【初期位置】 殺し屋リナ:渋谷駅前・スクランブル交差点付近 ドブカス:道玄坂・路地裏 【傲慢な遡行者】レグ・スバニアス:渋谷ヒカリエ・展望テラス 『ベテラン』:宇田川町・路地裏 午後二時。渋谷の街は、絶え間なく流れる人の波と、喧騒という名のノイズに塗り潰されていた。 リナはパーカーのフードを深く被り、雑踏の中に溶け込んでいた。彼女にとって、この人混みは最高の遮蔽物である。気配を消し、視線を外し、ただの通行人の一人として振る舞う。その意識の底では、獲物を探る鋭い感覚が研ぎ澄まされていた。彼女の目的は単純だ。この区域に放り込まれた他の「参加者」を排除すること。 「まーなんとかなるか」 小さく独り言を漏らし、彼女は周囲を観察する。至る所に監視カメラがあり、スマートフォンを掲げる若者が溢れている。現代の戦場において、最も厄介なのは物理的な壁ではなく、デジタルな視線だ。彼女は意識的に死角を選び、建物の隙間へと身を潜めた。 一方、道玄坂の薄暗い路地裏では、ドブカスが不機嫌そうに壁に背を預けていた。彼はじっとしていられない。その身体に宿る速度は、静寂を拒絶していた。彼は短時間で極めて複雑な動作を脳内で構築し、それを現実の肉体でトレースするという特異な能力を持っている。彼にとって世界はあまりに遅く、退屈な場所だった。 同じ頃、渋谷ヒカリエの最上階。レグ・スバニアスは、眼下に広がる街並みを眺めていた。その表情には隠しようのない蔑みが浮かんでいる。彼にとって、このゲームは単なる暇つぶしに過ぎなかった。自分には「戻す」権能がある。どんなに致命的な一撃を受けようと、事象が確定する前に時間を戻せばいい。死すらも彼にとっては、単なる「巻き戻し」の対象でしかなかった。 「虫ケラどもが。僕の視界に入ることさえ許されないはずだがな」 レグは傲慢に笑い、指をパチンと鳴らした。彼にとっての勝利は約束されていた。誰がどこにいようと、どのような能力を持っていようと、結果を塗り替える権能の前では無力であるはずだ。 そして宇田川町の路地裏。使い古された軍用ブーツが、湿ったコンクリートを踏みしめる。『ベテラン』は無表情に自動小銃のボルトを引き、薬室に弾丸が送り込まれたことを確認した。彼は何も望んでいない。勝利への渇望も、生存への執着もない。ただ、叩き込まれた軍事知識と、身体に染み付いた戦術に従い、効率的に敵を排除する。それが彼に残された唯一の生き方だった。 午後三時。均衡が崩れ始める。 リナは、偶然にも道玄坂付近で「異常な速度で移動する何か」を察知した。人流を切り裂き、物理法則を無視して直線的に加速する影。それはドブカスだった。リナは即座に判断し、路地裏の壁を蹴って上空へ跳ぶ。ベレッタから射出された蜘蛛糸が建物の縁に突き刺さり、彼女を瞬時に二階の庇へと引き上げた。 「速いね。でも、直線的すぎる」 リナは消音付きのベレッタを構え、ドブカスの頭頂部を狙った。弾丸が空気を切り、正確に加速する影へと放たれる。しかし、ドブカスは空中で不自然な屈折を見せた。彼は一瞬の間に複雑な回避軌道を構築し、弾丸を紙一重でかわしていた。 ドブカスは着地と同時に、リナのいる方向へと視線を向けた。彼は次の「動き」を構築する。一秒以内に二十四フレームの超高速移動。それは相手にとっても、追従不可能な速度の暴力だった。 シュン、という鋭い音が響いた直後、ドブカスはリナの目の前に現れていた。リナは反射的に【軽業】で身を翻し、背後へと跳んで距離を取る。