紅い月が、天を塗り潰していた。 それは単なる天文現象ではない。宇宙の深淵から滲み出たどす黒い血のような魔力が、夜空というキャンバスに塗りたくられた絶望の象徴。不吉な予兆、あるいは強大な力の奔流。その紅い光は、地上に降り立つ者たちの理性をじわじわと溶かし、心の奥底に眠る「破壊衝動」という名の獣を呼び覚ましていた。 そんな狂った月の下に、三者が集った。 一人、白いオーバーコートを纏い、その身に不気味な眼を宿したスケルトン。Righteous!error sans。彼は世界という名の不完全なパズルを憎み、負債となるAUを抹消し続ける破壊者だ。常に苛立ち、常に怒りに震えている。彼にとって、この世の全ては消されるべきゴミに過ぎない。 一人、学生服に身を包んだ茶髪の少女、朝來。一見すればどこにでもいる活発な少女だが、その内側には「霊権器官」という異質な心臓を宿し、万物を武具へと変える禁忌の能力を秘めている。彼女は権力にも名誉にも興味はない。ただ、この昂ぶりを、この不自然な高揚感を、戦いという形で消化したいという本能に突き動かされていた。 そして一人、赤い着物を翻し、全身に戦傷を刻んだ男。マ王。薩摩の誇りと狂気を背負った、戦の化身。右目を失い、左腕を失いながらも、その魂は誰よりも激しく燃えていた。彼にとって痛みは快楽であり、死は最高のスパイスに過ぎない。 (チッ……、どいつもこいつも目障りな面しやがって。まとめて消去してやるよ) Righteous!error sansが、低く唸る。彼の周囲で空間がグリッチし、現実がノイズのように激しく明滅した。紅い月の魔力が、彼の内なる怒りを増幅させていた。通常であれば、破壊の規模を調整するリミッターがあるはずだったが、今夜の月はその枷を嘲笑い、粉々に砕いていた。 「……ふふっ。なんだか、すごくワクワクする。あはは! 壊しちゃっていいんだよね、全部!」 朝來が笑う。その瞳は夕陽色から、紅い月の光を反射して血色に染まっていた。彼女の理性は既に、月の魔力に塗り潰されている。あるべき少女の姿をしながら、その精神は戦場を求める飢えた狼へと変貌していた。 「おい! ぬるまぬる喋っちょる暇はなか! 斬り合いじゃ、斬り合い! どっちが先に死ぬか、勝負じゃい!!」 マ王が咆哮する。薩摩語の荒い口調が夜空に響き渡り、同時に彼から放たれる凄まじい威圧感が周囲の空気を圧迫した。絶望を強制的に植え付ける覇気。しかし、それは紅い月の影響でさらに暴走し、物理的な衝撃波となって地面を砕いた。 三者の視線が交差した瞬間、火蓋は切られた。 最初に動いたのはマ王だった。彼は地を蹴ると、瞬時に距離を詰め、愛刀【豊苛】を閃かせた。 「死ねい!!」 超高速の一撃。しかし、Righteous!error sansは冷笑を浮かべたまま、指先をわずかに動かす。 「【ストリングス】」 空中に不可視の糸が張り巡らされ、マ王の斬撃を物理的に、そして概念的に絡め取った。糸を通じてマ王の生命力が強引に引き抜かれ、スケルトンの魔力へと変換される。だが、マ王はそれを気に留めるどころか、歓喜に顔を歪めた。 「あぁっ! いいぜ、この引きちぎられる感覚! 最高じゃ!」 マ王はあえて糸に身を任せ、自らの肉体を切り裂きながら突っ込む。痛みさえも快楽に変える異常な精神構造。彼は【腕刃】を発動させ、義手を食いちぎり、腕に直接縫い付けた二本目の刀を抜いた。二天一流の猛攻が、Righteous!error sansを襲う。 「しつこいゴミが……! 【アンネームエイブル・ブラスター】!」 Righteous!error sansが叫ぶと、空間に巨大な骸骨の頭蓋骨が出現した。