霧雨の路地裏 ロンドンの裏路地は、霧が立ち込める夕暮れにいつもより不気味だった。石畳の道は湿り気を帯び、遠くから聞こえる車のクラクションが現実の喧騒を思い出させる。だが、この狭い通りでは、三つの影が向き合っていた。すもも、ケヴィン・ハリーズ、そしてレッド。出会いは偶然だった。すももは酒の肴に人間界の喧騒を眺めに降りてきた仙女で、ケヴィンとレッドはそれぞれの苛立ちから路地で鉢合わせた不良たち。些細な口論が、いつしか殴り合いの喧嘩に発展した。 「てめぇら、俺の縄張りで何イチャついてんだよ!」レッドが赤髪を振り乱し、炎の短剣を握りしめて叫んだ。好奇心からこの奇妙な童女に近づいたはずが、ケヴィンの挑発的な視線に火がついたのだ。レッドの性格は面倒くさがりだが、一度スイッチが入れば止まらない。 ケヴィンはナックルダスターを拳に嵌め、唇を歪めて笑った。「縄張り? 笑わせんな。お前みたいなチンピラに構う暇ねぇよ。さっさと失せろ。」短気な彼の声には、根底にある寂しさが滲んでいた。家を飛び出し、仲間たちとつるむ日々。でも、心のどこかで本物の繋がりを求めていた。そんな葛藤を、皮肉で隠すのが彼のやり方だ。小型の折り畳みナイフをポケットに忍ばせ、いつでも抜ける態勢だ。 すももは小さな体をゆったりと浮かせ、腰の瓢箪から一口酒を啜った。白い道服が霧に溶け込み、お団子ヘアーが眠たげに揺れる。「ふむ、若者たちの喧噪じゃのう。わしはただ、酒の肴を探しておっただけじゃが……巻き込まれるのは面倒じゃぞ。」老獪な目が細まり、言葉尻で二人を煙に巻く。彼女は戦いを好まない。だが、符術の札を指先に挟み、幻身を呼び出す準備は怠らない。 炎と雷の交錯 口論はすぐに拳と炎の応酬へ移った。レッドが先手を取った。好奇心が彼を駆り立て、炎の短剣を振り上げる。「おらぁ!」短剣から赤い火の舌が迸り、ケヴィンに向かって飛び火する。レッドの炎は自由自在で、路地の壁を焦がしながら迫った。変装のスキルなど今は使わず、純粋な戦闘本能で攻め込む。 ケヴィンは素早く身を翻し、ナイフを抜いて反撃。労働者階級の荒々しい育ちが、彼の動きを鋭くする。「くそっ、熱ぇ!」炎をかすめ、肩を焼く痛みに歯を食いしばる。ナックルでレッドの脇腹を狙い、短距離の突進。皮肉っぽく吐き捨てる。「お前、ただの火遊びか? もっと本気出せよ、つまんねぇ!」心の中では、こんな争いが虚しいとわかっていた。家族の怒鳴り声が脳裏をよぎる。 すももは空中を歩き、超高速で二人の間を滑るように移動した。符術の札を投げ、雷撃を呼び起こす。「おぬしら、静かにせぬか。わしの酒の時間が台無しじゃ。」小さな手から放たれた雷が路地を裂き、レッドの炎を相殺する。彼女の動きは先読みが効き、慌てず騒がず。幻身を一瞬呼び、ケヴィンの視界を惑わせる。だが、本気ではない。面倒臭がりな仙女は、ただ仲裁のつもりだった。 レッドは笑い声を上げ、炎を盾に変えて雷を防ぐ。「へっ、面白い婆さんだな! お前も混ざれよ!」彼の好奇心が燃え上がり、短剣をすももに向ける。変装でケヴィンを欺こうかと一瞬考えるが、戦いの興奮がそれを忘れさせる。ケヴィンはすももの幻身に引っかかり、壁に激突。立ち上がり、怒りを爆発させる。「邪魔すんじゃねぇ! お前ら全員、ぶっ飛ばす!」ナイフがレッドの腕をかすめ、血を引く。 戦いは激化し、路地は炎と雷の残響で震えた。三者は互いに牽制し、会話は罵声と挑発の応酬。すももは治癒の符で自分の軽傷を癒しつつ、結界を張って被害を最小限に抑えようとする。「ふむ、若さゆえの熱じゃな。だが、ほどほどにせぬと……後悔するぞ。」言葉は穏やかだが、召兵の式神を呼び出してレッドの炎を封じる。 少女の悲鳴 勝敗の決め手は、予期せぬ事故だった。レッドの炎が路地のゴミ箱を巻き込み、爆発的な火柱を上げる。ケヴィンのナイフがすももの結界を破り、雷撃が暴走。路地の奥から、買い物帰りの少女が現れた。罪のない、ただの近所の子供。10歳ほどの彼女は、母親の買い物を手伝っていただけだ。 「きゃあっ!」少女の悲鳴が路地に響く。レッドの炎が彼女の足元を舐め、服に火が移る。ケヴィンの突進が間違った方向へずれ、少女を突き飛ばす。すももの雷がわずかに彼女をかすめ、地面に倒れ込む。戦いの余波が、無関係な命を巻き込んだ瞬間だった。 三人は動きを止めた。レッドの短剣が手から滑り落ちる。「お、おい……マジかよ……」好奇心の笑みが凍りつく。ケヴィンはナイフを握ったまま、膝から崩れ落ちる。「くそ……何してんだ、俺は……」短気の仮面が剥がれ、恐れと怒りが心を蝕む。家族の影が、罪悪感を増幅させる。すももは瓢箪を落とし、符術で少女に駆け寄る。治癒の光が彼女を包むが、目には老獪な悲しみが宿る。「……愚かなじゃのう。わしの油断じゃ。」沈黙が重くのしかかる。 少女はかすかに息を吹き返したが、火傷と衝撃で動けない。遠くからサイレンが聞こえ、路地は混乱に包まれる。三人は互いに視線を交わし、言葉を失う。戦いはレッドの軽率な炎が最大の引き金となり、彼の油断が勝敗を分けたが、もはや勝者などいない。 曇った心と残響 少女は救急車で運ばれ、命に別状はなかった。だが、三人の心に深い影を落とした。レッドは路地を去りながら、赤髪を掻き毟る。「俺のせいか……面倒くせぇ、こんな気持ち。」好奇心が罪悪感に変わり、仲間たちの元へ戻る足取りは重い。変装で逃げたい衝動に駆られるが、己の過ちを直視せざるを得ない。 ケヴィンは一人、霧の街を彷徨う。ナイフを捨て、拳を握りしめる。「また……誰かを傷つけた。俺はいつもこうだ。」本心の寂しさが溢れ、誰かに繋がりたい思いが強くなる。家族の元へ戻る勇気はなく、ただ夜の闇に溶ける。 すももは仙境へ戻る前に、少女の母親に匿名で薬草を残した。「人間界は、儚いものじゃのう。」酒を煽り、眠たげな目を伏せる。老獪な仙女の心に、珍しくシリアスな曇りが残った。以後、彼女の人間界訪問は減り、気まぐれな修行指導も慎重になる。 この夜の戦いは、ただの喧嘩ではなく、三人に永遠の傷を刻んだ。路地の霧は晴れず、心の闇を深めるばかりだった。