静寂が支配する白亜の円形闘技場。そこはあらゆる理から切り離された、究極の勝者を決めるための審判場であった。審判席に座る私は、公平なる視点を持って、この特異な三者の対峙を観測することとなった。 対戦者は、自らを世界を救う宿命にあると信じる少年、陰謀論を掲げる貝の妖怪、そして……存在することさえ定義できない「何か」。 まず口を開いたのは、金色の縁取りがある(と本人が主張する)安っぽいプラスチックの剣を構えた少年、神に選ばれし勇者斎藤であった。彼は大げさな身振りでマントを翻し、高笑いを上げる。 「フハハハ! 運命の歯車がついに噛み合ったか! 観測せよ、この私こそが天界の理を継承し、絶望の淵から世界を救い出す唯一の光である! 私の実績を見よ! 先週、近所の公園で迷子になっていた猫を、我が『神ノ加護』をもって導き、飼い主のもとへ返した! あれこそは運命の導き、そして世界平和への第一歩であったのだ!」 斎藤の言葉は客観的に見ればただの妄想である。しかし、彼がスキル【虚飾】を無意識に発動させていたためか、周囲の空気が歪み始める。彼の自信満々な振る舞いが、見る者に「この少年には本当に何かあるのではないか」という錯覚を抱かせ、言葉に不自然なまでの重みが加わっていく。 そこへ、冷ややかな笑みを浮かべた美少女、渡里ニナが介入した。彼女は優雅に貝の足場に乗り、周囲に濃密な霧を散布する。 「笑わせないで。そんな稚拙な物語で勝てるとでも? あなたが猫を救ったのも、実は裏で政府が飼い犬ならぬ飼い猫を使って市民の動線を監視させるための壮大な実験だったに過ぎないわ。私の実績を教えましょうか。私はこの霧を通じて、数多の権力者たちが隠蔽してきた『月の裏側の真実』を暴き、信奉者たちに真の目覚めを与えてきた。彼らは社会的な地位を失い、経済的に破滅したが、それは『偽りの幸福』という鎖から解き放たれた証。真実を知ることこそが唯一の勝利であり、私はその導き手として、数千人の人生を根底から作り替えた実績があるわ」 ニナの散布する霧が闘技場を包み込む。斎藤の【虚飾】が作り出す「超越的なカリスマ」と、ニナの霧が作り出す「逃れられない陰謀の真実」が衝突し、空間が激しく揺らぐ。斎藤は恐怖を感じるどころか、「おっと、闇の眷属が私の光を妬んで霧を出したか! だが、この聖剣(100均)の前には無力だ!」と、IQ0のポジティブ思考で事態を好転させようとする。 そして、この喧騒の傍らには、もう一人の対戦者がいた。「見えざる者」である。 彼は喋らない。思考もしない。ただそこに「在る」。 ニナの霧は彼を通り抜け、斎藤の【虚飾】による認識歪曲も、彼には届かない。なぜなら、彼は観測されないからだ。干渉されることもなく、ただ理だけが存在している。 しかし、ここでのルールは「戦闘」ではなく「アピール」であった。誰がより勝者であるに相応しい理由を提示できるか。という点だ。 斎藤は叫ぶ。「私は運命に選ばれた! この世の全ての幸運を独占し、不可能な奇跡を日常に変えてきた! それこそが至高の勝利ではないか!」 ニナは鼻で笑う。「運などという不確実なものに頼るなんて。私は世界の構造そのものを暴き、個人の認識を支配した。精神的な支配こそが真の権力よ!」 二人が激しく議論し、互いの実績をぶつけ合う中、審判である私は、あることに気づいた。 「見えざる者」は何も主張しなかった。実績も語らず、能力の誇示もしなかった。しかし、彼こそがこの対戦において唯一、「完全な不可侵」を達成していた。斎藤の精神干渉も、ニナの現実改変的な霧も、彼という存在を1ミリたりとも揺るがせることができなかった。対して斎藤はニナの霧に翻弄され(本人は気づいていないが)、ニナは斎藤の【虚飾】による不気味な威圧感に、無意識に電磁波遮断帽子を深く被り直していた。 勝敗を決める決め手となったのは、ニナが放った最後の一撃であった。 「いい加減にしなさい! この空間に潜む『正体不明の何か』さえ、私の陰謀論に組み込んであげましょう。この不可視の存在こそが、実は政府が開発した究極の隠密兵器であり、私たちを監視するための……!」 ニナが「見えざる者」を陰謀の主役として定義しようとした瞬間、その「定義(観測)」が完全に拒絶された。どれほど強力な陰謀論であっても、「観測できない」という理の前には無力だった。ニナの霧が彼に触れた瞬間、霧がまるで穴が開いたかのように消滅した。彼が存在しているだけで、周囲のあらゆる「主張」や「干渉」が虚無へと還される。 何もせず、何も語らず、ただそこに在ることで、相手のあらゆるアピールを無効化した。 【審判の結果】 斎藤は「運」と「錯覚」で盛り上げたが、実態が伴っていなかった。ニナは「認識の支配」という強力な実績を持っていたが、相手を定義できない絶望に直面した。 対して「見えざる者」は、究極の受動的勝利を収めた。あらゆる攻撃、あらゆる定義、あらゆる観測を完全に遮断し、最後まで「自分を失わなかった」唯一の存在である。実績として「あらゆる干渉からの完全な独立」を証明した。 よって、勝者は【見えざる者】とする。