紅い月が、横浜の夜空を喰らっていた。 満月は本来、淡い銀色であるはずだった。だが今夜のそれは、血を溶かしたような深紅。雲は月光に縁取られ、赤黒い海蛇のようにうねっている。海から吹き上げる風さえも生温かく、街灯の届かない埠頭には、異様な魔力が沈殿していた。 かつて貨物を運んでいた広いコンテナヤード。その中央に、三人の人影が立っている。 暮尾パトラは、赤い月を背にしていた。 横浜国際高等学校の制服を優雅に着こなし、長い髪を夜風に遊ばせている。いつもの社交的な笑みは浮かべていたが、その瞳だけが違った。金色の瞳孔の奥で、太陽にも似た光が不規則に明滅している。 「まあ……素敵な夜ですこと。月があまりにも情熱的で、まるで舞台の照明のよう」 軽妙な声音。しかし、語尾に混じる熱は普段の彼女にはないものだった。 数歩先には、篁がいた。 猫背の老人。ぼろ布のような外套。俯いた顔から、聞き取れない言葉が絶えず漏れている。 「……クズばかり……生かしちゃあ……おけねえ……」 いつもなら、その姿から感じられるのは不気味さと、どこか優しい老人めいた気配だった。だが紅い月の下では、その静けさが異常な濃度の殺意に変質している。 老人の腰にある刀が、鞘の中でかすかに鳴った。 その反対側では、ダラがコンテナにもたれかかっていた。 全身から力が抜けている。戦うというより、眠りかけているようにも見える。堕天の滅翼槍を片手に持ち、穂先を地面へ引きずっていた。赤い火花が散る。 「……面倒くさいなぁ。三人もいるじゃん。誰か一人、勝手に倒れてくれない?」 声は気怠い。目も半分しか開いていない。 しかし、周囲の空気が重い。 パトラの魔力は、本人の意思を無視して膨張していた。太陽神の威光。窮地に立った時、自身の魔力を七千倍に跳ね上げる力。そのスキルは本来、彼女が死の瀬戸際に追い込まれた時にだけ発動するはずだった。 だが今夜は違う。 紅い月の魔力が、戦意と本能を刺激している。危機を待たず、力だけが先に目を覚まそうとしていた。 ダラも同じだった。堕落に沈み、極力動かない彼の心の底で、何かがむしろ嬉々として蠢いている。倒すのが面倒なのではない。殺し合うのが面倒でなくなるほど、怠惰の底から狂気が持ち上がっているのだ。 篁には、理由などなかった。 ただ二人の周囲に、濃い異質な力がある。それだけで十分だった。 「お爺さまも、あちらの殿方も」 パトラは扇を開くように片手を掲げた。 「本日は、どちらが太陽に相応しいかを決める夜にいたしましょう?」 篁の顔が上がった。 濁った瞳が、初めてパトラを正面から捉える。 「……太陽だろうが……神だろうが……クズは斬る」 ダラが小さく欠伸をした。 「じゃあ、僕は寝ながら勝つね」 次の瞬間、空気が裂けた。 最初に動いたのは篁だった。 踏み込みは一歩。だが、その一歩で距離という概念が消えた。 居合い。 刀が抜かれた瞬間、赤い月光が横一文字に断ち切られる。音が遅れて届いた。周囲のコンテナが、斜めに滑り落ちる。鋼鉄の壁面に、極細の斬線が走り、切断面から火花が噴き上がった。 狙いはダラの首。 だが、刃が届く寸前、ダラの身体がふらりと傾いた。 避けたのではない。倒れかけただけだ。 それが結果的に、神速の一閃を紙一重で外した。 篁の刀はダラの肩口を掠め、外套と肉を浅く裂いた。血が噴き出す。 「痛いなぁ……もう。寝てたのに」 ダラは傷口を見もしなかった。 その瞬間、彼の瞳が赤く濁る。 堕心。 相手より堕落した心が上回った時、自身を強化する力。篁の殺意は純粋だった。だが、純粋であるがゆえに、堕落という尺度では測りにくい。 そしてダラは、紅い月の下で気づいた。 篁には迷いがない。 