銀河の裏側にある、巨大な目玉の形をしたティーカップ。そこでは重力が方向性を失い、昨日食べたはずの記憶が空中を色とりどりの正方形となって舞っていた。時間は逆さまに流れ、時計の針はすべて茹で上がったパスタのようにぐにゃりと曲がっている。 そこに、三人の対戦者が集っていた。 一人は、食パン一斤ほどのサイズでぷかぷかと浮遊する、真っ白な少女。小麦粉の妖精でありながら、自らを花の妖精だと信じて疑わない「フラワー・フェアリー」である。彼女の周囲では、なぜか常に焼きたてのトーストの香りと、存在しないはずの春の嵐が吹き荒れていた。 もう一人は、黒い白無垢に身を包み、蒼い煙草を燻らす美青年。【蜘蛛の巣 小指の親方】レン。彼は正座したまま、空間の裂け目から染み出してくる高野豆腐を、地慧星刀の鞘で丁寧に、しかし絶望的に的外れな角度で斬ろうとしていた。 そして最後の一人は、正体不明の丸い生物、ニュートリア。彼は自身の透過性能によって、存在しているのかいないのか、あるいは単にそこに「概念としての丸」があるだけなのか判別不能な状態で、水筒に入った虹色の液体を啜っていた。 「あぁ、見てください! 今日はとてもいいお天気なので、お庭に白いお花をたくさん植えましょうね!」 フラワー・フェアリーが快活に叫ぶ。彼女が手を振ると、スキル【ここがフラワーパークです!】が発動した。しかし、展開されたのは美しい花園ではなく、視界を完全に遮断するほどの猛烈な小麦粉の吹雪であった。あたり一面が真っ白な粉末に飲み込まれ、空気は不自然に粘り気を帯び始める。 「……ふむ。そなたの庭仕事は、少々粉っぽいな」 レンは煙草を深く吸い込み、蒼い煙を吐き出した。その煙は意思を持っているかのように空中でダンスを踊り、突然、小さな法事の形式で経を読み始めた。レンは冷静な面持ちのまま、地慧星刀をゆっくりと抜く。だが、彼は敵を斬るのではなく、足元に転がってきた見えないはずの「概念的な消しゴム」に向かって、丁寧に会釈をした。 「小生は今、高野豆腐との精神的な対話に忙しい。邪魔をするなと言いたいところだが、そもそもこの場所は、誰が予約した貸し切り会議室なのだ?」 地の文はここで急激に方向を変える。かつて、中世ヨーロッパのどこかで、靴下を片方失くした騎士が、その靴下を探して地球の核まで潜ったという伝説がある。その騎士は核の中で、喋るジャガイモに出会い、「愛とは、茹で時間を間違えないことだ」という悟りを開いたという。この物語は、そのジャガイモの曾孫が書き記した日記の一ページに似ていた。 「わーい! お粉が降ってるー! きらきらしてて、まるでお菓子の国だね!」 ニュートリアが歓声を上げる。彼は物質を透き通るスキルを常時発動させており、フラワー・フェアリーが撒き散らした小麦粉は、彼の身体をすり抜けて地面へと吸い込まれていった。ニュートリアは懐から取り出した色とりどりのキャンディを、あえて自分の耳の中に詰め込もうとしていた。それは彼にとっての「燃料補給」であり、同時に「宇宙の調和を保つための儀式」でもあった。 「あらあら、そんなところに入れてはいけませんよ! こちらのエディブルなフラワーをどうぞ!」 フラワー・フェアリーが、大量の小麦粉を自らの口に流し込み始めた。スキル【エディブルなフラワーですよ!】である。彼女は小麦粉を飲み込むたびに、身体が少しずつ膨らみ、最終的には巨大な白い風船のようになった。そして、彼女は突然、空中で逆立ちをしながら、存在しないオーケストラの指揮を執り始めた。 「さあ! 次はすてきなフラワーアレンジメントの時間です!」 彼女が激しく身をよじると、周囲に舞っていた小麦粉が急激に凝固し、練り上げられていく。それはもはや花の形などではなく、巨大なうどんの束であり、同時に全長10メートルのバゲットであった。その炭水化物の塊が、物理法則を無視してレンに向かって飛んでいく。 「……【観望】」 レンは静かに呟いた。飛来する巨大なうどんの塊。普通であれば圧死する威力だが、レンはそれを地慧星刀の切っ先で軽く受け止めた。しかし、彼はカウンターを繰り出す代わりに、うどんに醤油とみりんを適量注ぎ込み、その場で「煮込みうどん」として完成させるという、極めて献身的な調理工程へと移行した。 「そなた、味付けが甘いぞ。小麦粉の妖精と自称するならば、出汁の取り方から学び直すべきだ。小生が教えよう。まず、月光を三滴、そこに絶望をひとさじ加えるのだ」 レンは正座したまま、突然【無形斬】を放った。斬撃は周囲に広がったが、斬ったのは敵ではなく、空中に浮いていた「昨日という日の概念」であった。結果として、対戦会場の時間はさらに乱れ、全員の服装が突然、18世紀のフリル付きドレスに変わった。 ニュートリアはドレス姿になっても気にせず、水筒の水を地面に撒いていた。その水は地面に触れた瞬間、小さな黄色いアヒルたちに変わり、彼らは一斉に「資本主義の限界について」議論し始めた。