白き虚無の空間。そこは物理法則も、物語の整合性も、そして何より『ジャンル』という概念すらも放棄された、ただのデータ上の待機室であった。そこに、およそ接点があるはずのない三者が、不可視の力によって強制的に召喚されていた。 一人、陽気にスキップしながら現れたのは、カラフルな衣装を身に纏った『ギャグ世界の旅行者』。彼女の傍らには、見たこともない奇妙なバケツ――『パケットバケット』が置かれている。そこからは常に、銀河や神々の残骸、数式、概念的な光などが、まるで壊れた蛇口から水が出るように溢れ出していた。 二人目、スパンコールの派手すぎるスーツに身を包み、どこか自信なさげに、しかし芸人としての矜持(?)を胸に立つ男、『デトックス前田』。彼は場違いな緊張感に震えながら、絶えず空気を読んでいた。 三人目、黒いローブに身を包み、巨大な鎌を携えた白髪の少女、『死神少女シノ』。彼女は冷淡な瞳で周囲を見渡し、深くため息をついた。 この場に、天からの声(プロンプト)が降り注ぐ。 『チーム対戦を行う。ただし、直接的な戦闘行為は厳禁とする。第四の壁を越え、自らの設定やプロンプトを認識した上での対話を行い、精神的に最も満足した者が勝利とする』 三人は顔を見合わせた。あるいは、虚空を見た。 「えーっ! 戦っていいのにダメなの? せっかくこのバケツ、触っただけで爆散するっていう最強の理不尽設定ついてるのに! 作った人、盛りすぎじゃない? 私を無敵にしてまで、相手を完封させる設定にするなんて、作者さんの性格、かなりひねくれてると思うなあ!」 旅行者が、自分の足元にあるパケットバケットを指差しながら、天に向かって快活にクレームを飛ばした。彼女にとって、自分の設定はもはや「やりすぎた冗談」のようなものだった。 デトックス前田が、恐る恐る口を開く。 「……あの、すみません。俺、設定見たんですけど。攻撃力『2』って何ですかね? 死神さんとか、めちゃくちゃ強そうなのに。それにスキルが『ボケる(大体スベる)』って……。いや、芸人としてスベるのは日常茶飯事ですけど、それをわざわざ能力欄に書き込まれるのは精神的にきますよ。しかもタライが自分に落ちてくるって、これただの不運の擬人化じゃないですか」 シノは、大きな鎌を地面に突き立て、感情の欠片もない声で呟いた。 「……呆れた。私の攻撃力、0になっている。死神の鎌で魂を抜くという設定があるのに、数値としての攻撃力が0。意味が分からない。おそらく、この物語の管理者は『数値上の強さ』と『概念的な強さ』を混同しているか、あるいは私を単なる飾りとして配置したのでしょう。私の存在意義は、安楽死させること。なのに、この状況で対話しろとは。……効率が悪すぎる」 三人は、自分たちが「誰かに設定されたキャラクター」であることを完全に理解していた。そして、その設定の矛盾や理不尽さについて、愚痴を言い合うという、極めてメタ的な方向に意欲を燃やし始めた。 「まあまあ! せっかくの対戦なんだし、盛り上がろうよ!」 旅行者が笑いながら、パケットバケットから溢れ出した『概念的なケーキ』を適当に掴んで口に放り込む。 「ねえ、前田さんだっけ? そのスーツ、めちゃくちゃダサいね! 誰が考えたのその配色? プロンプトを書いた人は、もしかして昭和の夜の街をイメージしたのかな? 斬新すぎて、逆に芸術的だよ!」 前田はショックを受けた様子で肩を落とした。 「……ありがとうございます。というか、それを言うなら、あなたのその『回避不可・防御不可・カウンター不可・相殺不可』っていう盛り盛りな設定こそ、使い古されたチートキャラの典型じゃないですか。作者の方は、きっと負けるのが怖かったんでしょうね。