黄金の砂が舞う巨大な円形闘技場。三方を高く聳える石壁に囲まれ、上層階を埋め尽くした数万人の観客が、地鳴りのような歓声を上げていた。ここは世界中の強者がその技を競い、誇りをぶつけ合う聖域。殺し合いは禁じられているが、それゆえに戦士たちは全力で、そして残酷なまでに純粋な「勝利」を追い求める。 「さてさて、今日は随分と賑やかだねぇ」 東側の入場ゲートから現れたのは、およそ戦場には不釣り合いな老人だった。麦色の笠を深く被り、口には一本の花の茎をくわえている。着古した着物に、腰には一振りの打刀。聖十郎は、あくびを噛み殺しながら、のんびりと砂の上を歩いた。その足取りは、まるで近所の川に釣りに出かける隠居老人そのものである。 対して、西側のゲートから現れたのは、鋭い眼光を放つ一人の美少年だった。騎士団所属の「焔」。ぶっきらぼうに肩をすくめ、不機嫌そうに鼻を鳴らす。彼の右手に握られているのは、一見すると巨大なZippoライターのような形状をした奇妙な外殻を持つ大剣――『秘封剣』である。 「ジジイ、適当にやってりゃいいと思ってんだろうが。俺は面倒なのは嫌いだ。さっさと終わらせるぞ」 焔の言葉は粗いが、その瞳には相手への警戒心が宿っていた。目の前の老人が放つ、底の見えない「静寂」に本能的な危惧を感じていたからだ。 「ははは、若いねぇ。私はもう隠居した身だよ。できれば白旗を振って、早々に昼寝に帰りたいところなんだがね」 聖十郎は朗らかに笑う。しかし、審判の合図が鳴り響いた瞬間、空気の色が変わった。 「――行くぞ!」 焔が地を蹴った。爆発的な加速と共に、秘封剣の柄から猛烈な火炎が噴出する。スキル『地炎龍』。炎の龍が聖十郎を飲み込まんばかりの勢いで突き出された。 ドォォォォン!! 激しい衝撃波が砂塵を巻き上げる。観客が息を呑んだ。しかし、煙が晴れたところにあったのは、ひょいと身をかわし、依然として笠を被ったまま呆気に取られた顔をしている聖十郎の姿だった。 「おっと、危ない危ない。火の用心、火の用心だねぇ」 「……っ! チッ、速いな!」 焔は即座に判断し、空中に跳ね上がった。『飛龍尾』。秘封剣に凝縮された炎を纏わせ、上空から断罪の刃を振り下ろす。紅蓮の軌跡が空を切り裂き、聖十郎の頭上に降り注いだ。 ガキンッ!! 鋭い金属音が響く。聖十郎は抜刀していた。しかし、それは斬るためではなく、最小限の動きで攻撃を弾くためだけの動作だった。火花が散り、衝撃で足元の砂が円状に弾け飛ぶ。 「いい突きだ。いい斬撃だ。最近の若いもんは、実に熱心でいい」 聖十郎の声に、焔の眉がぴくりと跳ねた。彼にとって、この余裕こそが最も鼻につく。そして、同時に心地よい。本気で戦う相手に出会えたという、戦士としての高揚感が胸を満たしていく。 「ふん、口だけか! これでどうだ!」 焔が叫び、秘封剣を地面に突き立てる。スキル『焔月牙』。前方に向かって巨大な火柱が龍のごとき形となって猛然と突き進む。逃げ場のない灼熱の壁。観客席からも歓声が上がり、誰もがこれで決着がついたと思った。 だが、その時だった。 「ふふん……ふふふふん♪」 聖十郎の口から、小さな鼻歌が漏れ出した。 それは、穏やかな春の日に川辺で釣りをしている時のような、のんびりとした調べ。しかし、その音が響いた瞬間、聖十郎を包んでいた「隠居老人の空気」が完全に消え去った。代わりに現れたのは、かつて一時代の剣道を統べ、数多の強者を沈めてきた「剣豪」としての絶対的な威圧感だった。 (……!? なんだ、このプレッシャーは!) 焔が驚愕した瞬間、聖十郎の姿が視界から消えた。 「速い……!?」 焔は反射的に最大能力を解放した。スキル『不死鳥』。全身に黄金の炎を纏い、移動速度と攻撃力を限界まで引き上げる。同時に周囲を焼き尽くす広域攻撃『炎戟破』を放ち、自身の周囲に絶対的な拒絶の圏域を作り出した。 辺り一面が真っ赤な炎の海に染まる。逃げ場はない。誰がどう見ても、聖十郎が焼かれるはずだった。 しかし、焔の背後から、静かな声が聞こえた。 「いい火だったよ。おかげで、少しだけ血が騒いだ」 「なっ……!!」 焔が振り返った瞬間、聖十郎は既に通り過ぎていた。構えなど一切なかった。ただ、のんびりと歩いて横を通り過ぎただけ。その姿はあまりに自然で、戦いという概念さえ忘れているかのようだった。 「……斬っていない?」 焔が自分の体に視線を落とす。傷はない。服一枚、焦げてさえいない。勝利を確信し、安堵した瞬間だった。 ガクッ!! 突然、焔の足元の地面が、完璧な円形に切り取られていた。地面だけが。それも、ミリ単位の狂いもなく、彼が立っていた場所の真下だけが綺麗に切り離されていたのだ。 「え……?」 重力が彼を捉える。わずか数十センチの落下だったが、あまりに不意を突かれたため、焔はバランスを崩して無様に尻もちをついた。同時に、その衝撃で秘封剣が手から離れ、カラカラと砂の上に転がる。 静寂が闘技場を包んだ。そして、再び鼻歌が聞こえてくる。 聖十郎は既に数歩先を歩いており、ゆっくりと刀を鞘に納めていた。カチリ、という心地よい音が響く。 「……負けた、か」 焔は呆然としたまま、空を仰いだ。自分の全力の攻撃をすべて受け流し、最後は攻撃することなく、ただ「足場」を奪うだけで自分を無力化した。圧倒的な技量の差。それが、今の結果だった。 聖十郎は振り返り、再びいつもの柔和な笑みを浮かべた。そして、深く被った笠を少し上げ、若き騎士に手を差し出した。 「いい戦いだったよ、若き焔殿。君の情熱には、この老いぼれも刺激を受けた。またいつか、どこかの川辺で釣りをでもしようじゃないか」 焔は一瞬、不機嫌そうに顔を歪めたが、すぐにふっと口角を上げた。自分を完全に上回る者がこの世に存在すること。それは、彼にとって絶望ではなく、新たな目標となった。 焔は聖十郎の差し出した手を取り、力強く立ち上がった。そして、騎士としての礼を尽くし、深く頭を下げた。 「……完敗だ。あんたみたいなジジイに負けるなんて最悪だが……次は絶対に、その鼻歌を止めてやるよ」 「ははは、期待しているよ」 観客席からは、これまでで最大の喝采が巻き起こった。武士と騎士。異なる文化と技を持つ二人が、互いへの深い敬意を持って握手を交わす。その光景は、どんな激しい攻防よりもドラマチックに観客の心を打った。 【勝者:聖十郎】