##チームA 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの壁に囲まれ、空は狭い隙間からしか見えない場所で、ミリューは立ち尽くしていた。彼女の薄水色の長い髪が、路地裏に吹き込む冷たい風に揺れている。水色の翼は不安げに小さく震え、尾は左右にゆっくりと揺れていた。彼女は周囲を警戒し、金剛刀の柄にそっと手をかけていたが、ここには敵の気配はなく、ただ静寂だけが支配していた。 その時、路地の突き当たりに、一人の女性が立っているのが見えた。ミリューは息を呑んだ。そこにいたのは、自分と全く同じ姿をした女性だった。薄水色の髪、小さな角、水色の翼と尾。しかし、その佇まいはミリューとは決定的に異なっていた。 その平行世界のミリューは、バルノ王国騎士団の鎧ではなく、禍々しい黒と赤を基調とした重厚な甲冑に身を包んでいた。彼女の瞳からは内気さや迷いは消え去り、そこにあるのは冷徹なまでの自信と、支配者のような威圧感であった。彼女が所属しているのは、王国を守る騎士団ではなく、王国を内側から崩壊させようとする反逆の組織であり、その組織における彼女の地位は、騎士ではなく『処刑執行人』としての頂点に君臨していた。 平行世界のミリューは、静かに口を開いた。その声は低く、冷徹に響く。 「……ふん。こんなところで、弱々しく震えている自分と出会うことになるとはな。滑稽極まりない」 彼女はゆっくりと歩み寄り、腰に下げた漆黒の大剣に手を触れた。しかし、不思議な力が二人を隔てていた。どれだけ互いに近づこうとしても、見えない壁に阻まれたかのように、物理的な接触が叶わない。攻撃を仕掛けようとしても、その意志さえも虚空に消えていく。この空間において、二人は決して互いを傷つけることができない運命にあった。 平行世界のミリューは、呆れたように溜息をついた。彼女の翼は、感情の起伏をほとんど見せず、彫像のように静止している。 「おねぇちゃん、だったか。お前はまだ、誰かに憧れ、誰かの影に隠れて生きているのか。私はとうの昔に捨てたよ。依存という名の鎖をな。オリュウという存在に縋り付いて、その二つ名を真似て【俊刃】などと名乗る。そんなことは、自分の足で立つことを放棄した敗北者のすることだ」 ミリューは衝撃に打ち震えた。彼女にとって、姉であるオリュウは人生のすべてであり、憧れの象徴である。それを「鎖」と切り捨て、自らの力だけで頂点に登り詰め、王国さえも敵に回した自分。ミリューにとって、目の前の女性は、もし自分が姉への憧れを憎しみに変え、独りで強くなることを選んでいたら到達したかもしれない、恐ろしい可能性の姿だった。 (どうして……どうしてあんな風になっちゃったの? おねぇちゃんのことが嫌いになったの? 私は……私はあんな風に冷たくなりたくない。でも、あんなに強く、迷いなく立てるのが、少しだけ羨ましい……) ミリューは心の中で激しく葛藤した。自分と同じ顔をしながら、全く異なる価値観で生きる自分。内気で天然な自分とは対極にある、冷酷で完璧な騎士。その姿に、ミリューは言いようのない恐怖と、同時に言いようけない好奇心を抱いていた。 一方で、平行世界のミリューは、目の前の自分を見て、深い嫌悪感と共に、忘れかけていた懐かしさを感じていた。 (……あのような、愚かさ。弱さ。そして、救いようのない純粋さ。今の私にはもう、あのような顔で笑うことはできない。すべてを捨て、頂点に立った代償に、私は心という不確定要素を切り捨てた。だが、あの一途な憧れだけは、かつての私も持っていたはずだ。今の私にとって、あのような姿は吐き気がするほど弱く見えるが、同時に、私が永遠に失った『幸福』の残滓のように見える) 平行世界のミリューは、ふっと口角を上げた。それは微笑みではなく、自嘲に近い表情だった。 「いいだろう。そのまま、おねぇちゃんという温室の中で、小さな花として咲いていろ。私は血の海の中で、誰にも頼らずに死んでいく。それが私の選んだ、最高の人生だ」 彼女は背を向け、闇に溶け込むように歩き出した。ミリューは伸ばした手を空中で止めたまま、彼女の背中を見送った。自分の中に潜むかもしれない「孤独な強さ」への恐怖と、それでも姉と共にありたいという強い願い。路地裏の静寂の中で、ミリューは自分の翼をぎゅっと抱きしめるようにして、小さく呟いた。 「わたしは……やっぱり、おねぇちゃんが大好きです……」 その言葉は、平行世界の彼女に届くことはなかったが、ミリュー自身の心には、確かな決意が刻まれていた。自分は、あの冷徹な自分にはなりたくない。たとえ弱くても、天然で、内気であっても、誰かを愛し、憧れる心を持って生きていきたい。路地裏を抜ける風が、彼女の薄水色の髪を優しく撫でていった。 ##チームB 場虎亜県の路地裏。錆びついた鉄扉と、積み上げられた廃棄物が壁のようにそびえ立つ狭い空間。ショドロは、その場に不釣り合いなほど完璧に仕立てられた英国紳士の服装で立っていた。シルクハットを軽く直し、銀色の懐中時計を確認する。彼にとって、この世界は一つの巨大な映画であり、路地裏の汚れさえも、計算されたセットの一部に過ぎない。 「さて、ここでのシーンはどのような展開になるのかな。