静まり返った「鴉」の拠点の一室。そこは、最新のPCモニターが幾枚も並び、青白い光が部屋を支配している翔の聖域だった。本来であれば、彼はこの部屋に籠もり、世界中の情報を操る「マボロシ」として振る舞う。しかし、今の彼の姿は、およそ冷徹な情報屋とは程遠いものだった。 フリルのついた白いエプロンドレス。頭にはぴょこんと跳ねた猫耳のカチューシャ。そして、顔の半分を覆う黒いマスク。 「……悠真さんの、バカ」 翔は小さく呟き、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。彼をこの格好に仕立て上げたのは、同じチームの悠真である。いたずら心に満ちた彼に押し切られ、断りきれない内気な性格が災いして、今のこの屈辱的な(しかしどこか可愛らしい)姿になっていた。 そんな彼が、部屋のドアが開く音に肩をビクつかせた。入ってきたのは、この組織の頂点に立つ男、天音蓮である。 「翔、入るぞ」 低く、心地よく響く声。190センチという圧倒的な体格に、胸元が大胆に開いた黒いシャツ。赤い瞳が、部屋の中の「異様な光景」を捉えた瞬間、蓮の眉がわずかに動いた。 翔は顔を真っ赤にし、慌ててデスクの下に隠れようとしたが、150センチの小柄な体では無理があった。彼はもじもじしながら、視線を泳がせる。 「……れ、蓮さん」 蓮はゆっくりと歩み寄り、翔の目の前で止まった。見上げるほどの身長差に、翔はさらに身を縮める。しかし、蓮の口角はわずかに上がっていた。彼は怒っているのではなく、むしろ面白がっている。あるいは、この不釣り合いな姿を「可愛い」と思っているのかもしれない。 「悠真に何かされたか。……似合っているな」 「っ……! そんなこと、言わないでください……」 翔はマスクの下で顔を火照らせた。蓮に肯定されることは、彼にとって最大の快楽であり、同時に最大の照れを誘う。4年前、絶望の中にいた自分を唯一肯定し、拾い上げてくれた人。その美貌に一目惚れし、今では彼がいない一日を耐えられないほど深く心酔している。 蓮はふっと笑い、翔の頭にある猫耳を軽く指で弾いた。 「いいじゃないか。たまにはこういう格好も。仕事に集中できなさそうだが」 「……もう、集中してます。……あ、あの」 翔は勇気を振り絞り、蓮のシャツの裾をちょこんと掴んだ。彼が今着ているメイド服の下には、実は蓮から(こっそりと)盗み出したシャツをインナーとして着込んでいる。彼にとって、蓮の匂いがする衣服は、精神安定剤のようなものだった。 「……蓮さん、今日は、ずっとここにいてくれますか?」 内気な彼が精一杯出した甘えの声。蓮はそんな翔の様子に目を細め、大きな手で彼の頭を優しく撫でた。温厚な彼の性質が、翔の脆さを包み込む。 「ああ。今日はいいタイミングで仕事が片付いた。しばらく付き合ってやるよ」 その言葉に、翔の心は満たされた。しかし、静寂に浸ろうとしたその時、扉が勢いよく開き、騒がしい足音が近づいてきた。 「あー! いたいた! 蓮さん、翔くん! 見てくださいよ、最高のコスチュームでしょう!」 悠真の声だ。彼は満足げに、自分が仕掛けた「作品」である翔を眺めてニヤニヤしている。蓮は溜息をつきながらも、悠真を追い出そうとはしなかった。 「悠真。翔が困っている。ほどほどにしておけ」 「えー、いいじゃないですか。こういう刺激がチームの結束力を高めるんですよ。あ、そうだ! せっかく集まったし、面白いことしませんか?」 悠真が提案したのは、「愛してるゲーム」だった。 「愛してるゲーム? なんだそれは」 蓮が不思議そうに問いかける。悠真は得意げに説明し始めた。 「簡単ですよ! 相手に『愛してる』って言い合って、先に照れたり、言い返せなかったり、変な反応をした方が負け。負けた方は勝った方の命令に一つ従うっていうルールです!」 翔は絶望した。人見知りで内気な彼にとって、口に出して「愛してる」と言うなど、死ぬよりも恥ずかしい行為だ。しかし、対戦相手として指名されたのは、他ならぬ蓮だった。 「……僕が、蓮さんに……?」 「そうですよ! さあ、始めてください!」 悠真が審判気取りで合図を出す。翔は心臓が口から飛び出しそうなほどの鼓動を感じていた。