深い山々に囲まれ、紅葉が燃えるように色づく東洋の秘境。そこに、古色蒼然とした佇まいの老舗旅館「栄愛之湯(えあいのゆ)」がひっそりと佇んでいた。 そこへ、疲れ果てた男女四人が辿り着く。チームAのジョエルとサミュエル、チームBのクロエとリナだ。彼らは同じブラック企業で、文字通り「24時間年中無休」という地獄を5年も生き抜いてきた戦友であり、同時に、人生で初めて勝ち取った有給休暇を謳歌しに来た休暇組であった。 「……死ぬ。マジでここで死んで眠りたい」 ジョエルはインディゴブルーのボサボサ髪を掻きむしり、気怠げに呟く。目は完全に据わっており、歩く死体のような様相だ。しかし、その腰には仕事の習慣でリボルバーがしっかりと帯びられていた。 「まあまあ、ジョエル! 見てよこの景色! 空気がうまい! 最高じゃん!」 対照的に、黄色いアロハシャツをなびかせて跳ね回るのがサミュエルだ。ヘラヘラとした笑みを絶やさないが、その足取りは軽く、周囲への気遣いも忘れない。「リナちゃんもクロエも、いい顔してるねぇ」 「当然よ! この日のために私は合間を縫ってスクワット1000回を欠かさなかったんだから!」 クロエが地鳴りのような大声で宣言し、リナが耳を塞いで顔をしかめる。 「ちょっと、声デカすぎ! 旅館の人がびっくりするでしょ! ……っていうか、あたしのこと子供扱いして案内しようとした駅員に、思いっきり蹴り飛ばしてやりたいわ」 リナは不機嫌そうにツインテールを揺らしていたが、その瞳には久々の休日への期待が滲んでいた。 旅館に足を踏み入れると、そこには腰の曲がった、しかし眼光だけは鋭い経営主の婆さんが待っていた。 「……あらあら、ずいぶんと疲れ切った顔した若者たちだねぇ。予約のあった四人さんかい」 「あ、はい。お願いします……」 ジョエルが消え入りそうな声で返事をし、チェックインを済ませる。その後、一行は男女別々の大部屋へと案内された。 男部屋では、ジョエルが畳に倒れ込み、文字通り「泥のように」眠ろうとしていた。サミュエルが笑いながら彼を揺する。 「おいおい、今寝たらもったいないよ。ほら、地元の酒とかあるかもよ?」 「……酒とかいいから、静寂をくれ。5年ぶりに、誰にも呼び出されない世界に来たんだからな……」 一方、女部屋ではクロエが畳の上で腕立て伏せを始めていた。 「いい環境ね! ここなら集中して追い込めるわ!」 「あんたねぇ! せっかくの温泉旅行なんだから、少しはリラックスしなさいよ!」 リナが怒鳴るが、クロエは「リラックスこそが最高のトレーニングよ!」と豪快に笑い、リナは呆れて溜息をついた。しかし、その後二人は最近の仕事の愚痴や、趣味の話で盛り上がり、久々に心地よい時間を過ごした。 そして、事件は夕食後に起きた。 「あぁ……生き返る……」 ジョエルとサミュエルは、貸切露天風呂の湯に身を委ねていた。目の前には燃えるような紅葉が広がり、心身ともに脱力しきっている。一方、竹垣で仕切られた隣の女風呂でも、クロエとリナが同様に湯浴みを満喫していた。 だが、その静寂は、唐突に、そして暴力的に破られた。 「ドナドシナド!!!」 正体不明の叫びと共に、男風呂の壁を突き破って、一人の男が乱入してきた。赤いアフロに白い顔、赤い鼻。およそ温泉旅館に似つかわしくない姿のピエロ——ドナルド・マクドナルドである。 「なんだあぁ!?」 サミュエルが驚愕して飛び起きた瞬間、ドナルドが激しく腕を振り回した。その際、彼の周囲に不可解な「字幕」が浮かび上がる。 【無差別に略奪する】 「うおっ!?」 ドナルドの凄まじい突撃が、男風呂と女風呂を隔てていた竹垣を直撃した。ガシャァァァン! という凄まじい音と共に、プライバシーを守っていたはずの竹垣が完全に崩壊し、男風呂と女風呂が完全な一体化を遂げた。 「きゃああああ!?」 「なっ!!?」 リナとクロエの悲鳴と、男二人の絶叫が同時に響き渡る。もはや隠れる場所などない。全裸に近い状態での、男女合同露天風呂という混沌が誕生した。 「この野郎! せっかくの休日をぶち壊しやがったな!!」 クロエが怒りで顔を真っ赤にし(湯のせいだけではない)、全裸に近い状態で立ち上がる。その筋肉質な肢体は、怒りで激しく脈打っていた。 「やべぇ! 戦うしかない! ジョエル、起きろ!」 サミュエルが叫び、ジョエルは気怠げに、しかし正確な動作で、脱衣所に置いていたリボルバーを(全裸で)掴み取った。 