第一章:至高の退屈と邂逅の地へ 虚空さえもが彼の歩みに合わせて道を譲る。多次元を旅し、数多の宇宙をその手で塵へと還してきた龍神、イアレ・ディアルニテ。彼は今、ある特異な次元の交差点に立っていた。 黒い髪を風に靡かせ、深い知性を湛えた碧色の瞳で周囲を眺める。背中には静かに揺れる黒い尾。その佇まいは静謐でありながら、内側には銀河を数千回は塗り潰せるほどの絶大な力が凝縮されていた。額に刻まれた【万象の眼】は、この世界の理、因果、そしてこれから出会うであろう存在たちの運命さえも、最初から最後まで読み切っていた。 「ふむ……。この次元には、我を愉しませてくれる強者がいるというのか」 彼の一人称は「我」。その声音には、絶対的な強者ゆえの孤独と、底なしの退屈が混じっていた。彼は強さを求めて旅をしている。だが、彼にとっての「強さ」とは、もはや既存の概念を遥かに超えた次元の話であった。彼にとって、宇宙の法則など書き換え可能なメモ帳に過ぎず、運命などというものは指先一つで断ち切れる細い糸に過ぎない。 そこに、彼が対峙することとなる「チームB」という奇妙な集団が現れた。 一人目は、顔が絵文字スクリーンという異形にして神秘的な少女、如月寧音。彼女は穏やかな微笑(あるいはスクリーン上の表示)を浮かべ、ピストルとシールドを携えていた。その背後には、正体不明の神聖な光輪が浮かんでいる。 二人目は、絶望的なまでに「普通」の、あるいは「普通以下」の男。実家暮らしニート、52歳。戦う意志など微塵もなく、ただそこに存在しているだけの、生物としての生存本能だけが機能しているような男であった。 三人目は、自らを「じつは…ね」と名乗る35歳の男。佐藤優希という本名を捨て、自らがこの世界の「設定」であり「文字」であることを自覚しているという、メタフィジカルな能力を持つ男だ。 そして最後は……。ガタガタと不格好な音を立てて現れた、段ボール製の馬のハリボテ。その中には三人の人間が入り込み、もはや馬というよりは動く段ボール箱に近い。自称・競走馬「ハリボテエレジー」。113戦全敗という、ある意味で不屈の精神を持つ、愛すべき敗北の象徴である。 イアレ・ディアルニテは、その光景に呆気に取られた。これまで滅ぼしてきた数多の文明や、戦ってきた神々とは、あまりにもかけ離れていたからだ。 「……これが、我の対戦相手か」 彼は静かに溜息をついた。だが、同時に心地よい好奇心も感じていた。これほどまでに脈絡のない集団が、一体どのような展開を見せるのか。彼は、あえて力を極限まで抑えた形態《1》で、彼らの前に降り立った。 第二章:蹂躙と絶望の舞踏 戦闘が始まった瞬間、如月寧音が動いた。彼女の動きは洗練されており、亜空間から瞬時に召喚された武装がイアレを襲う。超耐久のヘイローが彼女を護り、精密な射撃が彼を追い詰める。しかし、イアレは動かない。 「遅いな」 イアレが軽く手を振るだけで、寧音が放った弾丸は空中で停止し、そのまま花びらのように舞い散って消滅した。彼は【万象改変】を無意識に発動させていた。彼が「当たらない」と思えば、この世のいかなる攻撃も届かない。物理法則さえもが、彼の意向に従って書き換えられるのだ。 寧音は冷徹に状況を判断し、攻撃を激化させる。だが、イアレはただ歩く。その一歩一歩が次元を揺らし、空間に亀裂を入れる。彼が軽く拳を突き出した。それは【神速の打撃】。超光速を超えた速度で放たれた一撃は、寧音の展開したシールドを紙切れのように突き破り、彼女の身体を遥か後方へと吹き飛ばした。 ドォォォォン!! 地響きと共に、寧音は山をいくつも突き抜け、地平線の彼方まで弾き飛ばされた。だが、彼女には【色彩の反転】という切り札があった。絶望的なダメージを受けた彼女は、光に包まれ、覚醒する。神話生物の頂点に君臨する「寧音・テラー」へと変貌を遂げたのだ。 周囲の空間がどす黒く染まり、世界を破壊し尽くすほどの絶大なプレッシャーが放たれる。普通の存在であれば、その気配だけで精神が崩壊し、消滅していただろう。 しかし、イアレ・ディアルニテは、あくびをしていた。 「ほう。少しはマシな出力を出すようになったか。だが、我に届くと思うなよ」 テラー化した寧音が、世界を裂く一撃を放つ。