大の個体へ跳んだ。 それはもはや獅子でも巨人でもなかった。戦闘機のような胴体から無数の砲身が伸び、百足の脚が空を踏み、蠍尾が幾重にも分かれている。 フトゥールムの全ての個体が、中央の一体へ収束し始めていた。 分解された地球のマナを、まだ奪っている。 敵は戦場だけでなく、世界そのものを食べていた。 地面が白くほどける。 海が消える。 大陸の魔術脈が、巨大な光の川になって吸い上げられる。 このままでは敵を倒す前に、地球が消える。 イチスケが周囲を見た。 「分電盤が限界だ。これ以上は過負荷で設備が焼ける」 「設備が焼けたらどうなる?」スグルが聞く。 「停電だ」 「停電すると?」 「トラップが止まる」 「じゃあ、止めないでください!」 加藤スグルは走った。 普通のサラリーマンだった。 魔力もない。特別な武術もない。世界の裏側に気づかず、漫画を読んで暮らしていた。 だからこそ、彼は世界が消えるという現実を理解できなかった。 理解できないまま、ただ日常へ帰ろうとした。 「俺は帰るんです! 会社に! 家に! 風呂に入って、漫画の続き読むんです!」 フトゥールムが彼へ顔を向けた。 『Ⅲ−分解』。 光線が放たれる。 スグルは逃げなかった。 逃げられなかったのではない。 その先に、イチスケがいた。 電気設備を守るため、動けない状態で配線を押さえていた。 スグルはイチスケの前へ立った。 光線が迫る。 その瞬間、世界が止まった。 スグルの周囲に、日常が現れた。 コンビニの明かり。 電車の発車ベル。 会社の給湯室。 誰かが買ってきた菓子。 休日の昼下がり。 ありふれた漫画のページ。 不合理で、不完全で、多少の停滞がある。だからこそ人が生きられる、退屈で大切な時間。 【日常回帰−日常の加護】。 フトゥールムの光線が、スグルの前で弾かれた。 分解できない。 物理でも魔術でもない。 日常という、超常に対抗するための普通。 スグルは自分でも何が起きたのか分からないまま、叫んだ。 「イチスケさん、今です!」 イチスケは頷いた。 「安全確認よし。作業継続!」 彼は最後の避雷針を大地へ打ち込んだ。 天から雷が落ちた。 雷はフトゥールムの中央個体へ集中し、マナの循環を一瞬だけ乱す。 その一瞬を、未来予知しは見逃さなかった。 「未来が一つに収束した」 彼の脳裏に、勝利の可能性が一つだけ浮かぶ。 同時に、彼自身が死ぬ未来も見えた。 未来予知しは躊躇しなかった。 「俺が死ぬ。だが、その死が必要だ」 彼はフトゥールムの真正面へ立った。 敵の全砲身が彼を狙う。 未来予知しは全てを読んでいた。 分解光線。 結晶槍。 空間跳躍。 反射。 複製。 避けられる。 だが、避けない。 全ての攻撃を受け、吸収し、自分の能力へ変える。 肉体が砕ける。 脳が砕ける。 死ぬ。 そして過去へ戻る。 死因を分析する。 知能と力が増大する。 再び同じ瞬間へ戻る。 敵の攻撃は、彼にとって既知のものとなる。 さらにもう一度、死ぬ。 さらに戻る。 彼の知能は、もはや人間の知性と呼べる範囲を超えていた。 それでも彼は、仲間の声を聞いていた。 「白髪、今!」 未来予知しが叫ぶ。 白髪は中央個体の胸部へ到達していた。 ベッルムが触れる。 フトゥールムの全身に、弱点という概念が走った。 中央個体が『Ⅺ−反転』を発動した。 まだ知られていなかった能力。 受けた攻撃の意味を反転させる。 斬撃は修復へ。 拘束は加速へ。 電撃は再構成の促進へ。 毒は燃料へ。 そして、弱点は強度へ。 ベッルムの魔腕が弾かれた。 白髪の腕が砕ける。 ガンブレードが折れる。 フトゥールムの尾が彼の胸を貫いた。 白髪は吐血した。 それでも手を離さない。 