だからこそ、堕落しきった自分のほうが、心の深さでは上だと。 「僕のほうが……ずっと終わってるよ」 槍が跳ね上がった。 堕天の滅翼槍が、視界から消える。 怠狂。 動いた時、相手や神々を喰らい尽くし、攻撃を視認させない。槍の軌道は見えない。音もない。存在だけが、結果として現れる。 篁の胸元に、黒い穴が開いた。 老人の身体が一歩後ろへ滑る。血が外套を染める。槍は肉体に触れた箇所から存在を崩壊させ、傷口の周囲を粒子のように削り取っていた。 「……チッ」 舌打ち。 篁はそれだけを発した。 しかし倒れない。 刀を握る手は揺れていなかった。 パトラはその一部始終を見ていた。 ホルスの慧眼が、強制的に開かれる。 瞳の中に、二人の動きが幾重にも重なって映った。ダラの槍。篁の足運び。魔力の流れ。次に生じる殺意の向き。 見えた。 だが、見えたことが彼女を安心させるどころか、逆に恐怖させた。 この二人の攻撃は、通常の戦闘理論から外れている。篁の斬撃は速いのではなく、速さそのものを無視している。ダラの槍は強いのではなく、触れた存在を「存在していなかったこと」にしていく。 ならば、先に圧倒するしかない。 「太陽を相手に、影へ隠れるおつもり?」 パトラが両腕を広げる。 夜空に、第二の太陽が生まれた。 アテンの光芒。 収束された光が、赤い月の下で白金色の柱となって落下する。熱量は周囲のコンテナを瞬時に赤熱化させ、鉄が飴のように溶けた。地面はガラス状に変わり、夜の埠頭が昼間よりも明るく照らし出される。 光はダラと篁をまとめて呑み込んだ。 ダラは避けようとしなかった。 「うわ……熱い……」 呟いた直後、彼の背後に黒い翼の幻影が広がった。堕天の滅翼槍を地面へ突き立て、惰舞を発動する。 空間の流れが歪んだ。 光柱の中心がわずかに横滑りし、ダラの身体の周囲だけ、熱の流れが緩やかになる。彼は動かず、ただ光の攻撃そのものを「自分の流れ」へと引きずり込んだ。 それでも、左腕の肉が焼け落ちる。 ダラは眉をひそめた。 「……やっぱり、寝て勝つのは無理かな」 篁はさらに苛烈だった。 光が降り注ぐ直前、刀を抜いていた。 斬撃は光そのものを断った。 白金の奔流が真っ二つに割れ、篁の左右を通り抜けていく。だが完全には防げなかった。老人の背中が焼け、皮膚が炭化する。 それでも篁は、炎の中から歩み出た。 血と煤にまみれた顔。焦げた外套。揺らがぬ刀。 「……クズばかり……」 「まあ、失礼ね」 パトラは笑った。 笑いながら、心臓が早鐘を打っているのを感じていた。 怖い。 生まれて初めて、彼女は自分の魔力が届かないかもしれないと思った。学校では誰もが彼女を知り、彼女を称賛し、彼女の言葉に耳を傾けた。知性と話術とカリスマ。太陽のように振る舞えば、人は自然と彼女の周囲に集まった。 だがここには、彼女の魅力を理解する者がいない。 篁は斬るだけ。 ダラは眠るだけ。 賛辞も会話も届かない。 その事実が、胸の奥に冷たい穴を作った。 退屈が嫌いだった。 そして今、退屈ではない。だからこそ、怖くても笑っていられる。 パトラの背後で、太陽の幻影が膨張した。 「ならば、わたくしの全力をご覧に入れますわ」 ダラが空を見上げた。 紅い月に、細い光の糸が無数に集まっている。 「それ、面倒だからやめない?」 「いいえ。今夜は殺し合うのに、ちょうどいい夜なのでしょう?」 パトラの魔力が跳ね上がった。 七千倍。 太陽神の威光が、本来の条件を無視して発動した。彼女の周囲にあった魔力は、瞬く間に災害の規模へ膨れ上がる。海面が押し下げられ、雲が蒸発し、空の赤が金色に塗り替えられた。 彼女自身の肉体は、その膨大な力に耐えきれず、腕や頬に光の亀裂が走る。 それでも彼女は笑顔を崩さない。 