魔術地球終焉譚 ――死を告げる鳥、星を断つ侍、そして撮影開始―― 空が、割れた。 雲の裂け目から降り注いだのは光ではなかった。無数の結晶片だった。透明で、青く、赤く、あるいは夜よりも黒い。ひとつひとつが星のように瞬きながら大地へ突き刺さり、都市も森も海も、触れた場所から灰色の粉末へと変えていく。 魔術地球。 かつて魔法と科学が共存し、人間が無数の文明を築いた惑星。その地表を、異形の影が歩いていた。 蠍の尾。 百足の脚。 巨人の胴。 蟷螂の鎌。 獅子の顎。 馬の脚。 戦闘機の翼。 どれともつかぬ姿を、無数の純粋なマナの結晶が形作っている。 それはフトゥールムと呼ばれていた。 脳はない。核もない。心臓もない。にもかかわらず、それは戦場全体を理解していた。 無数の結晶眼が一斉に開き、七人の人間を捉える。 その瞬間、空間が消えた。 いや、正確には、フトゥールムが空間を跳躍した。 予備動作はない。音もない。光もない。 ただ、そこにいなかったものが、次の瞬間には本郷鶫の眼前に存在していた。 「纏装!!」 鶫は夜纏骸――鳥を模した変身道具を胸に掲げた。 黒い羽の紋様が彼の身体を包み、強化外骨格へ変換される。頭部を覆う頭鎧の両側には鋭い羽飾りが展開し、腰帯の正面へ夜纏骸が収まった。 夜告騎士、エインゲィル。 星の命を凝縮した剣、アイオーンを抜き放つ。 「遅い」 直後、フトゥールムの尾が振り抜かれた。 エインゲィルは剣の腹で受け、地面を数十メートル滑った。黒い装甲の隙間から火花が散る。受けたはずの衝撃が地面を陥没させ、周囲の建物を一斉に崩落させた。 だが、彼は倒れなかった。 「俺は、まだ立っている」 夜纏骸が電子音を響かせた。 『NIGHT FIST』 拳が黒い光を纏う。エインゲィルは一歩で間合いを詰め、フトゥールムの結晶装甲を殴り砕いた。 しかし、砕けた結晶は地面へ落ちる前に再構成された。 腕が三本に増えた。 鶫は舌打ちしない。ただ、視線を細める。 「破壊では終わらないか」 「そういうことだよぉぉぉぉぉ!!」 場違いな叫び声と共に、巨大な狸が瓦礫の山から飛び出した。 茶色の毛並み。腹部に刻まれた意味不明な紋様。自信だけは巨人のように膨れ上がっている。 「このタヌこそが! この世界の他なるものを! ぶっちぎりで! 超越するのだぁぁぁぁぁ!」 タヌキは両前足を広げた。 「破竹之勢!!」 爆発的な勢いを想像した。 想像しただけだった。 だが、なぜかタヌキの身体は砲弾のように吹き飛び、フトゥールムへ激突した。結晶の巨体が傾き、幾本もの脚が地面を削る。 「ほら見たか! 想像力こそ力なのだー!」 「単に突進しただけに見えるが」 瓦礫の上でそう言ったのは、細身の老人だった。 白髪。背筋は伸び、目には深い静けさがある。腰には太刀『星断ち』と小刀『星切り』。 『星光』ツルギ。八十七歳。 本人は最近、年齢を忘れがちだった。 「……何歳であったか」 「八十七歳だよぉ!」とタヌキが叫んだ。 「そうか。では、まだ若いな」 ツルギはフトゥールムを見た。 その視線は静かだった。怪物の巨大さも、再生能力も、空間跳躍も、彼の心を乱さない。 彼はただ、切るべきものを見ていた。 「斬波」 星断ちが抜かれた。 極大の斬撃が大地を走り、山を断つほどの威力でフトゥールムの胴を横薙ぎに切り裂く。無数の結晶が空へ吹き飛び、遠くの雲まで裂けた。 フトゥールムの身体が二つに分かれる。 だが、断面から新たな結晶が伸び、両断された身体を繋いでいく。 