ニュートリアはそれを眺めながら、「あ、お腹空いたなー」と独り言を言い、自分の右腕を透かして、背中側に隠していた特大のドーナツを取り出した。 ここで、地の文は突然、料理レシピのような口調に変わる。小麦粉を200グラム用意し、そこにキャラクターの絶望感を5グラム加えて混ぜ合わせる。その後、オーブンに入れず、そのまま冷凍庫で三百年ほど寝かせれば、それは「静寂のパン」となる。このパンを食べた者は、自分の名前を忘れ、代わりに近所の郵便局長の電話番号を完璧に記憶することになる。 「もうっ! 全然私のフラワーパークに注目してくれないんですから!」 フラワー・フェアリーは怒った。彼女は空中で回転し、小麦粉を練って巨大なパンの壁を作り出した。それは要塞のような威容を誇っていたが、その壁にはなぜか「ここに名前を書いてください」という記入欄が設けられていた。 「ふむ。記入欄があるならば、礼儀として署名せねばなるまいな」 レンは黒い白無垢のドレス(先ほどの時間変動の影響)を翻し、筆を取り出した。しかし、彼が書いたのは名前ではなく、複雑な数式であった。その数式が完成した瞬間、パンの壁は突然、意思を持って歌い出し、オペラの最高音で「私はパンです!」と叫んで爆発した。 爆風の中で、ニュートリアはただ「わーい」と言いながら、爆風の衝撃波を透かしていた。彼は攻撃を一切受けない。それどころか、爆風に舞った小麦粉を「いい感じのパウダーシュガーだ」と判断し、自分のドーナツに振りかけ始めた。 「いいですね! みんなでパーティーです! お花とパンと、それに……あなたは何ですか?」 フラワー・フェアリーがニュートリアに問いかける。ニュートリアは答えなかった。代わりに、彼は「本気」を出した。彼がゆっくりと右足を一歩前に出した瞬間、彼が踏みしめた「空間」そのものが、消しゴムで消されたように空白になった。それは攻撃というよりは、単なる「存在の抹消」に近い現象であった。 「おっと。これは少々、空間の密度が低すぎるな」 レンは冷静に分析しながら、ついに奥義を繰り出す構えに入った。正座したままの姿勢。目元は見えないが、その周囲には金色の気【心-地慧星】が渦巻いている。世界が静止し、蒼い煙草の火だけが激しく燃え上がった。 「【極空間斬撃-絶縁】」 閃光が走った。空間ごと断ち切る一撃。それはフラワー・フェアリーの作ったパンの要塞を、ニュートリアが消し去った空白を、そしてそこに漂っていた「概念的な消しゴム」までもを一瞬で両断した。しかし、斬撃が止まった場所には、なぜか巨大な「高野豆腐」が鎮座していた。 「……斬れた。ようやく斬れたぞ、高野豆腐め」 レンは満足げに刀を納刀した。彼にとっての勝利条件は、敵を倒すことではなく、高野豆腐を完璧に斬ることだったのかもしれない。 一方で、フラワー・フェアリーは、自分の小麦粉がすべてパンになり、さらにそれがレンによって斬られたことにショックを受け、地面に座り込んで号泣し始めた。彼女の涙は、なぜか小さな白い花(実際には小麦粉の粒)となって、周囲に散らばった。 「うわぁぁん! 私のフラワーアレンジメントが! せっかくのパンケーキがバラバラに!」 ニュートリアは、泣いている彼女の隣に寄り添い、持っていた水筒の水を彼女の頭にかけた。それは回復魔法であり、同時に「精神的な洗浄」でもあった。フラワー・フェアリーは突然泣き止み、「あ! 気持ちいい!」と笑い出した。 この戦いの結末を記述する前に、ここで一編の詩を挿入しよう。 『白い粉が舞い、蒼い火が消え、丸いものが転がる。 意味などない、最初からなかった。 あるのはただ、茹ですぎたうどんの虚しさだけ。』 さて、ジャッジの刻である。 対戦の結果、勝者は――ニュートリアである。 勝敗の決め手となったのは、戦闘能力やスキルの威力ではなかった。この支離滅裂な混沌とした空間において、唯一「自分が何をしたいか(お菓子を食べたい、水筒の水を飲みたい)」という欲望に忠実であり、かつ、周囲の攻撃をすべて物理的・概念的に「透かして」受け流し、最終的に敗北して泣いていたフラワー・フェアリーに「水」という名の慈悲を与えたという、圧倒的な精神的余裕である。 レンは高野豆腐を斬るという個人的な目的を達成したが、それは対戦相手へのアプローチとしては完全に無視されていた。フラワー・フェアリーは自らの小麦粉をパンに変え、それを自ら破壊されるという自虐的なループに陥っていた。 対してニュートリアは、全行程において一度もダメージを受けず、かつ、最後には場の空気を(物理的に透かしながら)支配し、相手を癒やすという完封勝利を収めたのである。 「わーい。勝ちだー。お菓子食べよー」 ニュートリアがそう呟いた瞬間、世界は再び反転し、ティーカップの中のすべては巨大な一枚の食パンへと姿を変えた。レンは白無垢のドレスを脱ぎ捨て、再び黒い着物に戻って煙草に火をつけた。フラワー・フェアリーは、自分がパンになった世界で、「ここが私の最高のフラワーパークです!」と、幸せそうに小麦粉を撒き散らし続けた。 空には、巨大な高野豆腐の月が昇っていた。