「反転するなら……反転させる意味を、さらに反転する」 ベッルムが震えた。 魔腕は仇敵から斬り落としたものだった。長い年月、白髪の服の中に隠され、無数の敵を弱点へ変えてきた。 それは単なる武器ではない。 憎悪そのものだった。 憎悪は、意味を失っても残る。 ベッルムがフトゥールムの反転を掴み、無理やり捻じ曲げた。 強度へ反転した弱点が、さらに脆さへ反転する。 中央個体の胸部に、ひびが走った。 「斬れ!」白髪が叫ぶ。 山将と川将が同時に跳んだ。 山将は長刀を、川将は砕けた双戟の刃を握っている。 「俺たちの一撃を合わせる!」 「同じ場所へ!」 二人の武器が、白髪の作った弱点へ突き込まれた。 ひびが広がる。 しかし、フトゥールムはまだ止まらない。 周囲の大地がさらに分解され、マナが中央個体へ流れ込む。 敵は傷口を複製し、構造を増やし、傷そのものを飲み込もうとした。 真島五郎が中央個体の脚へ噛みつくように飛びついた。 「おい、化け物! 俺の相手は俺が決めるんだよ!」 毒激を叩き込む。 マナの流れが濁る。 真島の身体が分解される。 彼は笑った。 「やり直しはきく」 切り札『破壊』。 真島は地球そのものを破壊するほどの力を発動した。 一瞬、世界が白くなった。 地面が割れ、空間が震え、敵も味方も全てが吹き飛ぶ。 フトゥールムにとって、地球の破壊は本来なら餌の増加に過ぎなかった。 だが、真島の破壊は単なる物理破壊ではない。 再生と破壊を繰り返すことで、対象の再構成手順を狂わせる。 世界を壊しながら、敵が世界を食べる順番を壊した。 それでも真島は死んだ。 彼は過去へ戻る。 戻るたび、能力が一万倍に増えていく。 一度。 二度。 三度。 何度も世界の破滅へ戻り、何度も自分を破壊した。 やがて真島は、フトゥールムの再生より速く再生する存在になった。 彼は中央個体の背後へ現れ、拳を握った。 「最強の一撃だ」 攻撃力が跳ね上がる。 拳が触れた瞬間、衝撃はフトゥールムの全構造へ伝播した。 分解される。 複製される。 修復される。 それら全てを上回り、衝撃が存在の組み立て順を粉々にする。 中央個体の再生が止まった。 「今だぁぁぁぁ!」 真島の咆哮に、全員が動いた。 川将が長刀を振る。 山将が双戟を突き込む。 イチスケが全ての残存電力を流す。 未来予知しがデスビームを重ねる。 白髪が折れたガンブレードを、残った腕で押し込む。 そしてスグルが、中央個体の前に立った。 彼には武器がない。 魔力もない。 ただ、帰りたいという意思があった。 「俺は、明日も普通に働くんです」 スグルの背後に、日常が広がる。 「だから、今日を勝手に終わらせないでください」 日常の加護が、フトゥールムのマナを拒絶した。 破壊された地球の残骸が、敵へ吸収されない。 分解されたマナが、敵のものにならない。 フトゥールムは初めて、燃料を失った。 停止はしない。 人間の始まりへ到達するまで停止しない存在だからだ。 だが、進めなくなった。 中央個体の胸部で、ベッルムが弱点を固定する。 真島の最強の一撃が、再生の手順を破壊する。 イチスケの雷撃が、全ての結晶を同じ瞬間に痺れさせる。 山将と川将の双撃が、脆くなった構造を貫く。 未来予知しのデスビームが、存在の全分岐を焼き切る。 そして白髪のガンブレードが、最後の一線を断った。 フトゥールムは砕けた。 巨体が崩れ、無数の結晶が空へ舞い上がる。 だが、その破片はマナへ変わらなかった。 敵へ戻ることも、過去へ跳ぶこともなかった。 未来を破壊し、過去へ進み続けた怪物は、初めて時間の流れの中に取り残された。 空間が静かになる。 雷雲が消えた。 分解を免れた地面に、風が吹いた。 