深い森の奥、霧に包まれた古風な洋館が静寂に佇んでいた。黒い石造りの壁に蔦が絡まり、尖塔が夜空を突き刺すその場所は、訪れる者に心地よい絶望と、抗いがたい誘惑を与える。この館の主、吸血嬢リリアンナは、豪華なシャンデリアが揺れる広間にて、優雅にティーカップを傾けていた。 「あら、今夜のお客様は……ずいぶんと、風変わりな方ですこと」 リリアンナが視線を向けた先にいたのは、およそこの不気味な館に似つかわしくない、どこか抜けた表情の青年であった。勇者という肩書きを持ちながら、その佇まいはあまりに無防備。ヨシヒコと名乗るその男は、周囲の不気味な装飾に怯えるどころか、目を輝かせて館の中を歩き回っていた。 「すごいですね! このシャンデリア、本物のクリスタルですか? それにこの絨毯、足触りが最高です! ここは高級ホテルか何かでしょうか!」 リリアンナは、思わずふふっと笑みを漏らした。数多の勇者が、恐怖に震えながら、あるいは正義感に燃えてこの門を叩いたが、ここまで純粋に「観光」として訪れた者はいない。彼女はゆっくりと椅子から立ち上がり、黒いゴシックドレスの裾を翻した。背中から生えた蝙蝠の翼が、夜の闇に溶け込むように広がる。 「ふふ、もてなしましょう。貴方を私の眷属として、永遠の眠りへと誘いますわ」 リリアンナの紅い瞳が怪しく光った瞬間、彼女の周囲に凝縮された紅い液体――血の魔力が渦巻いた。彼女が指先を軽く振ると、空中に数本の紅い槍が形成される。 「まずは挨拶代わりですわ。【ブラッディランス】!」 鋭い破裂音と共に、血の槍が超高速で射出された。空気を切り裂く「シュッ」という鋭い風切り音。それは一点を貫く必殺の攻撃であり、常人であれば回避不能な速度であった。しかし、ヨシヒコは驚愕に目を見開いたが、それは恐怖ではなく、純粋な好奇心であった。 「わあ! 赤い光の棒が飛んできました! これが噂の魔法ですか! ぜひ当たってみたいです!」 ヨシヒコは避けるどころか、自らその槍に向かって突進した。結果、血の槍は彼の肩を深く貫いた。しかし、ここで奇妙な現象が起きる。本来であれば、リリアンナの血の魔法は触れるだけで体力を奪い、毒として全身に回るはずであった。だが、ヨシヒコという男は「バカ過ぎる」がゆえに、精神的な暗示、すなわちプラシーボ効果が極限まで高まっており、魔法の威力を100倍にして受け止めてしまう特異体質であった。 「ぎゃああああ! すごい! 本当に突き抜けた! この衝撃、快感ですね!」 凄まじい衝撃波が周囲に広がり、床のタイルがひび割れる。100倍の威力で受けたはずの攻撃だが、ヨシヒコはなぜか笑っていた。リリアンナは困惑した。どれほどの絶望を味わわせても、この男の心には「恐怖」という概念が浸透しない。むしろ、攻撃されるたびに喜びさえ感じているように見える。 「……不思議な方。けれど、その無垢さこそが、最高の調味料となりますわ」 リリアンナは蝙蝠傘をくるくると回し、次なる攻撃を仕掛ける。今度は逃がさない。彼女が扇状に手を広げると、地面から紅い鎖が噴出した。 「【スカーレットチェイン】!」 ガチャン、ガチャンと重厚な金属音を立てながら、血で形成された鎖がヨシヒコの四肢を絡め取る。拘束されたヨシヒコは、宙に吊るされた状態でバタバタと足を動かした。 「おっと! 今度は縛られました! これも魔法ですか? 締め付けが心地いいですね、まるでマッサージのようです!」 「(……この方、本当に正気かしら?)」 リリアンナの余裕に、初めて小さな亀裂が入る。彼女はさらに攻撃を畳み掛けた。近づくものを許さない、鋭い斬撃の連撃。