「……俺の睡眠時間を、邪魔したな……」 ジョエルの目が、かつてないほど冷酷に光った。 戦闘開始である。しかし、そこは露天風呂だった。 「死ねぇ!」 クロエがドナルドに向かって怪力の一撃を繰り出す。しかし、足元の濡れたタイルに足を滑らせ、「あぎゃっ!」と派手な音を立てて転倒。その勢いで隣にいたリナに激突し、二人まとめて湯船にドボンと水没した。 「ぶふぉっ!! クロエ! 重い! どいてよ!!」 もがくリナを、ドナルドが不気味な笑みで追い詰める。彼の上に再び字幕が出現した。 【ドナルドはうれしくなると強い】 「あははは! ドナドシナド!」 ドナルドの不可解な攻撃が飛んでくる。それを阻止しようとサミュエルが飛び込んだが、彼もまた濡れた床で盛大に滑った。「おっとっと!」とバランスを崩したサミュエルは、運悪く(あるいは運良く)、ちょうど湯船から這い上がろうとしていたリナの背中にダイブする形となった。 「ひゃうんっ!?」 リナが短い悲鳴を上げ、二人はもつれ合いながら再び湯の中に沈む。物理的な衝突と、意図しない接触。まさにラッキースケベの嵐である。 一方、ジョエルは冷静にリボルバーを構えていた。だが、彼もまた足元がおぼつかない。 「……っ、滑るな……!」 引き金を引いた瞬間、背後から飛んできたドナルドの蹴りに弾かれ、ジョエルはそのまま前方へ転倒。運悪く、ちょうど目の前にいたクロエの上に重なるようにして落下した。 「ちょっと!! ジョエル!! どこ触ってるのよ!!」 「……あ、わりぃ。わざとじゃない」 もはや戦場か、あるいは乱交パーティーか分からない状況だった。しかし、ブラック企業の地獄を生き抜いた彼らの実力は本物だった。混乱の中、サミュエルがヘラヘラしながらも的確にドナルドの足元を掬い、体勢を崩させたところに、クロエの怒りの一撃(今度は確実に)がドナルドの腹部に突き刺さった。 「ガハッ!!」 さらにジョエルが至近距離から、エネルギー弾をドナルドの足元に撃ち込む。爆風と共に、ドナルドは激しく吹き飛ばされ、旅館の壁に突き刺さった。 【終わりは私にくれた】 最後の一文を虚しく浮かべ、ドナルドは白目を剥いて気絶した。 静寂が訪れた。 そこには、全裸で、お互いの肌が触れ合った状態で、呆然と立ち尽くす四人の姿があった。紅葉の美しさと、現場の惨状のコントラストが激しすぎる。 「………………」 誰も口を開かなかった。なんとも言えない、気まずい、そしてどこか不思議な一体感が漂っていた。 「……直そうぜ、これ」 ジョエルがぽつりと呟いた。それが合図となり、四人は(急いで服を着た後)、共同で竹垣の修復に取り掛かった。結束力だけは、仕事の時よりも高まっていたのかもしれない。 修復後、彼らはずらりと並んで、婆さんの前に深く頭を下げた。 「本当に申し訳ございませんでした!!」 婆さんは、壊れた壁と、なんとか形だけ直した竹垣を交互に見ながら、深い溜息をついた。 「……まあいいよ。あんたたちの顔を見てりゃ、相当ひどい目に遭ってきたんだろうしねぇ。今夜はもう寝な。明日は早くだよ」 それぞれの部屋に戻った後。布団の中で、四人はそれぞれに考え込んでいた。 ジョエルは、天井を見つめながら、「やっぱり有給は、静かな場所で取るべきだった」と深く後悔していた。 サミュエルは、「まあ、思い出にはなったしいいか」と、いつものように楽観的に考えていたが、リナに押し潰された時の感触が忘れられず、少しだけ頬を赤らめていた。 クロエは、「次はもっと足腰を鍛えなきゃ、濡れた床で滑る」という、ズレた反省をしていた。 リナは、「あいつら、最低……」と毒づきながらも、不思議と心地よい疲労感に包まれていた。 翌朝。 チェックアウトを済ませた四人は、旅館の門を出た。 「じゃあな。また仕事で……あぁ、仕事の話は禁止だったな」 ジョエルが欠伸をしながら言う。 「あはは、本当だね! 次の休みは、もっと安全なところに行こうよ」 サミュエルが笑い、リナが「絶対よ!」と同意する。 クロエは大きく伸びをし、真っ青な秋空を見上げた。 「ま、たまにはこういう刺激も悪くないわね!」 彼らはそれぞれの帰路に着く。心の中に抱えた、言葉にならない感情を抑え込みながら。日常という名のブラックな戦場へ戻る彼らの足取りは、来る前よりもほんの少しだけ、軽くなっていたのかもしれなかった。