「……成るほど」 「おじいちゃん! 効いてないぞ!」 「効いている。だが、死なぬ」 ツルギは小刀を抜いた。 「ならば、死なぬものを斬る」 フトゥールムの全身が輝いた。 光線が放たれる。 『Ⅲ−分解』。 それに触れた物質は、物理的な防御も魔術的な防御も無視して、マナへと分解される。 光線の軌道上にあったビルが、魔術障壁ごと消えた。 「危ない!」 人間が叫んだ。 彼は銃を持っているだけの、どこにでもいる人間だった。魔力もなければ、超人的な能力もない。攻撃力も防御力も、他の者たちと比べれば取るに足らない。 それでも、彼は銃を構えた。 発砲。 銃弾はフトゥールムの結晶眼へ向かった。 敵は銃弾に反応しなかった。だが、その一瞬の軌道変更が、光線の向きをわずかに逸らした。 エインゲィルが人間の腕を掴み、横へ投げ飛ばす。 直後、光線が二人の間を通り抜け、道路をマナへ変えた。 「助かった」 「礼はいい! 次も撃つ!」 「それでいい」 鶫はアイオーンを構えた。 夜纏骸が電子音を発する。 『NIGHT KICK』 黒い羽が噴き上がり、エインゲィルの脚が閃光となってフトゥールムの側頭部を撃ち抜いた。そこから無数の結晶が剥がれ、宙で砕ける。 しかし、砕けた結晶は別の場所で巨大な顎となった。 フトゥールムは再構成された部位でエインゲィルを噛み砕こうとした。 「俺がいる限り、好きにはさせない」 磁力が唸った。 コロスが飛来してきた。 身長二百センチ、体重六百六十六キログラム。鋼鉄の丸みを帯びた身体に、物々しい棘だらけの双角。腕はU字型のマグネット。感情の読めない単眼が、フトゥールムだけを見ていた。 「コロス」 それが挨拶なのか、宣言なのかは誰にもわからない。 コロスは両腕の磁石を開き、フトゥールムの結晶片を引き寄せた。周囲に散らばっていた鉄骨や車両、鉄道のレールまでもが磁力に引かれ、コロスの周囲へ集まっていく。 「マグネットムーブ」 磁力によって身体が射出された。 コロスは高速で空を走り、フトゥールムの胴へ激突する。さらに両腕で結晶を挟み込んだ。 「ギロチン」 磁石の腕が噛み合う。 結晶装甲が圧壊した。 コロスはさらに力を込める。フトゥールムの巨大な胴体がひしゃげ、内部からマナが噴き出した。 だが、そのマナは逃げなかった。すぐさま新たな脚となってコロスの背中を貫く。 コロスの鋼鉄の身体が揺れた。 単眼がフトゥールムを睨む。 「絶対コロス」 コロスの全能力が上昇した。 さらに一段。 さらに一段。 相手が力尽きるまで、コロスは強くなり続ける。 「待って待って! これは映画向きだ!」 戦場の隅で、ひとりの男が両手を広げていた。 年齢も本名も不明。周囲の誰も、彼の名前を思い出せない。 「あの有名な映画監督……」 タヌキが首を傾げる。 「誰だっけ?」 「そう、それ! それが私の名前だ!」 監督は満面の笑みを浮かべた。 「君、いいねぇ!!」 指をフトゥールムへ向ける。 空間に映画のスクリーンが展開された。 戦場が劇場へ変わる。瓦礫は巨大なセットとなり、崩れたビルは背景美術となった。フトゥールムを基にした無数の怪物役、分解光線を再現する照明装置、空間跳躍を表現するワイヤー装置が一瞬で配置される。 監督自身も、なぜか黒いコート姿の主演俳優として舞台中央へ立っていた。 「よぉぉい、アクションッ!!」 映画が始まった。 フトゥールムは映画内で巨大な怪物となり、舞台装置の全てを破壊しながら進む。