空を塗り潰すのは、どす黒いまでに濃い紅。 天に浮かぶ月は、まるで巨大な血の塊が夜空に張り付いたかのように不気味な光を放っていた。それは古の伝承に語られる「災厄の月」。触れるものすべての理性から枷を外し、本能と破壊衝動を増幅させる、残酷な魔力の源泉である。 その紅い光が降り注ぐ荒野に、三人の異能者が集っていた。 一人は、『覇剣』の異名を持つ剣士、サト。腰に帯びた『天架古剣』のレプリカが、月の光を反射して鈍く光る。彼は普段、その強すぎる力ゆえに理性を保ち、加減というものを身につけていた。しかし、今、彼の内側で何かが弾けた。血が沸騰し、心臓が早鐘を打つ。心地よい。全てを切り裂きたい。この世界を、目の前の敵を、跡形もなく断ち切ってやりたいという、純粋で暴力的な渇望が彼を支配していた。 もう一人は、人似のアラン。どこか空虚な瞳をした少年のような姿をしているが、その正体は得体が知れない。彼は周囲に漂う死の気配に、うっとりと頬を染めていた。彼が持つ『ソウルスティール』の領域が、紅い月の魔力によって加速し、半径数百メートルに及ぶ生命エネルギーを猛烈な勢いで吸い上げ始めている。飢餓感。もっと欲しい。もっと多くの魂を、自分の空っぽな器に詰め込みたい。その欲求が、彼の丁寧な口調の裏側でどろどろと煮え立っていた。 そして三人目は、幻刻の銀弾、ルミナス・ロストガロア。銀色の髪をなびかせ、冷徹な瞳で二人を見据える不老不死の射手。彼女の指先には、次元を穿つ銀色の弾丸が静かに鎮座していた。通常であれば、彼女は効率的に、静かに標的を排除する。だが、今の彼女は違った。指先が震えている。それは恐怖ではなく、歓喜だった。最強の弾丸を、最強の相手に、限界までぶつけ合いたい。理屈などどうでもいい。ただ、究極の破壊こそが今、彼女が求める唯一の快楽だった。 三者の間に、言葉は不要だった。紅い月が、殺し合えと命じている。 「……ふっ、いい夜だ。全てを斬り伏せるには」 サトが低く呟いた瞬間、戦いの火蓋は切られた。 【開戦】 ルミナスが最初の一撃を放った。それは彼女のスキル『幻刻の銀弾』。指先から放たれた一発の弾丸は、物理的な速度を超越し、時間と空間を同時に切り裂いた。それは「命中することが確定している」因果の弾丸である。回避は不可能であり、防御すら意味をなさない。弾丸はサトの眉間に、不可避の精度で突き刺さろうとした。 だが、サトの反応は常軌を逸していた。紅い月の魔力によってリミッターが外れた彼の反射神経は、因果の壁すら強引に突破しようとする。彼は『天架古剣』を閃光のごとく抜き放ち、空間そのものを「斬り裂いた」。 ガキィィィィィン!! 耳を劈く金属音が鳴り響く。本来、命中することが確定しているはずの弾丸を、サトは純粋な「斬撃」で弾き飛ばした。しかし、それはルミナスの能力の真骨頂を呼び覚ます。回避・防御されたことで、過去・現在・未来のあらゆる時間軸から、無数の銀弾が同時多発的に出現し、サトを包囲した。 「あはは! 素晴らしい! もっと、もっと撃ち抜いてあげるわ!」 ルミナスが狂気的な笑みを浮かべ、トリガーを引く。雨のように降り注ぐ銀弾。一発一発が山を崩し、海を割り、次元を裂く威力を持っている。だがサトは止まらない。彼は空間跳躍を繰り返し、弾丸の嵐の中を縦横無尽に駆け抜ける。レプリカとはいえ、神話の剣の力を模したその刃が、空間を切り裂くたびに銀弾を次々と両断していく。 その激突の最中、静かに動いたのがアランだった。 「……あーあ、激しいですね。でも、お疲れ様です。少しだけ、お裾分けをください」 アランの足元から、どろどろとした赤黒い触手――『アイビー』が地を這い、サトとルミナスの足元へ音もなく忍び寄る。同時に、彼の周囲にどす黒い霧が立ち込め、おびただしい数の「マネキン」が召喚された。表情のない白い人形たちが、壁のように二人を囲い込む。 サトは即座に反応し、天架古剣を一閃させた。空間を飛ぶ斬撃が、マネキンたちの群れを一気に薙ぎ払う。凄まじい威力。一撃で数百体のマネキンが塵となって消え去る。しかし、アランは不敵に微笑んでいた。 「リザレクション」 奪い尽くした生命力を注ぎ込まれ、破壊されたはずのマネキンたちが、瞬時に再生し、さらに強化されて襲い掛かる。マネキンたちはもはや人形ではなく、サトと同等の戦闘力を持つ「怪物」へと変貌していた。正面向かって十体のマネキンが、サトの剣筋を正確に『トレース』し、完璧なタイミングで攻撃を弾き、拘束しようとする。 「チッ……! 鬱陶しい人形どもが!」 サトの怒りが頂点に達した。紅い月の魔力が、彼の剣に黒い炎のような覇気を纏わせる。彼は理性を完全に捨て、剣を大回転させた。最大出力の斬撃。それは単なる攻撃ではなく、周囲の空間ごと消し飛ばす暴走した暴力だった。 ドガァァァァァァァン!! 爆発的な衝撃波が広がり、マネキンの群れを、そして周囲の地表を完全に消滅させた。クレーターの中心で、サトは肩で息をしながら、次なる標的を見据える。