参加者の詳細 近藤 香(こんどう・かおる)――理高校の風紀委員長。平和主義で、とても優しい。病弱な身体ながら、これまで数多くの異能力者を戦意喪失させてきた無敗の女生徒。持ち物は、相手を殺さずに制圧するための薔薇の不殺のレイピア。 彼女の異能力は、通常の事象や理の外にある力にさえ通じる。発動は事後でも可能で、過去と未来を繋ぐこともできる。固有スキルは【勝算と敗因】。戦闘開始前に勝算と相手の敗因を宣言すると、その内容は確定し、どのような正統性を持つ能力・権能・バグ・先攻・正体不明の力でも覆せない。相手の能力は発動しても決定打にはならず、最終的に宣言された勝算へ至る。 到達記録 各階層でボス魔物が出現。香は戦闘ごとに【勝算と敗因】を用いて勝利し、十の倍数の階層に現れたポータルから帰還する機会を得た。しかし、彼女は塔の先を確かめるため、帰還を選ばず上昇を続けた。 最終到達階層: 347階――ボス《虚冠の王》に勝利 地上からの高さ: 2,684.7㎞(地上から国際宇宙ステーションの高度を大きく越え、低軌道衛星の領域に達するほどの高さ) 347階のボスは、塔の通常の階層よりも明らかに強大だった。さらに、稀少なネームドモンスターとして現れた。 【名もなき終端を戴く】《虚無冠種》虚冠の王 以下は、最終到達階層である347階におけるボス戦の記録である。 第一章 空の向こうの階段 三百四十階のポータルは、青白い光をたたえていた。 香は、その前で長いあいだ立ち止まった。制服の襟には、これまでの戦いでついた埃が残っている。病弱な身体は、階段を上るたびに少しずつ重くなっていた。息を整える時間も、以前より必要になっている。 ポータルの向こうには地上がある。 温かい食事と、静かな教室と、風紀委員として注意すべき廊下の騒がしさ。彼女の知る日常が、あの光の向こうで待っている。 けれど、香は一度だけポータルを見つめ、それから塔の上へ続く階段に目を戻した。 「もう少しだけ、確かめてみるわ」 その言葉には、勝利への執着よりも、見届けたいという願いがあった。 三百四十一階。石の翼を持つ魔物。 三百四十二階。影を喰らう獣。 三百四十三階。雷鳴をまとった巨人。 階が上がるごとに、敵の力はわずかずつ増していく。だが、そのわずかな差は、積み重なると壁になる。魔物たちは香の疲労を見抜いたかのように、休ませまいと波状に襲いかかった。 それでも香は、レイピアを振るう前に、相手の力を確かめた。 相手の勝算を見定め、敗因を告げる。 宣言はいつも、静かだった。 そして戦いは、必ずその結末へ向かった。 三百四十六階を越えた夜、塔の窓から見える空は黒く、雲ひとつなかった。地上の灯りは、もう見えない。香の立つ場所は、地上から二千六百八十四・七キロメートル。空の色が、知っている青とは違う色に変わる高さだった。 階段は、まだ上に続いている。 その先から、音がした。 鐘の音に似ていた。けれど、鳴っているのは鐘ではない。塔そのものが、何かを告げているような響きだった。 香は胸元を押さえ、ゆっくり息を吸った。 「大丈夫。ここまで来られたもの」 その声は、自分を励ますためだけのものではなかった。 彼女は、まだ見ぬ相手に向けても言ったのだ。 第二章 名を持たぬ王 三百四十七階には、天井がなかった。 床は黒い鏡のように滑らかで、果てが見えない。壁も柱もない。ただ、階の端に立つ門だけが、塔の内部であることを示していた。 中央には、玉座があった。 そこに座るものは、人の形をしていた。長い外套のような闇をまとい、頭上には、空洞だらけの冠が浮かんでいる。その顔には目も鼻もなく、口のあるべき場所だけが、深い裂け目になっていた。 「【名もなき終端を戴く】《虚無冠種》虚冠の王」 名が、香の意識に直接刻まれた。 それは名を与えることで、相手を自らの領域へ引きずり込む魔物だった。名前を知った瞬間、香の過去がひとつずつ薄れていく。風紀委員長として呼ばれた日々。友人の声。教室の窓から差す午後の光。