白髪は膝をついた。 胸の傷は深い。ベッルムは半ば砕け、ガンブレードは折れている。 それでも死ななかった。 「終わったのか」山将が尋ねた。 川将が周囲を見渡す。 「敵の反応はない」 未来予知しは黙っていた。 彼には見えていた。 フトゥールムが停止した理由を。 存在そのものが殺されたわけではない。 未来への経路を失い、過去への跳躍を封じられただけだ。 残骸が一つでも残れば、いつか再構成する可能性がある。 「完全な勝利ではない」 「勝ちは勝ちだろ」真島が言った。 その直後、彼の身体が崩れた。 無数の時間跳躍による反動だった。 「俺は……また戻る。やり直しは……」 真島はそこで言葉を止めた。 戻れなかった。 フトゥールムの反転によって、彼の時間跳躍能力の一部が損傷していた。 何度も再生した身体が、初めて再生を拒んだ。 真島五郎は笑った。 「……まあ、派手にやったからな」 彼は地面へ倒れた。 未来予知しが彼を見た。 「死ぬ」 「知ってるよ」 「戻れない」 「だったら、死ぬだけだろ」 真島は最後まで笑っていた。 白髪は何も言わなかった。 川将が長刀を拾い、山将が折れた双戟を拾う。 イチスケは設備を確認していた。 「主幹盤、損傷大。仮復旧は可能。ただし、再使用は危険だ」 「世界を救ったのに、最初に心配するのが盤かよ」山将が言う。 「設備を軽視する人間は、次の事故を起こす」 スグルは座り込み、スマートフォンを確認した。 画面は割れていたが、時刻は動いている。 「……会社、間に合いますかね」 誰も答えなかった。 未来予知しは、最後の未来を見ていた。 魔術地球は大きく損傷した。 フトゥールムの残骸は消えたわけではない。 そして、時間の彼方には、まだ無数の未来が残っている。 いつかまた、別のフトゥールムが現れる可能性もある。 だが、今この瞬間、人類は存在している。 日常は完全ではない。 街は壊れ、空は欠け、数え切れない人々が失われた。 それでもスグルは立ち上がった。 「帰りましょう」 白髪が見る。 「どこへ」 「日常へ」 白髪はしばらく黙り、折れたガンブレードを拾った。 「俺には帰る場所がない」 「じゃあ、探しながら行けばいいじゃないですか」 白髪は答えなかった。 しかし、スグルの隣を歩き始めた。 山将と川将が続く。 イチスケは壊れた設備を見ながら、ため息をついた。 「復旧作業が残っている。安全確認からだ」 未来予知しは、空を見上げた。 そこには、まだ星がなかった。 けれど、暗闇の向こうに未来はある。 死ぬたびに強くなる彼でさえ、今は死なずに歩いていた。 それが、勝利というものなのかもしれない。 遠くで、真島五郎の亡骸から一粒の光が消えた。 誰も振り返らなかった。 振り返れば、日常へ戻れなくなる気がしたからだ。 彼らは歩いた。 壊れた世界の上を。 それでも続いていく時間の中を。 英雄たちは、人類種の危機へ立ち向かった。 そして、完全ではない勝利を掴んだ。 それは、完全な存在だったフトゥールムには理解できなかったものだ。 不合理で、不完全で、停滞していて、失敗して、それでも明日へ進む。 人類という種の、最も脆く、最も強い在り方。 日常。 その日常は、まだ死んでいなかった。 ――死亡者―― 真島五郎:フトゥールムとの最終戦で『破壊』と時間遡行を繰り返し、時間跳躍能力の損傷と累積した反動により再生不能となったため死亡。 その他の戦闘参加者:生存。ただし、白髪は重傷およびベッルム・ガンブレードの損壊、山将と川将は武器損傷、イチスケは装備・電力設備の大破、未来予知しは能力の過剰使用による精神・肉体疲労、加藤スグルは日常の加護発動による強い消耗を負った。