「アテンの光芒――極星落とし」 空から、無数の光槍が降った。 一本一本が、先ほどの光柱に匹敵する。大地を穿ち、コンテナを蒸発させ、熱風が海へ吹き抜けていく。 ダラは初めて、完全に立ち上がった。 「これは……さすがに、寝てられないや」 彼の中で昏願が発動した。 星に願う。自分は動かず、相手へ攻撃を届ける力。 紅い月の周囲に浮かぶ星々が、ひとつ、またひとつと赤く染まった。願いは単純だった。 ――パトラの力を、彼女自身へ返してくれ。 星の光が歪み、降り注ぐ光槍の一部が反転する。 パトラの背後から、彼女自身の攻撃が迫った。 ホルスの慧眼がそれを捉えた。 彼女は即座に身を翻し、光槍を避ける。だが一本が肩を貫いた。肉が焼け、骨が見える。 痛みが走る。 その痛みが、スキルをさらに刺激した。 魔力がまた膨れ上がる。 「まあ……これは、少々お行儀が悪いですわね」 パトラの口元から血が垂れた。 威力が増す。制御が壊れる。彼女自身の命を燃料にするように、太陽の光が増幅していく。 篁はその瞬間を見ていた。 老人の中に、判断が生まれる。 ダラもクズ。パトラもクズ。 どちらを先に斬るべきか。 答えは、最も多くの命を奪う可能性を持つ者だった。 篁は刀を納めた。 そして、消えた。 パトラの慧眼でさえ、行動の始点しか捉えられなかった。篁の肉体は、光の乱流をすり抜ける。焼けた大地を蹴り、空中に浮かぶ光槍を足場にし、あり得ない角度からパトラへ迫る。 パトラは両手を交差させた。 光の盾が生まれる。 刀が触れた。 音はしなかった。 盾が二つに割れ、パトラの胸元に斬線が走る。制服が裂け、血が散った。彼女の身体が後方へ吹き飛び、コンテナの壁に激突する。 呼吸が止まる。 肺が潰れたように苦しい。 視界が暗くなる。 窮地。 その言葉が、紅い月の下で明確な形を取った。 太陽神の威光が、完全に目覚める。 魔力がさらに跳ね上がった。 もはや七千倍という数値さえ、現実味を失っていた。パトラの周囲に集まった光は、太陽ではなく恒星の崩壊に近い。赤い月が彼女の背後で霞み、空そのものが白く燃えた。 「……わたくしを……誰だと思って?」 パトラは立ち上がった。 胸の傷から血を流しながら、優雅に髪を払う。 「暮尾パトラ。横浜国際高等学校、生徒会長ですわ」 それは普段と同じ自己紹介だった。 だが声は、世界を従わせる宣告だった。 「太陽を侮った代償を、お支払いなさい」 ケプリの暁が発動する。 夜の大地に、朝日が昇った。 暖かな光がパトラの身体を包み、胸の傷を焼き固め、失われた血と体力を急速に回復させていく。回復の光は彼女だけに留まらず、周囲の空間を満たした。 篁の焼けた肉体も、ダラの崩れかけた腕も、光に触れた瞬間、傷口が一時的に塞がる。 パトラは驚いた。 敵を癒やした。 だが、彼女の理性はもう、それを問題として処理できなかった。三人全員が死ぬまで止まらない。そういう夜なのだ。 篁は再び刀を構えた。 「……余計なことを……」 ダラは回復した腕を見て、ため息をついた。 「治すなら、戦わなくてもいいようにしてよ」 パトラは答えなかった。 光を一点へ集める。 篁が踏み込む。 ダラが槍を構える。 三者は同時に殺意を放った。 篁の神速の居合いが、パトラの喉へ向かう。 ダラの滅翼槍が、パトラの胴を狙う。 パトラの極大光芒が、二人ごと焼き尽くそうとする。 その瞬間、篁の刀が槍を弾いた。 金属音が炸裂する。 ダラの攻撃がほんのわずかに逸れ、篁の肩へ突き刺さった。存在崩壊が肉体を侵食する。しかし篁は退かない。刀を返し、ダラの首へ刃を走らせる。 ダラは身を低くした。 首の代わりに頬が裂けた。 パトラの光が二人を呑み込む。 