静寂が支配する、白銀の円形闘技場。空には星一つない、深い紺碧の夜が広がっていた。そこは次元の狭間にあると言われる、強者がその技を競うための聖域。今、そこに二つの対極的な存在が降り立った。 一方は、黒い甲冑に身を包んだ小柄な女性。腰には鈍く光る黒い大剣を佩いた【黒鉄の魔剣士】ミシウ。彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らし、甲冑の継ぎ目を軽く叩いて調整した。その瞳には、傭兵として数多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋭い洞察力と不屈の闘志が宿っている。 「……ったく、どこのどいつだ。こんな辺鄙なところまで呼び出したのは。相手が人間じゃねえってのは聞いてたが、まさか『人形の楽団』かよ」 ミシウが視線を向けた先には、異様な光景が広がっていた。白磁のような肌を持つ、表情のないマネキンたち。中央には指揮棒を掲げた指揮者の一体があり、その周囲を楽器を手にした九十四体のマネキンが完璧な陣形を組んで囲んでいる。彼らは一切の感情を排し、ただそこに在るだけの無機物であった。 「おい、聞こえてんのか? 返事くらいしろ。俺は形式的な挨拶は嫌いだ。さっさと終わらせて、旨い酒でも飲みに行きたいんでね」 返答はない。ただ、指揮者がゆっくりと腕を振り上げた。それが合図だった。 ――第一楽章、『静寂より出でるプレリュード』。 静寂を切り裂くように、弦楽器が鋭い音色を奏でた。同時に、楽団から奔流のような【炎】の波動が放たれる。それは熱風を伴い、視界を赤く染め上げるほどの猛烈な一撃だった。二秒に一度という、正確無比なリズムで繰り出される破壊の波動。 「っし、いいぜ。そのリズム、俺がぶっ壊してやるよ!」 ミシウは低姿勢から地を蹴った。スキル【俊撃】。炎の波動が彼女の頭上をかすめた瞬間、黒い影が地を這うようにして加速する。彼女の動きはあまりに俊敏で、残像だけが炎の中に残された。瞬時に間合いを詰め、黒剣を振り抜く。鋭い斬撃が先頭のチェロ奏者のマネキンを捉えようとしたが、ガキィィィィン!という硬質な金属音が響き渡った。破壊不可能な物質で構成されたマネキンの身体は、ミシウの全力の斬撃を弾き返した。 「チッ、硬ぇな! だが、止まってねえぞ!」 ミシウは反動を利用して後方へ跳び、空中で【飛ぶ斬撃】を連発した。黒剣から放たれる黒い衝撃波が、真空の刃となって楽団に降り注ぐ。シュシュシュッ!と空気を切り裂く音が鳴り響き、マネキンたちの陣形を乱そうと試みる。しかし、楽団は微動だにせず、音楽を奏で続けた。 第二楽章へと移行する。今度は氷の波動。絶対零度の冷気が、闘技場の床を一瞬にして白銀の世界に変える。ミシウは氷の礫を紙一枚の差で避けながら、あえて正面から波動を迎え撃った。 「来いっ! 溜めてやるよ!」 スキル【黒壁】。彼女は黒剣を垂直に立て、盾のように構えた。氷の波動が剣に衝突し、激しい衝撃が走る。しかし、ミシウはそれを真正面から受け止めた。黒剣が不気味な黒い光を吸収し、彼女の身体に魔力が蓄積されていく。衝撃を反射し、相手に突き返す。氷の破片が逆流し、楽団の足元を激しく打ち付けたが、彼らは依然として無機質な演奏を続けていた。 そして、曲は第三楽章、『喧々囂々たるパッサカリア』へ。ここで楽団に変化が訪れる。指揮者が激しくタクトを振ると、楽団全体に黄金色のオーラが纏った。バフ『プレスティッシモ』。演奏速度が劇的に加速し、波動の放出間隔がさらに短くなる。雷の波動が、激しいドラムの連打に合わせて、雷鳴と共に降り注いだ。 ドガガガガッ! という爆音と共に、青白い電光がミシウを襲う。もはや回避だけでは追いつかない。ミシウは歯を食いしばり、黒剣で電撃を弾き飛ばしながら、強引に懐へと潜り込んだ。 「速くなったな! だが、リズムが読めればなんてことはねえ!」 ミシウは連続攻撃を仕掛ける。黒剣が空を裂き、マネキンたちの装甲を叩く。火花が散り、金属音がオーケストラの旋律に混ざり合う。