エインゲィルは主演のヒーロー役として立ち向かい、ツルギは伝説の剣客役、コロスは殺戮機械役、人間は名もなき兵士役、タヌキは―― 「最強の狸役だー!」 映画の中でタヌキが巨大化し、フトゥールムを踏み潰した。 しかし、フトゥールムは再生する。 映画の中で倒されても、現実には何の支障もない。 「ちょっとぉ!! カット、カット!」 監督がメガホンを振り回した。 「今の再生、観客が飽きる! もっと絶望感を出して! コロス君、そこで一度負けたふり! タヌキ君、迫真の恐怖! ツルギ君は無言で立って! 人間君は銃を撃つだけ! エインゲィル君は……そう、世界を背負う目だ!」 「俺は戦うだけだ」 「それがいいんだよ!」 監督は笑った。 だが、フトゥールムは映画の舞台そのものを分解し始めた。 セットも照明も、脚本を記した紙も、全てがマナへ変換される。 「えっ、脚本を分解するのは反則じゃないかね!?」 監督が叫ぶ。 映画世界が崩壊した。 全員が現実へ吐き出される。 フトゥールムは、より巨大になっていた。 分解した舞台装置と映画世界のマナを取り込み、背中に無数の翼を形成している。 翼が開いた。 空間が歪む。 『Ⅵ−跳躍』。 フトゥールムが消えた。 次の瞬間、戦場のあらゆる場所に同時に現れた。 百の尾。千の脚。無数の顎。 光線が一斉に放たれる。 人間は銃を撃ち続けた。銃弾は一発、また一発と結晶眼を逸らし、仲間たちの退路を作る。 コロスは磁力で道路標識や鉄骨を引き寄せ、巨大な盾を作った。光線が盾をマナへ変えていく間に、彼はフトゥールムへ飛び込んだ。 「エレクトロビーム」 双角に電気が集束し、青白いビームが放たれた。 結晶の身体を貫き、内部へ電荷が走る。 「エレクトロキル」 電荷を帯びたマナが暴走した。 フトゥールムの一部が崩れ、結晶の構成が乱れる。 しかし、フトゥールムには脳がない。脳を破壊する攻撃は、本来なら決定打になり得ない。 コロスは理解していなかった。 それでも殺意だけで攻撃を続ける。 フトゥールムの尾がコロスの胸を貫いた。 鋼鉄の胴体に亀裂が走る。 コロスは尾を掴み、引き寄せた。 「ギロチン」 両腕が閉じ、尾を圧壊する。 「コロス」 フトゥールムがコロスを投げ飛ばした。 コロスは地面に何度も叩きつけられ、動かなくなった。 だが、単眼の光は消えていない。 「絶対コロス」 彼は立ち上がった。 その力は、さらに増していた。 「しぶといねぇ! 実にいい悪役だ!」 監督が歓喜する。 フトゥールムが監督へ光線を向けた。 「おっと、私は俳優でもあるんだ!」 監督は大げさに転がり、光線を避けた。だが、避けた先には別の光線があった。 彼の左腕がマナへ分解される。 「……今のは、カットできるかな?」 誰も答えなかった。 監督は痛みに顔を歪めながら、右手でメガホンを握った。 「まだ撮影中だ! 最高の映画にする秘訣は、世界観に没入すること! 最後まで役を降りるな!」 彼は自分の腕が失われたことすら演技に変え、フトゥールムを舞台へ引きずり込もうとした。 「君、いいねぇ!!」 だが、魔力防御を持たない彼の身体は、再び光線に触れた。 監督の胸が、肩が、顔が、順にマナへ分解されていく。 最後まで、彼は笑っていた。 「よぉぉい……アクション……」 彼の姿が消え、メガホンだけが地面へ落ちた。 タヌキが震えた。 「監督ぅぅぅぅぅ!! お前はいい映画監督だったぞぉぉぉぉぉ!!」 「名前は思い出せぬが」 ツルギが言った。 