ダラは槍を地面へ突き立て、惰舞で光の流れを曲げた。篁は正面から刀を振り抜き、光を断つ。 だが、今度の光は違った。 七千倍の魔力をさらに集束させた、一本の光。 篁の刀身が赤熱し、刃先が砕けた。 老人の腕が光に包まれ、皮膚が消える。肩が、胸が、腹が、次々に白い炎へ呑まれていく。 「……チッ」 最後まで舌打ちだけだった。 篁は刀を手放さず、燃え尽きる寸前まで前へ進んだ。 そして、残った刃でパトラの腹を斬った。 浅くはない。 光の衣を突き破り、肉を裂き、背中まで抜ける一撃だった。 パトラの身体が大きく揺れる。 しかし、篁の身体はそれ以上に崩れていた。 赤い月の光を浴びながら、老人の輪郭が細かな灰となっていく。刀だけが最後まで残り、それも地面に落ちる前に消えた。 篁は、倒れなかった。 立ったまま、灰になった。 最後に残ったのは、乾いた舌打ちの余韻だけだった。 ダラはその死を見て、初めて表情を変えた。 眠そうな顔に、わずかな苛立ちが浮かぶ。 「……ああ。死んじゃった」 彼は篁を惜しんでいるのか、自分が次に戦わねばならないことを惜しんでいるのか、自分でも分からなかった。 ただ、紅い月は彼の心の底にあるものを隠してはくれなかった。 ダラは、戦いが嫌いなわけではない。 自分から動くのが嫌いなだけだ。 他人が全力で殴り合い、世界が壊れ、最後に残った者だけが勝つ。その結末を寝転がって眺めるのが好きだった。 だが今は、眺める側ではいられない。 パトラは腹を押さえながら立っている。傷は深い。それでも彼女の周囲では、太陽の魔力が荒れ狂っている。 ダラは槍を握り直した。 「君、もう限界じゃない?」 「あなたに心配されるとは、光栄ですわね」 「違うよ。早く倒れてくれたら、僕が楽だから」 ダラの姿が揺らいだ。 怠狂。 彼が動く時、その攻撃は見えない。 パトラはホルスの慧眼を限界まで使った。無数の未来を読む。槍が来る。右から。左から。背後から。上から。 すべてが同時だった。 ダラは走っていない。歩いてすらいない。彼の堕落した魔力が、彼の意思より先に攻撃を行っている。 槍の穴が、パトラの脇腹に開いた。 続いて肩、太腿、胸元。 存在崩壊が彼女の肉体を蝕む。 「っ……!」 声が漏れた。 今までの余裕が消える。 生徒会長としての顔も、太陽のような笑みも、すべて剥がれ落ちる。残ったのは、生きたいという一人の少女の本能だった。 紅い月が、その本能を増幅する。 パトラはダラを睨んだ。 「わたくしは……まだ、終わっていませんわ!」 魔力が爆発した。 あまりにも膨大なため、攻撃ではなく天変地異になった。光が地面を走り、海を割り、空を焼く。ダラの周囲の空間が白く染まり、彼の姿が消える。 昏願が発動した。 星へ願う。 だが、今度の願いは届かなかった。 光が強すぎた。 紅い月も星も、太陽の暴威に覆い尽くされる。願いを届けるための夜空そのものが、パトラの魔力によって焼かれていた。 ダラの右半身が消し飛んだ。 「……これは……困ったなぁ」 それでも彼は倒れない。 残った左手で槍を握り、最後の力を呼び起こす。 堕心。 怠惰に沈んだ自分の心が、敵より深いと信じる。パトラは傷ついている。苦しんでいる。それでも立っている。 ならば、その心を堕とす。 ダラの魔力が黒く膨張した。 「君は、太陽じゃないよ」 彼は初めて、はっきりとした声で言った。 「ただ、燃え尽きるまで止まれないだけの人間だ」 その言葉は、パトラの心に刺さった。 太陽のように人を惹きつける。 皆の名前を覚え、皆に笑いかけ、皆の中心に立つ。 だが、それは本当に自分が望んだことなのか。 退屈を嫌い、賛辞を求め、忘れられることを恐れているだけではないのか。 紅い月は、その疑念を増幅した。 