秋の深まりと共に、東洋の峻険な山々に囲まれた秘境に、その宿はあった。老舗旅館「栄愛之湯」。紅葉が燃えるように山肌を彩り、澄んだ空気が心地よく肌を撫でる。そこに、互いに異なる目的と経緯を持つ男女四人が集まった。 神白幽は、道端に咲く名もなき秋の花に目を留めては、ふわりと微笑んでいた。彼はただ、この地の静寂と植物の香りに惹かれて訪れた放浪者である。一方、月山神楽は、誰にも邪魔されず昼寝ができる場所を探していた。最弱を装い、気配を消して歩く彼は、この宿の「隠れ家感」にだけは合格点を出していた。 一方のチームB。コグロは慎重に周囲を警戒しながら、時折コインを弾いて運勢を占っている。「表……ふふ、今日はいい日になりそうね」。彼女は山の魔女の血を引く身として、この地の霊的な調和を確認しに来た。そして、隣を歩くキラは、派手な紫のファーをなびかせ、スマホを片手に不満げに口を尖らせていた。「マジで山道長すぎ! ウチのヒールに泥ついたらどうすんのよ! でもまあ、温泉でリセットできるなら許すし!」 宿に到着すると、出迎えたのは腰の曲がった、だが眼光だけは鋭い経営主の婆さんだった。 「……ようこそ、栄愛之湯へ。騒ぎさえしなければ、最高の湯を約束しよう」 チェックインを済ませ、一行は男女別の大部屋へと分かれた。 男部屋では、幽が窓の外の紅葉を眺めながら、マイペースに茶を啜っていた。「いい景色ですね。心まで洗われるようです」。神楽は既に布団に潜り込み、もぞもぞと動いている。「……別に景色とかどうでもいい。静かならそれでいい」 「ふふ、君は面白いね。強いくせに、そんなに隠れたいのかい?」 幽のさりげない一言に、神楽はピクリと反応したが、結局は眠気に負けていびきをかき始めた。 女部屋では、キラがベッドにダイブし、コグロに捲し立てていた。「ねえコグロ! この宿の食事、絶対豪華でしょ! ウチ、もうお腹ぺこぺこなんだけど!」 「落ち着きなさい、キラ。まずは身だしなみを整えてからよ。それにしても、この宿の結界は心地よいわね」 コグロはスカートのポケットに忍ばせた道具を整理しつつ、冷静に分析していた。二人は趣味の話から、最近の仕事(あるいはやらかし)の話まで、賑やかに夜を過ごした。 そして、待ちに待った夕食後の時間。貸切の露天風呂が彼らを待っていた。 露天風呂は、男女が隣接しつつも、見事な竹垣で隔てられた構造になっていた。湯煙の向こうには、夜の闇に浮かび上がる鮮やかな紅葉。心地よい温度に、幽は目を閉じ、神楽はぼーっと空を眺め、コグロは静かに呼吸を整え、キラは「あー、極楽! マジ最高!」と声を上げていた。 だが、その静寂は、暴力的に破られた。 「キュイイイィィィッ!!」 突如、男風呂の壁を突き破り、巨大な粘液の塊――人造スライム『ヌ・スポロコッケオ』が、猛烈な勢いで襲撃してきた。空腹のあまり理性を失い、生き物のエネルギーを求めて突っ込んできたのである。 「なっ……!?」 神楽が反応した瞬間、ヌ・スポロッケオの巨大な触手が、男女を隔てる竹垣を根こそぎなぎ倒した。 バリバリッ! ガシャーン!! 「きゃあああああ!!?」 「ちょ、待て! 何が起きて――」 視界が開けた瞬間、そこには全裸の男二人と、全裸(に近い)女二人が、湯気の中で呆然と見つめ合うという地獄のような光景が広がっていた。だが、感傷に浸る暇はない。ヌ・スポロッケオの触手が、あちこちから襲いかかってくる。 「このっ……礼儀知らずな塊が!」 幽が怒りに任せて手をかざすと、風呂場の隙間から急成長した蔦がスライムを拘束しようとした。しかし、床が濡れている。滑った幽は、そのまま勢いよく後方へ転倒し、運悪く隣にいた神楽の上にダイブした。 「ぶふぉっ!? お前、どこから来たんだよ!」 「あぁ、ごめん。