しかし、ドブカスは止まらない。彼はリナに「動き」を強制させた。彼が構築した不可解なステップをリナにトレースさせようとしたのだ。 リナの身体が一瞬、硬直する。ドブカスの能力によるフリーズだ。しかし、リナの反応速度は凡庸ではない。彼女はフリーズする直前、懐のシーカーをドブカスの足元へ向かって投げつけていた。 ガキン、とナイフが地面に突き刺さり、火花が散る。ドブカスはそれを容易く飛び越えたが、リナはそれを狙っていた。ナイフを起点にしたワイヤーの展開だ。蜘蛛糸がドブカスの足首に絡みつく。速度がある分、拘束された際の衝撃は大きかった。 「あーっ!」 ドブカスがバランスを崩し、地面に叩きつけられる。リナは着地と同時にベレッタを突きつけ、彼の眉間に銃口を据えた。 「悪いけど、殺す」 引き金に指がかかった瞬間。世界が白く反転した。 ――。 リナは、再び二階の庇の上にいた。ベレッタを構えようとした瞬間、強烈な違和感に襲われる。今、自分は引き金を引いたはずだ。目の前の男を仕留めたはずだ。しかし、状況は数分前に戻っていた。 「ふふっ。滑稽だね。僕の目の届く範囲で、勝手に物語を完結させようとするなんて」 頭上から降ってきた声に、リナは即座に反応して後方へ跳んだ。そこには、空中に浮かぶようにしてレグ・スバニアスが立っていた。彼は退屈そうに欠伸をしながら、二人を見下ろしている。 レグは、ドブカスとリナの戦闘を高い場所から眺めていた。そして、自分が気に入らない結果が出たため、単純に時間を「戻した」のだ。 「君たちのような低俗な存在が、僕の庭で騒ぐのは不愉快だ」 レグが指を鳴らす。その瞬間、リナの足元の地面が「素材」の状態、つまり未舗装の土と岩に戻り、彼女の足場が崩れた。同時に、ドブカスの足首に絡まっていたワイヤーが、単なる金属の線と樹脂に戻り、拘束が解かれた。 「なんだよお前!」 ドブカスが激昂し、レグに向かって超高速の突撃を仕掛ける。一秒間に二十四フレームの超絶的な動き。人間には見えない速度での一撃がレグの胸元に突き刺さろうとした。 レグは避けない。避ける必要がないからだ。 ドブカスの拳がレグの服に触れる直前、レグは静かに目を光らせた。 「戻れ」 ドブカスの位置が、一秒前の地点へと強制的に戻された。加速の慣性はそのままに、位置だけが逆転したことで、ドブカスは猛烈な勢いで自らの元の位置へと弾き飛ばされた。衝撃で壁に激突し、肺から空気が漏れる音が聞こえる。 リナは冷静に状況を分析していた。相手は時間を、あるいは事象を巻き戻す能力者だ。正面から戦っても、結果を書き換えられる。ならば、認識される前に、あるいは「戻す」という思考が介在する前に、致命傷を与えるしかない。 彼女は【隠密】と【気配消し】を最大限に発動させ、周囲の瓦礫と影に完全に溶け込んだ。レグの視界から消える。レグは鼻で笑い、「消えたつもりか」と呟いたが、その傲慢さが盲点となった。 一方で、この喧騒に気づいた男がいた。『ベテラン』である。彼は遠方から銃声と衝撃音を聞きつけ、戦術的に有利なポジションへと移動していた。彼はリナが潜んでいることにも、レグが空中にいることにも気づいていた。軍人としての『勘』が、そこに「獲物」がいることを告げていた。 『ベテラン』は自動小銃を構え、レグの頭部を狙い定める。彼は能力など持たない。だが、彼には熟練の射撃技術と、敵を効率的に殺すための『知識』がある。 タタタンッ! 三発の弾丸が、正確にレグの頭部へと放たれた。