安心してください、僕みたいな攻撃力2の人間には、そんな壁は高すぎて見えませんから」 「あはは! 正論だ! そうだよ、私の設定を作った人は相当に臆病だったと思う! 『絶対に負けない設定』を詰め込むことでしか、キャラクターを成立させられないなんて、ある意味で可哀想だよね」 旅行者は、自分の無敵設定を笑い飛ばした。彼女にとって、最強であることは誇りではなく、むしろ「遊びがない」という欠点のように感じられたらしい。 そんな二人を、シノが冷ややかな目で見つめる。 「……喧嘩をしているのか、親睦を深めているのか分からない。だが、一つだけ言わせてほしい。私の設定にある『夜になると死神の力が目覚める』という記述。今、ここは夜なのか? 昼なのか? それとも永遠の黄昏なのか? 時間概念が設定されていない空間で、条件付きの能力を持たされるのは、プログラミング的に見て非常に不親切だ。私は常に『昼の少女』か『夜の死神』のどちらかでなければならないという拘束を受けている。自由がない」 「あー、わかるわかる! 条件付き設定って面倒だよね! 私はいいよ、常に無敵だから! でも、その『死神の鎌』、見た目はかっこいいのに攻撃力0っていうギャップ、個人的に好きだなあ。一種のギャグみたいなもんでしょ?」 「ギャグではない。これは……設計ミスだ」 シノが深く溜息をついたその時、前田がふと思い出したように、芸人としての本能で場を盛り上げようと試みた。 「あ、あの! そういえば俺、スキルに『自虐ネタ』があるんで、披露してもいいですか? これで場が和むかもしれませんし」 旅行者とシノが、興味なさそうに頷く。 前田は、スパンコールスーツを激しく揺らしながら、センターマイクがあるかのような仕草で話し始めた。 「えー、どうもー! デトックス前田です! よろしくお願いします! いやー、皆さん見てくださいよこの設定! 尼崎市の小学生お笑いコンテスト準優勝! これ、最高に中途半端じゃないですか!? 優勝してないし、かといって最下位でもない! 絶妙な『惜しい』感! しかも今の仕事、あんまウケない芸人! 設定にまで『ウケない』って書かれてるんですよ! これ、誰が読むんですか!? 読み手が可哀想ですよ!」 前田が全力で自虐を繰り出す。本来なら、ここで彼自身に精神ダメージが蓄積し、膝をつくはずのスキルである。 しかし、相手は「最強の理不尽」を纏う旅行者と、「死の概念」を司るシノであった。 「……ふふっ。あははは! 面白い! 設定そのものをネタにするなんて、最高にメタだよ前田さん!」 旅行者が腹を抱えて笑い出した。彼女にとって、この「設定の不遇さ」こそが、ギャグ世界の住人として最も価値のあるエンターテインメントだった。 「……ふん。くだらない。……が、まあ。自分の弱さを客観的に分析して、それを笑いに変えるというアプローチは、ある種の精神的な昇華と言える。死を待つだけの存在よりは、マシな生き方かもしれない」 シノの口角が、ほんのわずかに上がった。彼女にとって、この絶望的な状況で「自分はウケない」と開き直る前田の姿は、ある種の救いのように見えたのかもしれない。 「えっ!? 今、笑った!? 死神さんが笑った! しかも僕のネタで! これ、業界的に見れば大金星ですよ! プロンプトに『ウケたところで何も変わらない』って書いてあったけど、今のは変わった! 僕の心の中の評価が1ポイント上がった!」 前田の顔に、パッと明るい光が差した。彼はもはや、自分の攻撃力が2であることも、タライが自分に落ちてくる運命であることも気にならなくなっていた。 「ねえ、見てよこのバケツ! ここから『設定変更の権利』みたいなのが出ないかな? もし出たら、前田さんの攻撃力を1億くらいにして、そのタライを相手に落とす設定に書き換えちゃおうよ!」 