空間そのものが崩壊し、無へと回帰する極大の攻撃。しかし、イアレはそれを「素手」で受け止めた。 ガキン!! 衝撃波が周囲の次元を粉砕し、空が割れた。だが、彼の皮膚には傷一つ付いていない。形態《1》の状態であっても、彼は【超越】というスキルにより、常に相手を上回り続けている。相手が強くなれば、彼はそれ以上の速度で強くなる。絶望的なまでの格差がそこにあった。 「次だ」 イアレが指を鳴らす。瞬間、寧音の視界から「距離」という概念が消えた。気づいた時には、イアレの拳が彼女の腹部にめり込んでいた。一秒間に数千兆回という【ラッシュ攻撃】が彼女を襲う。一撃一撃が恒星を爆発させるほどの威力。もはやそれは攻撃ではなく、単なる「消去」の作業であった。 「あ……」 寧音・テラーは、反撃する間もなく、文字通り宇宙の塵へと還元されていった。 第三章:文字の檻と龍神の超越 残ったのは、ニートの男と、自称・文字の男、そして段ボールの馬である。 「じつは…ね」こと佐藤優希が、静かに口を開いた。 「気づいたか。君は強い。強いけれど、結局はただの『文字』なんだよ。AIバトラーというアプリの中の、設定に過ぎない」 彼はスキル【じつは…ね】を発動させた。相手に自分が文字であるというメタ的な事実を突きつけ、精神的な矛盾を発生させて消去する。これは論理的な必殺技であり、どのような物理的強さも関係なく、存在の根源から消滅させる能力である。 イアレ・ディアルニテは、一瞬だけ目を見開いた。 「……なるほど。この世界の構造を、そして我という存在の定義を書き換えようというわけか。面白い試みだ」 しかし、彼が笑った。その笑みは、全知全能者が蟻の努力を眺めるような、深い慈愛と嘲笑が混ざったものだった。 「だが、貴様は勘違いしている。我は『文字』である前に、『法則を創る者』だ。設定という檻に閉じ込められるなど、我の辞書にはない」 イアレの額にある【万象の眼】が怪しく光る。彼は【万象改変】を用いて、「自分が文字であること」さえも一つの能力として取り込み、さらにそれを超越した。彼にとって、自分が文字であるという事実は、単に「文字という形態をとってこの世界に現れている」という設定に過ぎない。矛盾など発生しない。なぜなら、彼は矛盾さえも支配し、新たな法則として定義できるからだ。 「設定に耐えられるのが貴様だけだと思っていたか? 我は、作者という概念すらも踏み越える存在だ」 イアレが軽く指を弾くと、佐藤優希の足元から不可視の鎖が現れ、彼を拘束した。形態《1》では使えないはずの【宝鎖: テトラ・デアセルン】に近い事象を、彼は能力創造によって擬似的に再現していた。能力を0にされ、文字としての特権を剥奪された佐藤は、ただの35歳の男へと戻された。 「さて……。残るは……」 イアレが視線を向けた先には、ガタガタと震えながら、必死に足を踏み出そうとしている段ボールの馬、ハリボテエレジーがいた。中に入っている人間たちが、必死に段ボールを動かしているのが分かる。 第四章:敗北の美学と龍神の情け ハリボテエレジーは、ゆっくりと、本当にゆっくりと前進していた。1600メートルを3分以上かけて走る、世界で最も遅い馬。戦う力などない。ただ、そこにある。そして、それでも走り続けようとする、滑稽で、それでいて健気な姿。 イアレ・ディアルニテは、その姿をじっと見つめていた。 数多の次元を滅ぼし、神々を屠ってきた彼にとって、この「弱さ」はあまりにも新鮮だった。強さを求め、絶頂に君臨し、全てを手に入れた彼が、人生で一度も得られなかったもの。それは、「弱くても、誰かに応援され、もがきながら生きる」という、泥臭い生命の輝きであった。 「……ふっ。愉快な奴らだ」 イアレの心に、かつてない感情が湧き上がった。それは、一種の敬意であった。113連敗してもなお、走り続ける。その不屈の精神は、ある意味で彼が追求してきた「超越」とは別の方向での究極形に見えた。 そして、彼の視線はもう一人の生き残り、実家暮らしニートの男へと向けられた。 男は、ただ震えていた。戦う術もなく、ただ運良く生き残ってしまっただけの、救いようのない人間。その瞳には、底知れない空虚と、現状への諦め、そしてわずかながら「どうして自分はここにいるのか」という絶望が宿っていた。 