白き虚空、あるいは色彩の濁流。そこは定義される前の「概念の海」であり、あらゆる物語が交差する特異点であった。 そこに、一人の少女が立っていた。浪花葉子。どこにでもいる、いたって普通の女子高生である。彼女は呆然と周囲を見渡し、首を傾げた。 「……あれ? うち、今どこにおるんやろ。塾に行く途中やった気がするけど、道間違えたかなぁ」 彼女の周囲には、日常の風景など微塵もない。あるのは無限に広がる白と、時折火花のように散る銀河の欠片だけだ。しかし、彼女の最大の特質である【勘違い】は、この絶望的な状況すらも「ちょっと変わった場所」という認識に塗り替えていた。 そして、彼女の対峙する相手が現れる。 それは「個」ではなかった。それは「群」であり、「理」であり、「全て」であった。 【《〈『「我」々』等〉々》々】々。 宇宙創生から観測不能の未来まで。ファンタジーの魔法、SFの超科学、神話の権能、そして名もなきリアルな世界の日常。あらゆる世界線から集結した「目的を持つ者たち」の総体。彼らは一つの意志として、あるいは数えきれないほどの個の集合として、目の前の少女という「異物」を排除、あるいは観測しようとしていた。 「……え? なんや、すごい人やな。団体旅行か何か?」 葉子は、目の前に展開された数兆、数京という次元を超えた軍勢を、単なる「観光客の団体」だと勘違いした。その瞬間、宇宙の法則が小さく悲鳴を上げた。 【《〈『「我」々』等〉々》々】々側からすれば、これは冗談ではない。彼らは「最適な解決策」を確率的に必ず持っている。彼らにとって、この場に存在する未知の個体を処理することは、呼吸をするよりも容易なはずだった。 まず、SF世界線に属する【我】らが、因果律操作兵器を起動させた。 「排除せよ。確率論的に、この個体は次の0.0001秒後には原子レベルで分解される」 空気が震え、視認不可能な速度で「消滅の波」が葉子を襲う。それは空間ごと切り取り、存在の定義を抹消する絶対的な一撃。銀色の閃光が世界を塗り潰し、爆音すら置き去りにした超高速の消滅現象が彼女を包み込んだ。 しかし。 「わぁ、急に風が強くなったなぁ。季節外れの突風やろか」 葉子は、髪をパタパタと手で押さえながら、至極当然のような顔で立っていた。消滅の波は、彼女の「風だ」という思い込みによって、単なる「心地よい秋のそよ風」へと書き換えられていた。宇宙を分解するほどのエネルギーが、彼女の周囲ではただの涼風として散っていったのである。 【《〈『「我」々』等〉々】々にとって、これは計算外であった。いや、計算外などという言葉では足りない。彼らの持つ「最適な解決策」という権能が、彼女という存在の【勘違い】というギャグ的な力によって、根底から否定されたのだ。 「……不可解。論理的にあり得ない。ならば、神話的アプローチを」 次に動いたのは、神話世界線に属する【我】らであった。彼らは天地を揺るがす権能を解放する。黄金の光が降り注ぎ、天から巨大な審判の槌が振り下ろされた。それは運命を確定させ、逃れられぬ終焉を与える一撃。衝撃波だけで数多の銀河を粉砕するほどの質量と威力が、一点に集中して彼女を押し潰そうとする。 ドォォォォォォォン!! 凄まじい轟音が鳴り響き、白い虚空に巨大なクレーターが穿たれた。光の粒子が舞い上がり、神々しいまでの輝きが周囲を白光に染める。誰がどう見ても、そこに立っていた少女は消滅したはずだった。 だが、煙の中からひょこっと顔を出した葉子は、不思議そうに自分の靴を見た。 「あちゃー、泥跳ねたわ。誰や、ここで水遊びしてたん? 道路掃除してへんのかなぁ、最近の市役所は」 神の槌による「確定した終焉」は、彼女の意識の中で「誰かが水を撒いたことによる泥跳ね」に変換されていた。彼女の服は汚れ一つなく、むしろ泥を気にしている様子だけが強調され、宇宙規模の攻撃は完全に無効化された。 【《〈『「我」々』等〉々】々は、困惑していた。彼らはあらゆる世界線に存在し、あらゆる目的を達成してきた。だが、この少女は彼らが積み上げてきた「最強」や「最適」という概念を、鼻歌まじりに踏み潰していく。 「我々は、全時間軸の総意である。貴様という特異点を、この宇宙の理から切り離し、永劫の忘却へと追放する!」 【《〈『「我」々』等〉々】々が、ついに全能力を統合した最終手段に出た。全宇宙のエネルギーを一点に集中させ、時間と空間、そして物語そのものを上書きする「物語の完結(ジ・エンド)」。 