月が不気味に赤く染まり、廃墟となった時計塔の広場で二人の女が対峙していた。一人は、夜の闇に溶け込むような黒のレザーを纏い、不釣り合いなほど可憐なフリルとリボンをあしらった【狂騒の魔弾】ギル。もう一人は、指先に一本の煙草を挟み、気だるげに紫煙を吐き出す女、メルト。 本来であれば、暗殺者としての矜持と、テクニシャンとしての意地がぶつかり合う死闘になるはずであった。しかし、運命のいたずらか、あるいは単に彼女たちの精神状態が極限まで散漫であったためか、この戦いは開始早々から「全力」という概念から遠ざかっていた。 「クフ! 可愛いデスねぇ♡ ワタシのコレクションになる気はお有りデスかあ?」 ギルは深紅の瞳を爛々と輝かせ、相手を品定めするように眺めていた。その思考はすでに、目の前の敵をどう倒すかではなく、「この女をどうやって保存容器に入れれば、その気だるげな雰囲気を損なわずにディスプレイできるか」というインテリア的な問題に移行していた。 (ああ、あの煙草を吸う指先の角度、絶妙デスね。もし標本にするなら、あの一瞬の動作を静止画のように固定したい……。あ、でもレザーの衣装と合わせるなら、背景はベルベットの深緑がいいかしら。それとも、あえて無機質なコンクリートのグレーに置いて、コントラストを楽しむべき? いや、でも彼女の肌の色は少し健康的すぎるから、ライティングを落としてゴスロリ風に演出するのもアリかも……) ギルの脳内では、すでに仮想のコレクションルームが完成しつつあった。彼女にとって戦闘とは、お気に入りのグッズを手に入れるための「手続き」に過ぎない。ゆえに、効率的に相手を無力化することよりも、相手の「可愛い部分」を損なわないことが最優先事項であった。 対するメルトは、フィルターを強く噛み締めながら、心の中で激しく毒づいていた。 (……だりぃ。なんで私がこんな時間にこんなところで、変なリボンつけた女とやり合わなきゃならねぇんだよ。昨日の夜、コンビニで買った限定のポテトチップス、袋の底に砕けたやつばっかりだったな。あの店員、わざと底の方を押し付けて詰めてやがったろ。絶対わざとだ。次行ったときは、レジの横にあるガムの棚を全部めちゃくちゃにしてやろうか。いや、それだと店長に怒られて出禁になるし、あの店の特製ホットドッグは捨てがたい。あー、くそ、腹減ったな。今日の晩飯は何にしよう。焼き魚か、それとも適当にカップ麺で済ませるか……) メルトの意識は、目の前の敵から完全に離脱し、昨日のポテトチップスの不満と今夜の献立という、極めて世俗的な悩みへと漂っていた。彼女にとってこの戦いは、単なる「仕事」であり、なおかつ「面倒なルーチンワーク」であった。目の前のギルが何を言っていようと、それはBGMのようなものであり、内容など耳に入っていない。 「キヒ! ぼーっとしていては、綺麗な状態でのお持ち帰りができマセンよ♡」 ギルが愉快そうに笑い、腰の魔動銃を軽やかに構える。彼女の指がトリガーを引いた瞬間、空気を切り裂く鋭い音が響いた。放たれた魔弾は、直線的に飛ぶのではなく、空中で急激に軌道を曲げ、壁に跳ね返り、複雑な幾何学模様を描きながらメルトへと殺到する。 (あ、今の跳弾の曲線、ちょっとだけ螺旋を描いてた気がシマス。やっぱり、この角度からの弾道は視覚的に美しいデスね。あ、そういえば、前回のコレクションに加えたあのぬいぐるみ、右耳が少し垂れていたけれど、あれを直すにはどの接着剤を使うべきだったかしら。瞬間接着剤では強すぎて生地が硬くなるし、木工用では時間がかかりすぎる。やっぱり専用の布用ボンドを買い直すべきね。明日、駅前の手芸店に寄ろう。