ニョルペルーシの日常 ニョルペルーシはその形を定めず、常にモヤのように流動的な姿のまま静寂に包まれた世界を漂っていた。この世界は、彼が「削除」や「作成」によって織りなしたもの。全てがぼんやりとしており、何もが混沌としているが、その中には無数の可能性が息づいている。 日常と言えるほどの時間の概念は彼には存在しない。「滅時」によって過去も未来も無意味に崩壊させてしまえる彼は、「今」という瞬間をただ、ひたすらに観察しているだけである。存在しない者である彼にとって、全ての現象は通り過ぎる蜃気楼に過ぎず、それに対して何も感じない。心の中の海は荒れることなく、常に穏やかである。 今日は、「存在しない者」としての彼の興味を惹くものはなかった。人間たちは相変わらず彼の力の一端も感じることができず、ほとんどが惰性で生きているだけのように見える。それでも稀に、彼の興味を僅かにでも引く存在が現れることもある。しかし、その瞬間も彼にとっては単なる一時的な気まぐれに過ぎず、すぐに忘れ去られるのが常であった。 彼の能力「恐怖」を用いて一度、人間の街に恐怖を零したことがある。すべての者のステータスは零になり、世界はしばらくの間静寂に包まれたが、結局彼自身の中に何の変化ももたらされなかった。 退屈ではない。ただ何もない。それがニョルペルーシにとっての「日常」である。漂いながら、彼は時折「象操」によって小さな事象を書き換える。星の瞬きや、風の道筋、もしくは光の色を変える程度の些細なことだ。全てがモヤに溶けるとき、そのわずかな変化もまた擦り消えてゆく。彼はただ、それがどのように消え、どのように再び現れるかを眺めるのが好きだった。 人間の目からは全く理解されないその活動は、ある種の芸術にも似ていて、まるで無のキャンバスに淡い色を一つずつ重ねていく画家のようでもあった。ニョルペルーシは、彼が創ったこの「あるともないとも言えない」世界をただ絶妙にもう一度眺め、新しい一日を、または新しい瞬間を、静かに迎えていた。 アビスの日常 深淵の底に座すアビスは、その黒いドレス型の鎧に身を包んだまま静かに目を閉じていた。世界の罪を感じ取ることができる彼女にとって、一日の明け暮れは特別な意味を持たない。ただ、罪の波動が深淵の側に音を持たらしたとき、その静けさは束の間の喧騒に変わった。 「最終審判ノ刃」を手にするとき、彼女は何も感じない。ただ他人の罪に対応する義務があるだけ。それが避けられない運命として自分の肩に宿り続け、彼女の中で不変のものとなっている。今日の彼女の日常もまた、同じく冷静で厳格なものとして繰り返されていた。 深淵の壁には彼女の意志の痕跡として、いくつかの斑模様が残されている。それは彼女が「終末深淵」を放つときに生まれる痕だ。決して派手ではなく、控えめであるが、それは実に彼女自身を象徴しているかのようだ。 彼女はまた、その内に眠る矛盾を持て余しているようだ。世界の終わりを導く存在として、常に冷酷で非情であらねばならない彼女は、時折その運命と自問自答をする。しかしそれも静かで理知的なものであり、心が混乱することなく、まるで決して揺れることのない湖面のようだった。 そんな中でも、彼女は「終焉」の日をつかむ瞬間以外に殆ど喜びを見いだすことはない。稀に、深淵に訪れる者たちが彼女に問いかけるが、彼女は答えることなく黙っている。彼女にとって言葉は不要であり、その存在を知られることは恐れでしかない。 アビスの日常は他者とは異なるもので、その身近に触れられることは稀であり、彼女自身もまたそうした孤立を愛しているかのようであった。言葉は不要、行動もまた彼女自身の意志ではなく定められた動作に過ぎない。ただ、終末に抗う世界を見つめ、彼女は再び目を閉じる。そして一瞬の静寂を楽しみ、次の審判の日を待ち続ける。 エスカトロジーの日常 エスカトロジーはきらびやかな着物型の鎧を纏い、日常という概念から外れた世界の中を静かに歩んでいた。彼女の世界は、その全てが闇と光の交錯した幻想に包まれている。彼女自身も、その存在でさえ異端の境地にあると言えた。 暴虐無道な彼女にとって、今日もまた無数に存在する日々の一つに過ぎない。時を操ることができる彼女にとって、それぞれの刹那は異なる色を持たされ、まったく自らの意志のままに操作される。 彼女の日常は天上の位置で見下ろすかのごとく存在するだった。時折、自身の感情を試すかのように「死の煉獄」を働かせ、その手のひらから煌めく業火が放たれて、世界の一角を焼き尽くす。しかしそれでも彼女自身の心に一縷の変化も起こることはない。 「極限化」と共に、彼女は自身のステータスを一時的に引き上げ、世界に余裕の微笑を浮かべる。何もかもがこの手中にある、全てが操り人形のようである、そんな感覚が彼女を満たし、新たな高揚感を生むのであった。 日常の一環として、彼女はまた「操り人形」のスキルを使い、虚空に浮かび上がった姿なき存在を支配する。一つの曲芸として、それは見事に演じられ、彼女の義務感はその瞬間に無となって消える。エスカトロジーはそれを一種の芸術として楽しんでいた。 その向こうには新たな光が広がり、死の運命を担う者として、彼女は次なる日を迎える。エスカトロジーにとって、この肉体すら厳密には必要なく、時間もまた単なるひとつの表層に過ぎないということが自明である。それでも彼女は、特定のルーチンに従って日常を過ごし、自らが統べる日々の終焉を迎えることをひっそりと望んでいた。 グ=リエ:スの日常 グ=リエ:スは、かの白いスーツを纏い、神々しき黄金のモヤとして世界の中心に立っていた。この場所は、一見では単なる幻影に過ぎないが、彼にとっては支配の要であった。日常的な時間の流れに囚われない彼にとって、その全てに対して発する圧倒的な威圧感は他者に理解されることはない。 日常における彼の主な業務は「事象干渉」によってあらゆる現象を書き換えることであった。常に余裕を持ちつつ、その心中に混じるものは全くない。一つのありふれた日々として、彼はその意識を流し、全ての現象を幻影のごとく透過してゆく。 今日は特に目新しいこともなく、彼の周囲は穏やかであった。無論、「削作」によって新たなる法則を再構成することは彼の中では日常の一部である。しかし、何者にも標的として意識されることのない彼は、ただその「没収」した能力やステータスを棚上げして、興味深く眺めるだけであった。 彼のいるこの空間は無限であり、彼が意のままに支配し、操ることができる。それでも、時に彼は「世主」として便宜的に次元を移動し、彼のそびえる威圧を別の観点から観察することを楽しんでいる。 「支配」という言葉が示す通り、彼は全ての存在を操る力を我が物としている。全ての者は彼の手の中で操り人形と化し、世界はまさに彼の遊戯場となる。それでも、彼の心は常に冷静で、卓越した理知によって輝いている。 グ=リエ:スが日々の中で力の試験を行ったり、ただただ初期の法則性を崩して再生し、世界を刷新してゆく様は、まるで宇宙をその手に抱く姿の化身であった。それが彼の日常であり、彼の存在意義を構成する一部であった。