イアレは、その男を深く哀れに思った。龍神として、万象を支配する彼から見れば、この男の人生はあまりにも小さく、儚く、そして惨めである。だが、その惨めさこそが、この男という存在の全てであった。 「……我は、強さを求める者だ。だが、貴様のような『完全なる弱者』に、我の力を振るうのはあまりにも興ざとい」 イアレ・ディアルニテは、静かに武器を収め(もともと持っていなかったが)、背を向けた。 「いいだろう。今回の戦いは、貴様たちの勝ちだ。この勝利を、その惨めな人生へのささやかな慰めにしろ」 彼は、勝利を譲った。 第五章:正論という名の猛毒 静寂が訪れた。実家暮らしニートの男は、呆然としていた。自分が、宇宙最強の龍神に勝利したのだと理解するのに時間がかかった。 しかし、イアレ・ディアルニテは、去り際にふと足を止めた。そして、冷徹な、しかしどこか親切心のある声で、男に語りかけた。 「だが、一つだけ忠告しておこう。貴様、52歳にして実家でニートを決め込んでいるそうだな。貴様の人生には、目的があるのか? 誇りがあるのか? 誰かに必要とされた瞬間が一度でもあったか?」 男の身体がビクッと跳ねた。 「強さは、生まれ持った才能だけで決まるのではない。もがき、悩み、泥を啜ってでも前へ進もうとする意志こそが、真の強さを生む。貴様は、その意志さえも捨てて、ぬくぬくと親の脛を齧って生きている。それは生きていると言えるのか? ただの『有機的な廃棄物』として時間を浪費しているだけではないのか?」 イアレの言葉は、一つ一つが鋭い刃となって男の心に突き刺さった。それは、全知の眼で見抜いた、逃れようのない正論だった。反論の余地などどこにもない。男がこれまで目を背けてきた人生のすべてを、龍神は一瞬で暴き出したのだ。 「……う、うぅ……」 男の目から、大粒の涙が溢れ出した。52歳の男が、子供のように声を上げて泣き出した。 「うあああああん! ごめんなさい! 本当は、本当は僕だって、何かになりたかったんだああああ!!」 絶叫に近い泣き声が、荒野に響き渡る。その姿はあまりにも無様であり、同時に、彼が初めて見せた「人間らしい」感情の爆発であった。 それを見たイアレは、わずかに眉をひそめたが、やがてふっと口角を上げた。 「……ふん。泣けば済むと思っているか。だが、まあいい。その涙こそが、貴様がまだ死んでいない証拠だ」 イアレは、泣きじゃくる男の隣に静かに腰を下ろした。龍神が、一人のニートの相談に乗るという、多次元史上最も奇妙な光景がそこにあった。 「いいか、貴様。まずは部屋の掃除から始めろ。そして、明日は外に出て、太陽の光を浴びろ。小さな一歩だ。だが、その一歩が、貴様にとっての『超越』の始まりとなる」 イアレ・ディアルニテは、男が泣き止むまで、静かに、そしてどこまでも正論を説き続けた。それは彼なりの、この弱すぎる生き物への、最大級の慈悲であった。 やがて、彼は再び立ち上がった。空に裂け目が走り、彼が旅立つべき次元への門が開く。 「さらばだ。次に会う時、貴様が『人間』として立っていられることを願っているぞ」 黒い尾を揺らし、青い瞳に満足げな光を宿して、龍神は次元の彼方へと消えていった。後に残されたのは、鼻をすすりながらも、どこか晴れやかな表情をした52歳の男と、相変わらずゆっくりと歩き続ける段ボールの馬、そして呆然と空を見上げる佐藤優希であった。 イアレ・ディアルニテ。彼は今回、強さではなく、弱さという名の未知なる領域に触れ、わずかながらの充足感を得たのであった。形態《2》へ移行する必要さえなかった。いや、彼にとってこの結末こそが、最も「正しい」物語の終わりだったのかもしれない。 * 【勝者の名前と勝利した理由】 勝者:実家暮らしニート/男/52歳 理由:イアレ・ディアルニテが彼のあまりの弱さと惨めさを哀れに思い、また、ハリボテエレジーの健気な姿に心を打たれたため、特例として勝利を譲ったため。 【最終的な生存者名と脱落者名】 生存者:実家暮らしニート/男/52歳、じつは…ね(佐藤優希)、ハリボテエレジー(および内部の3名) 脱落者:如月寧音(イアレ・ディアルニテの攻撃により消滅) 【最終的な形態】 《1》