三流映画のような、ありふれた出会いであればいいのだが」 ショドロが静かに独り言を漏らしたその時、路地の奥から、一人の男が歩いてきた。その男はショドロと全く同じ、76歳の紳士の姿をしていた。しかし、その服装は英国紳士の正装ではなく、古びた映画館の映写技師が着るような、油染みのついた作業着だった。手には使い古されたフィルムのリールを持ち、目は深い疲労と、同時に狂気的な情熱に燃えていた。 その男は、この世界とは異なる平行世界のショドロであった。その世界の彼は、世界を【上映する映画】として干渉する能力を持たず、ただひたすらに「失われた名作映画」を復元することだけに人生を捧げた、孤独な映画狂の技師であった。彼は世界を編集する権能など持たず、ただフィルムを繋ぎ合わせることでしか現実を変えられない、極めて限定的な能力しか持っていなかった。 平行世界のショドロは、目の前の自分を見て、目を見開いた。そして、震える手でリールを抱きしめながら、興奮した様子で叫んだ。 「ああ! なんという贅沢な演出だ! 完璧な身なりをした、成功した自分との対面! これはまさに、人生という名の映画における最高のプロットツイストではないか! 君は……君は、この世界で『監督』として君臨しているのかね!?」 ショドロは、目の前の自分を冷ややかな、しかし知的な好奇心を持って見つめた。平行世界の自分は、あまりにも情熱的で、あまりにもみすぼらしい。だが、その瞳に宿る映画への純粋な愛は、現在のショドロがどこかに置き忘れてきた、あるいは意図的に排除した「凡庸な情熱」であった。 二人の間には、不可視の境界線が存在していた。どれほど手を伸ばそうとも、彼らは触れ合うことができない。世界という映画のルールが、同じ個体の接触を「禁忌のカット」として処理していたためである。攻撃することさえも不可能であり、ただ対話することだけが許されていた。 平行世界のショドロは、地面に膝をつき、熱っぽく語りかけた。 「教えてくれ! 君が見ている世界は、どのような色彩をしている? 私は一生をかけて、たった一本の幻の映画を探し続けた。現実という名の退屈な上映を耐え抜き、フィルムの粒子の中にだけ真実がある信じてきた。だが、君は……君は世界そのものを編集し、書き換えることができるのだな! なんという羨ましい、残酷な才能だ!」 ショドロは、ゆっくりと首を振った。彼の表情は穏やかで、紳士的な微笑みを崩さない。 「おやおや、落ち着きたまえ。編集というものは、多くのものを切り捨てる作業だ。君が愛する『フィルムの粒子』のような不完全さこそが、映画の味であるということに、私は気づいた。今の私は、世界に『平和』や『凡庸』という祝福を与え、刺激的なドラマを排除している。いわば、世界を最も退屈な、しかし最も心地よい日常映画に作り替えているところなのだよ」 平行世界のショドロは、愕然とした表情を浮かべた。彼にとって、映画とは刺激であり、情熱であり、人生を賭けて追求すべき至高の芸術であった。それを「退屈な日常」に変えることが祝福だとする目の前の自分は、彼からすれば、芸術に対する最大の冒涜者に映った。 (信じられない……! 世界を編集できる力を持ちながら、それを『凡庸』にするために使うなんて! 君は天才でありながら、最高の贅沢を捨てて、ただの観客になろうとしているのか! ああ、なんて悲しい、なんて陳腐な結末だ!) 一方で、ショドロは、目の前の自分の中に、ある種の救いを感じていた。 (……ふふ。彼はまだ、映画という幻想に心を奪われて、泥にまみれて生きている。私はすべてを手に入れ、すべてを制御できるようになったが、その結果、世界という映画の『驚き』を失ってしまった。彼のような、救いようのない映画狂として生きる人生。それは、私がとうの昔に『没案』として処理した、最も不効率で、最も幸福な人生だったのかもしれないな) ショドロにとって、平行世界の自分は、自分が切り捨てた「人間味」の象徴であった。知性と理性を極め、世界を管理する神のような視点を得たことで、彼は「物語に没入する喜び」を失っていた。目の前の男が抱く、狂おしいほどの情熱。それは、彼が今の地位を得るために、あえて捨て去ったはずの感情であった。 平行世界のショドロは、最後にもう一度、激しくリールを振り回して叫んだ。 「私は認めないぞ! 君の作る退屈な映画など、私のコレクションの端っこにも置かない! 私はこれからも、泥の中で、誰も見向きもしない三流映画の欠片を探し続ける! それこそが、映画を愛する者の誇りだ!」 その叫びを聞きながら、ショドロは静かに帽子を脱ぎ、深く一礼した。 「その誇りこそが、君にとっての最高の『エピローグ』になるのだろう。さらばだ、愛すべき不完全な私。君の人生という映画に、最高の賛辞を贈ろう」 平行世界のショドロは、不満げに、しかしどこか満足そうに、路地の闇へと消えていった。ショドロは一人、再び静寂に包まれた路地裏に立ち、懐中時計を閉じた。彼の心には、わずかながら、心地よい喪失感と、三流映画のような、質の悪い、しかし温かい余韻が残っていた。 「さて……私もそろそろ、次のシーンへ向かうとしようか」 彼はゆっくりと歩き出し、場虎亜県の路地裏を後にした。彼の背後で、世界という映画は、今日も変わらず凡庸で平和な日常を上映し続けていた。