夜空に浮かぶのは、凝固した血を塗りたくったかのような、どす黒い紅い月。 その不吉な光芒は、地上の理を書き換え、生物が本能的に抱く「生存への渇望」と「破壊への衝動」を極限まで増幅させていた。 荒野に集った三者の間には、張り詰めた沈黙がある。しかし、その沈黙は静寂ではなく、爆発直前の圧力だった。 一人は、漆黒の装束に身を包んだ青年、ブラス・ギルバート。双剣を静かに構えるその瞳には、冷徹な知性と、それを上回る底知れない殺意が宿っている。 一人は、二メートルの巨躯を誇る男、マフィオソ。仕立ての良いスーツを纏いながらも、その眼光は飢えた獣のように鋭い。 そしてもう一人は、青い二進数の奔流に身を任せる男、スクリーム。黒いジャケットを羽織り、論理の剣を携えた彼は、感情を排した機械のような冷酷さで戦場を俯瞰していた。 通常であれば、彼らは互いの能力を分析し、隙を伺い、慎重に一手を選ぶだろう。だが、今夜は違う。紅い月の魔力が、彼らの精神に深く浸食していた。 (……ああ、心地いいな) ブラスは口角をわずかに吊り上げた。普段なら抑制している「殺戮への飢え」が、ダムが決壊したように溢れ出している。理性という名の鎖が、紅い月の光に焼かれて消えていく。隣に立つ二人の存在が、ただの「人間」ではなく、「壊し甲斐のある標的」に見えた。 マフィオソの呼吸が荒くなる。冷静なマフィアの顔は消え、血に飢えた処刑人の顔へと変貌していた。彼の内側で、暴力への純粋な衝動が沸点に達していた。 スクリームの周囲を舞う青い数式が、激しく明滅する。論理的な思考回路はそのままに、その目的が「効率的な勝利」から「完膚なきまでの破壊」へと書き換えられていた。最適解とは、相手を最も残酷に解体すること。その結論に、彼は至悦を感じていた。 「I see'em. Kill them.」 マフィオソが低く呟いた。それが、血の宴の合図だった。 【激突】 先手を打ったのはマフィオソだった。巨体に似合わぬ爆発的な踏み込みで、彼はブラスへと肉薄する。その手には、紅い月の光を反射して鈍く光る剣が握られていた。 「I've got you now!」 咆哮と共に放たれた一撃。通常であれば、その速度と質量に押し潰される。しかし、ブラスの反応はそれを遥かに上回っていた。紅い月の影響で《戦血》のリミッターが外れた彼の身体能力は、既に人智を超越している。肉体を構成する血の一滴一滴が超高圧のポンプとなり、神経伝達速度を極限まで加速させる。 キィィィン! 鋭い金属音が響き、火花が散る。ブラスの双剣が、マフィオソの猛攻を完全に受け止めていた。 「デカいだけのゴミが」 ブラスの口から出たのは、吐き捨てるような罵言。同時に、彼は《戦血》による身体強化をさらに一段階跳ね上げた。筋肉が膨張し、血管が皮膚の下で脈打つ。衝撃波が地面を砕き、円形のクレーターを作り出した。 その隙を、スクリームが見逃すはずはない。彼は空中で座標を微調整し、二人の死角へとテレポートした。 「解析完了。貴様らの存在係数は、極めて不合理だ」 スクリームが振るう【数学の剣】が、空間そのものを切り裂く。それは単なる物理的な斬撃ではなく、相手の弱点を数値化し、そこへピンポイントで干渉する概念的な攻撃だ。 だが、ブラスはそれを背後で感知していた。振り返ることなく、彼は《殲血の権能》を発動させる。自身の体外に噴出した血が瞬時に凝固し、禍々しい血の盾を形成。スクリームの剣は、その血の壁に弾かれた。 「……!? 座標のズレを発生させたはずだが、物理的な防御で遮断したか」 スクリームの瞳に、初めて驚愕の色が浮かぶ。しかし、彼はすぐに冷徹な分析に戻った。数値変換により、自身のスピードを10倍に引き上げ、残像すら残さない超高速移動でブラスとマフィオソを翻弄し始める。 「Here we go folks.」 一方のマフィオソは、懐から電話を取り出し、不気味なコードを打ち込んだ。それは彼が操る「手下」たちの召喚。空間の裂け目から現れた見えない弾丸のような攻撃が、ブラスとスクリームに降り注ぐ。当たれば永遠に燃え続ける業火。紅い月の魔力によって、その炎は通常の数倍の熱量を帯び、大気を白熱させていた。 「チッ、うるせえな!」 ブラスは双剣を交差させ、周囲に血の旋風を巻き起こした。血の盾で炎を防ぎつつ、彼は攻撃へと転じる。 《禍穿殲血》 ブラスの視線がマフィオソを捉えた瞬間、不可視の力が発動した。マフィオソの体内を流れる血を、外部から強制的に操作し、内側から鋭い針へと変貌させる。心臓、肺、血管。あらゆる組織を内側から突き破る残酷な攻撃。 「ガッ……!!」 マフィオソが血を吐き、膝をつく。だが、紅い月の魔力が彼を突き動かしていた。絶望的な痛みが、逆に彼の狂気を加速させる。彼は内臓が破裂したまま、無理やり身体を突き動かし、再び剣を振り上げた。 「You're mine!!」 血塗れの咆哮。マフィオソは、もはや人間としての理性を捨て、ただの破壊神と化していた。その一撃は、地面を裂き、山を削るほどの威力を伴ってブラスへと襲いかかる。 