空は血のような赤に染まり、地は絶え間なく燃え盛っていた。かつて「罪の都」と呼ばれたその場所は、今や人類の罪の集積が生み出した最悪の化身――第六天魔王・波旬が君臨する地獄へと成り果てている。 黄金の鎖に縛られた脈動する肉塊。歪に伸びた無数の角。全身に開いた眼と口が、見る者の精神を削り取る。三対の腕は、富、愛、名声、力、知識、運命への「執着」を象徴し、そのすべてが殺戮の武器として振るわれていた。 「……ふん、とんでもねー不気味な面してんな。オレサマの美学に反するぜ」 不敵に笑うのは、黄金の鎧に身を包んだ男、オメガ。彼はこの絶望的な状況すら「ゲーム」として楽しむ、世界のバグそのもの。その隣には、山をも凌駕する巨体を持つ八岐大蛇が、地を揺らしながらどっしりと構えていた。木々が生い茂るその鱗は、自然の権化としての威厳を放っている。 「……」 静寂を纏うのは、老剣聖・無窮。使い古された黒衣を纏い、ただ静かに刀の柄に手をかけている。その瞳は凪いだ水面のように静かだが、その奥には数多の死線を越えてきた求道者の鋭さがあった。 「効率的な排除を。……感情は不要です」 冷徹な声を出すのは、銀髪の少女リュネ・アステラ。彼女の肌を走る青白い光の筋は、血液の代わりに魔力が流れている証である。そして、その背後には、名もなき「其れ」が、万象を包摂する虚無として漂っていた。理すら揺らすその存在は、そこに在るだけで世界を圧迫する。 最後の一人、黒い礼装を纏った編纂者レグナ。彼は静かに古書『世界索引』を開き、淡い微笑を浮かべていた。 「さて。この物語の結末を、私が書き記すとしましょう」 波旬が吼えた。その咆哮は、戦士たちの心に潜む「執着」を燃料とし、空から肉の槍を降り注がせる権能『無天』を起動させる。倒したいという願い、勝ちたいという欲望、生きたいという執着。それらすべてが魔王の糧となり、攻撃へと変換される。 「うおーっ! 降り注いでくるぜ! でも、バグった世界に常識は通用しねーんだよ!」 オメガが叫び、『グリッチチェンジ』を発動。降り注ぐ肉の槍のステータスを「綿飴」へと書き換え、無害な物体へと変貌させた。同時に『グリッチウェポン』で、別の次元のゲームから抽出した超巨大な光の剣を召喚し、波旬へと斬撃を飛ばす。 だが、波旬は冷酷に笑った。彼が放った紅い光線が、オメガの攻撃を容易く消し飛ばし、同時に戦士たちに【邪覚】の呪いを振り撒く。 「ぐ……っ!?」 リュネの視界が歪み、底なしの欲望が突き上げてくる。無窮は、積み上げてきた信念が砂のように崩れ落ちる感覚に襲われた。レグナの周囲では、これまで彼を支えていた世界の加護が霧散していく。 「……不快な感覚ですが、計算内です」 リュネが冷静に魔力を練る。彼女は感情の欠落した【到達者】。恐怖を知らぬ彼女にとって、精神的な攪乱は限定的な影響しか持たない。『アイスカレイド』。数万本の氷の刃が波旬の肉塊を貫き、さらに『グラシスインパクト』が地響きと共に炸裂した。超広範囲の凍結が波旬の足を止め、肉の脈動を一時的に停止させる。 「今だ、大蛇!」 オメガの合図と共に、八岐大蛇が動いた。山のような巨体が波旬を丸ごと押し潰そうと、その広大な質量を叩きつける。地殻が砕け、火炎が舞う。波旬の肉体は粉々に砕け散ったが、魔王は笑っていた。不死と再生。砕けた肉片が瞬時に結合し、さらに2.25倍に巨大化した姿で蘇る。 「……なるほど。死なぬなら、斬り捨てるまでだ」 無窮が動いた。その速度は視認不能。彼は攻めず、回避せず、ただ波旬の猛攻をすべてその一太刀の「糧」として受け止めた。