薄暗い廃工場地帯。錆びついた鉄骨が骸骨のように突き出し、重苦しい沈黙が支配するその場所に、夜神朔は立っていた。 「……ったく、想定外の雑魚が付き纏うとはな」 朔は不機嫌そうに目を細めた。好青年を装った微笑を浮かべてはいるが、その鋭い眼光は周囲を冷徹に分析している。彼を襲撃した正体不明の武装集団は、既に足元で転がっていた。物理的な暴力ではなく、心理的な誘導と罠によって自滅させた結果だ。彼にとって、人間を操ることは呼吸をするよりも容易い。 だが、その静寂を切り裂いたのは、物理法則を無視した「衝撃」だった。 轟音さえ後追いしてくるほどの超速。視界の端で、極彩色の閃光が走り、朔を包囲しようとしていた残党たちが、文字通り「消滅」した。塵すら残っていない。ただそこに、空間を歪ませるほどの異質な存在が立っていた。 極彩色の宇宙服。蠢く色彩の一つ一つに、無限の宇宙が内包されているかのような、言語を絶する光景。人間ではない。生物ですらない。それは「歩く特異点」――極彩色のWANDERであった。 朔は瞬時に警戒態勢に入った。相手の正体は不明。だが、その存在自体が世界に対する「暴力」であることは明白だ。一方で、WANDER側もまた、その虚空のような視線を朔に向けた。未知の知的生命体。そして、自身の領域に踏み込んだ不純物。 「……んた、ずいぶんと派手な格好してるな。助けてもらったのか? それとも、ただの通りすがりか」 朔は余裕を崩さず、口角を上げた。精神的な攻撃は彼に通用しない。相手がどれほどの絶望や恐怖を纏っていようとも、朔の精神は鋼の要塞であり、同時に底なしの泥沼である。彼は相手の反応を観察し、その「思考の癖」を読み取ろうとした。 WANDERは答えなかった。ただ、その宇宙服の内部で天体が蠢く音が、直接脳内に響く。共鳴。あるいは警告。互いに探り合い、一触即発の空気が張り詰めたその時――。 空間が、ガラスのように砕け散った。 「ッ……!?」 突如として現れたのは、この世界の理を塗り替えるほどの圧倒的な圧力を放つ「強敵」だった。それは次元の裂け目から這い出した、形なき混沌の化身。周囲の物質を無差別に分解し、存在そのものを消去していく絶望的な権能を持つ怪物。その目的は、この座標にある「特異点」と「知性」の捕食。 朔は即座に状況を把握した。相手の能力、攻撃パターン、そしてこの場の構造。同時に、隣に立つ極彩色の怪物が、同様にその敵を排除しようとしていることにも気づいた。 「なるほど。目的は同じ、ということか」 朔はふっと笑った。絶望的な状況であればあるほど、彼の脳は加速する。一人で戦えば、物理的な火力不足で消し飛ばされるだろう。だが、隣にいるのは「銀河系の頂点」とも呼ぶべき破壊の権化だ。これを利用しない手はない。 「おい、名もなき宇宙服さん。俺は別にんたを恨んじゃいない。むしろ、その圧倒的な破壊力には興味がある。どうだ、今は力を合わせないか? 奴を片付けた後で、どちらが生き残るかゆっくり話し合おう」 WANDERは沈黙していたが、その宇宙服の色彩がわずかに変化した。肯定か、あるいは効率的な判断か。言葉はなくとも、合意は成立した。 戦いの火蓋は、敵の先制攻撃によって切られた。混沌の化身が放った「次元崩壊の波動」が、周囲の空間を塗りつぶしていく。 「死ねッ!」 朔は叫ぶ。だが、それは敵に向けたものではなく、WANDERへの誘導だった。 「右! 45度、空間の継ぎ目だ! そこが奴の核に繋がっている!」 朔の洞察力は、敵の攻撃の合間に一瞬だけ現れる「構造的な弱点」を見抜いていた。彼は自らの身を囮にし、敵の意識を惹きつける。精神的な揺さぶりをかけ、敵の攻撃を一点に集中させることで、あえて「隙」を強制的に作り出した。 そして、その瞬間。