同時に、スクリームが冷酷に呟く。 「0に戻せ」 【0に戻す】。概念干渉。ブラスの《戦血》による身体強化、および《殲血の権能》による血の操作を、強制的に数値ゼロへとリセットする絶対的な権能。 世界が白く光り、ブラスの身体から漲っていた魔力と血の奔流が、一瞬にして消滅した。身体強化が消え、ただの青年に戻った瞬間。マフィオソの絶大なる一撃が、ブラスの肩を深く切り裂いた。 ドガァッ!! 衝撃でブラスの身体が後方へと吹き飛び、岩壁に激突する。骨が砕ける音が鈍く響き、鮮血が舞った。 「ふん。論理的な帰結だ。どれほど強大な力を持とうと、0を掛け合わせれば結果は0になる」 スクリームは勝利を確信し、ゆっくりと歩み寄る。その手にある【数学の剣】が、ブラスの存在そのものを「分解」するために振り上げられた。 だが、ブラスは血まみれの顔で、狂ったように笑っていた。 「……ハハッ、最高だ。全部消されたかと思ったぜ」 【即時回復】。 《戦血》の上限なき身体強化には、絶望的な速度の再生能力が含まれていた。0にリセットされた瞬間、彼は再び血を燃やし、リミッターをさらに破壊して再起動させた。しかも、先ほどまでよりも遥かに濃い、どす黒い血が彼の身体を包み込んでいる。 「理屈はどうでもいい。俺の血が、お前を殺せと言ってるんだよ」 ブラスの瞳が、紅い月に染まり、完全に赤く発光した。 特異権能《禍血殲月》。 彼の中のすべての権能が統合され、特異点へと至った形態。もはやそれは「血を操る」レベルではない。因果をねじ曲げ、神さえも屠る絶望の力。 スクリームが即座に反応し、【超分析的予測】を展開する。数兆通りの未来を計算し、最適解を導き出そうとした。しかし、計算結果はすべて、単一の答えに収束していた。 【生存確率:0%】 「……馬鹿な。私の計算に、ミスがあるはずが――」 言葉が終わる前に、世界が静止した。 ブラスの姿が消えた。テレポートではない。あまりに速すぎる速度が、時間の概念さえも置き去りにしたのだ。 《殲月》 感知不可の18連斬撃。それが、《禍血殲月》の力によって因果を超越した一撃へと昇華される。 一撃目が、スクリームの【ホログラフィー】バリアを紙のように切り裂いた。 二撃目が、彼の【座標変更】による回避を先読みし、空間ごと切り裂いた。 三撃目から十撃目までが、スクリームの肉体を、そして彼を取り巻く青い二進数の数式を、文字通り「バラバラに」解体した。 「あ……が…………」 スクリームは、自分がどうして斬られたのかを理解する暇もなかった。彼の論理は、ブラスの圧倒的な暴力という名の「不条理」によって完膚なきまでに破壊されたのだ。 そして、最後の一撃。 紅い月の光を凝縮したような巨大な血の斬撃が、スクリームの存在そのものを消し飛ばした。肉体も、魂も、彼が信じた数学的真理さえも、すべてが紅い血の海へと飲み込まれ、消滅した。 【一人脱落:スクリーム】 静寂が戻った戦場に、一人、血塗れの巨漢が立っていた。マフィオソである。 彼はもはや、まともな思考をしていなかった。内臓は破裂し、四肢はガタガタに砕けている。だが、紅い月の魔力が彼を「生かし」ていた。死ぬことさえ許されず、ただ殺し合う快楽だけが彼を突き動かしていた。 「……You're... the last one.」 マフィオソが、地を這うような声で呟いた。彼は残ったすべての生命力を振り絞り、最後の突撃を開始した。その速度は、もはや物理法則を無視していた。正真正銘、命を削った一撃。 ブラスはそれを避けない。 双剣を正眼に構え、静かに、そして深く息を吸い込んだ。 《致死の権能》 この権能が発動すれば、相手がどれほどの耐久力を持っていようと、どれほど不屈の精神を持っていようと、関係ない。斬った瞬間、相手は「死」という結果に到達する。 ガギィィィィン!! マフィオソの剣がブラスの胸元まで届く寸前、ブラスの双剣が十字に交差し、マフィオソの喉元と心臓を同時に貫いた。 「Gotcha...」 マフィオソが最期にそう呟こうとしたが、声は出なかった。致死の権能が、彼の生命活動を完全に停止させたからだ。 マフィオソの巨大な身体が、ゆっくりと、そして重々しく地面に倒れ伏す。その瞳からは光が消え、紅い月の光だけが、死体に冷たく降り注いでいた。 【二人脱落:スクリーム、マフィオソ】 静寂が訪れた。 ブラス・ギルバートは、血に染まった双剣を静かに鞘に収めた。身体を包んでいた禍々しい血のオーラが、ゆっくりと引いていく。リミッターが外れていた反動で、激しい疲労が襲ってきた。 彼は空を見上げた。 紅い月は、まだそこにいた。まるで、この惨劇を心地よさそうに眺めているかのように。 「……最悪の夜だ」 そう呟いたブラスの口元には、隠しきれない充足感と、狂気的な笑みが浮かんでいた。 血を血で洗う夜。理性を捨て、本能のままに殺し合った結果、生き残ったのはただ一人。 ブラスは、死体の山を背にして、ゆっくりと歩き出した。その後ろ姿は、紅い月の光に照らされ、誰よりも禍々しく、そして孤独な「殲月」の姿であった。