財宝の鉾に貫かれ、血を流しながらも、無窮の瞳はさらに静かに、深く沈んでいく。 【境】への到達。 「届いたと思えば、さらに先が見える。……これが、我が至るべき極致」 無窮の刀が、白銀の閃光となった。それは始まりにして終わり。波旬の「執着」という概念ごと断ち切る、理外の一撃。波旬の肉塊が絶叫し、黄金の鎖が千切れる。だが、波旬はさらに狡猾に、戦士たちの「倒したい」という執着を吸い上げ、絶望的なまでの再生速度で傷を塞いでいく。 「ちっ、しぶといぜ! なら、全部盛りだ! 『グリッチオーバーロード』!!」 オメガが全力を解放する。あらゆるゲームの全スキルが同時多発的に波旬を襲う。爆発、雷撃、次元崩壊、そして理不尽な即死攻撃。極彩色のエフェクトが戦場を埋め尽くし、波旬の巨体を何度も、何度も消し飛ばした。 しかし、魔王は消えない。なぜなら、彼らの中に「魔王を倒してこの地獄を終わらせたい」という強烈な執着がある限り、波旬は不滅であるからだ。 その時、静かに「其れ」が動いた。 万象を包摂した何か。それは波旬をも内包し始めた。波旬がどれほど強大であろうと、それは「其れ」という大きな器の中の一つの現象に過ぎない。波旬の攻撃、権能、執着。そのすべてが「其れ」の一部として取り込まれ、無効化されていく。 「....」 言葉なき咆哮。波旬は初めて恐怖を感じた。自分こそが罪の化身でありながら、自分を「一部」として扱う上位存在の出現に、その肉塊が激しく震える。 だが、波旬の執着は根深い。彼は「其れ」すらも飲み込もうと、全存在を賭けた最後の紅い光線を放った。世界を焼き尽くすほどの熱量。戦士たちがその光に飲み込まれようとしたその瞬間―― 「――完結させましょう」 レグナが静かにペンを走らせた。 彼が手にしているのは、世界を定義する唯一の索引。『世界索引』。そこに記される内容は、予測ではなく「既定の事実」である。 レグナは索引の筆頭に、自分を最上位存在として固定し、波旬の「成立条件」を書き換えた。 【第六天魔王・波旬:その存在根拠である『執着』を、自己完結的な虚無へと変換し、存在を抹消する】 「私より上は、無い。それがこの世界の理です」 レグナがページを閉じると同時に、世界から「音」が消えた。 波旬の巨体が、内側から崩壊し始めた。執着という燃料を失った肉塊は、ただの泥となって地面に溶けていく。黄金の鎖は光となって霧散し、紅い空がゆっくりと青へと戻っていく。 魔王は、自分が「倒された」ことさえ認識できずに消滅した。なぜなら、レグナが記した結末において、波旬は「最初から存在しなかったこと」に書き換えられたからだ。 静寂が戻った戦場に、生き残った者たちが立ち尽くしていた。 「ふぅ……。ま、なんとなくオレサマが活躍したおかげってことでいいぜ!」 オメガが能天気に笑い、八岐大蛇が満足げに鼻を鳴らす。無窮は静かに刀を鞘に収め、リュネは冷めた表情で氷の刃を消した。 「……お疲れ様でした。さて、索引に次の章を書き加えましょうか」 レグナが微笑む。救われたはずの都に、風が吹き抜けた。だが、その風はどこか寂しく、彼らが失ったものの大きさを物語っていた。 * 【死亡者および原因】 ・第六天魔王 波旬:レグナによる『世界索引』の改訂。存在根拠である「執着」を虚無に変換され、概念レベルで抹消されたため。 ・都の住民(全滅):波旬による7つの都市の破壊および、事前の虐殺のため。 ・名もなき兵士たち:波旬の『無天』により降り注いだ肉の槍によって圧死および吸収されたため。