自分の名前すら、遠くなっていく。 王の冠が、音もなく回転した。 香の手からレイピアが消えた。 いや、消えたのではない。最初から持っていなかったことになったのだ。 「お前の武器は、存在しなかった」 声ではない声が響く。 香は、空になった右手を見下ろした。指先が冷たい。病弱な身体には、ここまでの疲労が重くのしかかっている。呼吸は浅く、膝はかすかに震えていた。 それでも、彼女は顔を上げた。 「武器がなくなっても、私は戦えるわ」 王の周囲に、無数の黒い線が走った。過去と未来、勝利と敗北、生と死。その境目をすべて切り離す刃だった。 それらが動き出す前に、香は一歩だけ前に出た。 そして、戦闘開始前の言葉を告げた。 「私は持っているわ、勝算。説明するわ、対戦相手の敗因」 第三章 勝算と敗因 黒い鏡面に、文字が浮かんだ。 香の声が、階の隅々まで届く。 「私の勝算は、あなたがどれだけ過去や未来を切り離しても、私があなたの敗因を見つけ、戦いを終わらせること」 王の冠が一瞬止まった。 「あなたの敗因は――勝利を確定させるために、相手の可能性をすべて奪おうとしたこと。可能性を奪い尽くしたあなたには、最後に残るひとつの結末を選ぶ余地がない。私がその結末を告げた時、あなたは自らの力でそこへ至る」 言葉が終わる。 その瞬間、宣言は確定した。 王は、香の言葉を否定しようとした。 まず、先攻を取った。香が宣言を始める以前の時点へ干渉し、戦闘そのものを始めさせない筋書きを作ろうとする。次に、香の能力の正体を未知のものとして塗り潰し、判定の外へ追いやろうとした。さらに、塔の規則を改変し、この階層に勝敗という概念は存在しないと書き換えた。 どの力も発動した。 しかし、どれも決定打にはならなかった。 王が過去を切り替えた先では、香はすでに敗因を告げていた。未来を消した先では、告げられた敗因が別の形で結末を導いた。勝敗をなくした領域でも、王の行動は結果として香の勝算へ繋がっていく。 それは、力比べではなかった。 すでに定められた帰結へ、無数の現実が押し流されていく戦いだった。 王の冠に、最初のひびが入った。 第四章 届かぬ攻撃 虚冠の王が立ち上がる。 その動作だけで、黒い床が波打った。床から伸びた影が、香の足首に絡みつく。影は重力を帯び、記憶を帯び、敗北の予感を帯びていた。 香の身体が傾く。 王の右腕が伸び、彼女の胸元を貫こうとした。 香は避けられなかった。 病弱な身体は、とっさの一歩に応じない。レイピアも、まだ彼女の手には戻っていない。腕が迫る。空気が押し潰され、胸に痛みが走った。 けれど、決定打にはならなかった。 王の爪は制服の布を裂いた。肌には届かず、香の身体を傷つける直前で、わずかに軌道を逸らした。その一瞬のずれは、王にとって理解できない誤差だった。 香は、息を詰めながらも王を見つめた。 「あなたは強いわ。だから、まだやめてくれないのね」 彼女の声に責める響きはなかった。 「でも、もう十分よ。あなたが誰かを傷つけ続ける理由にはならない」 王は、香の言葉を理解しなかった。理解する必要もなかった。王にあるのは、すべてを終わらせる力だけだった。 頭上の冠が、ひときわ強く光る。 香の過去が、再び揺らいだ。 幼いころ、病室の窓から見た雨。初めて風紀委員の腕章をつけた日。誰かが困っているとき、見過ごせなかった自分。そうした記憶が、王の力に引き剝がされそうになる。 だが香は、失われていく記憶の奥に、ひとつだけ残るものを見つけた。 何度倒れても、誰かを傷つけないために立ち上がろうとした気持ち。 それだけは、王にも奪えなかった。 香の空の手に、一本の赤い線が走る。 薔薇の蔓のような光が指先を回り、やがて細身のレイピアを形作った。武器が「最初から存在しなかった」という王の改変は、過去と未来を繋ぐ力によって、今この瞬間にひっくり返された。 香は、薔薇の不殺のレイピアを握り直した。 第五章 冠を折る一刺し 王の力が、階層全体へ広がった。 闇が地平線を失わせる。