どこまでも青く、突き抜けるような空が広がる、名もなき白い大地。そこは世界の境界線とも呼べる真空の地であり、あらゆる理(ことわり)が交差する特異点であった。 そこに、三つの異質な存在が降り立つ。一人、銀色の髪をなびかせ、鋭い爪を隠し持つ狼の少女、ライカ。一人、焦点の合わない瞳で空を眺め、現実感を喪失している少年、伏空澪杈(ふそら みおさ)。そして一匹、人参を背負い、愛くるしい姿でぴょんぴょんと跳ねる白黒のウサギ、「lucky」。 「……戦う、ということなのでしょうか」 ライカは静かに呟いた。彼女はおとなしい性格であり、争いを好まない。しかし、ここに来た以上、生き残るための本能が彼女の身体を突き動かしていた。彼女の赤い瞳が、獲物を定めるように細くなる。 「んぁ……君はどこの君? ここは……現実かな。それとも、あっちの世界……?」 澪杈はぽつりと呟いた。彼は自分の足元にある大地が本物なのか、それとも並行世界の残滓なのかさえ判別できていない。その虚ろな表情は、戦いへの意欲を全く感じさせなかったが、彼を取り巻く空気だけは異様に歪んでいた。 「ぴょぉん! ぴょぉん!」 luckyは天真爛漫に跳ね回り、口に咥えた人参を嬉しそうに齧っている。この場の緊張感などどこ吹く風であり、ただただ「幸運」なオーラを周囲に振りまいていた。 沈黙を破ったのは、ライカの爆発的な加速だった。 「しっ……!」 時速70キロに達する脚力が地面を蹴り上げ、白い土煙が舞う。彼女は野生の狼そのものの動きで、最短距離から澪杈へと襲いかかった。ダイアモンド級の硬度を持つ鋭い爪が、澪杈の喉元を切り裂こうと閃く。 しかし、その爪が触れる直前、澪杈の周囲に幾何学的な光の輪――ポータルが現れた。 「えっと……危ないのかな。じゃあ、こっちへ」 【争縁する顕慙(そうえんするけんせん)】。澪杈が無意識に展開した無敵空間。ライカの鋭い爪はポータルに吸い込まれ、そのまま背後の空間から正確にライカ自身の肩へと射出された。自らの攻撃をそのまま受ける形となり、ライカは鋭い痛みに顔を歪めて弾き飛ばされる。 「う……っ!」 ライカが地面を転がった瞬間、彼女の視界に白い塊が飛び込んできた。luckyである。 「ぴょぉん!」 luckyがライカの目の前で軽やかに跳ねた。その瞬間、スキル【イハー】が発動する。ライカが抱いていた「攻撃的な意志」が、ふわりと霧散した。彼女が再び立ち上がり、爪を立てようとしたが、なぜか地面から色とりどりの柔らかな花々が咲き乱れ、彼女の足元を優しく包み込んだ。 「え……? 花が……?」 困惑するライカ。彼女がどれだけ殺意を持って攻撃しようとしても、luckyが振りまく幸運がそれを「平和な現象」へと収束させてしまう。攻撃しようとする指先が、いつの間にか花びらを愛でる動作に変わっていた。 「あはは、お花さんだ。いい世界だね」 澪杈がどこか遠い目で笑う。彼はそのまま、空中に手をかざした。 「【転滅する剣山(てんめつするけんざん)】。どこの世界の武器だったっけ……まあ、いいや」 上空に無数のポータルが開いた。そこから、ありとあらゆる並行世界から集められた武器――剣、槍、斧、魔導書に至るまで、数千の刃が雨のように降り注ぐ。逃げ場のない広範囲攻撃。ライカは本能的に身構え、鋭い爪でそれらを弾こうとしたが、あまりの数に押し潰されそうになる。 だが、ここで再びluckyが動いた。 「ぴょぉん!!」 luckyは降り注ぐ武器の雨の中へ、あろうことか飛び込んだ。そして、口を大きく開けて、降り注ぐ弾幕や武器を次々と「食べて」しまった。幸運の化身である彼にとって、攻撃的な物体は単なる餌に過ぎなかった。 「……えっ?」 澪杈が初めて驚いたように目を丸くした。自分の絶対的な攻撃が、一匹のウサギに食べ尽くされたのだ。 戦いは泥沼化した。ライカは驚異的な体力と脚力で翻弄しようとし、澪杈は空間を操作して絶対的な防御と攻撃を仕掛け、luckyはそれらすべてを「幸運」で無効化し、食べてしまう。 ライカは、自分自身の無力感に苛まれた。どれだけ速く走っても、どれだけ鋭い爪を持っていたとしても、空間を操る少年と、理を捻じ曲げるウサギには届かない。 (……でも、私は、負けたくない!) 激しい闘争心と、追い詰められた絶望。それがライカの血の中で眠っていた「真の野生」を呼び覚ました。彼女の銀髪が激しく逆立ち、赤い瞳が血のような色に染まる。身体が大きく膨れ上がり、筋肉が鋼のように引き締まった。 