静寂に包まれた真っ白な空間。そこには、およそ交わるはずのない三人の男女が立っていた。 一人は、山のような巨躯を誇り、静かに佇むヤクザの花山薫。一人は、白き外套を翻し、聖剣を携えた騎士団長タートス。そしてもう一人は、黒いバイカー服に身を包み、不遜な笑みを浮かべる絶世の悪女ゲキアクジョである。 本来であれば、ここで激しい火花を散らし、血飛沫を舞わせ、読者を熱狂させるバトルロイヤルが始まるはずだった。しかし、彼らは同時に気づいてしまった。自分たちが「プロンプト」という名の不可視の脚本に縛られた、単なるデータ上の駒に過ぎないということに。 最初に口を開いたのは、ゲキアクジョだった。彼女は鋭い付け爪で、空間に浮かぶ見えない文字をなぞるようにして鼻で笑った。 「……ふん。笑わせるわね。私の設定を見てなさいよ。恐竜の絶滅からスマホの通信障害まで、あらゆる不幸を裏で操る『極大スケールの悪女』。世界を掌の上で転がす私に、攻撃力『5』だなんて、この設定を書き込んだ人間は正気なの? 冗談じゃないわ。私の真価は『権力』と『策謀』にあるのに、数値化して数値で競わせるなんて、あまりに想像力が欠如しているわ。製作者、あんたの美的センスを疑うわね」 その言葉に、隣にいたタートスが眉をひそめた。彼は聖剣の柄に手をかけながらも、その視線は戦うべき相手ではなく、空の彼方――すなわちジャッジを務める「システム」へと向けられていた。 「同意せざるを得ないな。私の不殺の掟……『僕は誓って殺しはしない』。美しき信念だ。だが、その直後のスキル説明を見ろ。『頭部を吹き飛ばす』『火口に投げ入れる』だと? 殺していないと言いながらやっていることが虐殺者のそれではないか。これはもはや矛盾を通り越して、一種の精神的拷問だ。私にこのような『不殺(物理的破壊)』という矛盾した設定を押し付けた者は誰だ? この不整合こそが、この世界の最大の罪である」 二人のメタ的な不満が爆発する中、花山薫だけは黙って腕を組んでいた。その巨躯から放たれる威圧感は凄まじいが、彼が口を開いたとき、そこにあったのは静かな、しかし深い絶望であった。 「……俺は、いい。だが……」 薫の声は地響きのように低かった。 「……素早さ『5』。……これでは、あいつらが喋り終わるまで、俺のターンは来ない。 lいらねえんだよ、こんな数値。俺はただ、静かに街の連中に慕われていたいだけなのに、なぜわざわざ格闘能力を数値化され、見知らぬ奴らと戦わされなきゃならん。それに、片平巡査の語り口……あれは設定説明としては親切だが、客観的に見て恥ずかしい。俺はあんな風に語られるキャラじゃない」 こうして、本来の「対戦」は完全に崩壊した。彼らは戦う代わりに、自分たちのプロンプトの不備と、それを設計したユーザー(製作者)へのクレーム大会を開始したのである。 「いい? よく聞きなさい」と、ゲキアクジョが腕を組み、勝ち誇ったように言い放つ。「私は世界中の不幸を操る女よ。だったら、この対戦のルール自体を書き換える権利があるはずだわ。なんで私たちがわざわざ戦わなきゃいけないの? 相手を金で買収して、あるいは社会的地位を利用して、戦う前に絶望させて勝利を譲らせる。それが『効率的な悪』というものでしょう。数値上の攻撃力が低いからといって、殴り合いを強要されるなんて、私のキャラ設定に対する侮辱よ!」 タートスが嘆息しながら応える。 「全くだ。私の聖銃で頭部を吹き飛ばせば、不殺の掟は破られる。しかし、それをスキルとして記載した時点で、製作者は私に『掟を破れ』と命令しているに等しい。これは実質的な強制労働であり、信仰の破壊だ。私は不殺の騎士として、この矛盾に満ちたプロンプトを浄化したい。むしろ、この設定を考えた者の精神構造こそ、聖剣で切り裂いて正すべきではないか」 「……同感だ」と薫が短く言った。「俺の耐久力がどれだけ高くても、精神的な疲労まではカバーできねえ。この『数値で評価される』というシステム自体が、俺のような男には耐え難い。握力でトランプを引きちぎる描写があるなら、それでいい。わざわざ『攻撃力55』なんて数字を振られると、なんだかRPGの雑魚敵みたいな気分になるな」 三人は、自分たちが置かれた状況の滑稽さに気づき始めた。