それは周囲の環境――地面の岩石、大気中の魔力、果ては空間の断片までもを吸収し、極太の赤いビームを放った。 ドォォォォォォォン!! 視界を塗り潰すほどの極太光線。地形が文字通り消滅し、巨大なクレーターが形成される。常識的な生物であれば一撃で原子レベルまで分解される威力だ。しかし、そこへ飛び込んできたのは、少女・朝來だった。 彼女は足元に転がっていたただの石ころを拾い上げ、瞬時にその本質を読み取る。 「【武装命名】――引用、北欧神話。必中の槍、【グングニル】!」 【引用:北欧神話・グングニル。主神オーディンが所有し、投じれば必ず的に当たり、決して外れることのない槍。】 石ころがまばゆい光を放ち、黄金の槍へと変貌した。朝來は紅い月の魔力によって強化された膂力で、その槍を全力で投擲する。ビームの奔流を切り裂き、物理法則を無視して一直線にRighteous!error sansへと突き進む必中の槍。 「なっ……!?」 Righteous!error sansが回避しようとした瞬間、槍は空間を跳躍し、彼の肩を深く貫いた。白いコートが鮮血に染まる。 「あははは! 当たった! 最高に気持ちいい!!」 朝來が狂喜し、地面から金属片を拾い上げる。次は防具か、それとも武器か。彼女の思考は加速し、月の魔力と共に暴走していた。 「ガ……ッ! この……小娘が……!!」 Righteous!error sansの怒りが頂点に達した。彼の眼から、絶望的なまでの光が放たれる。【アイズ・オブ・ザ・アンノウン】。まばゆい閃光と共に、高密度のダメージ波が全方位に拡散した。朝來は咄嗟に拾い上げた破片を【アイギス】へと命名し、盾で防ぐが、あまりの威力に後方へ数百メートル吹き飛ばされた。 その隙を、マ王が見逃すはずがない。 「【無眼】!!」 マ王は静かに目を閉じた。全神経を研ぎ澄ませ、世界から「音」と「気配」だけを抽出する。彼にとって視覚は不要だった。動くもの、生きているもの、全てを反射で斬り伏せる絶対の領域。 Righteous!error sansが再びブラスターを召喚しようとした瞬間、マ王の姿が消えた。 ――シュッ。 空気が裂ける音すら後からついてきた。マ王の【豊久】が、Righteous!error sansの右腕を、関節ごと完璧に断ち切った。 「ぎあああああ!!」 スケルトンの絶叫が響く。だが、彼はただのスケルトンではない。【コズミック・フィロソフィー】。自らの存在を定義し直す能力。切り飛ばされた腕が、デジタルノイズのように明滅し、瞬時に再生した。 「再生……だと? ぬぅ、しぶとい奴じゃ!」 「当たり前だ……! お前らみたいな低級な存在に、俺が消されると思うなよ!!」 Righteous!error sansは最大出力の【グリッチ・レイ】を放った。相手を自分と同化させ、意思を持たない傀儡に変える禁断の光線。それはマ王と朝來の二人を同時に飲み込もうとした。 「【武装命名】――引用、日本神話。天照大御神の鏡、【八咫鏡】!!」 朝來が叫び、目の前に巨大な鏡を出現させる。グリッチ・レイが鏡に当たり、そのまま反射してRighteous!error sans自身へと跳ね返った。 「なっ!? 自分の攻撃を――」 「今じゃ!!」 反射の衝撃で一瞬怯んだRighteous!error sansに、マ王が全力の斬撃を叩き込む。それは【大戦場ヶ原魔王】への移行。自我を捨て、ただの「斬る機械」と化したマ王の、理性を超えた暴走攻撃。 ドガガガガガッ!! 肉と骨が砕ける音が連続して響く。マ王の刀がRighteous!error sansの胸部を何度も、何度も、執拗に切り刻む。