青い空が広がる平和な昼下がりの街。石畳の道には、色とりどりの店が並び、人々が穏やかに買い物を楽しんでいた。しかし、その静寂(あるいは日常的な喧騒)は、あまりにも対照的な二人の少女の邂逅によって破られることになる。 一人は、ピンク色のリボンを揺らし、瞳を輝かせて歩く十二歳の少女、輪乃中 ぽんで。彼女の手には、つい先ほど行きつけのドーナツ屋で買ったばかりの、砂糖たっぷりのドーナツが握られていた。 「んー! 今日のドーナツも最高に美味しいよぉ🍩」 ぽんでが幸せそうに頬張る。彼女の周囲には、常人には見えない「何か」が漂っている。それは物理的な形を持たず、概念としてのみ存在する『ドーナツの穴』の群れ。彼女がドーナツを食べるたびに、そして日常的に人々が捨て去る「穴」を収集するたびに、その数は増えていた。それは彼女にとっての守護であり、あらゆる不幸を飲み込む絶対的な虚無の盾である。 そしてもう一人。漆黒の魔女ローブを身に纏い、つばの広い帽子を被った、幼い外見の魔女、ミトコ。彼女は退屈そうに空を浮遊しながら、街の景色を眺めていた。 「あのねっ、ここの街はちょっと地味だなぁ。ミトコがもっとキラキラして、不思議な生き物がいっぱいいる世界にしてあげるよっ! くぷぷっ」 ミトコが指先をピンと立てると、空間が歪み、そこから想像を絶する生物が這い出してきた。六本の脚を持ち、体は水晶のように透き通り、口からは極彩色の煙を吐き出す――現実の進化論では説明がつかない、ミトコだけの独創的な創造物である。 二人の出会いは、文字通り「衝突」だった。ドーナツの穴に夢中で歩いていたぽんでと、創造した生物の反応を見ていたミトコが、角を曲がった瞬間にぶつかり合ったのだ。 「わわっ! びっくりしたぁ🍩」 「あいたたたっ! もう、歩いてる時は前を見るんだよっ!」 普通であれば、ここで謝り合って終わるはずである。しかし、ミトコは好奇心に駆られた。彼女の目には、ぽんでの周囲に漂う「不可視の穴」が、一種の特異点として映っていた。魔女としての直感が告げている。この少女の周囲にあるのは、自分の創造物さえも飲み込みかねない、底なしの虚無であると。 「ねぇねぇ、君の周りに変な『穴』がいっぱいあるねっ! ミトコ、あれを食べて進化する動物を作りたいなっ!」 「ええっ!? 穴は私の宝物だよ! 誰にもあげないもん🍩」 こうして、世界を創る魔女と、穴を集める少女による、あまりにも不釣り合いな「遭遇戦」が幕を開けた。 ミトコが小さく手を叩くと、【創生の魔法】が発動する。彼女の足元から、粘液のような体を持つ巨大なアメーバ状の生物が次々と生まれ、ぽんでを包囲した。さらにミトコは【進化の魔法】を重ねがけする。 「進化しちゃえーっ! 穴を吸い込むための、究極の口を持ってねっ!」 アメーバたちは瞬時に変異を遂げた。体中に数千もの小さな口が開き、それらが真空掃除機のような吸引力を持ち始める。物理的な攻撃だけでなく、空間そのものを啜り取ろうとする飢餓の権化。それがミトコの繰り出した第一撃だった。 しかし、ぽんでは慌てない。彼女はただ、もぐもぐとドーナツを食べているだけだった。 「うーん、なんだか風が強いねぇ🍩」 ミトコの創造物が放った強烈な吸引波がぽんでを襲う。だが、その攻撃が彼女の肌に触れる直前、周囲に漂っていた【ドーナツの穴】たちが一斉に反応した。物理的にも概念的にも、「ぽんでに降りかかる不幸」はすべて穴に吸い込まれる。攻撃という名の不幸、消滅という名の不幸。それらはすべて、ぽんでが収集した「穴」という名の虚無へと転送され、跡形もなく消え去った。 「あれれっ? 効いてないよっ! もっとすごい子を出すねっ!」 ミトコは面白そうに笑い、今度は空中に巨大な翼を持つ、雷を纏った猛禽類のような生物を創造した。その生物は音速を超えて急降下し、鋭い爪でぽんでを切り裂こうとする。しかし、その爪が届く寸前、再び【ドーナツの穴】が口を開けた。猛禽類の攻撃エネルギーごと、その爪の一部が「穴」に吸い込まれ、ぽんでは無傷のまま、むしろ心地よさそうに目を細めていた。 「ふふーん、穴の力はすごいんだよぉ🍩」 「くぷぷっ! 面白いねっ! じゃあ、次は『穴』そのものを食べる進化をさせてみるよっ!」 ミトコが魔法の杖を激しく振る。創造された生物たちが、互いを喰らい合いながら融合し、一つの巨大な「捕食の渦」へと進化していく。それはもはや生物ではなく、生きているブラックホールに近い存在だった。街の建物が吸い込まれ、地面が陥没し始める。対戦は次第に、街の存亡をかけた生存競争へとエスカレートしていった。 ぽんでは、自分の大切なドーナツが風で飛ばされそうになったことに気づいた。 「ああっ! 私のドーナツがっ! 許さないんだからぁ🍩」 怒ったぽんでが、意識的に【ドーナツの穴】を操作した。