紅い月が夜空に浮かぶその下で、三人の戦士が対峙していた。猿渡莉良は拳を握りしめ、息を荒げる。その瞳には、いつもの快活さとは違う、獣じみた光が宿り始めていた。斎藤は聖剣と呼ぶ百円ショップの剣を天に掲げ、「ふ……これぞ運命の夜か」と陶酔したように呟く。八咫黒は黒いコートの裾を風に揺らし、ペストマスクの奥から三人を静かに見据えていた。最初に動いたのは莉良だった。胸の奥で何かが切れる音がした。「追ってこなきゃ私だって何もしないよ……でも、今日は来ちゃったね!」地を蹴った彼女の拳が、硬く握られた極鉄拳となって斎藤の聖剣を狙う。斎藤は避けようともせず、「神ノ加護よ!」と叫んだ。その言葉の響きに、なぜか莉良の拳が一瞬だけ鈍る。だが次の瞬間、紅い月の魔力が彼女の理性を押し流す。拳は安物の剣を粉々に砕き、その衝撃で斎藤の身体が宙を舞った。しかし斎藤は笑っていた。「ククク……吹き飛ばされるのも計算のうちだ。今の一撃で、貴様は俺の虚飾に呑まれた」その言葉通り、莉良の心には得体の知れない恐怖が芽生えていた。『この男は何か底知れないものを隠している』という錯覚が、彼女の足を一瞬だけ止めさせたのだ。その隙を八咫は見逃さなかった。黒いコートの袖から、砂蛇が音もなく滑り出る。万物を喰らい尽くす蛇は、紅い月の光を浴びて禍々しく輝きながら莉良の足元へ迫る。莉良は断空脚でそれを蹴り飛ばそうとするが、蛇は絶対必中の理に従い、彼女の脚に絡みついた。「くっ……なにこれ、気持ち悪い!」歯を食いしばり、莉良は必死に振りほどこうとする。だが紅い月の魔力が彼女の本能を極限まで高め、身体の奥底から獣の咆哮が込み上げてくる。その時、莉良の脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。柔道場で、畳の匂いの中、初めて投げ技を決めた日の喜び。風呂上がりに飲んだ炭酸飲料の甘い刺激。そして、卑怯な手で負けた悔しさ。それらが紅い月の魔力に染まった心を一瞬だけ澄ませる。『私は、こんなやり方で戦いたくない』――そう思った瞬間、莉良の身体から凄まじい力が溢れ出した。「原始化ァァァ!」咆哮と共に、彼女の身体が膨れ上がり、巨大な類人猿の姿へと変貌する。理性を失いかけた獣の目は、もはや敵味方の区別すら曖昧だった。八咫は冷静に指を組み、「不死鳥」と低く呟いた。黒いコートの背から炎の翼が広がり、彼の存在そのものが膨大な力に包まれる。ステータスは千億倍に跳ね上がり、彼の周囲の空気が震えた。巨大化した莉良の拳が振り下ろされる。その一撃は大地を割り、夜空に衝撃波を走らせる。しかし八咫は炎の翼で受け止め、不死鳥の再生力で傷を瞬時に癒やしながら反撃を放つ。キメラが咆哮を上げ、翼と爪と角を備えた異形の獣が莉良に襲いかかった。獣と獣の激突に、紅い月の下で大地が悲鳴を上げる。一方その頃、斎藤は地面に倒れたまま、なおも笑みを浮かべていた。「まだだ……俺の終焉ノ一撃を見せてやる。この世界を救うのは、この俺だ!」だがその言葉は誰にも届かず、夜風に消えていく。莉良は獣の本能に抗いながら、残された理性を振り絞って拳を握る。『このままじゃ終われない。でも、誰かを殺したくはない』その葛藤が、彼女の動きをわずかに鈍らせた。その隙を突き、八咫の法が発動する。テミスが姿を現し、天秤を掲げた。「この戦いの結末は、この理によって定められる」テミスの言葉と共に、世界の理が書き換えられ、莉良の身体から力が抜けていく。巨大な類人猿の姿は崩れ、少女の姿へと戻っていった。そして最後の一撃が放たれる。キメラの爪が莉良の胸を貫いた。血が夜の闇に舞い散り、紅い月の光がそれを染め上げる。莉良は薄れゆく意識の中で、かすかに笑った。『炭酸飲んで、お風呂入りたかったな……』そう呟いたのを最後に、彼女の瞳から光が消えた。八咫は無言で不死鳥の炎を収め、倒れた莉良を見下ろした。斎藤はその光景を見て、「ふ……やはり俺の勝利だな」と誇らしげに呟いたが、その声はもはや誰の耳にも届かない。紅い月だけが、三人の戦いの果てを静かに照らしていた。勝者は、理そのものを操った八咫黒。斎藤は妄想の中で勝利を信じたまま意識を失い、猿渡莉良は紅い月に散った。