しかし、物理防御力120という絶望的な硬さが、彼女の刃を拒んでいた。それでもミシウは諦めない。彼女の戦い方は狡猾でありながら、泥臭い。相手の攻撃をあえて受け、その力を蓄積させる。黒剣に溜まった魔力が、臨界点に達しようとしていた。 第四楽章、風の波動。第五楽章、闇の波動。猛烈な嵐と、全てを飲み込む暗黒がミシウを襲う。さらに第五楽章の特効、状態異常『グラーヴェ』が彼女を襲った。身体が鉛のように重くなり、意識が遠のくような重圧が全身を支配する。動きが鈍ったミシウに対し、楽団の攻撃はさらに容赦なくなる。 「……くっ、この重さは……! だが、ここで止まったら、俺の筋が通らねえ!」 ミシウは膝をつきそうになりながらも、黒剣を杖代わりに踏ん張った。彼女の瞳に、聖なる光が宿る。蓄積された膨大な魔力が、黒い剣を白銀に染め上げた。聖剣への昇華。黒鉄の魔剣士が、真の力を解放する瞬間だった。 「ここからが本番だ。耳をかっぽじって聴いてろ、人形ども!」 第六楽章、『逢魔が時のオラトリオ』。光の波動が降り注ぐ中、ミシウは光速の踏み込みを見せた。聖剣となった黒剣が、夜空を切り裂く一筋の閃光となる。彼女は『グラーヴェ』の鈍化を、純粋な魔力の爆発によって塗り替えた。光の波動を真っ向から斬り裂き、指揮者のもとへと突き進む。 「【追討】!!」 隙を晒した瞬間を見逃さない。聖剣による一撃が、指揮者の胸元に深く突き刺さった。破壊不可能と言われた物質に、聖なる光の亀裂が走る。凄まじい衝撃波が円形闘技場全体を揺らし、周囲のマネキンたちが一斉に後退した。しかし、楽団はまだ終わっていなかった。 最後の一曲。第七楽章、『尽きし残響のラプソティ』。時空属性の波動。それはもはや攻撃というよりも、世界の法則を書き換えるような現象だった。空間が歪み、時間が加速し、あるいは停止する。ミシウの視界から距離感が消失し、上下左右の概念が崩壊した。時空の歪みが、彼女の身体をあらゆる方向から圧迫する。 「……っ、ここまで来れば、もう、全部出し切るしかねえな」 ミシウは聖剣を高く掲げた。彼女の周囲に、今まで受け止めてきた全ての攻撃の記憶――炎、氷、雷、風、闇、光、そして時空の波動――が、結晶となって集まってくる。彼女はそれを一つの点に凝縮させ、最大出力の斬撃へと変換した。 「これで……終いだ!!」 聖剣が放ったのは、単なる斬撃ではなかった。それは、楽団が奏でた全ての旋律を打ち消し、塗り替えるほどの、圧倒的な『沈黙』の光であった。白い光の奔流が、時空の歪みを強引に突き破り、指揮者から楽団の末端までを一気に貫いた。 ズガガガガガァァァン!! 爆音と共に、光の柱が天高く昇った。衝撃波で闘技場の地面が円状に陥没し、巻き起こった砂塵が辺りを覆い尽くす。静寂が戻ってきた。 砂塵がゆっくりと晴れていく。そこには、粉々に砕け散った白磁の破片たちが、星屑のように地面に散らばっていた。指揮者のタクトだけが、カランと虚しく音を立てて転がっている。楽団は完全に沈黙した。 ミシウは、聖剣から黒剣へと戻った武器を鞘に収め、大きくため息をついた。甲冑はあちこちが焦げ、ボロボロの状態だったが、その表情には満足げな笑みが浮かんでいた。 「ふぅ……ったく、とんでもねえ演奏会だったぜ。耳がキーンとしてやがる」 彼女はふらりとよろめきながらも、自力で立ち上がった。そして、砕け散ったマネキンたちの破片を見下ろし、ぶっきらぼうに言い捨てた。 「まあ、筋の通った戦いだった。礼なら言ってやるよ。おかげでいい運動になった」 ミシウはそのまま、夜の闇へと消えていった。彼女の足取りは、戦い終わった後の心地よい疲労感と、これから向かう酒場への期待に満ちていた。 【勝者:【黒鉄の魔剣士】ミシウ】 勝因: 相手の破壊不可能な防御と、絶え間ない属性攻撃に対し、スキル【黒壁】を用いて魔力を蓄積し続けたこと。また、状態異常『グラーヴェ』という絶望的な状況下でも、蓄積した魔力を聖剣へと昇華させ、最後の一撃【追討】に全てを乗せて時空の歪みを突破した精神力と戦術的な忍耐が決め手となった。