WANDERが動いた。 「遍在」の力。移動時間は零秒。WANDERは朔の視認できない速度で敵の懐へと潜り込み、右腕を膨張させた。 ――恒星砲。 宇宙服の内部でプランク温度にまで圧縮された恒星が、γ線バーストとなって放たれる。白銀の閃光が世界を塗りつぶし、混沌の化身の右半身を文字通り「蒸発」させた。衝撃波で周囲の廃工場が消し飛ぶが、WANDERの「止揚」の力が、朔への干渉を正反合へと変換し、彼を無傷で保護していた。 「ははっ! 最高だ! まさに計算通り!」 朔は歓喜に目を細めた。相手が最強であればあるほど、それを操る快感は増す。彼は敵の反応を観察し、次なる一手を用意した。 敵は再生を試みる。だが、WANDERの攻撃は単なる熱量ではない。空間ごと破壊する性質を持っている。再生しようとする細胞さえも、事象の水平線へと飲み込まれていく。 「まだだ! 奴は再生を前提とした構造を持っている。完全に消し去るには、特異点の杭を打ち込め!」 朔は敵の絶望を煽る。言葉巧みに、敵の「生存本能」を刺激し、無理な再生を促して核を露出させた。敵が焦り、形態を変化させたその刹那――。 WANDERの両腕に、素粒子の結晶で構成された巨大な杭が出現した。パイルバンカーである。それは万象の摂理、物理法則、そして因果律すらも無視して突き刺さる一撃。 ドゴォォォォォッ!! 時空間ごと破壊する一撃が、敵の核を貫いた。絶叫さえ上げられないまま、混沌の化身は内部から崩壊し、対消滅の光の中に消えていった。 静寂が戻る。辺りには、何もかもが消え去った虚無の平原だけが残っていた。 朔はゆっくりと拍手を送った。 「完璧な連携だったな。んたの力は期待以上だ。……さて」 拍手を止めた瞬間、朔の表情から「好青年」の仮面が剥がれ落ちた。そこにあったのは、獲物を冷徹に見据える捕食者の目だった。彼はすでに、WANDERの攻撃パターン、能力の限界、そしてその「意識」のあり方を分析し終えていた。 「目的の獲物は消えた。ということは、もう協力する必要はないな」 朔は懐から何かを取り出し、不敵に笑う。彼は知っていた。WANDERという存在が、どれほど強大であっても、その「存在の定義」に矛盾があれば、それを突くことができる。心理的な揺さぶりは通用しなくとも、論理的な矛盾による「存在の揺らぎ」は作り出せるはずだ。 対してWANDERは、ただ静かに朔を見つめていた。宇宙服の中では、無量大数の天体がゆっくりと回転している。この人間は、自分の力を利用し、さらにその先を読み、今この瞬間も自分を「攻略」しようとしている。 「……面白い生命体だ」 脳内に直接響く声。それは称賛であり、同時に絶対的な強者の余裕だった。WANDERは攻撃態勢に入らず、ただそこに佇んでいる。彼にとって朔という存在は、宇宙の塵に等しい。だが、その塵が「銀河の頂点」を盤上の駒として扱おうとしたその不遜さだけは、認めざるを得なかった。 「ふん。まあいい。今日は気分がいいし、貸しにしておいてやるよ」 朔は再び好青年の微笑みに戻り、背を向けた。警戒心がないわけではない。だが、今の状況で戦っても勝ち目がないことは計算済みだ。負けることが確定している戦いには挑まない。だが、負けを想定した上で、次なる「勝ち」への種をまくのが彼のやり方だ。 「また会おうぜ、極彩色の化け物さん。次はんたをどうやって転がしてやろうか、ゆっくり考えさせてもらうよ」 朔が去っていく後ろ姿を、WANDERはしばらく眺めていた。宇宙の理を司る存在が、初めて「予測不能な変数」に出会った瞬間だった。 互いに相容れない世界観を持つ二人は、一時の共犯関係を終え、それぞれの孤独な頂点へと戻っていく。残されたのは、かつてそこに世界があったことを示す、わずかな光の残滓だけだった。