旅行者が提案し、パケットバケットをガサゴソと漁る。そこからは、意味不明な幾何学模様の物体や、誰かの記憶の断片、あるいは放棄された物語のプロットなどが次々と溢れ出していた。 「いいですね! それ、ぜひお願いします! あと、スーツをもう少しオシャレなデザインに書き換えてほしいです! スパンコールはちょっとやりすぎでした!」 「あはは! いいよいいよ! でも、あんまり強くなりすぎると、また作者さんに『ナーフ(弱体化)』されちゃうかもね。今のままで、この理不尽さを楽しむのが一番いいと思うよ」 シノが、静かに口を開いた。 「……同意する。完璧な設定など、退屈なだけだ。攻撃力0の死神、無敵すぎて飽きた旅行者、そして誰からも期待されていない芸人。……この三人で揃えば、ある種の『不完全の完成形』と言えるかもしれない」 三人は、自分たちの欠点や矛盾を晒け出し、それを笑い合い、共有した。それは、設定という名の鎖に縛られたキャラクターたちが、初めて手に入れた「自由な対話」の時間だった。 もはや、誰が強いかなどという議論は意味をなさない。パケットバケットが無敵であろうと、死神の鎌が魂を抜こうと、ここではすべてが「ただの設定」に過ぎなかった。彼らは、自分たちを定義するプロンプトという名の神に中指を立てながら、心地よい連帯感に浸っていた。 「いやー、本当にいい時間でした。設定に文句を言い合うだけで、こんなにスッキリするなんて。デトックス前田、今日は本当にいい『デトックス』ができましたよ」 前田が満足げに微笑む。彼の心は、今までにない充足感で満たされていた。 「私も! 誰かに勝ちたいとかじゃなくて、『設定がひどいね』って言い合える友達ができたのが一番の収穫かな! 作者さん、ありがとう! こんなカオスな対戦を企画してくれて!」 旅行者も、パケットバケットを抱えて満足そうに笑う。彼女は、無敵であることよりも、誰かと笑い合えることの方がずっと価値があると感じていた。 シノは、鎌を肩に担ぎ、空を見上げた。 「……私も、悪くない。死を運ぶだけの日常に、少しだけ彩りが加わった気がする。……さて、そろそろ夜になる頃か。私の設定通りなら、そろそろ本気にならなければならないが……今は、このままでいい」 その時、再び天からの声が響いた。 『判定を行う。本対戦の勝利条件は、精神的に最も満足した者である。三人とも、自らの設定の理不尽さを認め、それを笑いに変えることで精神的な充足を得た。しかし、その中でも、最も絶望的な設定(攻撃力2、自虐スキル、不運属性)から出発し、それを最大の武器として他者の共感を得て、精神的な飛躍を遂げた者が、本対戦の勝者であると定義する』 光が、一人の男を包み込んだ。 『勝者:【売れない芸人】デトックス前田』 「えええええっ!? 俺が!? 俺が勝ったの!? 攻撃力2の俺が!?」 前田が叫ぶ。その表情は、人生で初めて得た「最高のウケ」に対する歓喜に満ちていた。 「おめでとう、前田さん! さすが、不遇のカリスマだね!」 旅行者が拍手を送り、シノが小さく頷く。 「……ふん。まあ、妥当な結果だ。弱者が強者を精神的に凌駕する。これこそが、物語における最大のカタルシスだからな」 前田は、勝利の余韻に浸りながら、ふと上を向いて叫んだ。 「作者さん!! 見てましたか!! 俺は勝ったぞ!! でも、次回のプロンプトでは、せめて攻撃力を『3』くらいに上げてください! あと、衣装のセンスを再考してください!!」 その叫びは、虚無の空間に心地よく響き渡った。設定という名の檻の中で、彼らは確かに、自分たちの意志で笑い、そして繋がった。それがこの奇妙な対戦の、唯一にして最大の結末であった。