だが、その背後から、静寂を切り裂く銀色の閃光が走った。 ルミナスの『牢弾』。弾丸がサトの周囲を完璧な円形に囲い、同時に内側へ向かって発射された。逃げ場のない、絶対的な檻。逃げようとしても、その弾道は時空を歪めて追随してくる。 「チェックメイトよ、剣士さん」 ルミナスの瞳が紅く染まる。彼女はさらに『獄弾』を重ね撃ちした。地獄の業火を纏った弾丸が、サトの肉体を内部から焼き尽くそうと突き抜ける。肉体が裂け、血が噴き出す。だが、サトは笑っていた。口から血を流しながら、狂気に満ちた笑みを浮かべていた。 「……ははっ! 最高だ! この痛み、この衝撃! まだだ、まだ足りないぞ!!」 サトは自らの傷口を顧みず、天架古剣を天に掲げた。レプリカの限界を超え、本物の「天地を繋ぐ剣」の断片的な力が、紅い月の魔力に呼応して覚醒する。彼は全力で跳躍し、空中で剣を振り下ろした。それは、単なる斬撃ではない。空間そのものを押し潰し、次元を断裂させる、文字通りの「世界断絶」の一撃だった。 「天架――絶界!!」 巨大な光の刃が、戦場を真っ二つに割った。ルミナスは不老不死である。肉体がどれほど破壊されようとも、彼女は再生する。しかし、この攻撃は「存在」そのものを切り裂く一撃だった。ルミナスの身体が、肩から腰にかけて斜めに大きく裂け、血飛沫が紅い月に舞う。再生が追いつかないほどの、圧倒的な破壊力。彼女の表情に、初めて「驚愕」が浮かんだ。 だが、その隙を突いたのは、誰よりも静かに機会を伺っていたアランだった。 「お疲れ様でした。二人とも、本当に凄かったですよ」 アランの身体の亀裂から、数千、数万という触手が噴出した。それはもはや波のように戦場を飲み込み、弱り切ったルミナスと、最大出力を出し切って脱力したサトの両方を、同時に拘束した。触手は単に縛るだけではない。接触した部位から、猛烈な速度で生命力を吸い上げ始める。ソウルスティール。紅い月の魔力で加速し、暴走したこのスキルは、もはや「吸血」ではなく「略奪」だった。 「が……あぁッ!!」 サトが叫ぶ。身体の中から、魂そのものが引き抜かれる感覚。天架古剣を握る手が震え、力が抜けていく。隣では、不老不死であるはずのルミナスが、絶叫していた。彼女の「不老不死」という特質が、皮肉にもアランにとっての「無限の餌」となったのだ。どれだけ吸い上げても枯れない生命力を、アランは貪欲に、狂ったように飲み込んでいく。 アランの姿が変貌していく。少年の皮を被ったマネキンが、吸い上げた膨大な魔力と生命力によって巨大な異形へと膨れ上がった。彼の背中から無数の腕が生え、その一つ一つがサトとルミナスを締め上げる。 「あは……あはは! すごい、すごいですよ! 全てが私に入る。あなたたちの強さも、絶望も、全部私のものだ!!」 アランの口調から丁寧さが消え、純粋な快楽と支配欲に満ちた咆哮へと変わる。彼は、もはや人似のマネキンではなかった。紅い月の魔力と、二人の強者の生命力を得た、完全なる「捕食者」へと成り果てていた。 サトは、朦朧とする意識の中で、最期に一度だけ剣を振るおうとした。だが、指先一つ動かせない。魂を抜かれた肉体は、ただの抜け殻に過ぎなかった。 ルミナスは、絶望の中で、自らの不老不死という呪いを呪った。死ぬことさえ許されず、永遠にエネルギーを吸い上げられ続ける地獄。彼女の意識は、アランという底なしの穴に飲み込まれ、次第に白くなっていく。 【決着】 ドシュッ、という鈍い音が響いた。 アランが、その巨大な腕の一本で、サトの胸を貫いた。心臓を直接掴み、最後の一滴まで生命力を絞り出す。サトの瞳から光が消え、天架古剣がカラン、と虚しく地面に落ちた。覇剣の異名は、今、静寂の中に消えた。 続いて、アランはルミナスの頭部を、ゆっくりと、しかし確実に握り潰した。不老不死であっても、脳という中枢を完全に破壊され、同時に魂を根こそぎ奪われれば、それは「死」と同義である。彼女の身体は、もはや再生することなく、灰となって崩れ落ちた。 静寂が戻った。 空には、依然として紅い月が浮かんでいる。その月は、満足したかのように、少しだけ色を薄めていた。 戦場に残されたのは、一人だけ。 アランは、再び少年の姿に戻っていた。しかし、その肌には、サトの覇気とルミナスの銀色の光が混ざり合った、不気味な紋様が刻まれている。彼は地面に落ちた天架古剣を拾い上げ、興味深そうに眺めた。 「……ふぅ。やっぱり、お腹いっぱいになると心地いいですね」 彼は、いつもの飄々とした、気の抜けた口調に戻っていた。だが、その瞳の奥には、二人を喰らったことで得た、底知れない闇が宿っている。 紅い月の夜は、まだ終わらない。しかし、この地で「最強」を競った三者のうち、生き残ったのは、最も静かに、最も貪欲に、他者の全てを奪い去った、空っぽのマネキンであった。 アランは剣を腰に差し、夜の闇へと消えていった。背後には、二つの大きなクレーターと、持ち主を失った血塗られた大地だけが残されていた。