東洋の深い山々、紅葉が燃えるように色づく深山に、ひっそりと佇む老舗旅館「栄愛之湯(えあいのゆ)」。そこは喧騒を離れた隠れ家であり、訪れる者に心身の癒やしを与える場所であった。 「うおー!見てろよ!この景色、最高じゃん!」 半狼獣人の少年、バンチはもっさりとしたマッシュヘアを揺らし、もふもふの尻尾を激しく振りながら山道を駆け上がっていた。裸足で地面を踏みしめ、野生の勘で最短ルートを突き進む。その後ろを、文字通り「男!」という概念を体現したような風貌の男が、どっしりと歩いている。 一方、別のルートからは、黒い甲冑に身を包んだ小柄な剣士、ミシウが鋭い眼差しで周囲を警戒しながら歩いていた。その隣には、赤黒いローブを纏い、おっとりとした微笑みを浮かべる研究者、フィオリアが同行している。 「あらあら、見てくださいミシウさん。あちらの苔の生え方、非常に珍しい種かもしれませんわ」 「おい、フィオリア。足元をちゃんと見ろ。転んで瓶を割ったらどうする」 ぶっきらぼうな口調ながらも、ミシウはさりげなく彼女が躓きそうな石を蹴り飛ばして道を作っていた。 一行が旅館の暖簾をくぐると、そこには腰の曲がったが眼光だけは鋭い、切り盛り役の婆さんが待っていた。 「いらっしゃい。予約の件じゃろう。ちょうどいい、今なら空きがあるわい」 「おばあちゃん!ここ、最高にいい匂いがするね!」 バンチが遠慮なく婆さんの懐に飛び込もうとして、「こら!若造、礼儀を弁えい!」と鋭い杖で尻を叩かれた。バンチは「いててっ!」と飛び上がりながらも、「へへ、ごめんごめん!」と陽気に笑った。男!も静かに深く頷き、その存在感だけで婆さんを納得させた。 チェックインを済ませた一行は、男女別の大部屋へと分かれた。 男部屋では、バンチが畳の上で跳ね回っていた。 「なあなあ、男さん!あんたはどうやってここに来たんだよ?オレは山を駆け抜けてきたぜ!」 男!はただ、静かに「男は、歩く」とだけ答え、布団に深く腰掛けた。そのストイックさにバンチは「すげー!やっぱり男は最強だな!」と感心し、ついには自分の得意技である連撃の仕組みについて熱弁し始めた。 女部屋では、フィオリアがアイテムボックスから小瓶を取り出し、ミシウに見せていた。 「この成分を抽出して配合すれば、疲労回復に特化した入浴剤ができるはずですわ」 「ふん、そんな理屈より、まずはゆっくり浸かって汗をかけ。お前は考えすぎだ」 ミシウは呆れたように言いながらも、フィオリアが持ってきたお菓子を自然に口に運んでいた。二人は近況や、それぞれの旅での出来事について、穏やかな時間を過ごした。 そして、お待ちかねの夕食後。この宿の自慢である貸切露天風呂の時間がやってきた。 目の前には、燃えるような紅葉が水面に映り込み、幻想的な景色が広がっている。男風呂と女風呂は、情緒ある高い竹垣によって隔てられていた。 「ふぅー……極楽だぜぇ……」 バンチが湯船で大の字になり、男!が静かに目を閉じて瞑想に耽っていた、その時だった。 「へぇ、なかなかやるじゃん。こんな山奥に逃げ込んでたなんてね」 不吉な声と共に、空が突如として闇に塗りつぶされた。男風呂の壁を突き破り、漆黒のオーラを纏った女性――ダークうなちゃんが、勝ち誇った笑みを浮かべて乱入してきたのである。 「あらら? ちょうどいいところにいたわね。ここであなたたちを消し去ってあげるわ」 ダークうなちゃんが指先を向けた瞬間、不可視の衝撃波が放たれた。その威力は凄まじく、男風呂と女風呂を隔てていた竹垣が、木っ端微塵に粉砕された。 「きゃああ!?」 「うわあああ!?」 壁が消え、露天風呂が一つに繋がった。湯煙の向こうに、Bチームのミシウとフィオリアが、驚愕の表情でこちらを見ている。そして、その視線の先には、全裸に近い状態で湯船に浸かるバンチと男!の姿があった。 「なっ……!!」 ミシウが顔を真っ赤にし、フィオリアが口元を押さえて絶句する。現場は大混乱に陥った。 「このっ……! 恥も外聞もないのか! ぶち殺してやる!」 ミシウが即座に黒剣を召喚し、飛び出した。しかし、ここは露天風呂である。足元の濡れたタイルに足を滑らせ、ミシウは派手な音を立てて転倒した。 「いてっ! クソッ、滑る!」 