薄暗い次元の狭間、そこはあらゆる世界の境界が交差する「無色の競技場」であった。空には星もなく、ただ淡い光が漂うだけの静寂に包まれた空間。そこに、全く異なる背景を持つ三人の戦士が召喚された。 一人は、黄金色の毛並みが眩しいゴールデンレトリバーの獣人、バター。彼は自分の尻尾を追いかけてくるくると回っていたが、ふと気づいて足を止めた。 「わぁ! 新しいお友達だ! みんな、よろしくね!」 天真爛漫な笑顔で手を振る彼の手には、どこか場違いなパチンコが握られている。 もう一人は、紫の羽織をゆるりと纏った女性、清澄。彼女は長い黒髪のポニーテールを指先で弄りながら、眠たげな紺碧の瞳で周囲を見渡していた。 「ふふ、ここは不思議な場所ですねぇ。自分、なんだか心地よい風を感じます」 彼女の傍らには、ページ数が無限とされる巨大な陰陽書『天秘録』が静かに浮遊している。 そして最後の一人は、厚い防寒具に身を包んだ細身の青年、氷牙。彼は深く被ったフードの奥から、面倒そうに溜息をついた。 「寒い……。それに、話が長い……。早く終わらせて寝たい」 ジャッジの声が空間に響く。「これより三つ巴の戦いを行う。最後の一人になるまで、あるいは決着がつくまで戦え。また、この戦いの中で極限に至った者は『進化』を遂げる。それでは、開始せよ」 「ええーっ! お友達と喧嘩しなきゃいけないの!?」 バターがパニックになりながらパチンコを構えた瞬間、氷牙が静かに足を踏み出した。 「氷地」 氷牙が呟いた瞬間、足元の無色の地面が瞬時に白銀の氷原へと変貌した。摩擦係数が極限まで低下した氷の上で、バターは派手に転倒する。 「わわわっ! つるつるだー!」 「こんな事もできないんだ……」 氷牙は冷徹に言い放ち、右手をかざした。 「氷空」 上空から巨大な氷の槍が雨のように降り注ぐ。バターは慌てて飛び起き、パチンコで氷柱を弾こうとしたが、あまりの質量に弾き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。 その光景を、清澄は穏やかな表情で眺めていた。 「あらあら、激しいですね。では、自分も少しだけお付き合いしましょうか」 彼女が『天秘録』のページをパラリと捲る。そこには古代の霊的な理が刻まれていた。 【陰陽術:五行調和・木行召喚】 引用:『陰陽道原典・万物生長篇』より、「木は東を司り、生を司る。地の霊気を集め、天の瑞気を呼び込みて、大樹を顕現せしむ」 清澄が印を結ぶと、氷の地面を突き破って巨大な霊木の根が激しく突き出した。氷牙はそれをスケートのような滑らかな動きで回避したが、根は生き物のように彼を追い詰める。 「面倒くさいな」 氷牙は「氷武」を発動し、氷の盾と槍を瞬時に生成。突き出してきた根を鋭い槍で切り裂き、盾で弾き返した。 一方、バターはといえば、氷柱にぶつかって飛ばされた先で、偶然にも清澄の召喚した霊木の枝に引っかかっていた。 「うわぁ! 木のお友達だ! 助けてくれてありがとう!」 バターは純粋に感謝し、パチンコで空に向けて弾を放った。それは攻撃ではなく、単なる喜びの表現だったが、その弾は運悪く氷牙のフードに命中する。 「……チッ」 氷牙の目が冷たく光った。 「氷霧」 辺りにきめ細かい氷の霧が立ち込める。それは単なる霧ではない。吸い込めば肺の中で凍りつき、呼吸を困難にする残酷な術だ。バターは「げほっ、げほっ!」と激しくむせ返り、清澄もまた、袖で口元を覆いながら眉をひそめた。 「これは少し、お行儀が悪いですね」 清澄は再び本を捲る。 【陰陽術:浄化の風・祓い】 引用:『古事記・霊祓章』より、「穢れを払い、風を呼びて、天地の濁気を一掃せよ。清浄なる風は万物を洗い、邪を退ける」 強烈な清浄の風が巻き起こり、氷霧を一瞬で消し去った。同時に、その風は氷牙を強く押し戻す。しかし、氷牙はそれを「氷爆」で相殺した。背後で氷を爆発させ、その反動を利用して弾丸のような速度で清澄へ肉薄する。 「遅い」 氷の槍が清澄の胸元を貫こうとした瞬間、彼女は最小限の動きでそれを回避した。基礎体術を極めた彼女にとって、直線的な突撃は読みやすすぎた。彼女は氷牙の手首を捉え、柔術のような滑らかな動きで彼を地面に叩きつける。 「ふふ、少しは本気を出してくださいな」 戦いは激化していく。氷牙は「氷陽」を使い、倒されても周囲の氷から次々と分身のような本体を再生させ、物量で攻める。清澄は十二神将を次々と召喚し、氷の軍勢を迎え撃った。青い氷の嵐と、黄金に輝く霊的な神々がぶつかり合い、競技場は混沌とした戦場と化した。 その中心で、バターは相変わらずパチンコで戦っていた。 「みんな、仲良くしてよー!」 しかし、現実は残酷だった。氷牙の氷柱がバターの足を貫き、清澄の召喚した神将の衝撃波が彼を吹き飛ばす。バターは何度も、何度も、地面に叩きつけられた。 だが、バターには特異な能力があった。 「えへへ、大丈夫! 痛いけど、みんなと遊べて楽しいよ!」 彼は笑っていた。心の中にある99枚のイエローカード。彼は相手の攻撃を「悪行」としてカウントし、それを笑って許していた。