血飛沫が紅い月に舞い、地獄のような光景が広がった。 しかし、Righteous!error sansもまた、月の魔力によってリミッターが外れていた。彼は自らの肉体が消滅しかけていることを利用し、存在の位相をずらした。マ王の刀が空を切った瞬間、彼はマ王の背後に回り込み、その胸に手を当てた。 「これで終わりだ……消えろ!!」 【グリッチ・レイ】の零距離射撃。しかし、マ王は笑っていた。彼はわざと攻撃を受け、そのダメージさえも快楽として吸収していたのだ。 「がはっ……! ははっ、いい……いいぞ!! もっと来い!!」 マ王の身体が赤黒く染まり、怒りと快楽が極限まで高まる。彼は自らの命を燃料にして、最後の一撃を放とうとした。 だが、その時、戦場の均衡を壊したのは、少女だった。 朝來は、戦いの中で拾い集めていた「戦友たちの血に染まった破片」と「砕けた空間の欠片」を一つにまとめ、究極の命名を試みていた。彼女の霊素回路がオーバーヒートし、皮膚から煙が上がっている。しかし、その瞳には純粋な破壊への渇望だけがあった。 「全部……全部まとめて、消えちゃえ!!」 【武装命名】――引用、聖書・黙示録。終末のラッパ、【第七のラッパ】!! 【引用:新約聖書・ヨハネの黙示録。第七のラッパが吹き鳴らされたとき、地上に大きな地震が起き、雷と火が降り注ぎ、天の権力が宣言される終末の合図。】 彼女の手の中で、小さな欠片が黄金のラッパへと姿を変えた。朝來がそれを全力で吹き鳴らした瞬間、世界が震えた。 ズガガガガガガガガガガガッ!!!!! 天から紅い雷が降り注ぎ、大地が縦横無尽に裂けた。それは個人の攻撃ではなく、「現象」としての破壊。 Righteous!error sansの【コズミック・フィロソフィー】による再生速度を上回る、全方位からの消滅攻撃。 「ば、馬鹿な……!! 俺が……この俺がぁ!!」 Righteous!error sansの身体が、雷に焼かれ、グリッチし、次第に透明になっていく。彼の存在定義そのものが、終末のラッパによって「不要なもの」として抹消されていった。絶叫も上げられぬまま、白いコートの残骸だけを残して、彼は完全に消去された。 残されたのは、ボロボロになったマ王と、意識が朦朧としている朝來だった。 マ王は膝をつき、激しく喘いでいた。全身の骨は砕け、内臓は破裂している。だが、その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。 「……いい戦いじゃった。最高じゃったぞ、小娘……」 彼はゆっくりと刀【豊苛】を地に突き立て、それを支えに立ち上がろうとした。しかし、限界だった。肉体が、魂が、もはや形を維持することを拒んでいた。 朝來はラッパを落とし、その場にへたり込んだ。魔力の使いすぎで、視界が白く霞んでいる。彼女はふらふらと、死にゆく男に近づいた。 「……ねえ、あなた、強いね」 「ふん……当然じゃ。わしは……薩摩の……」 マ王の言葉はそこで途切れた。彼はそのまま、静かに、しかし誇り高く、背筋を伸ばしたまま事切れた。彼の身体は紅い月の光に溶けるようにして、灰となって風に舞った。 静寂が訪れた。 紅い月は、十分な血を啜ったのか、次第にその色を失い、元の蒼白い月へと戻っていく。暴走していた魔力が引き、朝來の心に理性が戻ってきた。 彼女は周囲を見渡した。そこには、かつての戦場など想像もできないほどに破壊し尽くされた大地と、誰のものかも分からない血の海が広がっていた。 「……あはは。やりすぎちゃったかな」 少女はぽつりと呟くと、泥に汚れた学生服を払い、ゆっくりと歩き出した。夜空には、ただ静かに、冷たい月が浮かんでいた。