目の前に立つのは、自分が心から崇拝し、愛している人。それを言葉にするのは、彼にとって聖域に土足で踏み込むような緊張感がある。 まず、先手は蓮だった。 蓮は表情一つ変えず、冷静なトーンで、しかし真っ直ぐに翔の目を見た。 「愛してるぞ、翔」 「ひっ……!!」 翔は文字通り飛び上がった。顔が瞬時に沸騰し、耳まで真っ赤になる。マスク越しでも分かるほど激しく動揺し、彼はその場にしゃがみ込んでしまった。 「あ、あぁっ……! む、無理……無理ですっ!!」 「あははは! 即負け! 速すぎる!」 悠真が大爆笑する。蓮は、しゃがみ込んで震えている翔を、慈しむような、どこか楽しげな視線で見下ろしていた。 「……翔。俺は本気で言ったんだがな」 「……っ!!」 追い打ちをかけるような蓮の言葉。翔はもはや言葉が出ず、ただひたすら顔を伏せていた。彼にとって蓮の言葉は、冗談であっても本気であっても、破壊力が凄まじすぎる。 「はい、翔くんの負け! ということで、蓮さんの命令権ゲットです!」 蓮は少し考えた後、しゃがんでいる翔に手を差し伸べた。翔がおそるおそるその手を取ると、ぐいっと引き寄せられ、彼の胸の中に閉じ込められた。190cmと150cmの体格差により、翔は完全に蓮の腕の中に埋もれた形になる。 「……命令だ。もう一度、俺に言ってくれ」 「え……?」 「ゲームの続きだ。今度は、お前の番だ。言えるまで離さないぞ」 蓮の声には、普段の温厚さに加えて、団長としての抗えない威圧感と、彼自身の執着が混じっていた。翔は心臓が激しく打ち鳴らされるのを感じる。逃げ場はない。包み込まれているのは、大好きな人の体温と、心地よい香りと、彼自身の強い意志だ。 (……言わなきゃ。言いたい。本当は、ずっと言いたかった……) 翔は震える指で、蓮の胸元のシャツをぎゅっと掴んだ。顔を上げられないまま、消え入りそうな声で、けれど心からの言葉を絞り出す。 「……あい、してる……蓮さん……」 その瞬間、部屋に静寂が訪れた。悠真ですら、想定外の「ガチ」な雰囲気に、少しだけ口を閉じた。 蓮は、腕の中の小さな体温を感じながら、満足げに目を細めた。彼は翔の頭に顎を乗せ、耳元で低く囁いた。 「……合格だ。お前が思う以上に、俺も愛しているよ」 「……っ!!」 今度は翔が、心地よい衝撃で意識を飛ばしそうになった。結局、ゲームの勝敗などどうでもよくなっていた。翔はただ、この腕の中から出たくないと思い、蓮の胸に顔を埋めて、深く、深く呼吸をした。 「あーあ、もういいですよ。当てられすぎてこっちが恥ずかしくなってきました。僕は部屋に戻ります!」 悠真が呆れたように、しかし少しだけ笑いながら部屋を出て行った。扉が閉まり、再び二人きりになった部屋で、蓮はゆっくりと翔を解放した。しかし、手はまだ彼の手を握ったままだ。 「……恥ずかしかったか」 「……はい。死ぬほど、恥ずかしいです」 「そうか。だが、心地よかったぞ」 蓮の赤い瞳が、優しく翔を見つめる。翔はまだ顔を赤くしたままだが、その表情には、これまでになかった充足感が漂っていた。 「……蓮さん」 「なんだ」 「……明日も、一緒に寝てくれますか?」 内気な彼が出した、最大級のわがまま。蓮はふっと笑い、彼の額に軽く口づけを落とした。 「ああ。もちろんだ」 メイド服に猫耳という、おかしな格好のまま。けれど、二人の間には、誰にも邪魔できない深い信頼と愛が流れていた。翔は再びパソコンの前に座ったが、今度は仕事への集中力よりも、隣に座る蓮の存在感に心を奪われていた。 外の世界では「マボロシ」と「シロ」として恐れられる二人だが、この部屋の中だけでは、ただの不器用な青年と、彼を慈しむ男だった。 * 【お互いに対する印象】 ■翔 → 蓮 「僕の全てを肯定してくれた、唯一無二の神様のような人。美しくて、強くて、でも誰よりも優しい。1日でも会えないと不安になるし、彼の匂いがすると安心します。……ずっと、僕だけを見ていてほしい」 ■蓮 → 翔 「脆くて内気だが、誰よりも純粋で、俺にだけ見せてくれる表情がある。あのような格好をさせられても、それを乗り越えて俺に愛を伝えてくれる勇気に、心地よい執着を覚える。……壊れないように、大切に守り抜きたい」