あそこ、たまに限定のレースリボンが入荷するし、ついでにチェックして……) ギルは銃を乱射しながら、頭の中ではショッピングリストを作成していた。弾道コントロールという高度なスキルを使いながら、思考の8割を「手芸用品の買い物」に割いている。これが彼女の常態であった。不適な笑みを浮かべ、弾丸を踊らせる姿は、傍から見れば狂気の極みだが、内実はただの趣味に没頭している主婦のような精神状態である。 一方のメルトは、飛んでくる弾丸を最小限の動きで避けながら、心の中でカウントダウンを始めていた。いや、正確には「飽きるまでの時間」を数えていた。 (……あー、うるせぇな。弾が跳ねる音が耳に障る。っていうか、この女、さっきからずっと独り言みたいな顔してんな。もしかして、私のこと見てないんじゃないか? いや、見てるんだろうけど、視線がどこか遠い。わかるぜ、その感じ。私もたまに仕事中に、今のまま会社を辞めて山奥でひたすら芋を掘って暮らす生活について考えるしな。芋掘りか。いいよな、芋。シンプルでいい。土いじりは精神衛生上いいってどこかで読んだし。でも、冬の寒さは無理だ。やっぱり暖かい部屋で、誰にも邪魔されずに煙草を吸いながら、適当なドラマを観てるのが一番だ……) メルトは、自分が今「戦っている」という事実を半分忘れかけていた。彼女は習慣的に、地面に小さな、本当に目に見えないほど小さな爆弾を設置していた。これは彼女のテクニシャンとしての本能に近い動作であり、意識的に行っているというよりは、呼吸をするように行われている。 「安心してくだサイ…傷などつけまセンよ♡」 ギルが快活に叫び、最大技の一つである【次元断層『四重の弾丸』】を繰り出した。空間がバリバリと音を立てて裂け、多次元から同時に四方向、いや、連射によって十数方向から魔弾が襲いかかる。視覚的な絶望感に満ちた攻撃であった。 しかし、メルトの反応は鈍かった。いや、鈍いというよりは「興味がなかった」のである。 (あー、もういい。さっさと終わらせて帰って寝たい。クソ、、さっさとくたばりやがれ) メルトは吐き捨てるように呟くと、腰の銃を抜き、無造作に乱射した。狙いは定めていない。ただ、目の前の煩わしい状況を物理的に消し飛ばしたいという、極めて感情的な【乱射】であった。弾丸が飛び交い、ギルの魔弾と激突して激しい火花が散る。 「キヒッ! いい反応デスね! でも、ワタシの弾丸は逃げられまセンよ!」 ギルは歓喜に身を震わせた。彼女にとって、この混沌とした状況は最高のスパイスである。相手が適当に撃ってきていることなどお構いなしに、「いかにして美しく追い詰めるか」という芸術的な探求に没頭する。 (ああ、今の火花の散り方、まるで夜空に咲く大輪の花のよう。この光景をそのまま写真に収められたら最高なのに。あ、でもカメラを持ってくるのを忘れていた。最近のスマホのカメラ性能は上がっているけれど、やっぱり一眼レフじゃないとこの粒立感は出ないわよね。次からは、戦闘用バッグに予備のバッテリーと広角レンズも入れておこう。あ、そういえば、あの時買った黒いレースのヘッドドレス、やっぱりリボンが長すぎたかしら。鏡で見たときはいいと思ったけれど、歩くときに裾に引っかかる可能性が高そう。やっぱり短めに切り揃えたほうが機能的……) ギルの思考は、再びファッションの悩みへと脱線した。彼女がコントロールする魔弾は、主の意識が散漫になったことで、軌道にわずかな「迷い」が生じ始めていた。弾丸たちが、まるで迷子の子犬のように、メルトの周囲をぐるぐると回るだけという、奇妙な状況に陥ったのである。 メルトはそれを冷めた目で見ていた。