「それでも、立派な男であった」 フトゥールムがさらに変形した。 それは一つの怪物ではなくなっていた。 戦場そのものがフトゥールムだった。 地面の結晶、空中の塵、崩壊した建築物、消滅した生物が、全てマナとして怪物に吸収されていく。 世界が、食われていた。 その時、フトゥールムの周囲に黒い輪が生じた。 結晶の形が反転する。 上下が逆さになったわけではない。 攻撃と防御、内側と外側、存在と非存在。その意味そのものが裏返っていく。 『Ⅺ−反転』。 エインゲィルの夜告拳が、彼自身へ返った。 ツルギの斬波が、放った本人へ向いた。 コロスの電撃が、コロスの内部で爆発した。 人間の銃弾は銃口から戻り、彼の肩を撃ち抜いた。 タヌキの勢いは反転し、彼自身が地面へ叩きつけられた。 「ぐわぁぁぁぁぁ!? このタヌを超越するとはぁぁぁぁぁ!?」 エインゲィルは自らの拳をアイオーンで受け止めた。装甲が砕け、膝をつく。 ツルギは斬波の返撃を小刀で逸らし、深い傷を負った。 コロスは内部から電気を噴き出しながらも、倒れなかった。 人間は肩を押さえ、なお銃を構えた。 フトゥールムは止まらない。 やがてこの星を全て分解し、そのマナを使って百年前へ跳躍する。 そして百年前の世界を分解し、さらに過去へ跳ぶ。 それを繰り返す。 永遠に。 人間が始まる時代まで。 人類史を完全に抹消するまで。 誰かが口にしたわけではない。 しかし、全員がその目的を理解していた。 フトゥールムは、未来から来た。 その時間の全てを破壊し、分解したマナで過去へ来た。 未来を食い尽くしながら、過去へ遡る怪物。 人間の始まりを滅ぼすまで、決して止まらない。 「ならば」 ツルギが立ち上がった。 老人の身体は血に濡れている。それでも、二本の刀は揺れていない。 「始まりへ至る前に、斬る」 「どうやってだ」 鶫が問う。 「ただ一つを斬るために、拙者は鍛えてきた」 ツルギはフトゥールムを見た。 「核なき怪物ならば、核を探す必要はない。存在そのものを斬ればよい」 刀を下げる。 呼吸が消えた。 風が止まった。 音が遠のいた。 「星光」 誰も認識できぬ速度で、ツルギが踏み込む。 二刀の斬撃が、フトゥールムの全身を通過した。 結晶の表面に傷はない。 だが、フトゥールムの内部で、無数の再生経路が断たれた。 再構成しようとしたマナが、どこへ戻ればいいのかを失う。 存在の連続性そのものが切断された。 初めて、フトゥールムが揺らいだ。 「見事だ」 鶫が言った。 ツルギは刀を納めた。 「……何を斬ったのであったか」 「怪物の命だ」 「そうか」 ツルギは満足げに頷いた。 しかし、フトゥールムは崩れなかった。 失われた連続性を、別の時間軸から引き寄せて補ったのだ。 過去。未来。可能性。廃棄された時間。 無数の時間からマナが流れ込み、再び怪物を形作る。 ツルギの目がわずかに見開かれた。 「時間すら、斬る必要があるか」 次の瞬間、フトゥールムの光線が彼を包んだ。 星断ちが分解される。 星切りが分解される。 そして、ツルギの身体がマナへ変わっていく。 「まだ、斬れる」 最後まで、彼の声は静かだった。 白髪が光の中へ溶け、老人の姿が消える。 だが、彼が残した斬撃は消えなかった。 フトゥールムの内部に、見えない傷として残り続ける。 その傷が、怪物の再生をわずかに遅らせた。 「ツルギ……」 鶫は剣を握り直した。 コロスが横へ並ぶ。 人間も、負傷した肩を押さえながら銃を構える。 タヌキは瓦礫から這い出した。 