薄暗い廃工場地帯。錆びついた鉄骨が骸骨のように突き出し、冷たい雨がコンクリートを濡らしていた。 エイトは、吐き捨てるように舌打ちをした。周囲には、彼を襲った正体不明の武装集団の死体が転がっている。能力こそないが、彼は「勝ち方」を知っていた。相手の死角に潜り込み、卑怯とも言える急所突きと、周囲のガラクタを利用した罠。泥に塗れ、血に染まりながら、彼はただ一つの目的のためにここへ来た。そこに、ある「標的」が潜んでいるという情報を掴んでいたからだ。 「……ったく、どいつもこいつも邪魔ばっか。効率悪いんだよな」 気怠げに肩をすくめ、乱れた前髪をかき上げたその時だった。 凄まじい衝撃波と共に、エイトの視界の端で、残っていた襲撃者たちが「消えた」。 物理的に消えたのではない。一閃。あまりに速く、あまりに巨大な斬撃が、空間ごと敵を薙ぎ払ったのだ。そこに立っていたのは、場違いなほどに端正な顔立ちをした美少年だった。身の丈を超えるほどの巨大な刀――「超刀」を肩に担ぎ、泰然と佇んでいる。 エイトは即座に身構えた。手にはどこから拾ったのか、鋭利な鉄パイプと、相手の視界を奪うための閃光弾を握りしめている。 「……誰だ。あんたもここの『掃除屋』か?」 エイトの問いに、少年――星熊海里は、静かに視線を向けた。その瞳には、戦国という苛烈な時代を生き抜いた者だけが持つ、深い静寂と、揺るぎない自信が宿っている。 「掃除屋、か。ふふっ、面白い言い方をするな。俺はただ、あるべき場所へあるべきものを戻しに来ただけだ」 海里の声は朗らかだったが、放たれる威圧感は本物だ。エイトは直感した。この男は強い。自分のような凡庸な人間が真っ向からぶつかれば、一瞬で肉塊にされるだろう。だが、エイトは怯まない。彼にとって、強さは前提条件であり、勝敗を決める要因ではない。 「ふーん。まあいいや。今はお互い、目的が被ってるってことだけ分かればいい」 「目的? 貴殿も『奴』を追っているのか」 海里がわずかに眉をひそめた瞬間、工場の深部から、地鳴りのような咆哮が響き渡った。 ドォォォォォン!! コンクリートの床が爆ぜ、巨大な影が姿を現す。それは、異形なる肉塊と鋼鉄が融合したような怪物――『鋼殻の暴食者』。全身を硬い外殻に覆われ、数本の触手のような腕が絶えず蠢いている。その眼光はどす黒い殺意に満ち、周囲の空気を凝固させるほどの圧力を放っていた。 エイトと海里。二人の視線が同時に怪物へと向く。同時に、互いの視線が交差した。 「……おい、美少年。あんた、強いだろ」 エイトがニヤリと、不敵に笑う。それは善人の笑みではなく、泥沼に引きずり込む者の笑みだ。 「ああ。自信はある。だが、貴殿のような『持たざる者』が、この場に立っている理由が気になるな」 「理由? そんなもん、勝ちたいからに決まってんだろ。手段はどうでもいい。地獄まで追いかけてでも、俺は奴をぶっ潰す」 海里は一瞬、呆気にとられたようにエイトを見た。だが、すぐにその口角が上がる。自分に厳しい縛りを課し、正々堂々と戦うことを信条とする海里にとって、エイトのような「悪辣な勝ち方」を厭わない人間は、最も相容れないが、同時に最も興味深い存在だった。 「いいだろう。一時的な共闘だ。貴殿のその『泥臭さ』、隣で見ていてやろう」 「へへっ、光栄だね。じゃあ、合図したら暴れてくれ」 戦いの火蓋は、怪物の先制攻撃で切って落とされた。鋼殻の暴食者が触手を鞭のようにしならせ、超高速で二人を襲う。 「――させない」 海里が地を蹴った。その速度は常人の視覚を超えている。超刀が閃光となって空を裂いた。 「『恋つづり』!!」 左右に激しく振り回された超刀が、猛烈な斬撃の嵐となって怪物の触手を切り刻む。火花が散り、金属音が激しく鳴り響く。しかし、怪物の外殻は硬い。斬撃は有効だが、決定打には欠けていた。 (……ここでだ!) エイトは海里が注意を引いている隙に、死角へと潜り込んでいた。彼は戦いの中で、怪物の攻撃パターンと、外殻の「継ぎ目」を瞬時に分析していた。能力はない。だが、彼には「悪意の扱い」という天賦の才がある。相手が何を嫌がり、どこを突けば最も効率的に絶望できるか。それを直感的に理解していた。 エイトは懐から取り出した特殊な腐食剤を、怪物の足元の関節部分に正確に叩き込んだ。