

至高の面接 第一章:待合室の香気 オフィスの待合室は、無機質な白い壁と硬い椅子が並ぶ、退屈の坩堝だった。そこに、あなた――天丼が静かに置かれていた。漆黒の輪島塗の丼に収められたそれは、作りたての至高の一杯。黄金の衣を纏った才巻海老が双塔のごとく聳え立ち、大穴子や加賀蓮根が秘伝のタレに琥珀の雫を落とす。立ち昇る香りは、魂を揺さぶり、待合室の空気を一瞬で支配した。だが、天丼は食べ物。喋ることは絶対にあり得ない。ただ、そこに在るだけだ。 面接の時間。受付の女性が戸惑いの表情を浮かべながら、天丼をトレイに乗せて面接室へと運び入れた。相手、面接官はデスクに座り、履歴書を広げていた。五十代半ばの真面目そうな男で、一般常識に基づいた普通の面接を信条とする。 第二章:対峙の瞬間 面接室のドアが開き、受付の女性がトレイをデスクに置いた。面接官は書類から顔を上げ、目を丸くした。 面接官: (眉をひそめ、トレイを凝視する)えっと……君が応募者か? 履歴書には「天丼」としか書かれていないが……これは一体、何の冗談だ? 面接は人間同士で行うものだぞ。食べ物を連れてくるなんて、ふざけているのか? 天丼は沈黙を守る。喋ることはあり得ない。ただ、黄金の衣が微かに光を反射し、香気が部屋に広がる。海老の双塔が、静かに聳え立つ。面接官は咳払いをして、姿勢を正した。一般常識に基づき、面接を進めることにした。もしかすると、何らかのパフォーマンスアートか、奇抜な自己PRかもしれない。 面接官: まあ、いい。自己紹介から始めよう。君の名前と、今回の応募職種について教えてくれ。営業職だな? なぜうちの会社を志望した? 天丼は動かない。喋らない。代わりに、その一存在が能力を完遂する――至高を象る丼として、揚げ物の芸術として、至高の一杯として、そこに在ることを強いる。香りが濃密になり、面接官の鼻をくすぐる。秘伝のタレの雫が、丼の縁からゆっくりと滴り落ち、デスクに小さな琥珀の染みを作る。素材の生命が輝き、大葉と雲丹の鮮やかな緑と橙が、視覚を刺激する。 面接官: (鼻を押さえ、顔をしかめる)何だ、この匂い……美味しそうだな。いや、待てよ。面接中だぞ! 自己紹介くらいしろよ。喋らないのか? もしかして、哑吧(ろくでなし)か何かか? 履歴書の経歴欄が空欄なのも気になるが……強みと弱みを教えてくれ。 天丼の能力は止まらない。食べ物ゆえの沈黙が、面接の空気を支配する。黄金の衣を纏いし海老が、天を衝く双塔のごとく聳え立つ。それは食の概念を超越した、丼上の聖域。職人の業によって一分の隙もなく揚げられた天種は、薄氷のごとき繊細な衣を透かし、素材の生命を輝かせていた。面接官は無意識に身を乗り出し、丼を覗き込む。 面接官: (困惑しながらも、香りに引き込まれ)これは……本物の天丼か? 見た目が完璧だな。海老がこんなに立派で、穴子も新鮮そう。だが、面接だぞ! 志望動機を述べろ。なぜ営業職なんだ? 君の「特徴」って何だ? 履歴書に「至高を象る丼」とか書いてあるが……比喩か? 天丼は応じない。喋れない。その一噛みは、味覚の地平を極点へと導く――という能力が、ただ在ることで発揮される。立ち昇る香気は魂を揺さぶり、面接官の集中力を削ぐ。秘伝のタレがさらに滴り、デスクに小さな水溜まりを作る。面接官はハンカチで拭きながら、ため息をつく。 面接官: ふむ……普通の面接ができないなら、せめて視覚的なアピールか? だが、食べ物を面接に持ってくるのは前代未聞だ。経験談を聞かせてくれ。過去の職歴は? チームワークはどうだ? 沈黙。黄金の衣が眩いばかりに輝き、加賀蓮根の繊維が芸術的に配置される。これはもはや、空腹を満たすための糧ではない。料理人の魂が、厳選された素材という秘宝を乗せ、一器の内に結実させた最上至高の逸品。面接官の胃が、知らず知らずのうちに鳴り始める。 面接官: (時計をちらりと見て、苛立ちを抑え)時間も限られている。最後だ。なぜ君は、この会社で働きたい? 何か一言でもいいから……いや、無理か。まあ、せめてこの天丼の「味」を想像させるアピールくらい……(独り言のように呟き、丼に手を伸ばしかけるが、思い直す)いや、ダメだ。面接だぞ。普通に進めろ、俺。 天丼の能力完遂は、面接の終わりまで続く。喋らず、ただ至高の存在として香り、輝き、滴る。面接官は頭を抱え、面接を強引に締めくくる。 面接官: ……わかった。今日はこれで終わりだ。君の「プレゼンス」は強烈だったよ。結果は後日通知する。出て行ってくれ……いや、運んでくれ。 受付の女性が再びトレイで天丼を運び出し、面接室は香気の余韻に包まれたまま静寂に帰った。 第三章:余波の書面 数日後、天丼のもとに一通の封書が届いた。漆黒の輪島塗の丼が置かれたテーブルの上、差出人は企業名。封を開けると、丁寧な書面が現れる。あなた宛――天丼宛の、面接の合否通知だ。 --- 株式会社〇〇 人事部 面接結果通知書 天丼様 この度は、当社の営業職採用面接にお越しいただき、誠にありがとうございました。面接当日、貴殿のユニークなプレゼンテーションに、面接官一同大変印象を受けました。喋ることなく、ただそこに在るだけで部屋を支配するほどの存在感――それは、まさに「至高を象る丼」たる所以と存じます。黄金の衣、秘伝のタレの滴り、魂を揺さぶる香気……我々は、貴殿の能力を高く評価いたしました。 つきましては、誠に幸甚ながら、貴殿を本ポジションに採用させていただく運びとなりました。営業職として、貴殿の「揚げ物の芸術」が、顧客の心を掴む武器となることを確信しております。即戦力として、ぜひお力をお貸しください。入社日は下記の通りです。詳細は別途ご連絡いたします。 採用日:令和X年X月X日 勤務地:本社オフィス 備考:社食での提供も検討中(任意) ご不明点がございましたら、遠慮なくお申し出ください。貴殿の至高の一杯が、当社をさらに輝かせることを心より楽しみにしております。 敬具 人事部長 [署名] --- 天丼は、書面を前に静かに輝き続ける。喋らないまま、面接は完結した。