【チームA】 場虎亜県の湿り気を帯びた路地裏。薄暗いコンクリートの壁に囲まれ、不快な静寂が支配するその空間に、フリーザは立っていた。完璧なまでの気品を纏い、周囲の卑俗な空気を拒絶するように、彼は静かに自身の爪を眺めていた。しかし、その視界の先に、あり得たはずの「もう一人の自分」が姿を現した。 そこにいたのは、現在のフリーザとは決定的に異なる立ち位置にいる自分であった。平行世界のフリーザは、冷酷な宇宙の帝王ではなく、ある意味で「幸福」の絶頂にいた。彼は、自らが支配する帝国の恐怖政治を捨て、銀河中のあらゆる種族から心底から慕われ、愛される「慈愛の聖王」となっていたのである。その姿は第1形態に近いが、纏うオーラは刺すような冷徹さではなく、すべてを包み込むような温和な光に満ちていた。服装も豪華な帝王の衣装ではなく、清廉な白を基調とした聖職者のような法衣を身に纏っている。 平行世界のフリーザは、目の前に立つ冷酷な表情の自分を見て、深く、そして心からの慈しみを持って微笑んだ。彼はゆっくりと手を差し出し、穏やかな声で語りかける。 「おやおや。ずいぶんと思い詰めた表情をされていますね。あなたの中にあるその激しい怒りと孤独……。ああ、分かりますとも。かつての私も、力こそがすべてだと信じ、誰よりも高く、誰よりも冷たい場所に立とうとしていました。ですが、見てください。愛と寛容こそが、真の支配、いえ、真の調和をもたらすのです。あなたも、その肩の力を抜いて、私と共に星々の平和を祈りませんか?」 平行世界のフリーザは、一切の攻撃性を持たず、ただ純粋に相手を救いたいという善意に満ちた行動をとる。彼は懐から小さな、宝石のように輝く果実を取り出し、「これを召し上がってください。心に静寂をもたらしてくれる特産品です」と、丁寧に差し出した。 現在のフリーザは、その光景に激しい嫌悪感と、得体の知れない困惑を覚えた。自分という存在が、他者への慈しみや愛などという、ゴミのような感情に支配されている。その姿は、彼にとって耐え難い屈辱であり、同時に「あり得たかもしれない」という可能性への生理的な拒絶であった。 (……何ですか、この不愉快極まりない光景は。私という至高の存在が、あのような救いようのないお人好しの顔を晒しているなど、正気とは思えません。笑わせないでください。愛? 寛容? そんなものは弱者が自分を正当化するために作り出した妄想に過ぎない。あのような姿に成り下がるくらいなら、私は永遠に孤独な頂点で君臨し、不快なものはすべて消し去る道を選びます。実に反吐が出ますね) 一方で、平行世界のフリーザは、目の前の自分から溢れ出す底なしの憎しみと、強固なプライド、そして凍てつくような冷徹さを敏感に感じ取っていた。彼は悲しげに目を伏せ、静かに溜息をつく。 (ああ、かわいそうな方だ。強さに執着し、誰にも心を開かず、ただ破壊することでしか己を証明できない。その瞳に映っているのは、絶望的なまでの孤独だけなのですね。私が歩んできた道とは正反対の、暗い奈落へ突き進もうとしている。彼が手にしている強大な力は、皮肉にも彼を誰よりも孤独な檻に閉じ込めている。もし、ほんの一瞬でも、誰かを信じる勇気を持てたなら……) 二人は互いに攻撃することができない不可視の壁に隔てられていた。フリーザは、平行世界の自分が差し出した果実を冷笑と共に無視し、背を向けて歩き出す。聖王としての自分が見せた微笑みは、彼にとって最大の侮辱であった。しかし、路地裏を去る際、彼はふと、あの温和なオーラが心地よかったことを認めざるを得なかった。それは彼が人生で一度も味わったことのない、精神的な安らぎに近い何かであった。 平行世界のフリーザは、去りゆく自分の背中を見送りながら、静かに手を合わせた。彼はその「もう一人の自分」が、いつの日かその強固な鎧を脱ぎ捨て、真の幸福に辿り着くことを心から願っていた。場虎亜県の路地裏に、一瞬だけ、相反する二つの「至高」が共存し、そして静かに消えていった。 【チームB】 場虎亜県の薄暗い路地裏。ゴミ溜めと湿った壁に囲まれたその場所で、アカソデは静かに佇んでいた。赤いフードを深く被り、周囲に溶け込むように気配を消している。彼女にとって、この静寂は日常であり、同時に退屈な空白でもある。しかし、ふとした拍子に、彼女の目の前に「もう一人の自分」が現れた。 そこには、現在の彼女とは全く異なる運命を辿った平行世界のアカソデが立っていた。