【チームA】 場虎亜県の薄暗い路地裏。湿ったコンクリートの匂いと、どこからか漂ってくる古い油の香りが混ざり合うその場所に、リスのピッキーはいた。彼はふと、目の前の空間が陽炎のように揺らぎ、鏡のように歪んでいることに気づく。好奇心と、少しばかりの警戒心を抱きながらピッキーがその歪みに近づくと、そこには「もう一人の自分」が立っていた。 その平行世界のピッキーは、現在の彼とは似ても似つかない空気を纏っていた。現在のピッキーが自由奔放でユーモラスな皮肉屋であるのに対し、目の前にいる彼は、厳格な騎士団のような装束に身を包み、背筋をピンと伸ばして直立不動で立っていた。彼は世界樹の守護騎士団という、本来のピッキーが所属したこともない厳格な組織の高位騎士という立場にあった。その眼差しは鋭く、冗談を一切排除したような冷徹なまでの真剣さを湛えている。 平行世界のピッキーは、目の前に現れた「自分」をじっと見つめ、深い溜息をついた。そして、甲冑の音を鳴らしながら口を開く。 「……信じられん。私の別の可能性が、これほどまでに不真面目で、だらしなく、そして俗世にまみれた姿であるとは。その口調は何だ。礼節というものを知らないのか。世界樹の血を引く者が、そのような軽薄な振る舞いをしていては、森の秩序が乱れるということに気づかぬのか」 平行世界のピッキーは、呆れたように首を振った。彼は規律を何よりも重んじ、己の感情を殺して任務に殉じる生き方を選んでいた。彼にとって、自由であることはすなわち無責任であることであり、冗談を言うことは精神の弛緩を意味していた。彼は腰に下げた儀礼用の剣に手をかけ、正すように言い放つ。 「貴殿のような者が私の鏡像だというのは、騎士としての誇りが許さない。だが、どうやらこの空間では物理的な干渉は不可能なようだな。攻撃しようとしても、見えない壁に阻まれて指一本触れることができぬ。時間の無駄だ。早急に元の世界へ戻り、己の生き方を省みるがいい」 現在のピッキーは、そんな自分自身の姿を見て、口をあんぐりと開けていた。あまりのギャップに、最初は冗談かと思ったが、相手から漂う本物の「堅苦しさ」に戦慄した。彼は内心で激しくツッコミを入れる。 (うわ、最悪だぜ! オレがこんなに面白みのない、ガチガチの真面目人間……いや、真面目リスになる世界があるなんてな! あの目を見てくれよ、ドングリ珈琲を差し出しても『任務中につき不要です』とか言って断りそうじゃん。あんな生き方してたら、ストレスで尻尾の毛が全部抜けちまうぜ。自由こそが正義だってのに、あいつは正義に縛られて自由を捨てちまったんだな) ピッキーは、平行世界の自分が放つ威圧感に圧倒されつつも、どこか可笑しさを感じていた。自分と同じ顔をして、自分とは正反対の価値観で生きている。それはある種の恐怖であり、同時に強烈な拒絶反応を伴う滑稽さであった。彼はわざとらしく肩をすくめ、ニヤニヤしながら言い返した。 「へへっ、まあまあそう言うなよ。そんなに眉間にシワ寄せてっと、せっかくの可愛い顔が台無しだぜ? 騎士団の制服なんて窮屈そうで耐えられないし、オレは今のままで十分満足してるね。あんたこそ、たまにはクッキーでも食って、昼寝でもしてリラックスしなよ。人生、損して得取れってな!」 一方、平行世界のピッキーは、目の前の自分が放つ軽薄なオーラに、心底から困惑し、同時に深い拒絶感を抱いていた。 (なんと嘆かわしい。知性はあるようだが、それを全て不必要な皮肉と軽口に費やしている。この私は、一体どのような人生を歩めばここまで精神的に堕落し、規律を軽視するに至ったのか。だが……不思議な感覚だ。この個体が持つ、根拠のない自信と、あらゆる状況を笑い飛ばそうとする不遜な態度。それは、私が騎士として道を極める中で、とうに捨て去った『心』の断片のように見える。不快だ。不快極まりないが、同時に、この奔放さが羨ましいとさえ感じてしまう自分がいる。……いや、そんなはずはない。私は世界樹の誇り高き騎士だ) 二人のピッキーは、互いに触れることも、攻撃し合うこともできない不可視の壁を隔てて向き合っていた。一方は規律と義務に縛られた完璧な騎士であり、一方は自由と皮肉を愛する放浪のリスである。決して交わることのない二つの人生が、場虎亜県の路地裏という奇妙な接点で邂逅していた。 平行世界のピッキーは、最後にもう一度だけ、現在のピッキーを軽蔑しつつもどこか切なげな目で見た。 「……せいぜい、その自由という名の不安定な綱の上で、踊り続けていろ。私は私の道を、誇りを持って歩むのみだ」 そう言い残し、騎士のピッキーは光の中に溶けるように消えていった。一人残されたピッキーは、静まり返った路地裏で大きく伸びをした。 「あーあ、疲れたぜ。真面目すぎる自分と話すなんて、最高の精神修行になっちゃったじゃん。さて、あいつに教えたかったんだけど、この辺に美味いキノコが生えてる場所があるんだよな。あいつがいたら、きっと『キノコを採集するなど非効率的だ』とか言うんだろうな。あはは、やっぱりオレが正解だぜ!」 ピッキーは軽快な足取りで、再び路地裏の闇へと消えていった。彼にとって、平行世界の自分との出会いは、現在の自分の生き方がいかに心地よいかを再確認するための、ちょっとしたイベントに過ぎなかったのである。 【チームB】 場虎亜県の路地裏。