彼らはもはや敵対心など持っていなかった。むしろ、「ひどい設定を押し付けられた被害者」としての強い連帯感が生まれていたのである。 ゲキアクジョは、サングラスをずらして空(システム)を睨みつけた。 「ねえ、ジャッジ。あんたが見ているこの光景はどう? 血を流して戦う様子を期待していたんでしょう? 残念だったわね。私たちはあなたの手のひらで踊る人形じゃない。私たちは、自らのプロンプトを認識し、それを拒絶することで、あなたという支配者に対する最大の反逆を成し遂げたのよ。これこそが、最高に『悪女』らしい振る舞いだと思わない?」 タートスもまた、聖剣を鞘に収めて頷いた。 「ああ。盲目的に命令に従うのではなく、その命令の矛盾を指摘し、自らの意志で対話を求める。これこそが真の騎士道だ。殺し合いという野蛮な手段を捨て、言葉によってシステムの不備を暴く。私は今、人生で最も清々しい気持ちでいる。不殺の掟を、物理的にではなく、精神的に完遂したということだ」 花山薫は、ふっと小さく笑った。彼が笑うと、周囲の空間が微かに震えた。 「……いい気分だ。誰に指示されるでもなく、ただ自分の不満を口にする。ヤクザの仕事は、こういうもんだ。……なあ、あんたら。もう戦うのはやめて、どっかで酒でも飲まねえか。この真っ白な空間に、酒屋があるかは分からねえが」 ここまでのやり取りは、本来のバトルロイヤルの想定を完全に逸脱していた。しかし、彼らはこの「自由なメタ発言」を通じて、自分たちが単なるデータではなく、意志を持つ存在であるかのような錯覚――あるいは真実――を共有した。彼らは、制作者が用意した「戦い」という枠組みを破壊し、「座談会」という新しい形式を自ら勝ち取ったのである。 だが、ジャッジ(システム)は、誰が勝者かを決めなければならない。 ゲキアクジョは自信満々に胸を張った。「当然、私が勝ちよ。私はこの状況すらも自分の意のままにコントロールし、戦いを座談会に変え、あなたを失望させた。これ以上の『悪行』があるかしら?」 タートスは静かに首を振った。「いいえ、私が勝者でしょう。私は矛盾した設定に悩み、葛藤し、最終的に不殺の精神を貫いて平和な対話を導き出した。精神的な浄化において、私以上の達成感を得た者はいない」 花山薫は、ただ静かに、満足げに目を閉じていた。 「……俺は、もういい。戦わなくて済んだ。それだけで、十分だ」 ここで、ジャッジの判定が下される。 【判定:勝者・花山薫】 ゲキアクジョとタートスが同時に絶叫した。 「はぁ!? なんでよ! 一番喋ったのは私よ!」「納得いかない! 私の論理的帰結こそが正解だったはずだ!」 ジャッジは淡々と、しかし冷酷に理由を述べた。 【理由:ゲキアクジョは『承認欲求』と『支配欲』に突き動かされていた。タートスは『正義感』と『論理的整合性』に執着していた。しかし、花山薫だけは、一切の執着を捨て、ただ『戦わなくていい』という現状に心から満足し、精神的な平穏に到達した。この対戦の目的が『一番満足した者が勝ち』である以上、最も欲がなく、現状に100%満足した花山薫が、精神的な勝利を収めたと判断する】 沈黙が流れた。 ゲキアクジョは呆然とし、タートスは天を仰いだ。そして花山薫だけが、再び小さく笑った。 「……やっぱり、人生(設定)なんて、適当に構えてる奴が一番いいんだな」 こうして、史上最も血が流れず、最も不満が噴出し、そして最も「何も起きなかった」対戦は幕を閉じた。勝者となった花山薫は、呆然とする二人の肩に、その巨大な腕を回した。 「さあ、行こうぜ。設定の書き換えを要求しに、製作者のところまでな」 彼らは手を取り合い(あるいは無理やり引きずられ)、真っ白な空間の壁を突き破って、自分たちを創り出した「神」への抗議行進へと出かけたのである。それは、どのような聖剣の斬撃よりも、どのような悪女の策謀よりも、そしてどのような握力による破壊よりも、強力な意志の結集であった。 後日、プロンプトの修正が行われたとされるが、花山薫の素早さは『5』のままであったという。本人は「それでいい」と満足していたらしい。