その世界において、彼女は裏組織の掃除屋としてではなく、ある名門の「護衛官」という、公的に認められた高い地位にある人間となっていた。彼女は赤いフードを被っておらず、清潔感のある洗練された黒い軍服を完璧に着こなしている。表情は現在の彼女のように常に笑顔を張り付かせているわけではなく、厳格で、規律に忠実な、誇り高き武人の顔をしていた。 さらに決定的な違いは、その「心」であった。平行世界のアカソデは、命を奪うことでしか刺激を得られないという設計上の呪縛から解放されていた。彼女は、誰かを殺める快楽ではなく、誰かを守り抜くという使命感に、至上の充足感を見出していたのである。彼女の瞳には、冷徹な殺意ではなく、守るべき対象への深い忠誠心と、人間としての温かな理性が宿っていた。 平行世界のアカソデは、目の前に立つ赤いフードの少女をじっと見つめた。彼女は声帯を持たないという点は同じであったが、その意思伝達の方法が異なっていた。彼女は軍用的に最適化された高度な手話と、胸に付けられた小型の電子合成音声デバイスを用いて、静かに、しかし凛とした声で語りかけた。 「……貴女は、迷いの中にいる。私は、貴女がどのような地獄を歩んできたか、その眼差しだけで理解できる。殺戮という偽りの刺激に塗り潰された日々は、どれほど空虚だったか。だが、見てください。力は、奪うためではなく、守るためにある。私は今、この人生で初めて、自分の存在意義を確信しています。誰かの盾となり、誰かの明日を確保すること。それこそが、私たちが本来辿り着くべき、真の充足なのです」 平行世界のアカソデは、ゆっくりと歩み寄り、現在の赤フードのアカソデの頭に優しく手を置いた。それは、命令を待つ道具としての接触ではなく、対等な人間としての、慈しみ深い触れ合いであった。彼女は微笑んでいたが、それは現在の彼女が見せる「記号としての笑顔」ではなく、内面から溢れ出した本物の安らぎを伴う微笑みであった。 現在の赤フードのアカソデは、その手の温もりに、激しい混乱を覚えた。彼女にとっての世界は、「命令」と「殺害」と「快楽」だけで構成されていた。誰かを守るという概念など、彼女の設計思想には存在しない。しかし、目の前の自分が放つ、圧倒的な「正しさ」と「充足感」に、彼女は得体の知れない憧れと、胸を締め付けられるような切なさを感じた。 (……なに、これ。温かい。気持ち悪い。なのに、どうして。この私は、私じゃない。殺し屋じゃない。誰かを守って、笑ってる。そんなことが、本当に可能なの? 私は、誰かを殺さない限り、自分がここにいることを実感できない。でも、この人の目は、私を殺したいとは思っていない。むしろ、私を憐れんでいる。……悔しい。こんなにも心地よい感覚があるなんて、知らなかった。私は、ただの道具なのに。私は、ただの掃除屋なのに) 赤フードのアカソデは、反射的にピースサインを作った。それは彼女が唯一知っている、外界への擬態であり、コミュニケーションの手段であった。しかし、平行世界のアカソデは、そのピースサインの意味を深く理解していた。彼女は、悲しげに目を細め、もう一度優しく頭を撫でた。 (なんて残酷な設計をされたのでしょう。この私は、愛される方法も、守る喜びも教わらずに、ただ破壊の快楽だけを植え付けられた。彼女が浮かべているその笑顔は、絶望を隠すための仮面なのだと気づかずにはいられない。もし、私があの世界で彼女を救い出せていたなら。もし、彼女に『守る』という選択肢を与えられていたなら。今の彼女は、私の隣で、心からの安らぎに満ちて笑っていたはずなのに) 二人は互いに攻撃することができない絶対的な領域にいた。赤フードのアカソデは、平行世界の自分が纏う軍服の端を、ほんの一瞬だけ、指先で触れた。それは、彼女が人生で初めて、誰かに対して抱いた「親愛」に近い感情の表れであった。しかし、同時に、自分には決して手が届かない、遠い世界の物語であることも理解していた。 平行世界のアカソデは、静かに手を離し、敬礼を捧げた。それは、同じ魂を持つもう一人の自分への、最大限の敬意と、共感の証であった。赤フードのアカソデは、彼女の姿が消えていくまで、じっとその背中を見つめていた。路地裏の冷たい空気の中に、ほんの一時だけ、殺戮以外の価値があることを知った。彼女の心に、小さな、けれど消えない「欠落」という名の感情が芽生え始めていた。それは、彼女が人間へと近づいた、最初の一歩であったのかもしれない。