夜の帳が下りた旅館の一室。十二畳の和室には、心地よい畳の香りと、心地よい疲れを抱えたバトラー達が並んでいた。消灯時間を過ぎ、部屋には静寂が訪れるはずだった。しかし、静寂とは嵐の前触れに過ぎない。 「……ねぇ、ねぇ!!」 静寂を切り裂いたのは、幼い、しかしいたずらっ子全開の声。ミルファニアが、布団の上でぴょんぴょんと跳ねていた。彼女の薄橙色の瞳が、獲物を狙う猫のように怪しく光る。 「みんなー! 寝てるだけでいいの? もっと楽しいことしようよ! 枕投げ大会、開幕ーーー!!!」 合図は十分すぎた。ミルファニアが隣で眠っていた(フリをしていた)海秋の顔面に、全力で枕を叩きつけたのである。 「……っ!?」 鈍い音が響き、海秋の顔が枕に埋もれる。彼女はゆっくりと顔を上げた。長い黒髪が乱れ、ダウナーな表情には不快感よりも「面倒くさいが、やり返さないと気が済まない」という静かな怒りが宿っていた。 「……あーもう、マジだるい。……でも、やり始めたなら、徹底的にやってあげなきゃね」 海秋が腰を浮かかせた瞬間、彼女の周囲にパチパチと青白い火花が散った。雷の能力が発動する時だけテンションが上がる彼女にとって、これは最高の「遊び」への招待状だった。 「ふふふっ! 逃げないでよー!」 ミルファニアが笑いながら、今度は次嘉明を狙う。しかし、次嘉明はすでに「裏」の顔を覗かせていた。銀色の瞳が鋭く光り、気配遮断によってもはやそこに人間はいないかのように気配が消えている。 ドサッ! ミルファニアが投げた枕は、空中で「誰にも触れられていないはずなのに」不自然に軌道を変え、そのまま隣でぼんやりしていたラヴィの頭に命中した。 「……解析。衝撃、物理的。対象:枕。判定:攻撃」 ラヴィは無表情のまま、頭に乗った枕を見つめた。彼女は未知分子の集合体だ。感情こそ希薄だが、効率的な勝利への計算速度は秒間九万回。彼女は瞬時に「性質遷移」を行い、自分の身体の一部を滑りやすい液体のような性質に変質させた。 シュルリ、と枕がラヴィの頭から滑り落ちる。攻撃を無効化した彼女は、淡々と、しかし正確な軌道で枕を次嘉明へと投げ返した。 「おっと」 次嘉明はテレポートを使い、ミリ単位で枕を回避。そのまま背後に回り込み、格闘技の突きのような鋭さで枕をラヴィの背中に叩き込もうとした。だが、そこへ割って入ったのは、陽気な笑い声だった。 「ははっ! いいね~! 盛り上がってるなぁ!」 鷹さんが、重力を自在に操りながら空中を舞っていた。彼は重力波を操作し、部屋の中にある数個の枕を一斉に「吸い寄せ」、巨大な枕の塊を作り出した。 「くらえー! 重力・枕弾!!」 ドガァァァン!! 布団の山が吹き飛ぶほどの衝撃。しかし、その直前。部屋の隅で「するする」と奇妙な音を立てていた少女がいた。するする魔法少女である。彼女は「するする魔法」を自分にかけ、あらゆる衝撃を「するする」と受け流していた。枕の塊が彼女の体を通り過ぎ、壁に向かって飛んでいく。 「あははっ! 全部すり抜けたよー!」 カオスだ。十二畳の空間が、もはや戦場と化していた。ミルファニアは「フェーズスリップ」を発動し、不可視状態で戦場を駆け巡る。見えない幽霊によるポルターガイスト攻撃。枕が勝手に浮き上がり、海秋の背後から急襲する。 「ちょっ! 何これ、意味わかんないんだけど!」 海秋が叫び、反射的に【暗雲】を展開。部屋全体に低気圧のような重圧と、痺れるような電撃が走る。これにより、不可視状態のミルファニアであっても、電気的な干渉によって位置が特定された。 「見ーつけた!」 海秋が【雷鎖】を放とうとしたその時――。 ピチャッ……。 廊下から、不吉な足音が聞こえてきた。 (……来た!!) 全員の脳裏に、あの恐怖の人物が浮かぶ。生活指導の先生だ。見つかれば強制連行。即脱落。この快楽に満ちた戦場において、唯一の「死」を意味する存在。 「……しっ!!」 次嘉明が鋭い合図を出す。 直後、部屋の中は「完璧な静寂」に包まれた。海秋は雷を消し、布団に潜り込む。ラヴィは無表情に目を閉じ、寝息を模倣する。鷹さんは重力で自分を天井付近に固定し、布団に紛れた。ミルファニアは「プロップポゼッション」を使い、近くにあった壺に憑依して静止した。 ガラッ。 襖が開く。そこに立つのは、眼光鋭い生活指導の先生。先生はゆっくりと部屋を見回した。畳の上に散らばった枕、少し乱れた布団。しかし、誰も起きていない。全員が「熟睡」しているように見えた。 先生は、特にミルファニアが憑依している壺をじっと見た。壺がわずかに震えていたからだ。 (……ダメダメ、動いちゃダメ!) ミルファニアは必死に耐える。先生は鼻を鳴らし、ゆっくりと襖を閉めて去っていった。 足音が遠くなる。……三秒。五秒。十秒。 「……ふぅ」 誰かが小さく息を漏らした瞬間、戦火は再燃した。 「今のうちに、不意打ちだー!!」 壺から脱出したミルファニアが、そのまま海秋に飛びかかり、枕を叩きつける。 「ぎゃー! このチビ!!」 海秋が怒り狂い、【雷鳴】を発動。全能力を3乗に引き上げ、超高速の移動でミルファニアを追い詰める。しかし、そこを遮ったのはラヴィだった。 「解析完了。雷の速度に対する最適回避ルートを算出」 ラヴィは「性質遷移」で身体を空間の裂け目のように変形させ、海秋の攻撃をすり抜ける。そして、システムキルのような超速の腕の動きで、海秋の足元にある枕をすくい上げ、その顔面に突き刺した。 ボフッ!! 「……あ、当たった。私、脱落……?」 海秋が呆然と呟く。彼女は潔く、しかし名残惜しそうに布団へと転がった。 「あはは! 海秋ちゃん脱落ー!」 ミルファニアが喜び踊る。しかし、彼女は忘れていた。この部屋にはまだ、最強の「重力使い」と「完璧な忍」がいることを。 鷹さんがニヤリと笑い、指をパチンと鳴らす。 「重転!」 突然、部屋の重力の方向が「横」に変わった。壁が床になり、床が壁になる。全員が壁に叩きつけられ、バランスを崩した。その混乱の中、次嘉明が動いた。 彼女は影と風の魔法を組み合わせ、静かに、そして確実に、空中を舞うミルファニアの背後に忍び寄る。気配遮断により、ミルファニアは気づかなかった。 「チェックメイトだね」 ドサッ!! 完璧なタイミングで、次嘉明の枕がミルファニアの頭上に降り注いだ。 「えーっ!! わたしの負けー!?」 ミルファニアが頬を膨らませて脱落。これで残るは、次嘉明、ラヴィ、鷹さん、そして「するする」し続けている魔法少女だ。 戦いは激化する。鷹さんが重力波で枕を弾丸のように飛ばし、それをラヴィがデータ解析で弾き飛ばし、次嘉明がテレポートで回避しては反撃する。その間、するする魔法少女は、文字通り「するする」と枕の間をすり抜け、誰にも当たらないし、誰にも当たらせないという究極の防御体制を敷いていた。 「いやぁ、この子は手強いな!」 鷹さんが笑いながら、局地的な重力場を発生させ、するする魔法少女を一点に固定しようとした。しかし、彼女のスキルは「するする」だ。固定しようとする力さえも、するすると逃げていく。 「……結論。この状況での勝利条件は、『不可避の攻撃』である」 ラヴィが静かに分析した。彼女はゲノムウェアを起動し、鷹さんの「重力操作」の性質をトレースし始めた。データが同期し、ラヴィの右手に小さな重力球が現れる。 「重力操作、模倣完了。