【ヴァーミリオンクロウ】。紅い爪のような斬撃が、空を切り裂き、ヨシヒコの全身を切り刻む。ドシュッ、ドシュッという激しい音が広間に響き渡り、ヨシヒコの服はボロボロになり、身体中に紅い衝撃の痕が刻まれた。 しかし、ヨシヒコは絶望していなかった。彼は拘束されたまま、懐から何かを取り出した。 「あ、そうだ。こういう時はこれを使うべきでしたね。えいっ!」 彼が取り出したのは、不格好な【3Dメガネ】であった。それを装着した瞬間、ヨシヒコにはリリアンナの背後に漂う、不気味な怨霊や仏のような幻影が見え始めた。しかし、彼はそれを「飛び出す立体映像」として楽しみ始めた。 「わあ! 飛び出してる! リリアンナさん、このメガネすごいですよ! あなたの背後に何か不気味なものが浮いてますけど、立体感がすごいです!」 「……もう、いい加減にしてくださいな」 リリアンナの額に青筋が浮かぶ。彼女はついに、広域殲滅魔法を展開した。空に紅い雲が立ち込め、そこから無数の赤い弾丸が降り注ぐ。雨のように降り注ぐ血の弾丸【クリムゾンレイン】。激しい打撃音が絶え間なく続き、広間は紅い爆炎に包まれた。 ドガガガガ! という轟音と共に、ヨシヒコの周囲に爆発が連鎖する。100倍の威力で魔法を吸収し、爆発を誘発させるヨシヒコ。彼はその衝撃に耐えながら、ついに拘束を自力で(あるいはあまりに激しく暴れた結果、鎖が耐えきれず)振り払った。 「ふう、いい運動になりました! では、私の番ですね!」 ヨシヒコは、いざないの剣を構えた。彼にとっての「攻撃」とは、正義感に基づいた行動であるが、その実、彼自身が何をしていのか正確に理解していない。彼は全力で駆け出した。その足取りは、勇者というよりは、迷子の子犬のように危なっかしい。 リリアンナは優雅に、しかし冷徹に、彼を迎え撃つ。彼女は空中に舞い上がり、蝙蝠の翼を大きく羽ばたかせた。しかし、ヨシヒコはここで「魔法のじゅうたん」を召喚した。それは、見たところトイレに使うための小さな絨毯であったが、彼を乗せて猛スピードで加速した。 「いけえええ! じゅうたんさん、お願い!」 絨毯は不規則な軌道で飛び回り、リリアンナの視界を撹乱する。リリアンナはそれを「奇策」と捉え、血の斬撃で迎撃しようとしたが、ヨシヒコの予測不能な動き(本人はただバランスを崩しているだけである)に、攻撃がわずかに逸れる。 その一瞬の隙を突き、ヨシヒコが剣を振り下ろした。 「【いざないの剣】! おやすみなさい!」 剣がリリアンナの肩をかすめる。攻撃力8倍という凄まじい威力に加え、この剣には「相手を絶対に眠らせる」という絶対的な特性があった。リリアンナは驚愕した。物理的なダメージよりも、精神に直接作用する強烈な睡魔が彼女を襲ったのだ。 「え……? あら……私、どうして……」 リリアンナの瞼がゆっくりと下がる。彼女は人生で初めて、抗いようのない眠気に襲われ、そのまま床に倒れ込んでしまった。しかし、ここからが本当の勝負であった。 リリアンナには、瀕死、あるいは意識喪失時に発動する究極の能力【目醒め】が備わっていた。彼女の身体から、今までとは比較にならないほどの濃密な血の魔力が溢れ出す。それはもはや液体ではなく、意志を持つ奔流であった。 「……あぁ、素敵。心地よい眠りから、最悪の目覚めを迎えましょう」 リリアンナがゆっくりと立ち上がると、その周囲の空間が真っ赤に染まった。血が無尽蔵に湧き出し、彼女の存在そのものが血の海に溶け込んでいるかのように見える。もはや個別の技を放つ必要すらない。彼女が腕を軽く振るだけで、空間そのものが紅い衝撃波となって押し寄せる。 