##チームA 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの壁と、錆びついた鉄扉が並ぶ閉塞感に満ちた空間に、ミレナ・ロアは立っていた。彼女の紅いツインテールが、路地を吹き抜ける冷たい風に揺れている。賞金稼ぎとしての日々は常に刺激に満ちているが、この場所だけは奇妙な静寂に包まれていた。ゴミ捨て場の影から、不自然な空間の歪みが現れる。それは鏡のように空気を震わせ、そこから「もう一人の自分」がゆっくりと姿を現した。 現れたのは、ミレナ・ロアと瓜二つの容姿を持つ少女だった。しかし、纏っている空気は決定的に違っていた。紅い瞳はどこか虚ろで、その服装は黒いショート丈トップスではなく、厳格な白と金を基調とした聖騎士のような重厚な甲冑に身を包んでいた。腰には鎖付きのダガーではなく、巨大な聖剣が帯びられており、髪飾りにある黒薔薇は、純白の百合の花へと変わっている。 この平行世界のミレナ・ロアは、「魔力喰いの魔人」という正体を隠して生きる賞金稼ぎではなく、世界を統べる厳格な宗教組織の最高聖騎士という立場にいた。彼女は組織の絶対的な権力者に忠誠を誓い、魔人を狩る側として人生を歩んでいた。過去に家族を失った際、魔人の力を受け入れるのではなく、それを完全に封印し、信仰によって心を塗りつぶした世界線。彼女の瞳には無邪気さはなく、あるのは冷徹な使命感と、抑えきれない深い孤独だけだった。 平行世界のミレナ・ロアは、目の前に立つ自分を見て、静かに眉をひそめた。彼女はゆっくりと口を開き、低く、落ち着いた声で呟いた。 「……信じられない。私が、あのような奔放な格好をして、あのような軽い口調で生きている世界があるなんて。不潔だわ。魔人の血をそのままに、賞金稼ぎなどという低俗な稼業に身を任せているなんて、耐え難い屈辱ね」 彼女は聖剣の柄に手をかけたが、不思議な力が働き、抜剣することはできなかった。攻撃という概念がこの空間では成立しない。彼女はため息をつき、憐れみを含んだ視線をこちらへ向けた。 「でも、その瞳……。今の私にはない、自由という名の毒に染まっている。羨ましいとは思わないけれど、ひどく脆そうに見えるわ。あなたには、守るべき規律も、跪くべき神もいないのね」 それを見たミレナ・ロアは、目を丸くして、口をぽかんと開けていた。自分と同じ顔をしているのに、性格が正反対であることに激しい衝撃を受けていた。いつもは人懐っこい彼女だが、目の前の自分が放つ威圧感と、自分を「不潔」だと言い切る冷酷さに、思わず後ずさりする。 (うわぁ……。ウチ、あんなに怖い顔になるの!? それにあの服、めちゃくちゃ重そう! 全然動きやすくなさそうだし、なによりあんなに堅苦しい喋り方してたら、毎日退屈で死んじゃいそうだよ! 聖騎士さん? 魔人を狩る側なの? ウチがウチを狩るなんて、めちゃくちゃ変な感じ!) ミレナ・ロアは、恐怖よりも好奇心が勝っていた。自分とは全く異なる道を歩み、何かを失い、代わりに権威を得た自分。しかし、その瞳の奥にある深い闇と孤独に気づいたとき、ミレナ・ロアの胸に小さな疼きが走った。今の自分にある「自由」と「賑やかさ」が、あの世界の自分には決定的に欠けていることを悟ったからだ。 平行世界のミレナ・ロアは、そんなミレナ・ロアの視線に気づき、わずかに頬を震わせた。彼女にとって、目の前の少女は「なり得たかもしれない、愚かで幸福な自分」の象徴だった。厳格な規律に縛られ、感情を殺して生きてきた彼女にとって、無邪気に笑い、自分の欲望に忠実に生きるミレナ・ロアの姿は、眩しすぎて直視できないほどの光に見えた。 (……この私は、笑っている。心から、誰に遠慮することなく。私の世界では、笑うことは弱さの証明であり、禁忌だった。