【進化:ルナティック・フェンリル】 外見:身長が伸び、より獣に近い逞しい肢体へ。銀色の毛並みが全身を覆い、背中からは光り輝く銀の翼が生え、爪は黒い闇を纏った超硬質爪へと変化した。 能力:【月光の断裂】。空間そのものを切り裂く爪を持ち、ポータルや障壁を物理的に破壊することが可能。また、時速200キロを超える超加速を得た。 「ガァァァッ!!」 ライカの咆哮が大地を震わせる。彼女は一瞬で加速し、澪杈の【争縁する顕慙】に突っ込んだ。通常なら反射されるはずの攻撃だが、進化後の爪がポータルそのものを「切り裂いた」。 「……!? 空間を、壊した……?」 澪杈が驚愕した瞬間、ライカの爪が彼の胸元を深く切り裂いた。鮮血が舞い、澪杈の身体が崩れ落ちる。 しかし、澪杈は死なない。 【輪廻する臉参(りんねするべんさん)】。彼が死亡した瞬間、並行世界の「死んでいない澪杈」がそのまま入れ替わりとなって出現した。 「……ん。いま、痛かった。誰がやったの?」 澪杈は困惑しているが、彼の中で「危機感」が芽生えた。現実と並行世界の境界が曖昧だった彼が、初めて「この戦いに勝ちたい」という明確な意思を持った。その強い欲求が、彼の存在を再定義させる。 【進化:次元の特異点・澪杈(ゼロ・ミオサ)】 外見:白髪のショートヘアが長く伸び、半透明の光を纏う。瞳には無数の銀河が渦巻き、背後には巨大な時計の針のような輪が浮かんでいる。 能力:【全次元同時存在】。単一の個体ではなく、数万の並行世界の自分を同時にこの場に実体化させ、同時に攻撃・防御を行う。また、相手の「確率」を操作し、攻撃が当たる確率を0%に固定できる。 「もう、帰りたいな。だから、早く終わらせるね」 澪杈の周囲に、数千人の「澪杈」が現れた。全方位からの同時攻撃。ライカは空を舞い、空間を切り裂きながら応戦するが、相手は一人ではない。一人を切り裂けば、別の次元の彼が攻撃してくる。絶望的な物量作戦に、ライカの体力すら底を突き始めた。 そこへ、ずっと楽しそうに跳ねていたluckyが、不意に表情を変えた。彼は戦いの中で、ライカの野生的な強さと、澪杈の神に近い権能を目の当たりにし、「もっと遊びたい」という強烈な好奇心に突き動かされた。 【進化:運命の支配者・ラッキー・ジャックポット】 外見:ウサギの姿のまま、身に纏うオーラが黄金色に変化。背負っていた人参は黄金の錫杖となり、頭上にはカジノのルーレットのような光輪が浮かんでいる。 能力:【絶対的因果逆転】。起きた出来事の結果を、強制的に「自分にとって都合の良い結果」に書き換える。また、【スリイム】の強化版により、相手の精神を幼児退行させ、戦意を完全に喪失させる「究極の遊び」を強制的に発動できる。 「ぴょぉぉぉん!!」 黄金の光が戦場を飲み込んだ。ライカの【月光の断裂】も、澪杈の【全次元同時存在】も、すべてが黄金の光の中に溶けていく。 「……え?」 澪杈が呟いた瞬間、彼の思考が真っ白になった。数万人の自分が、突然「お昼寝したい」という欲求に塗り替えられたのだ。 「ふ……あ……?」 ライカも同様だった。猛々しいフェンリルの姿をしていたはずが、ふと気づけば、彼女は地面に転がった大きなクッションの上で、心地よい眠気に襲われていた。 luckyは黄金の錫杖を地面に突き立てた。すると、戦場だった白い大地は、瞬時に巨大な「おもちゃ箱」のような空間へと変貌した。そこには山のようなキャンディと、柔らかい雲のベッドが広がっている。 「ぴょん! ぴょんぴょん!」 luckyは二人のもとへ駆け寄り、頭に人参をポンと乗せた。その瞬間、ライカと澪杈の心から「戦い」という概念が完全に消え去った。 ライカは、銀色の毛並みを丸めて、心地よさそうに喉を鳴らしている。澪杈は、もはやどこの世界にいるかも気にせず、隣にいるライカの柔らかい毛に顔を埋めて、すやすやと眠り始めた。 勝敗を決めたのは、圧倒的な破壊力でも、緻密な戦略でもなかった。 「戦うこと」を「遊び」に、「殺意」を「幸福」に塗り替えてしまった、究極の幸運。誰も傷つかず、誰も恨まず、ただ心地よい眠りに落ちるという結果。それは、この殺伐とした戦場において唯一の「正解」であった。 黄金のウサギ、luckyは満足そうに鼻をぴくつかせると、眠る二人の間に潜り込み、一緒に丸くなった。 静寂が訪れた白い大地。そこには、種族も世界も超えて、ただ穏やかに眠る三つの生命の姿があった。戦いの終わりは、幸福な眠りという名の完結であった。 勝者:lucky