「【レッドストリーム】!」 それは、全てを飲み込み、薙ぎ払う血の奔流であった。轟音と共に、広間の壁や家具がなぎ倒され、あらゆる物質が赤き奔流に飲み込まれていく。凄まじい圧力。それはもはや魔法ではなく、自然災害に近い破壊力であった。 ヨシヒコは、その奔流を正面から受け止めた。 「うわああ! すごい! 赤い波が来ました! これこそ私が求めていた究極の魔法です!」 プラシーボ効果により、レッドストリームの威力は100倍に跳ね上がった。本来であれば、一撃で消滅していてもおかしくない威力である。しかし、ヨシヒコは懐から【薬草×30】をまとめて取り出し、口の中に詰め込みながら、猛烈な勢いで回復し続けた。 「もぐもぐ……(薬草の味は苦い)……でも、まだまだ耐えられます! 勇者ですから!」 リリアンナは絶句した。自分の全力の攻撃を、薬草を食いながら「快感」として受け止める男。そして、その攻撃によって体力を奪われながらも、それ以上の速度で回復し続けるという異常事態。 「貴方という人は……一体、何者なのですか!?」 リリアンナの余裕は完全に消え去っていた。彼女は血の奔流をさらに加速させ、ヨシヒコを完全に押し潰そうとした。しかし、ヨシヒコはここで、ある「決断」を下した。 「あ! そうだ! 最後にこれを試してみたかったんです!」 ヨシヒコが取り出したのは、【盗賊の銃】であった。それは何の変哲もない、古びた銃である。リリアンナからすれば、魔法の奔流の中でそんな原始的な武器が通用するはずがない。しかし、ヨシヒコの「天然ボケ」は、時に因果律さえも歪める。 ヨシヒコは銃を構え、適当に引き金を引いた。狙いはリリアンナではなく、彼女の足元で激しく渦巻いていた「血の奔流の核」であった。 ドォォォォン!! 弾丸が血の奔流の臨界点に命中した瞬間、想定外の化学反応が起きた。100倍の魔法威力で暴走していたヨシヒコ自身の魔力的な共鳴が、弾丸を媒介としてリリアンナの魔力回路に逆流したのである。 「えっ……?」 リリアンナの身体の中で、制御不能な血の魔力が爆発した。彼女が作り出した【レッドストリーム】が、そのまま彼女自身に跳ね返り、巨大な紅い球体となって彼女を包み込んだ。それは攻撃ではなく、あまりに過剰な魔力の飽和による「自爆」に近い現象であった。 ドガァァァァン!! 凄まじい衝撃と共に、リリアンナは空高く舞い上がり、そのまま広間の天井を突き抜けて夜空へと消えていった。彼女が消えた後には、静寂と、ボロボロになった広間、そして満足げな顔をしたヨシヒコだけが残されていた。 「ふう。いい戦いでしたね。あの方はとても親切に、たくさん魔法を当ててくれました」 ヨシヒコは、破れた服を気にすることもなく、地面に落ちていたリリアンナのティーカップを拾い上げた。 「さて、お礼に何か美味しいお菓子でもいただこうと思ったのですが……もう誰もいないんですね。まあいいか、帰りましょう」 彼は魔法のじゅうたんに乗り、ふらふらと夜の森へと消えていった。 【勝敗の決め手】 リリアンナの圧倒的な火力と、【目醒め】による究極技【レッドストリーム】は本来無敵に近い威力であった。しかし、ヨシヒコの「魔法を100倍で受ける」という異常な体質が、結果としてリリアンナの魔力を過剰に増幅させ、飽和状態に陥らせた。そこに【盗賊の銃】によるタイミングの悪い(あるいは絶妙な)一撃が加わり、増幅された魔力が逆流。リリアンナは自らの出力に耐えきれず、自爆的に吹き飛ばされたことで敗北した。 リリアンナの「優雅な戦略」は、ヨシヒコの「底なしの天然」という不可知の壁に阻まれ、完敗することとなったのである。