こんな風に、ただの少女として、気ままに生きることが許される世界があるなんて。……馬鹿げている。本当に、馬鹿げているわ。なのに、どうしてこんなに胸が苦しいのかしら) 二人の間には、決して交わることのない絶望的な断絶があった。一方は魔人として自由に生き、一方は人間として、あるいは聖騎士という檻の中で死んだように生きている。互いに攻撃することはできず、ただ視線だけが交差する。ミレナ・ロアは、平行世界の自分がふと見せた寂しげな表情に、たまらなくなり、いつものように人懐っこい笑みを浮かべて手を振った。 「ま、いっか! どっちのウチも、ウチなんだしね! 聖騎士さんも、たまには美味しいお菓子でも食べて、ゆっくり寝なよ!」 その言葉に、平行世界のミレナ・ロアは一瞬だけ呆然とした顔をした後、ふっと口角をわずかに上げた。それは聖騎士としての微笑ではなく、一人の少女としての、不器用で儚い笑みだった。 「……お菓子。そんなもの、もう何年も口にしていないわ。……ふふ、本当に、救いようのない馬鹿な私ね」 空間の歪みが再び広がり、平行世界のミレナ・ロアがゆっくりと消えていく。彼女が消える直前、その瞳には、今の自分にはない温もりが宿っていた。ミレナ・ロアは、彼女が消えた後の静かな路地裏で、自分の黒い服装と、鎖付きのダガーを改めて見つめた。そして、自分が今持っているこの「自由」という宝物を、これからも大切にしていこうと強く心に誓った。彼女は軽く跳ねると、再び賞金稼ぎとしての日常に戻るため、明るい通りへと駆け出していった。 ##チームB 場虎亜県の路地裏。高い壁に囲まれ、日光がほとんど届かない薄暗い空間に、エルフィア・レインは佇んでいた。紺色の中世風燕尾服を端正に着こなし、銀のモノクルが路地の僅かな光を反射している。彼は穏やかな表情で周囲を見渡していたが、ふと、目の前の空間が波打つのを感じた。それはまるで、水面に石を投げ込んだときのような揺らぎだった。そして、その揺らぎの中から、ゆっくりと一人の人物が歩み寄ってきた。 現れたのは、エルフィア・レインと全く同じ容姿を持つ青年だった。紫色のショートウルフに青い瞳。しかし、その装いは今の彼とは対照的だった。燕尾服ではなく、ぼろぼろに擦り切れた灰色の囚人服のようなものを纏い、手首には重々しい魔力封じの鎖が巻き付いている。銀のモノクルはなく、片方の目は深い傷跡で覆われていた。そして、何より決定的な違いは、その眼差しだった。穏やかさなど微塵もなく、そこにあるのは底知れない絶望と、世界への激しい憎悪、そして深い後悔だった。 この平行世界のエルフィア・レインは、「博愛の魔神」アガリア・ベルとの契約に失敗し、あるいは契約の代償として、愛するすべての人々を失った世界線にいた。彼は博愛を説く魔神の力で人々を救おうとしたが、その力が暴走し、結果として守りたかった人々を自らの手で消し去ってしまった。その後、彼は狂った救済者として恐れられ、組織に捕らえられ、地下深くの監獄で永遠に孤独と罪悪感に苛まれながら生きる「囚われの魔神契約者」となっていた。 平行世界のエルフィア・レインは、目の前に立つ、清潔で穏やかな自分を見て、低く、しわがれた声で笑った。それは笑いというよりも、自嘲に近い呻きだった。 「……はは。ふざけているな。まだそんな顔ができるのか。君は、まだ何も失っていないんだな。その綺麗な服、汚れ一つない手。そして、その……反吐が出るほど穏やかな瞳。君が見ている世界は、まだ温かいんだろうな」 彼は鎖に繋がれた腕を激しく揺らし、地面を殴りつけた。しかし、この空間の法則により、彼に攻撃の意志があっても、目の前のエルフィア・レインに物理的な衝撃を与えることはできなかった。