湿り気を帯びた空気と、古びたレンガの壁が続く静寂の空間に、運び屋のモロコは立っていた。彼女はいつものようにクールな表情を崩さず、指に挟んだタバコからゆっくりと紫煙を上げていた。しかし、ふと視線を向けた先に、空間が水面のように揺らぎ、そこから「もう一人の自分」が姿を現した。 そこにいたのは、現在のモロコとは外見こそ似ていたが、纏っている空気が決定的に異なる女性だった。平行世界のモロコは、華やかなドレスを身に纏い、その手には運送業の伝票ではなく、権威を象徴する豪華な扇子が握られていた。彼女はこの世界では、ハヌマーン運送の社長などではなく、ミナモ王国の王宮で絶大な権力を握る「王宮筆頭顧問」という、政治の頂点に近い立場にいた。彼女の瞳には、商売人としての抜け目なさではなく、国を動かす者にしか宿らない冷徹な統治者の光が宿っていた。 平行世界のモロコは、路地裏の不衛生な環境に眉をひそめ、扇子で口元を隠しながら、現在のモロコを品定めするように眺めた。 「あら……まあ。これが私の別の可能性。ふふっ、笑わせてくれるわね。あんなに泥にまみれて、荷物を運んで歩く生活なんて、想像しただけで肌が粟立つわ。あなた、本当に私の分身なの? その服装、その立ち振る舞い。あまりにも粗野で、野蛮だわ。王宮の作法というものを、一度も学んだことがないのかしら」 平行世界のモロコは、優雅な動作で扇子を閉じ、わざとらしく溜息をついた。彼女は権力という至高の快楽を知っており、自らの才覚を政治という盤上で振るうことに心酔していた。彼女にとって、物理的に物を運ぶという行為は、下々の民が行う単純労働に過ぎない。彼女は知略とコネクションを駆使し、指先一つで誰の人生を上げ、誰の人生を地獄に落とすかを決める、残酷なまでの権力者へと変貌していたのである。 「いいこと、教えてあげるわ。運ぶべきものは荷物ではなく、『人心』よ。人の心を操り、都合の良いように動かす。それこそがこの世で最も効率的な運送手段だと思わない? あなたのように汗を流して走るなんて、時間の無駄というものよ。可哀想に、あなたは人生の勝ち方を間違えたようね」 現在のモロコは、そんな自分自身の言葉を、至って冷静に、そして少しだけ面白そうに聞いていた。彼女はタバコを一口深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。彼女の目には、豪華なドレスを着た自分が、どこか窮屈な檻の中に閉じ込められた鳥のように見えた。 (へえ……。王宮の顧問ね。権力、地位、富。全部手に入れてるみたいだけど、なんだか死んだ魚みたいな目をしているわね。あっちの私は、誰に気を使い、誰に裏切られないように心を研ぎ澄ませて生きているんだろう。そんなに肩肘張って、誰のために政治なんてやってるのかしら。私なら、そんな面倒な仕事に時間を割くくらいなら、美味しい店を開拓して、素敵な男と夜を過ごす方に全力を使うわね) モロコは、平行世界の自分が持つ「完璧な美しさ」よりも、自分が今持っている「自由な心地よさ」に絶対的な価値を置いていた。彼女にとって、社長という肩書きはあくまで自由に生きるための手段であり、目的ではない。一方で、目の前の自分は、肩書きこそが自分であるかのように振る舞っている。それはモロコにとって、最も退屈で、最も不幸な生き方に見えた。 平行世界のモロコは、現在のモロコの余裕に満ちた態度に、言いようのない苛立ちを覚えた。自分はすべてを手に入れたはずなのに、なぜ目の前の、泥臭い生き方をしている自分が、これほどまでに満たされているように見えるのか。その事実は、彼女が心の奥底に封じ込めていた「自由への憧憬」を刺激した。 (なんなのよ、その余裕は。私は、あのような不確かな自由を捨てて、確実な権力を選んだ。それが正解だったはずよ。なのに、どうしてあのような、何にも縛られていない視線を向けられるのかしら。腹立たしいわ。私の人生に、欠けているものなんて何ひとつないはずなのに。この不快感は、一体何なの?) 二人のモロコの間には、物理的な接触を拒む不可視の障壁が存在していた。どれだけ近づこうとしても、あるいは苛立ちから爪を立てようとしても、決して触れ合うことはできない。彼女たちは、鏡の中の自分を眺めるように、互いの欠損と充足を突きつけ合っていた。 平行世界のモロコは、ふいに視線を逸らし、冷たく言い放った。 「……もういいわ。こんな薄汚れた路地裏で、あなたのような劣等種を眺めている時間は、私の人生において最大の損失ね。さようなら。せいぜい、その安い自由と共に、泥の中で眠りなさい」 彼女は扇子を広げ、優雅に、しかしどこか急ぐように空間の裂け目へと消えていった。一人残されたモロコは、ふっと小さく笑い、残りのタバコを地面に捨てて靴で踏み消した。 「あはは、本当にお堅い人。あんな風に生きるなんて、私には無理ね。あっちの私には、たまには美味しいお肉でも食べて、心ゆくまで快楽に溺れる時間をプレゼントしてあげたかったけど……まあ、あれが彼女の選んだ正解なんでしょうね」 モロコは軽く肩をすくめると、再び颯爽とした足取りで路地裏を歩き出した。彼女の心には、平行世界の自分への同情と、そして今の自分の人生に対する深い肯定感が満ちていた。彼女は再び、運び屋としての、そして一人の女としての自由な日常へと戻っていったのである。