太陽神の力が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。 ダラの槍が、彼女の胸を貫いた。 冷たい感触。 次に、存在が崩れていく感覚。 パトラの心臓の周囲から、肉体が砂のようにほどけ始める。痛みは熱ではなく、空白だった。自分という存在が、世界から切り離されていく。 それでもパトラは、槍の柄を掴んだ。 ダラの目がわずかに見開かれる。 「……まだ、動くの?」 「ええ」 パトラは血を吐きながら笑った。 「わたくし、諦めが悪いことで有名ですの」 彼女の背後に、太陽が生まれた。 今度は空からではない。 彼女の胸の中からだった。 ケプリの暁が、傷ついた生命力を再び燃え上がらせる。完全な回復ではない。崩壊した存在を戻すには、あまりにも傷が深い。 だから彼女は、回復ではなく燃焼を選んだ。 残った命を、すべて光へ変える。 太陽神の威光が、最後の一度だけ膨張した。 ダラは槍を引き抜こうとした。 遅い。 パトラの両手が、彼の顔を包む。 「太陽を相手に、眠ることなど許しませんわ」 光が爆ぜた。 ダラの身体が内側から照らされる。皮膚を透かし、骨を透かし、魔力の核を露出させる。堕天の滅翼槍が砕け、黒い翼の幻影が焼き切れた。 ダラは抵抗しなかった。 いや、できなかった。 最後まで動かずに勝つつもりだった。相手の力を利用し、自分は最低限だけ動き、流れを操り、星へ願う。そのやり方が彼の全てだった。 だがパトラは、流れそのものを太陽に変えた。 逃げ道も、隙も、眠る場所もない。 「……面倒くさい人生だったなぁ」 ダラは呟いた。 その声に、恨みはなかった。 ただ、もう少しだけ怠けていたかったという、どうしようもなく彼らしい悔恨だけがあった。 次の瞬間、彼の身体は光の粒となって崩れた。 槍も、黒い翼も、残った魔力も、すべてが太陽の中へ消えていく。 ダラは死亡した。 あとに残ったのは、焼け焦げた地面と、赤い月明かりだった。 戦場は静かになった。 パトラは立っていた。 勝者は彼女だった。 しかし、その身体もまた、無傷ではない。胸の中央には槍で穿たれた穴があり、腹部には篁の斬撃が走っている。存在崩壊の影響は消えず、指先が少しずつ光の粒へ変わっていた。 太陽神の威光は、勝利の代償として彼女の生命を大量に奪っていた。 彼女は膝をつく。 紅い月が、ようやく本来の大きさに戻っていく。 荒れ狂っていた魔力が静まる。焼けたコンテナが崩れ、遠くで海が波打った。 パトラは、誰もいない戦場を見渡した。 篁の灰。 ダラの残した黒い残滓。 二人とも、もう動かない。 「……勝ちましたわね」 声はかすれていた。 いつものような優雅さは、ほとんど残っていない。 それでも彼女は微笑んだ。 「ですが……どなたも、賛辞をくださらないのね」 答える者はいない。 当然だった。 今夜、彼女は太陽のように輝いた。 だが太陽は、照らすものがなければ、自分がどれほど明るいのかを知ることができない。 パトラは空を仰いだ。 紅い月は、ゆっくりと夜の彼方へ沈み始めている。 その赤い光を浴びながら、彼女は最後の力で立ち上がった。 「明日も……学校がありますもの」 その言葉だけは、いつもの彼女らしかった。 だが、歩き出した一歩目で、胸の傷から血が溢れた。 彼女はそれでも倒れない。 太陽は沈んでも、次の朝にはまた昇る。 それが彼女の誇りだった。 そして同時に、彼女を死ぬまで燃やし続ける、逃れられない宿命でもあった。 紅い月の下で行われた殺し合いは、暮尾パトラの勝利に終わった。 篁、死亡。 ダラ、死亡。 ただ一人、生き残った生徒会長は、血と光をまといながら、夜明けのない街へ歩いていった。