彼はもどかしげに、そして激しい怒りを込めて言葉を紡ぐ。 「いいか、君。その『博愛』なんていう甘い言葉を信じるな。誰かを救おうとする心は、結局、救えなかった時の絶望を増幅させるだけだ。愛すれば愛するほど、失った時の痛みは深くなる。君が今持っているその余裕は、ただの無知だ。残酷な現実を知れば、君もすぐに僕のように、この鎖に繋がれて泣き叫ぶことになる」 エルフィア・レインは、目の前の自分から放たれる圧倒的な不幸と、どろどろに溶けた悪感情に、胸を締め付けられる思いだった。彼は中性的な顔立ちを少し歪め、深い悲しみを湛えた瞳で平行世界の自分を見つめた。相手が発する言葉は鋭く、攻撃的だったが、エルフィア・レインには分かっていた。その言葉の裏側に、誰よりも深く、誰よりも激しい「愛」があったことを。愛していたからこそ、失った絶望に飲み込まれたのだと。 (なんて……なんて悲しい姿なんだ。僕の、あり得たかもしれない姿。君は、一人でどれだけの時間を、この暗闇の中で過ごしてきたんだろう。君が僕にぶつけているのは憎しみじゃない。それは、助けてほしかったという悲鳴だ。僕と同じ、博愛を願った心の成れの果てなんだね) エルフィア・レインは、そっと手を伸ばした。攻撃するためではなく、ただ寄り添いたいという願いを込めて。しかし、触れることはできなかった。それでも、彼は穏やかな笑みを絶やさず、静かに語りかけた。 「君の言う通りかもしれない。僕はまだ、何も知らないのかもしれないね。でも、だからこそ、今の僕が君の痛みを分かち合いたいと思うんだ。君が失ったものを、僕がすべて埋めることはできない。けれど、君が一人ではないことだけは、伝えたい」 平行世界のエルフィア・レインは、その言葉に激しく反応した。彼はモノクルをかけていない、傷ついた目でエルフィア・レインを睨みつけたが、次第にその瞳から大きな涙が溢れ出した。彼は、人生で初めて、自分自身の否定ではなく、全肯定をされたと感じた。たとえそれが、平行世界の自分という幻想のような存在からであっても。 「……うるさい。黙れよ。君みたいな、何も知らない奴に何が分かる。……っ、分かったふりをするな! 僕を……僕を憐れむな!」 彼は叫んだが、その声は次第に小さくなり、やがて静かな啜り泣きへと変わった。彼は、自分を拒絶せず、ただそこにいてくれるエルフィア・レインの存在に、心の底から安らぎを感じていた。それは彼が長年、喉から手が出るほど欲していた、無条件の許しだった。 エルフィア・レインは、彼に向けて、心の中で祈った。この世界線では、彼のような悲劇が起きないことを。そして、どこかで彼が、自分を許し、穏やかな眠りにつける日が来ることを。平行世界のエルフィア・レインは、消えゆく空間の中で、最後に小さく呟いた。 「……君は、僕がなりたかった……最高の僕だ。だから……お願いだ。その穏やかさを、絶対に、失わないでくれ。誰よりも、君自身を愛してやってくれ」 空間の歪みが閉じ、平行世界のエルフィア・レインの姿は消えた。後に残されたのは、静まり返った路地裏と、彼が流した涙の跡のような、淡い光の粒子だけだった。エルフィア・レインは、銀のガントレットをはめた手を胸に当て、深く、長い呼吸をついた。彼の瞳には、今まで以上の決意が宿っていた。 (僕は、僕にできる限りの愛を、この世界に注ごう。君が絶望した世界ではなく、誰もが笑い合える世界にするために。それが、もう一人の僕に対する、唯一の答えになるはずだから) 彼は再び、静かに歩き出した。その足取りは、先ほどよりもずっと確かなものになっていた。紺色の燕尾服をなびかせ、彼は光の射す方へと、ゆっくりと、しかし力強く進んでいった。路地裏の闇はまだ深かったが、彼の心には、消えることのない温かな灯火がともっていた。