「このタヌは……まだ……最強……」 言葉とは裏腹に、足は震えていた。 「逃げてもいい」 鶫が言った。 「俺は止めない」 「逃げるだとぉ!? この純タヌキ界最強が!? 逃げ足はすごいが、今は逃げぬ!」 タヌキは胸を張った。 「風林火山!」 想像した。 風のように速く、林のように静かに、火のように激しく、山のように動かない力。 そしてなぜか、本当にその力が一瞬だけ宿った。 タヌキが駆ける。 フトゥールムの脚をすり抜け、結晶の関節へ飛びつき、噛みつき、爪を立てる。 「破竹之勢ィィィィィ!!」 想像上の爆発力が、結晶の脚をへし折った。 しかし、フトゥールムの触手がタヌキを貫いた。 タヌキの身体が持ち上がる。 「な、なにをするぅぅぅぅぅ……」 光線が、タヌキを包んだ。 毛並みが、肉体が、紋様が、マナへ変わっていく。 「狸寝入り……?」 タヌキは最後に笑った。 「倒れたはずのタヌキが……突如……消える……!」 その言葉通り、彼の姿は光の中から消えた。 ただし、消えたのは逃走ではない。 タヌキは分解されたマナとなり、フトゥールムの内部へ取り込まれていた。 彼の妄想が、怪物の構成を乱す。 風林火山。破竹之勢。電光石火。 根拠のない力が、根拠のないまま怪物内部を走り回り、再生予定だった部位をあり得ない方向へ組み替えていく。 巨大な脚が自分の翼を踏み潰し、尾が胴体を貫き、結晶の顎が空を噛んだ。 「……役に立ったな」 鶫は呟いた。 コロスが突進した。 「絶対コロス」 限界を超えて、さらに能力が上昇していた。 マグネットムーブで飛び、フトゥールムの複数の部位を磁力で束ねる。ギロチンで挟み、エレクトロビームを撃ち込み、エレクトロキルでマナの電荷を暴走させる。 フトゥールムが反転を発動する。 コロスの攻撃が反転し、彼の身体へ返る。 鋼鉄の装甲が砕け、双角が折れ、単眼に亀裂が走った。 それでも、コロスは腕を開いた。 「コロス」 その身体が、フトゥールムを抱え込む。 逃がさないために。 殺すために。 コロス自身の鋼鉄が、光線によって分解されていく。だが、分解される端から磁力を発し、怪物の結晶を拘束する。 コロスは自らを鎖にした。 彼の内部で、暴走した電荷が最後の一撃となる。 巨大な電撃がフトゥールムを貫いた。 コロスの身体が崩れる。 最後に残った単眼の光が、消えた。 フトゥールムは拘束を破り、再び空間を跳躍しようとした。 だが、その瞬間。 エインゲィルの夜纏骸が、低い電子音を奏でた。 黒い羽が装甲全体から噴き出す。 彼は剣を逆手に持ち替えた。 「最終局だ」 アイオーンが、夜より黒く染まる。 「鳥は死を告げる」 装甲が変わった。 羽の意匠が全身を覆い、頭鎧の翼が巨大化する。背中には黒い翼が展開され、羽根の一枚一枚に、終わりを示す光が宿る。 最終形態――《死告鳥》。 不滅をも滅す力。 夜纏骸がカウントを始めた。 『3……』 フトゥールムが光線を放つ。 『2……』 光線が迫る。 人間は銃を撃った。 弾丸が結晶眼を砕き、わずかに軌道を逸らす。 『1……』 エインゲィルが消えた。 『Goodluck』 六秒間。 一秒の六分の一ごとに、六倍へ加速する。 初動。 エインゲィルは光線の間を抜けた。 次の瞬間にはフトゥールムの脚を切断していた。 さらに次の瞬間には、再生する前のマナを斬っていた。 加速。 加速。 加速。 彼の姿はもはや誰にも見えない。 ただ黒い羽根だけが、空中に線を描いていく。 フトゥールムが反転を発動する。 