上下の区別も、時間の流れも、ここでは意味をなくしていく。王は自らの敗因を避けるため、可能性を片端から消していた。 しかし、香の宣言は揺らがなかった。 可能性を消すたびに、王は自らの行動を狭めていく。勝利以外を認めないために、選択肢を奪う。選択肢を奪うほど、最後に残る結末はひとつに絞られる。 その結末は、香が最初に告げた敗因そのものだった。 王の腕が、何度も香を襲う。 影の刃が過去から飛来する。時間を裂く波が、未来から押し寄せる。王は、存在しない角度から攻め、存在しない力を呼び出し、存在しない法則を成立させた。 攻撃はすべて発動した。 そして、すべて決定打にならなかった。 香は、相手を斬らないために磨いてきた技で、王の攻撃を受け流していく。レイピアの先が闇を切り、襲い来る力の流れをずらす。病弱な身体は限界を訴え、視界の端が暗くなる。それでも一歩ずつ、彼女は玉座へ近づいた。 「あなたの勝算は、ここにないわ」 香は静かに言った。 「あなたがどれだけ力を持っていても、私を倒すことはできない。あなたの敗因は、もう決まっている」 王の冠が砕け始める。 香は最後の距離を詰めた。 「ここで終わりにしましょう」 レイピアの切っ先が、王の胸元に触れる。 その一刺しに、殺意はなかった。 薔薇色の光が、黒い外套に広がった。光は傷口を作るのではなく、王の力を縛り、際限なく膨張していた支配をひとつずつ解いていく。王の冠が床に落ち、砕けた欠片は黒い鏡面に沈んだ。 虚冠の王は、ゆっくり膝をついた。 それから、玉座の上に立ち昇る闇が薄れていった。 敗北は確定していた。 けれど、王は消滅しなかった。香のレイピアが与えたのは、討滅ではなく戦闘不能。かすかな光の中で、王の身体は静かに崩れ、黒い床へ溶けていった。 第六章 帰還の光 戦いが終わると、階層の中央に宝箱が現れた。 ネームドモンスター討伐の報酬だった。 箱の中にあったのは、金貨の山ではない。淡い青色の結晶がひとつ、布に包まれていた。 《冠砕きの余光》――虚冠の王が失った冠の欠片から生まれた希少な護符。身につけた者が未来を断ち切る力に触れた際、過去に結ばれた大切な記憶のひとつを錨として、存在や因果の改変から守る。強力な時間・運命干渉への防御効果を持つが、失われたものを無条件に取り戻す力ではない。護符は一度の危機につき、守る記憶をひとつ選ぶ。 香はそれを手のひらに載せた。 結晶の中に、自分の姿が映る。疲れ切った顔。破れた制服。けれど、目はまだまっすぐだった。 三百四十七階にはポータルがなかった。 帰還できるのは十の倍数の階層だけだ。塔の規則は変わらない。ここからは、下の階へ戻る道を辿るほかない。 香は宝箱を閉じ、階段の手前で少し休んだ。病弱な身体は、もう次の戦いにすぐ臨める状態ではない。塔はこれからも上へ続き、進む者がいる限り、さらに階層を生み出していく。どれだけ登っても、最上部にたどり着いたと証明できる者はいない。 香もまた、塔の完全踏破者にはならない。 三百四十七階で彼女が得たのは、終わりではなかった。ひとつの戦いを終え、無事に地上へ帰るための機会だった。 「みんなに、心配をかけてしまったわね」 彼女は小さく笑った。 そして来た道を、ゆっくりと下り始めた。 参加者の感想 「塔は、どこまでも続いているのね。だからこそ、帰る場所があることを忘れないでいたいわ。虚冠の王も、本当は誰かに止めてほしかったのかもしれない。次に登る人には、無理をしすぎないで、十階ごとのポータルを大切に使ってほしいな」 最高到達階層: 347階――ボス《虚冠の王》に勝利 地上からの距離: 2,684.7㎞(参考:国際宇宙ステーションの高度は地上約400㎞。この階層はその約6.7倍の高さに相当) 特別報酬: 《冠砕きの余光》――未来改変や因果への干渉から大切な記憶をひとつ守る、ネームドモンスター由来の希少護符。 参加者の感想:「帰る場所があることを忘れないで。塔はまだ続いているけれど、無理をして登り続ける必要はないわ」