滑った」 一方、女側ではコグロが即座に反応し、スカート(を脱いでいたため、今はただの桶の中)から取り出した槍を投擲した。しかし、スライムの弾力で槍は跳ね返り、そのまま方向を変えて神楽の足元へ突き刺さる。 「危ねえ!!」 神楽が咄嗟にテレポートで回避したが、その移動先にいたのは、激怒して立ち上がったキラだった。 「ちょっと!! ウチの視界にいきなり入ってこないでよ!!」 キラの強烈な蹴りが神楽の脇腹をかすめ、彼はバランスを崩して、ちょうどもふもふの粘液に包まれていたコグロの上に転がり込んだ。 「……っ!? 神楽君、どこ触ってるのよ!」 「違う! 事故だ! 離せこのスライム!!」 現場は混沌を極めていた。ヌ・スポロッケオの粘液が床一面に広がり、足場は氷の上よりも滑りやすくなっている。幽が『春花瞬月』を展開しようとして足を踏み外すと、今度はキラの背中を掴んで一緒に湯船へダイブ。もがけばもがくほど、誰かが誰かの身体に触れ、誰かが誰かの上に乗るという、戦場とは思えないエロティックな乱戦状態に陥った。 「もういい! 全員まとめて吹き飛ばす!!」 幽が『風花雪月』の極太レーザーを放とうとしたが、直前で足を滑らせたため、角度が45度下にズレた。レーザーは湯船の底を直撃し、猛烈な水柱が巻き起こる。 「ぎゃああああ!! 熱い!! ぬるい!! よく分からん!!」 水柱に飲み込まれた四人は、互いに抱き合いながら、あるいは押し合いながら、激しく回転した。その最中、神楽の指先が、ヌ・スポロッケオの体内にあった紫色の核(コア)に偶然触れた。 「……えっ」 「キュ……?」 核に触れられた瞬間、ヌ・スポロッケオの全身から力が抜け、ぷしゅーっという音と共に、ただの巨大なゼリー状の塊へと成り果てた。ドレイン能力で吸い取っていたエネルギーが逆流し、スライムは心地よい脱力感の中で白目を剥いて気絶したのである。 ……静寂が戻った。 湯船の中、四人は複雑に絡まり合った状態で、お互いの肌の温もりと、ヌルヌルの粘液を感じながら、数秒間だけ静止した。 「………………」 「………………」 誰からともなく、ゆっくりと離れた。そこには、戦い終えた高揚感よりも、言いようのない気まずさと、正視できない恥じらいが漂っていた。 「……とりあえず、直そうか」 神楽が、死んだ魚のような目で呟いた。 その後、彼らは協力して(そして極めてぎこちなく)、折れた竹垣を修復した。幽が植物能力で竹を繋ぎ、コグロが固定し、キラが文句を言いながら持ち上げ、神楽が効率的に配置を決めた。完成したのは、元の状態よりも少し歪んでいるが、なんとなく頑丈そうな竹垣だった。 彼らは、般若のような顔で現れた婆さんに、深々と頭を下げて謝罪した。幸い、婆さんは「たまにあることだ。宿の設備を直した分、宿泊費はまけてやろう」と、意外にも寛大な処置をくれた。 それぞれの部屋に戻った後、全員が布団の中で天井を見つめていた。 (……あんな格好で、あんなところを……) (運勢が悪いのか、いいのか、正直分からない……) (ウチ、あいつの筋肉、意外と……いやいや!! 何考えてんのよウチ!!) (……静かに過ごしたかっただけなのに) 翌朝。チェックアウトを済ませた四人は、宿の門前で顔を合わせた。昨夜の騒動などなかったかのように、もとはと言えば他人同士のような距離感で立っている。 「じゃあ、またどこかで」 幽が穏やかに微笑む。神楽は軽く手を挙げ、コグロは丁寧に会釈し、キラはわざとらしくスマホをいじりながら「あー、マジ最悪な旅だったわ!」と叫んだ。だが、その頬は少しだけ赤い。 各自がそれぞれの帰路につく。山を下りながら、彼らは心の中に、名前の付けられない奇妙な連帯感と、二度と思い出したくない(が、完全に忘れられない)記憶を刻み込んでいた。