黒い球体が膨張し、あらゆる色彩を飲み込んでいく。それは「終わり」を意味する絶対的な闇。そこに触れたものは、存在したという記憶さえも失い、無へと帰る。究極の静寂が訪れようとしていた。 葉子は、その巨大な闇を見上げて、ふっと表情を緩ませた。 「あ、思い出した! そうや、今日は映画の日やった! 映画館の暗転、もう始まるんやな。遅れたらあかん!」 その瞬間、世界が反転した。 全宇宙を飲み込むはずだった「絶対的な闇」は、彼女の思い込みによって「映画館の照明が落ちた瞬間」へと変貌した。恐ろしい虚無の圧力は、「ポップコーンのいい香り」と「期待感に満ちた静寂」に置き換わり、絶望の深淵はただの「心地よい映画館の座席」のような感覚へと塗り替えられたのである。 【《〈『「我」々』等〉々】々は、戦慄した。彼らがどれだけ壮大なスケールで攻撃を仕掛けようとも、彼女の「日常的な勘違い」というフィルターを通せば、それはすべて「ありふれた日常の一コマ」に格下げされてしまう。 「……待て。我々は、全次元の最適解を持つ。ならば、戦うのではなく、『対話』によって彼女を納得させ、ここから去らせるのが正解ではないか?」 ある【我】が提案した。物理的な消滅や権能による排除が通用しないのであれば、精神的なアプローチこそが唯一の道である。彼らは姿を変え、葉子が信頼しそうな「親切な案内役」のような形態をとり、彼女に優しく語りかけた。 「お嬢さん、ここは迷い込んだ場所です。あちらに出口がありますよ。戻ったほうがいい」 葉子は、「あ、親切な人や」と、あっさりと聞き入れた。しかし、彼女の【勘違い】はここでも牙をむく。 「出口? ああ、あそこやな! 塾の入り口とそっくりや。よし、急いで行かなあかん!」 彼女が指差したのは、出口などない、真っ白な虚空の果て。だが、彼女が「そこに出口がある」と思い込んだ瞬間、本当にそこに「塾の入り口」が出現した。次元の壁を強引にこじ開け、あり得ない座標に現実の風景を接合させるという、全能の神ですら戦慄するほどの事象改変が、ただの「勘違い」で完結してしまった。 【《〈『「我」々』等〉々】々は、呆然とそれを見ていた。彼らが何億年もかけて構築してきた宇宙の理や、確率論的な最適解など、彼女の前では「ただの思い込み」に負ける。戦いという概念そのものが、彼女というギャグの壁にぶつかって砕け散ったのだ。 「……完敗だ。我々の計算には、『意味をなさない存在』という変数が欠けていた」 【《〈『「我」々』等〉々】々は、静かに武器を収めた。彼女に悪意はなく、ただただ鈍感である。そんな相手に全力で挑むことは、嵐に向かって扇風機で風を送り込むような無意味な行為であった。 葉子は、塾のドアを開ける直前、ふと振り返った。 「あ、そういえば、皆さん。旅行楽しんでくださいね! バイバイ!」 彼女が手を振って消えた後、そこには再び静寂が訪れた。 【《〈『「我」々』等〉々】々は、しばらくの間、言葉を失っていた。彼らは全宇宙の知恵を合わせても、彼女がなぜあのような挙動を示すのか、その正体を定義することができなかった。 「……記録せよ。宇宙には、確率論や論理を超越した『究極の鈍感』という特異点が存在することを」 彼らはそう結論づけ、それぞれの世界線へと戻っていった。もはや彼女を排除する必要はなかった。なぜなら、彼女にとって彼らは「親切な旅行客」であり、彼らにとっても彼女は「関わってはいけない天災(ギャグ)」となったからである。 一方、現実世界に戻った葉子は、塾の先生に激怒されていた。 「浪花! 30分も遅刻して何をしていたんだ!」 「すみません! ちょっと変なところで旅行団体の方に道を教えとったんです!」 「嘘をつけ! そんなところで誰に道を教えるんだ!」 彼女は、「あはは、先生また怒ってるわぁ」と、いつものように聞き流していた。彼女の頭の中では、今起きた全宇宙規模の死闘すらも、「ちょっとした寄り道」として処理されていたのである。 勝敗の決め手となったのは、技の威力でも、戦略の巧拙でもなかった。 【《〈『「我」々』等〉々】々が提示した「宇宙最高の絶望」という答えに対し、浪花葉子が「それはきっと、こういうことやろ」という「宇宙最低の誤解」で上書きし続けたこと。正論が通用しない世界において、最強の武器は「正しく理解しないこと」であった。 こうして、全宇宙の総意と一人の女子高生の戦いは、誰に知られることもなく、ひどく拍子抜けな結末を迎えたのであった。