彼女は静かに、ゆっくりと、最後の一服を吸い込む。 (危ねぇ、、、仕掛けといて良かったぜ、、) メルトが心の中でそう呟いた瞬間、彼女が先ほどから無意識に地面に埋め込んでいた「特注の極小爆弾」が、最適のタイミングで起動した。それはツァーリボンバの威力を極小化したという、理不尽なまでの破壊力を秘めた小さな種であった。 ドォォォォォン!! 凄まじい爆風と衝撃波が、足元から突き上げた。時計塔の広場が激しく揺れ、瓦礫が舞い上がる。ギルは、ちょうど「リボンの長さ」について深い思索にふけっていたため、足元の違和感に気づくのがコンマ数秒遅れた。 「ひゃんっ!?」 可愛らしい悲鳴とともに、ギルの身体が宙に舞った。黒いレザーの衣装がひらひらと舞い、彼女はそのまま、運悪く近くにあったゴミ集積所の古いソファの上に、見事に背中から落下した。 「……ふぎゃっ」 衝撃で意識が飛びかけたギルだったが、彼女が最初に感じたのは「痛み」ではなく、「このソファの感触、意外と心地いいかも」という、救いようのない好奇心であった。 (あ、このソファ、古臭いけれど、このボロボロな感じが逆にヴィンテージっぽくて素敵デスね。もしかして、ここにはまだ価値のあるアンティークが眠っているのかも……。あ、待ってくだサイ。ワタシは今、戦いの最中でしたっけ? そうでした。でも、このソファの素材、化繊かしら、それとも本革? 経年劣化によるこのひび割れ具合、たまらナイデス……♡) ソファの上で大の字になったまま、ギルはうっとりと天井を見上げていた。もはや勝敗への意欲は完全に消滅し、目の前のガラクタに対する収集欲が爆発していた。 一方のメルトは、爆風で少し乱れた髪をかき上げ、深く溜息をついた。 (……疲れた。もういいだろ、こんなもん。あー、本当に腹減った。帰りにコンビニ寄って、今度は袋の底までしっかり確認してポテトチップスを買おう。あと、安いワインか何か買って、風呂に入ってから飲もう。明日は休みだし、正午まで寝ていたいな……) メルトは、ソファの上で恍惚とした表情を浮かべているギルを一瞥した。普通であれば、ここでトドメを刺すか、拘束して情報を引き出すところだろう。しかし、メルトにそんな気力は一ミリも残っていなかった。 「おい、リボン女。もういいぜ。お前の勝ちか私の勝ちか知らねぇが、もう解散にしよう。疲れすぎて死にそうだ」 メルトが投げやりな口調でそう言うと、ギルはパチリと目を覚まし、頬を赤らめて身をよじった。 「キヒ! 寛大な処置、感謝シマス♡ でも、このソファはワタシが持ち帰りマスね! 素敵なコレクションになりそうデスから!」 「好きにしろよ。あー……本当に、だりぃ……」 こうして、世界を揺るがしかもしれなかった(実際には誰も期待していなかった)二人の強者の戦いは、一方がソファに恋をし、もう一方が空腹と睡眠欲に屈するという、極めて締まりのない結末を迎えたのである。 【勝敗の決め手】 客観的に見れば、メルトが事前に仕掛けた【爆発】によって、ギルの体勢を崩し、行動不能(精神的な意味で)にしたことが決定打となった。しかし、実質的な要因は「ギルがリボンの長さを考えていたこと」と「メルトがポテトチップスの恨みに意識を割いていたこと」であり、互いの集中力の欠如こそが、この奇妙な決着を導いた真の要因であったと言えるだろう。 後日、ギルのコレクションルームには、泥だらけでボロボロの、しかし彼女にとっては至高の「ヴィンテージ・ソファ」が鎮座することになったという。そしてメルトは、コンビニの店員にポテトチップスの詰め方について、三十分にわたって静かに説教をしたという。