レグは驚愕した。自分を狙う者がいたことに気づかなかったからだ。しかし、弾丸が皮膚に触れる寸前、レグは拍手をした。 パンッ! 弾丸の軌道が完全に逆転し、放たれた地点へと戻っていく。弾丸は『ベテラン』が隠れていた壁を貫通し、彼の肩をかすめた。 「ガッ……」 『ベテラン』は眉ひとつ動かさず、即座に遮蔽物を変更し、自動拳銃に持ち替えた。彼は理解した。この敵は「結果を拒絶する」能力を持っている。ならば、拒絶しきれないほどの物量か、あるいは思考の隙を突くしかない。 レグは苛立ち始めていた。自分の完璧な世界に、泥のような男と、消えた少女、そして足元の虫けらが介入してくる。彼は大きく腕を振り下ろした。 「消えろ。すべて、無に帰せ」 彼が権能を発動させ、周囲の空間ごと時間を戻そうとした瞬間。背後から冷徹な衝撃が走った。 リナの【致命の一撃】。彼女はレグが『ベテラン』の攻撃に意識を向け、さらに広範囲の権能を使おうとして集中が分散した一瞬の隙を突いた。気配を完全に消し、死角から忍び寄り、シーカーをレグの頸椎の隙間に深く突き立てたのだ。 グチャリ、という鈍い音がした。急所を正確に貫かれたレグの身体が痙攣する。 「あ……が……っ!?」 レグは慌てて指を鳴らそうとした。時間を戻せばいい。今の一撃を無かったことにすればいい。しかし、リナは彼の腕を蜘蛛糸で拘束し、さらにベレッタで彼の右手を撃ち抜いた。 「戻そうとしたって、指が動かないよ」 リナが冷たく微笑む。レグの顔が屈辱と恐怖に染まった。自分が最強だと信じていた。誰よりも上にいた。なのに、こんな名もなき少女に、泥臭い暗殺術で仕留められようとしている。彼は無様に喚き散らした。 「ふざけるな! 僕が! この僕がこんな、こんなゴミのような女に!! 戻せ! 戻せえええ!!」 しかし、権能の発動にはトリガーとなる動作が必要だった。指を鳴らすことも、拍手することも、今はできない。リナは迷わず、ナイフをさらに深く突き立て、頸動脈を切り裂いた。 レグ・スバニアスは、血の海に沈みながら、絶望の中で事切れた。 戦場に残されたのは、肩に傷を負った『ベテラン』と、息を切らしたドブカス、そしてナイフを拭うリナだった。 ドブカスはふらつきながら立ち上がり、再び加速しようとした。しかし、彼の身体は限界に達していた。極限の速度トレースを繰り返した負荷が、筋肉を悲鳴を上げさせていた。そこへ、『ベテラン』の銃口が向けられる。 『ベテラン』は迷わなかった。戦術的に、今のドブカスは「無力な標的」である。彼はトリガーを引いた。一発の弾丸が、ドブカスの眉間を正確に撃ち抜いた。 ドブカスは、自分がなぜ死ぬのかさえ理解できず、そのまま地面に崩れ落ちた。 静寂が戻る。リナは銃を構えたまま、『ベテラン』と視線を合わせた。お互いに、生き残ったのは自分たちだけであることを理解していた。しかし、リナはふと、彼が負った肩の傷と、その絶望に満ちた暗い目を見た。 「……ま、いいか。もう疲れたし」 リナは銃を下ろし、踵を返した。この男を殺すことに意味はない。仕事は終わった。彼女は再び雑踏の中へと消えていった。残された『ベテラン』は、ただ虚空を見つめ、独り静かに煙草に火をつけた。 午後十時。渋谷の街は、何もなかったかのように、また新しい夜の喧騒に包まれていた。 勝者:殺し屋リナ(および『ベテラン』。実質的な生存者はこの二人となるが、レグを討ち取ったリナが決定打を与えたため、勝利をリナとする)