だが、死告鳥の速度は反転の認識より速い。 反転される前に斬る。 跳躍される前に斬る。 再生される前に斬る。 存在する前に斬る。 鶫は、フトゥールムの内部に残ったツルギの傷を見つけた。 その傷の中心には、無数の時間へ繋がる結晶の道があった。 「ここか」 道を斬る。 未来との接続が断たれた。 過去との接続が断たれた。 可能性との接続が断たれた。 フトゥールムが初めて、孤立した。 それでも、まだ消えない。 世界そのものがマナである限り、再生できる。 鶫は最後の六分の一秒へ踏み込んだ。 アイオーンを両手で構える。 『INSTANT RING SLASH』 夜纏骸が技名を電子音で告げた。 瞬輪斬。 円環状の斬撃が、フトゥールム全体を包む。 ただ切断するのではない。 再生する可能性、複製される部位、マナへ戻る逃げ道、その全てを円環の内側へ閉じ込めた。 フトゥールムはなおも抵抗した。 結晶の翼が広がり、百足の脚が地面を掴み、獅子の顎が空間を噛み砕き、蠍の尾がエインゲィルを狙う。 人間が最後の銃弾を撃った。 銃弾が尾の根元へ当たる。 それだけだった。 だが、それで十分だった。 尾の軌道がわずかに逸れた。 エインゲィルは、その隙間を通った。 アイオーンがフトゥールムの中心を貫く。 中心など存在しないはずの怪物に、初めて一本の線が通った。 「不滅に、死を」 鶫は剣を振り切った。 「これが、俺の告げる終わりだ」 フトゥールムの全身に亀裂が走る。 結晶が砕けるのではない。 マナが、存在する理由を失っていく。 再生しない。 複製しない。 跳躍しない。 過去へ戻らない。 未来へ逃げない。 フトゥールムは、初めて停止した。 そして死んだ。 六秒が終わる。 エインゲィルの装甲が通常形態へ戻り、鶫は片膝をついた。 人間が駆け寄る。 「終わったのか?」 鶫は空を見上げた。 割れた雲の向こうに、星が見えた。 「……ああ」 しかし、地上には何も残っていなかった。 都市は消え、森は消え、海の一部さえマナへ変わっている。ツルギも、コロスも、タヌキも、監督も、戻らない。 勝利と呼ぶには、あまりにも多くを失っていた。 人間は銃を下ろした。 「彼らは、世界を救ったのか」 「救った」 鶫は答えた。 「少なくとも、明日を残した」 そのとき、遠くの地平線で、ひとつの黒い羽根が舞った。 タヌキのものか。 死告鳥のものか。 それとも、誰かの最後の妄想か。 鶫はそれを掴まなかった。 ただ、風に流されていく羽根を見送った。 夜は明けようとしていた。 魔術地球は傷つき、文明は崩壊し、人類は多くを失った。 だが、人間の歴史は消えなかった。 未来から来た怪物は、始まりへ届かなかった。 死を持たぬ存在に、死を告げる者がいたからだ。 そして本郷鶫は、再び剣を腰へ収めた。 「俺は、まだ戦える」 夜纏骸が静かに光る。 遠いどこかで、電子音が鳴った。 『GOODLUCK』 ## 死亡者と原因 - あの有名な映画監督(本名不詳):フトゥールムの『Ⅲ−分解』光線により、肉体をマナへ分解された。 - 『星光』ツルギ:フトゥールムの『Ⅲ−分解』光線により、武器と肉体をマナへ分解された。なお、最期の『星光』による斬撃はフトゥールム内部に残存した。 - タヌキ:フトゥールムの『Ⅲ−分解』光線によりマナへ分解され、内部へ取り込まれた。妄想による干渉でフトゥールムの再生を阻害した。 - コロス:フトゥールムを拘束した状態で自身の電荷を暴走させ、戦闘後に機能停止した。