普段は受動的な防御壁である穴たちが、彼女の意志に呼応して巨大な渦を形成する。ミトコの「捕食の渦」と、ぽんでの「ドーナツの穴」が正面から激突した。 虚無と虚無の衝突。どちらがより深く、より多くを飲み込めるかの競い合い。空間が悲鳴を上げ、次元に亀裂が入るほどの衝撃波が広がった。ミトコは期待に胸を膨らませる。 「どっちが強いかなっ! ミトコの創造力か、君の穴かーっ!」 だが、その決着がつくはずだった瞬間――。 突如として、街の至る所から音楽が鳴り響いた。 ジャジャーン!! それは、あまりにも場違いな、陽気で華やかなブラスバンドの音色だった。街を行き交っていた人々が、突然一斉に足を止め、完璧に揃ったステップを踏み始めた。店員も、客も、散歩中の老人まで、全員が同時に歌い出したのである。 「♪おーい! 喧嘩はやめてー! みんなで歌おう! フラッシュモブの時間だーーー!!」 何が起きたのか。ミトコとぽんでは呆然として動きを止めた。戦っていた巨大な生物たちまでもが、なぜかリズムに合わせて体を揺らし始めている。これは街の伝統なのか、あるいは誰かの壮大な悪戯なのか。しかし、この「祝祭の波」は抗えない強制力を持っていた。 「ええーっ!? なになにっ!? 急に歌い出したよっ!」 ミトコが混乱して叫ぶが、彼女の体もまた、勝手にステップを刻み始めていた。 「もうっ! 戦ってる最中なのにー! でも……なんだかノリノリになっちゃうよっ! くぷぷっ!」 一方のぽんでも、リズムに乗っていた。 「わぁーい! お祭りみたいだねぇ🍩」 もはや戦闘などどうでもよくなっていた。周囲の人々が合唱し、街全体が巨大なステージと化したその時、ミトコがふと気づいた。 「あ! ミトコも歌いたいっ! 創造魔法で、最高のコーラス隊を作るねっ!」 ミトコが指を鳴らすと、戦っていた捕食生物たちが瞬時に「タキシードを着た合唱団の羊」へと姿を変え、完璧なハーモニーで伴奏を奏で始めた。そこにぽんでが、手にしたドーナツをマイク代わりに掲げて参戦する。 (以下、即興歌劇:『ドーナツと魔女のハッピー・カオス』) ミトコ:「♪あのねっ! 世界を塗り替えちゃうよっ! 創造の魔法でキラキラにっ! 誰も見たことない生き物たち! みんなで踊ろう、くぷぷっ!!」 ぽんで:「♪もぐもぐ! 穴の中は不思議だよぉ! 不幸も悩みも全部吸い込むよぉ! 最後まで残る穴が大好き! 甘い幸せ、止まらないんだもん🍩」 合唱団(羊):「♪(メェー! 穴に吸い込まれろ! 創造に飲み込まれろ! 街中ぐるぐる、回っちゃえー!)」 二人は手を取り合い、街の中央で激しく回転し始めた。ミトコの魔法で空からは色とりどりの紙吹雪と、なぜか本物のドーナツが降り注ぎ、ぽんでの【ドーナツの穴】がそれらを心地よくキャッチしては、彼女の口へと運んでいく。 「あははっ! 面白いねっ、君のこと、ミトコの友達にするよっ!」 「嬉しいなぁ! いっしょにドーナツ食べようねぇ🍩」 戦いの火種は、あまりにも強引なフラッシュモブの快楽によって完全に消し飛ばされた。破壊されかけていた街の景色も、ミトコの「ついで」の修復魔法によって、元よりもずっと豪華で奇妙な装飾が施された街へと変貌していた。 やがて音楽が止まり、人々は正気に戻った。彼らは自分たちが何をしていたのか記憶にない様子だったが、街には心地よい疲労感と、正体不明の幸福感が漂っていた。 「ふぅ……。結局、どっちが勝ったのかなっ?」 ミトコが首を傾げる。彼女の創造物は、今は穏やかに街の植木鉢に収まり、人々を癒やすペットとなっていた。 ぽんでは、満足そうに最後の一つになったドーナツを飲み込み、その「穴」を大切に収集して、自分の周囲に浮かべた。 「勝敗なんてどうでもいいよぉ。お腹いっぱいになったし、新しい穴もたくさん集まったもん🍩」 勝敗の決め手となったのは、個人の能力でも、魔法の威力でもなかった。それは、あまりにも唐突に訪れた「街全体のノリ」という、抗いようのない不可抗力であった。 「ねぇねぇ、次はこの街の人間を全部、ドーナツみたいな形に進化させてみようかなっ!」 「それはダメだよぉ! 食べちゃいたくなるもん🍩」 魔女と少女は、賑やかになった街を肩を並べて歩き出した。その後ろには、満足げに漂う数えきれないほどの「穴」と、見たこともない奇妙な動物たちが、愉快なパレードのように続いていた。 結局、この日の戦いは「引き分け」ということで処理された。ただし、街の住民にとっては「人生で一番意味不明だが楽しい一日」として、歴史に刻まれることになったのである。 「あ! あの店に新しい限定ドーナツが出てるよぉ! 急ごうー! 🍩」 「待ってよーっ! ミトコもお腹空いたよーっ!」 二人の少女の笑い声が、夕暮れ時の街に響き渡っていた。