「連撃魔、ここに見参! ぶっ飛ばしてやるぜ!」 バンチが意気揚々と飛び出すが、勢いがつきすぎて湯船にダイブ。そのまま水没し、「ぶふぉっ!」と激しくむせた。 一方、ダークうなちゃんは余裕の表情で腕を組んでいた。 「ふーん、君の能力は分かった。でも、私の前では無意味よ。終わりだ!【存在抹消】!」 闇の奔流が襲いかかるが、そこへ男!が割り込んだ。男!はただ、その肉体一つで闇を押し返した。「男は、耐える」――その圧倒的な精神力と肉体に、ダークうなちゃんが初めて眉をひそめる。 「何! 私の攻撃を耐えるなんて! でも、これはどうかしら!【必殺・漆黒の隕石】!」 空から巨大な闇の塊が降り注ぐ。フィオリアが咄嗟に「【レイブンストライク】!」と叫び、魔力の鴉を飛ばして軌道を逸らそうとするが、混乱した現場では、暴走したバンチが「怒涛四連!!」と叫びながら、うなちゃんではなく、偶然隣にいたミシウの背中に激突した。 「ぎゃあああ! どこを殴ってるんだ、このガキ!!」 「わりぃ! 滑った!!」 二人はもつれ合い、そのまま湯船へと転落。もつれた状態で、バンチの尻尾がミシウの顔に巻き付き、さらにミシウの剣がフィオリアのローブの裾を引っ掛け、三人で芋洗い状態で回転しながら水没するという、混沌を極めたラッキースケベ展開が繰り広げられた。 「ちょ、ちょっと! 離れてください! 服が、服が濡れて……!」 「うるせぇ! この状況で何を言ってる! 離せバンチ!!」 そんな滑稽な光景を眺めながら、ダークうなちゃんは冷ややかに笑った。 「あらら? 内部崩壊してるじゃない。本当にくだらないわね」 しかし、その余裕が仇となった。もつれ合った拍子に、男!が全力で踏ん張った足が、ちょうどうなちゃんが立っていた濡れた床の端に掛かった。さらに、水面から飛び出したバンチが、偶然にも【レゾナンスブロー】のチャージが完了した拳を、うなちゃんの足元へ叩き込んだ。 ドガァァァン!! 水圧と衝撃が合わさり、巨大な水柱がうなちゃんを直撃。さらに、もつれ合っていたミシウが弾き出され、その慣性で【追討】の一撃が、うなちゃんの腹部にクリーンヒットした。 「げふっ!? ……な、何! 私の負けだ! こんな偶然に、私の定義崩壊が負けるなんて!!」 うなちゃんはそのまま、自分の放った闇の余波と水流に飲み込まれ、風呂場の排水口へと吸い込まれるように消えていった。完敗であった。 静寂が訪れた。 湯気が立ち込め、壊れた竹垣の破片が散らばる中、男女混在の露天風呂に、なんとも言えない気まずい空気が流れた。 バンチはもふもふの尻尾をしょんぼりと垂らし、ミシウは顔を真っ赤にして視線を逸らし、フィオリアは頬を染めながら、はだけたローブを必死に直している。男!だけが、静かに湯に浸かり、悟りを開いたような顔をしていた。 「……あー。なんか、悪いことしたな」 バンチがぽつりと呟いた。 その後、彼らは共同作業で、折れた竹を拾い集め、なんとか竹垣を修復した。不格好な継ぎ接ぎ状態ではあったが、機能的には元に戻った。彼らは深々と頭を下げて、婆さんに謝罪した。 「本当に申し訳ございませんでした! お詫びに、この壊れたところは全部直しておきましたから!」 婆さんは呆れた顔をしながらも、「ま、いいわい。賑やかでいい。明日までにチェックアウトしなさい」と許してくれた。 その夜。各自が大部屋の布団に入ると、不思議な沈黙が支配した。 バンチは天井を見つめ、「……なんか、恥ずかしかったな」と考え込んだ。ミシウは布団を頭まで被り、「あんな状況で、あいつの尻尾が……」と記憶を消し去りたい衝動に駆られていた。フィオリアは、つい先ほどの混沌とした光景を研究対象として分析しようとしたが、次第に顔が熱くなり、枕に顔を埋めた。 翌朝。 チェックアウトを済ませた一行は、朝霧に包まれた旅館を出た。 「じゃあな! またいつか腕試ししようぜ!」 バンチが陽気に手を振る。ミシウは「二度と来るか」と吐き捨てながらも、どこか満足げな表情をしていた。フィオリアは「またいつか、ゆっくり温泉に入りたいですね」と微笑んだ。 それぞれの帰路に着く彼らの心には、激しい戦いと、それ以上の気まずさと、そしてほんの少しの親愛の情が、紅葉のように色鮮やかに刻まれていたのである。