出力調整、10%」 ラヴィが放った重力枕は、直線的な軌道ではなく、空間を歪めながら、するする魔法少女の「逃げ道」をすべて塞ぐように飛んだ。逃げ場を失い、驚いた表情をしたするする魔法少女の肩に、枕がぽんと当たった。 「あうっ」 するする魔法少女、脱落。 ついに、生き残ったのは次嘉明、ラヴィ、鷹さんの三人。 三人は互いに距離を取り、静かに睨み合う。もはやこれは枕投げではない。極限の心理戦である。 「ははっ、最後は三人でどっちが先に当たるか競争か?」 鷹さんが快活に笑う。しかし、その瞳は真剣だ。彼は二本の刀(という名の、枕を保持する腕)を構えるような姿勢を取った。 「……演算。勝率、33.3%。ただし、共闘による排除を優先すれば、生存確率は向上する」 ラヴィが次嘉明に視線を送る。次嘉明は静かに頷いた。 「了解。あの方はパワーがありすぎる。先に落とそう」 次嘉明が煙玉を投げ、一気に視界を遮る。その隙にラヴィが空間変性を使い、鷹さんの背後に瞬間移動した。同時に、次嘉明が風の魔法で枕を加速させ、正面から叩きつける。 「おっと!」 鷹さんは重力波を全方位に放ち、近づく枕をすべて弾き飛ばした。しかし、彼は気づかなかった。煙の中に、もう一つの「罠」が仕掛けられていることに。 次嘉明が忍ばせていたのは、枕だけではなかった。彼女は「備蓄管理員長」としてのスキルを使い、枕の中に「超軽量の風風弾(風の魔法を込めた枕)」を仕込んでいたのだ。それは重力波の反発を利用し、ブーメランのように戻ってくる軌道を描いていた。 「えっ?」 鷹さんの背後に、弾き飛ばしたはずの枕が帰ってきた。 ドゴォォン!! 「あははっ! やられた~!!」 鷹さんが心地よい衝撃と共に、畳の上に大の字に倒れた。最強の剣士、脱落。 ついに、最後の一騎打ちとなった。次嘉明とラヴィ。 二人は互いに、相手の能力を完全に理解していた。次嘉明の完璧な身体能力と隠密性。ラヴィの超演算と性質変容。 「……次嘉明。あなたを倒すための最適解を導き出した」 「そう。私も、あなたの演算速度に追いつくためのプランを練っていたよ」 二人は同時に飛び出した。次嘉明はテレポートを繰り返し、四方八方から同時に枕を投げつける幻惑攻撃を仕掛ける。対するラヴィは、空間自体を反転させ、攻撃をそのまま次嘉明へと跳ね返した。 枕と枕が空中で激突し、白い綿が舞う。もはや、どちらが投げた枕なのかも分からない。しかし、その混沌とした戦いの中で、次嘉明が最後の一手を打った。 彼女は、わざと自分の枕を落とした。そして、その隙に「気配遮断」を最大まで高め、ラヴィの視覚的な死角へと潜り込んだ。ラヴィの演算は「存在する物体」を追う。しかし、気配を完全に消した次嘉明は、演算上の「ノイズ」へと変わった。 「……? 信号が消失した。再スキャン……」 ラヴィが首を傾げた、そのコンマ一秒後。 「ここだよ」 次嘉明が至近距離から、静かに、しかし正確に枕をラヴィの側頭部に押し付けた。 ポスッ。 「……解析。想定外。敗北」 ラヴィは無表情のまま、ふっと小さく口角を上げた。彼女にとって、この「予測不能な人間味」こそが、最も興味深いデータだったのだから。 静寂が戻った部屋。そこには、綿だらけの畳と、心地よく疲れ果てて笑い合うバトラー達の姿があった。 「あー! 悔しい! 次は絶対わたしが勝つんだからー!」 ミルファニアが騒ぎ立て、海秋が「もういいから寝させてよ……」とぼやき、鷹さんが「いやあ、いい勝負だったね!」と豪快に笑う。その中心で、次嘉明は静かに微笑みながら、散らばった枕を片付け始めた。 夜の旅館。秘密の枕投げ大会は、最高の思い出と共に幕を閉じた。 【勝者:次嘉明 月巫】