空は鉛色に塗りつぶされ、かつて文明と呼ばれた街は、いまや腐敗した肉の臭いと絶望が支配する墓場と化していた。地球を襲った謎のゾンビウィルスは、あらゆる秩序を食い尽くし、生き残った者たちに「生存」という名の終わりのない地獄を強いていた。 --- 【荒廃したコロニー】 錆びついた鉄柵と、散乱した食料品。そこはかつて避難所として機能していたコロニーだったが、今は静寂が支配している。だが、その静寂は死の予兆だ。 「……クソ、弾が足りない」 ルプスはHK-416のボルトハンドルを戻し、低く唸った。黒い戦服は返り血と泥で汚れ、狼の鋭い嗅覚が、周囲に潜む「それら」の腐臭を捉えていた。彼はデルタフォース仕込みの慎重さで、遮蔽物から遮蔽物へと移動する。背後から不意に襲いかかろうとしたゾンビの腕を、彼は電光石火のCQCでねじ切り、ナイフで頭蓋を粉砕した。だが、疲労は限界に近い。心臓の鼓動が耳の奥でうるさく鳴っていた。 一方、そのコロニーの反対側。銀色の小さな塊が、猛烈な速度で地面を滑っていた。 「ひぃぃぃ! 来ないで! 近寄らないでぇぇ!!」 ヘタスラである。体長20cmの銀色スライムは、知能こそ高いが精神は極限まで脆弱だった。彼の目の前には、顎が外れ、皮膚がどろどろに溶け出したゾンビの群れが迫っている。ゾンビたちは、この奇妙な銀色の生物に異常な執着を見せ、理性を失った飢餓感で追い回していた。ヘタスラは全力で逃走する。その動きはあまりに不自然で、ゾンビが放った爪が空を切る。運が良いのではない。絶望的な恐怖が、彼に「回避」という概念さえ超越した動きをさせていた。 「誰か! 誰か助けてぇー!!」 その叫びが響いた瞬間、空間を切り裂くような鋭い斬撃が走った。 ――シュンッ!! 一瞬にして、ヘタスラを追っていたゾンビたちの首が、同時に宙に舞った。銀髪をなびかせ、三度笠を深く被った女性、六道の剣聖がそこに立っていた。彼女は赤い長刀『五戒』と黒い短刀『漸悟』を静かに構えている。 「……騒がしい生き物ですな」 彼女の表情は変わらない。だが、その瞳には深い慈悲と、冷徹なまでの殺意が同居していた。彼女にとって、この世界に蔓延る不死の化け物たちに「正しい輪廻」を与えることは、一種の救済であった。 「あ、ありがとうございます! 助かりましたぁ!」 ヘタスラが震えながら感謝を述べるが、そこに銃声が響く。ピンポイントでゾンビの眉間に穴を開ける正確な射撃。後方から現れたのは、二丁拳銃を構えた女性、アリエス・クワッドだった。 「……前方、まだ数が多い。連携しましょう。私は後方を任せる」 アリエスの冷静な声に、ルプスが合流する。彼らは互いに面識はない。しかし、この地獄で生き残るためには、一時的な協力が不可欠であることを本能的に理解していた。 そして、彼らの足元に、泥にまみれて震えている一人の男がいた。ただの「一般人」である彼は、武器もなく、ただ折れた鉄パイプを握りしめていた。彼は自分の弱さを知っている。それでも、死にたくない。生き残りたいという原始的な欲求だけが、彼を突き動かしていた。 「俺も……俺も、一緒に……!」 --- 【研究所】 一行は、生存への唯一の希望とされる『研究所』へと向かった。しかし、そこはコロニーとは比較にならない地獄だった。廊下を埋め尽くすのは、ウィルスが変異し、筋肉が異常発達した「強化ゾンビ」たちだ。皮膚は硬質化し、銃弾を弾き返す。咆哮ひとつでガラスが割れるほどの圧力。 「っ! 防御力が高い……! 貫通弾、今です!!」 アリエスが叫ぶ。彼女の放った貫通弾が、強化ゾンビの硬い外殻を瞬時に破壊した。その隙を逃さず、ルプスがCQBで懐に飛び込み、ナイフで急所を抉る。 しかし、敵の数は絶望的だった。絶え間なく押し寄せる肉の波に、彼らは疲弊していく。一般人の男は、必死に鉄パイプを振り回していたが、ついに一匹のゾンビに足を掴まれ、地面に引き摺られた。 「いやだ! まだ、死にたくない!!」 男の叫びが響く。彼は最後まで諦めなかった。近くにあった破片を掴み、ゾンビの目に突き刺そうとした。だが、強化ゾンビの圧倒的な膂力が、彼の細い腕を易々とへし折った。絶叫が廊下に響き渡り、彼は肉の塊へと変わった。 「……っ!」 ルプスが救援に駆け寄ろうとするが、さらなる大群が道を塞ぐ。絶体絶命の瞬間、六道の剣聖が前へ出た。 「道を空けなさい。――『修羅の斬舞』」 彼女の体がブレた。次の瞬間、周囲の空間が黒い斬撃の嵐に包まれる。ゾンビたちは反応することさえできず、バラバラに切り刻まれた。しかし、研究所の深部から、これまでとは次元の違う咆哮が聞こえてきた。ウィルスの結晶体が全身を覆い、知能さえ持った「主」のような個体が姿を現したのだ。 その怪物が放った衝撃波が、一行を襲う。ルプスとアリエスが吹き飛ばされ、六道の剣聖でさえも、その圧力に一歩後退した。そして、混乱の中で逃げ回っていたヘタスラが、偶然にもその衝撃波の直撃コースにいた。 「ひぃぃぃぃ!! 死ぬ! 死んじゃうぅぅ!!」 極限の恐怖。行動を制限され、逃げ場を失ったヘタスラが、人生(スライム生)最大の悲鳴を上げた。 「命の叫びーーーーーー!!!」 鼓膜を突き破るような超高周波の絶叫。それは物理的な音を超え、概念的な「拒絶」となって周囲に拡散した。主個体が放った攻撃スキルは無条件に相殺され、周囲のゾンビたちは一瞬にして戦意を喪失し、気圧されて硬直した。 「今だ!!」 アリエスの叫びと共に、ルプスが閃光手榴弾を投げ込む。視界を奪われた主個体に、六道の剣聖が最果ての技を繰り出した。 「『舞い散る桜の百演武』」 巨大な桜の幻影が研究所の天井を突き破らんばかりに現れ、一本の巨大な刀が振り下ろされる。命中した瞬間、100発の不可避な斬撃が主個体を細切れにし、その存在を完全に消滅させた。 --- 【エピローグ】 数年後。 世界からゾンビの姿は消えていた。抗体の研究は、あの日、彼らが主個体を倒した際に得られたサンプルによって完了した。ウィルスは自然消滅し、灰色だった世界に、ゆっくりと緑が戻り始めていた。 焼け跡に咲いた小さな花を、ルプスは静かに見つめていた。隣には、銃を置いたアリエスと、三度笠を脱いで空を仰ぐ六道の剣聖がいる。そして、彼らの足元では、銀色のスライムがのんびりと日光浴をしていた。 彼らは互いに多くを語らなかった。ただ、失ったものの大きさと、生き残ったことの奇妙な幸運について、胸の中で考えていた。 かつて地獄だったこの場所で、風が心地よく吹き抜ける。彼らはただ、静かに、戻ってきた平和を噛み締めていた。