同時に、あらかじめ設置していた小型の爆弾を起爆させる。 ドガァン!! 「ぐおおおっ!?」 足元を掬われ、バランスを崩した怪物。その隙を、海里は見逃さなかった。 「いい連携だ! 次は俺の番だな!」 海里が超刀を構え、弾丸のような加速で突進する。 「『押しの一手』!!」 凄まじい衝撃と共に、超刀の切っ先が怪物の顎下を突き上げる。巨体が宙に舞い上がった。そのまま海里は、空中の敵を追い、神速の連続斬撃を叩き込む。 「『浮世の恋』!!」 空中で舞い踊るように、超刀が円を描き、怪物の外殻を幾重にも切り裂いた。最後の一撃が重く、怪物を地面へと叩きつける。激しい衝撃で周囲の地面がクレーターのように陥没した。 だが、怪物は死なない。むしろ、傷ついたことで興奮し、全身から黒い霧のような衝撃波を放出した。 「チッ、しぶといな……!」 吹き飛ばされそうになったエイトを、海里が超刀の柄で支える。至近距離で視線が合う。 「貴殿、あの外殻の継ぎ目……あそこを狙えばいいな?」 「正解。でも、あそこは防御が厚い。普通の斬撃じゃ届かねえよ。何か『特大の一撃』、出せないか?」 「……ふっ、注文が多いな。だが、期待して待っていろ」 海里は不敵に微笑むと、超刀の柄を鞘に挿入した。その瞬間、刀は一本の巨大な槍――「朱槍」へと姿を変える。 「エイトと言ったか。俺が道を切り拓く。貴殿はその『悪辣な手』で、奴を逃がすなよ」 「言われなくてもそうするよ。あんたが派手にやってる間に、最高の絶望をプレゼントしてやる」 作戦が始まった。エイトは再び、泥に塗れる戦い方を選んだ。怪物の注意を引くため、わざと手の届く範囲に飛び出し、挑発し、絶妙なタイミングで回避する。怪物が苛立ち、攻撃が粗くなった瞬間、エイトは懐に潜り込み、持っていた強力な接着剤と電磁パルス弾を同時に撃ち込んだ。 「いまだ!!!」 怪物の動きがコンマ数秒、完全に停止した。その一瞬の静寂を、海里が切り裂く。 「『花嵐』!!」 桜吹雪のような斬撃が周囲を舞い、怪物を宙へと巻き上げる。抵抗できない巨体が、空中で完全に固定された。 海里は地に足をつき、朱槍を正眼に構える。全身の力を一点に集約し、戦国時代から積み上げてきた武の極致を、その一撃に込める。 「これで終わりだ。――『一目惚れ』!!」 轟鳴と共に、真っ赤な閃光が走った。朱槍が放った強烈な一撃は、怪物の最も堅い外殻を貫通し、その核を真っ二つに引き裂いた。 爆発的な衝撃波が走り、怪物は絶叫すら上げられず、光の塵となって消散していった。 静寂が戻った工場地帯に、荒い呼吸だけが響く。 海里は朱槍を再び超刀に戻し、ゆっくりと鞘に収めた。そして、隣で大の字になって寝転んでいるエイトを見た。 「……ふん。能力もない、作法もない。だが、貴殿のような男が隣にいて正解だったかもしれんな」 エイトは空を仰いだまま、気怠げに笑った。 「へへ。最高の相棒だったぜ、美少年。あんたの真っ直ぐな攻撃、いい踏み台になったよ」 「踏み台とは言い草だな。だが、まあいい」 海里は呆れたように、しかしどこか親しみを込めて肩をすくめた。 二人は正反対だった。一人は誇り高く、武士道を体現するような生き様。一人は泥にまみれ、勝つためなら何でもする生き様。だが、その根底にある「守りたいもののための覚悟」だけは、共鳴し合っていた。 「さて。目的は果たした。ここでお別れだな」 海里が背を向け、歩き出す。その背中は、孤独ながらも気高く、揺るぎなかった。 「なあ、星熊」 エイトが呼びかける。海里が足を止めた。 「いつかまた、どっちがより『卑怯』に勝てるか勝負しようぜ」 海里は一瞬だけ振り返り、くすりと笑った。 「断る。俺は正々堂々と、貴殿を叩きのめしてやろう」 そう言って、美少年は雨の中へと消えていった。 エイトは一人、濡れたコンクリートの上で起き上がり、服についた泥を払う。彼は知っている。自分の立ち位置なんて、善か悪か、能力があるかないか、そんなことはどうでもいいのだ。自分がそうしたいと思い、誰かのために戦い、勝ちたいと願う。その意志だけが、この残酷な世界で唯一、信じられる武器なのだと。 「……さて、帰って寝よ。疲れた」 そう呟いたエイトの顔には、いつもの気怠げな、けれどどこか満足げな笑みが浮かんでいた。