1回、2回……。氷牙の冷酷な攻撃に50枚。清澄の無自覚な巻き添えに30枚。そして、自分の尻尾に躓いて転んだことで自分自身に10枚。 合計90枚。限界が近づいていた。 氷牙は苛立っていた。どれだけ攻撃しても、あの犬の獣人は笑って起き上がってくる。それが彼にとって最大のストレスだった。 「しつこい……消えろ」 氷牙は最大出力の「氷爆」をバターの足元で爆発させた。同時に、上空から数百本の氷柱を一点に集中して降らせる。爆風と氷の衝撃がバターを完全に飲み込み、彼を肉塊に変えるほどの威力だった。 同時に、清澄もまた、戦いの完結を求めて大術を展開していた。 【陰陽術:天之御中主・万象崩壊】 引用:『古事記・神代巻』より、「天の頂より万物を統べる神の力を借り、地に在る全ての理を一度にリセットせよ。崩れ去るは形あるもの全てなり」 巨大な光の柱が降り注ぎ、氷牙の氷原と、バターのいた場所を同時に飲み込んだ。凄まじい閃光が走り、静寂が訪れる。 氷牙は息を切らし、膝をついた。清澄は静かに本を閉じ、髪を弄った。 「これで、終わったでしょうか」 しかし、光が消えた後、そこには「何か」が立っていた。 それは、もはや先ほどまでの純粋な犬ではなかった。 黄金色の毛並みは、どす黒い漆黒へと変色し、瞳からは紅い光が漏れている。身に纏っていたパチンコは消え、その手には鈍く光る銀色のリボルバーが握られていた。周囲の空気は絶対零度を通り越し、概念的な「凍結」が始まっている。世界から色が消え、モノクロームの世界へと塗り替えられていく。 バターの心の中のイエローカードが、100枚目に達した。 「…………黙れ」 その一言だけで、競技場の空間がピキピキと音を立ててひび割れた。氷牙は戦慄した。自分の氷の能力とは根本的に違う、「世界の拒絶」とも呼べる圧力。清澄の紺碧の瞳に、初めて明確な「恐怖」の色が浮かんだ。 「あ……ああ……」 バターはゆっくりとリボルバーを構えた。もはや彼に優しさはなかった。あるのは、世界に対する底なしの怒りと、全てを無に帰そうとする衝動のみ。 「いいから表に出ろ」 ドォォォン!! リボルバーから放たれたのは弾丸ではなく、「因果の抹消」だった。一撃が氷牙の胸を貫く。氷牙は「氷陽」で復活しようとしたが、再生するための「氷」という概念そのものが、バターの弾丸によって消去されていた。氷牙は絶叫することもなく、粒子となって消滅した。 「嘘……。私の術を、上書きしたというのですか?」 清澄は慌てて『天秘録』を開こうとした。しかし、本を捲ろうとした指が動かない。空間そのものが凍りついている。第四の壁を超えたバターにとって、この世界のルールなど、ただの紙屑に過ぎなかった。 「友達大好き……だったんだけどね」 バターの声は、地獄の底から響くような低音に変わっていた。彼は冷酷な笑みを浮かべ、リボルバーの銃口を清澄に向けた。 「トリッカルをサービス終了させてあげる」 その言葉は、この世界の「設定」に対する直接的な攻撃だった。清澄は、自分が依拠していた陰陽道の理、天秘録の知識、そして自分という存在の定義が、急速に書き換えられていくのを感じた。 「待って、話し合いを……!」 ガチッ。撃鉄が落ちる音が、世界の終焉を告げた。 バン!! 閃光が走り、清澄の身体は光の粒子となって霧散した。彼女が持っていた『天秘録』も、その無限の頁と共に、真っ白な空白へと戻っていった。 競技場には、ただ一人、黒い獣人だけが残された。 しかし、戦いが終わり、怒りの頂点が過ぎ去った瞬間、彼の姿に変化が起きた。黒い毛並みが、さらに高次な「白銀」へと進化し、背中には光の翼が展開された。リボルバーは黄金の杖へと姿を変え、瞳には慈愛と破壊の両方を併せ持つ、神のごとき眼差しが宿っていた。 【進化:ジェネシス・バター】 外見:純白に輝く神聖な毛並みの獣神。背中には六枚の黄金の翼。黄金の杖を携え、頭上には世界樹の若芽が王冠のように浮かんでいる。 能力:【世界再構築】。一度破壊した世界を、自分の望む理想の形で再創造する。また、相手の能力を完全に無効化し、自身の所有物として管理する権能を持つ。 ジェネシス・バターは、静まり返った無色の空間を見渡した。 「……あーあ。やりすぎちゃった」 彼は黄金の杖を軽く一振りした。すると、消滅した氷牙と清澄が、何事もなかったかのように目の前に再構築された。彼らの記憶には、恐ろしい敗北の感覚だけが刻まれており、二人はバターの姿を見た瞬間、同時に腰を抜かして後ずさりした。 「ひっ……!」 「……化け物」 バターは、元のおバカで優しい笑顔に戻り、尻尾を激しく振った。 「えへへ! また遊ぼうね、お友達!」 その笑顔が、今の二人には世界で一番恐ろしいものに見えた。だが、彼らにはもう抗う術はなかった。この世界の主(オーナー)は、今、目の前にいる黄金の犬なのだから。 ジャッジの声が再び響く。 「勝者、バター。決まり手:世界サービス終了および再構築」 こうして、最弱に見えた純粋な獣人が、極限の怒りと絶望を経て、世界の理を統べる神へと登り詰めたのであった。